最近小五の姉と小一の弟がしょっちゅういがみ合っているような気がしている。
それを見ながら思うのは、やはり「男と女ってこうも違うのね…」ということだ。
ご想像の通り、姉のほうがとにかく口が立つ。
弟の他意のない「ただの質問」も姉にかかれば瞬く間に自己憐憫・自己弁護に使われてしまうのだ。(ま、年齢差は考慮に入れなければならないが…)
例えば…
私に「そろそろ勉強したら?」と言われた弟が「はーい」と返事をした後に、何気なく「おねえちゃん、なにしてるの?」などと言おうものなら、すぐさま「いいでしょ、何だって!今から勉強するところなんだから!!なんで人のことすぐ言いつけるの?!」と過剰反応を起こす。
元からそんなつもりは全然ない弟は、しどろもどろになるか逆ギレするかのどちらかである…
(で、最終的には私の「逆ギレ」を引き起こす^^;)
でも、実は私自身そういうのがお得意なのだ…
夫婦ゲンカでもよくあるパターンなのだが、最初はただ言葉尻をとらえて返してるだけだったりするのが、相手が逆ギレ気味に返答してきたりするとだんだんホントにアタマにきて、そのうち何にアタマにきていたのか冷静に判断できなくなる。
また悪いことにそうなると引っ込みもつかなくなってしまい、ますます事態の収拾は困難を極めることに…
思うに、やはり口では男より女が圧倒的に強いと思う。
ある言葉のどこをどう解釈してどう返せば、「相手をワルモノにできるか」を心得ているからだ。
翻って男はといえば、「思いを言葉にする」という作業だけでイッパイイッパイ、というところがある。(…失礼
)
たとえば、男が疑問を口にした場合、たいていそれは言葉どおりの「ただの疑問」だが、女は疑問の形を取ってそこに不満や要求をもぐりこませることができるのだ。
これに気づいたキッカケは、あの有名な「話を聞かない男、地図の読めない女」だった。
最初は「性差よりも個人差のほうが大きいはず、男女差別だ!!」と怒りがよぎって本を閉じそうにもなったのだが、あまりにも思い当たる部分が多すぎる。
しかもこの本を書いたのはアメリカ人だというのに…
民族の違いを超えて、「男女の違い」は共通だったのだ。
まさに「目からウロコ」だった。
(ちなみにこの本を夫婦で読んで以来、不毛な夫婦ゲンカは激減した。)
もう一つ、この本から教わったのは、「本当の意味でお互いの違いを認める」ことは「男女差別」の問題とは別物である、という「切り分けて論じる」視点だ。
今まで自分を「論理的」だと思っていた私だが、実はゼンゼン違っていた、ということを思い知らされた。
(今思えば、以前書いた「アンチA」とも通じる考え方の転換点だった。)
…で、例によって姉弟ゲンカにキレた私は、その後冷静に姉を諭した。
言語能力の「男女の差」をほんのちょっとだけ匂わせつつ…(あまりそこを強調すると今度は先入観にとらわれすぎてしまうからね。)
例としてあげたのは…
「ホラ、ママは電話しながらゲームしたりテレビ見たりできるけど、パパは電話してるときウロウロするばかりで他のコト何もできなくなっちゃうでしょ?」
…これが適切な例だったかどうかはいろんな意味で「ビミョ~」だが…