日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

救命講習・その後…

2005-06-30 | 堅めの話
最初は単にオモシロがっていただけの「除細動機」。
だが調べていくうちに徐々に危機感がつのっていった。

とりわけ「除細動機があれば助かったはずの命」についての
サイトを見つけたときには、胸が締め付けられそうだった…

できるだけ多くの人に除細動機の必要性を知ってもらいたい!
できるだけ多くの場所に除細動機を設置したい!
できるだけ多くの人に除細動機を使えるようになってもらいたい!
そのために何ができるか、目下思案中である。…

週末のあまりの暑さに

2005-06-30 | 堅めの話
子どもをプールにでも連れて行けたらと思ったのだが、
近所の市民プールは7月中旬以降~8月いっぱい、つまり
夏休みの間だけしか開いていないということがわかった。

「暑くなってきたんだから開ければいいのに!」
「お役所仕事!」
「杓子定規!」
「顧客ニーズに応えてない!」
等々、一通り悪口を並べた後で、急に
「夏休み以外の時期には、客はほとんど週末だけしか入らないだろう」
ということに気づいた。
…ということは、二日開けるために残りの五日間は維持管理だけを
しなければならない、ということである…
採算的にも、資源のムダという意味でも、「そう簡単なものでは
なかったのだ」ということに、ここでやっと気づいたのだ。

結局私たちは全ての物事を「秤にかけながら」生きなければなら
ないのだ。
残念ながら「個の利益」がそのまま「公の利益」に結びつく「い
いことずくめ」なケースは、そう多くない。
しかし、「個」と「公」は対立させて論じる種類のものでも
ないということもまた事実だ。

市民プールのグチから始まった「個」と「公」の話だが、
「個」のレベルで願望や要求を考える時、同時に「公」の利益の
ことを考える訓練を、私たちは十分積んでいるのだろうか…とふ
と疑問に思ってしまったのだ。

救命講習

2005-06-29 | 今日の出来事。(私事編)
今日はPTAで救命講習会があった。
今回が3回目の受講になるのだが、今回は以前受けた時と比べてかなり改正されていたので驚いた。
何よりビックリしたのは「除細動機の使用法」が加わったこと!

「エッ除細動機ってあの除細動機?!」
「ER」さながらにパドルを持って“…250にチャージ!下がって!!”と叫ぶようなヤツ(ちょっとカッコいいよね♪)を使えるのかと密かに期待してたのだが、残念ながらシロウトの扱える除細動機は、アレとはずいぶん勝手の違うものだった…

簡単に言えば、「コード付サロンパス(?)2枚を貼るだけ」だったのだ…
それだけで、除細動の必要の有無を機械が自動的に判断し、必要な場合には勝手に除細動をしてくれる。
つまり、これを貼った後はただ離れて機械の指示に従うだけ。
…ツマラン。
一瞬だが「ホンモノの医者になって本格的な除細動機を使えたらな~」と思わず考えた。
(ほんの一瞬だけネ^^;)

それにしても、救命講習を受けた後は何となく自分が「不測の事態」に強くなったような気分になるから不思議だ。
今日習ったことを生かせる場に出くわしてみたいようなみたくないような…
(…やっぱり出くわしたくないな^^;)
どっちにしても「自分が救命される側に回る可能性もある」なんてことは想像だにしない、調子のいい私であった。

今日は

2005-06-24 | 今日の出来事。(私事編)
ある講座に出席して、
すし屋、
ゴンドラこぎ、
メイクアップアーティスト、
窓掃除人、
ガイジンさん、
B型の人、
O型の人…
になりきってみた。

その講座は何の講座かというと…(演劇じゃないヨ)
なんと「声楽」。
何をしたか想像もつかないでしょ?
いや~、ダイナミックで面白かった。
なんだか思いっきり歌いたい気分だ。ララララ~

「偏見」について

2005-06-23 | 堅めの話
偏見は、もちろんいけない。
それは分かっていることなのだが…

最近、教育関係の掲示板で不登校についての議論が繰り広げられている。
もともと不登校については何の偏見もなかった(ただし知識もなかった)私なのだが、
ここで「学校が楽しくないから」という理由で気楽に不登校を選ばせたり、学校を否定したりしている人の意見を見ていると、逆に不登校についての偏見が根付いてしまいそうである。
その人たちは口をそろえて「偏見はよくない!」と言っているのだが、かえって逆効果なような気が…

本当に偏見を排したいと望むのなら、もっと別のやり方があると思う。
「楽しくないのに学校に行くなんてバカみたい!」と取られるような言い方をするのではなく…
「偏見」って、張本人が自ら助長してしまっている部分もあるんじゃないか、と
ふと考えてしまうのだ。

手書き文字の魅力

2005-06-22 | ヤワラカメの話
これまで学校・幼稚園関係、趣味の集まり、頼まれ仕事などで、数え切れないほどの書類をパソコンで作成してきた私だが、最近「手書きの文字」に妙に魅かれている。

「少なくとも活字のほうが手書きより読みやすいはず!」と思っていたのだが、なんだかそうとも言えないみたいなんだよね…
世の中にこれだけ活字があふれていると、逆に手書き文字のほうが目を引くのかもしれない。
(…ところで、子どもが学校からもらってくるお手紙の分量ってスゴイと思いませんか…?読むだけで毎日もうグッタリ
画像は、昔もらった手書きの幼稚園の運動会のお手紙だ。たまにこういうのがくるとなんか癒されるって感じ

…でも手書き文字ならなんでもいいってわけじゃないんだよね。
読みやすくって、しかもカワイイ(または味のある)手書き文字が書ける人がうらやましい~
(…ハイ、お察しの通り私の字は味もヘッタクレもない、ただのキタナイ字です…書いた自分も読んでて疲れる

不便!!

2005-06-16 | 今日の出来事。(私事編)
出かけたついでに用事をすませようと思う時、困るのは「郵便関係」の用があるときだ。
これがあると、とにかく「ついで」にならない!!
いつもなら銀行に隣接したS友に行くだけでほとんど用事を片付けることができるのだが、そこに郵便関係の用事が入ると手間は倍増!!なのだ。

今日も、夜8時頃になって買い物を思い出したので、いつものS友に出かけようとしていたら(…ま、こんな時間まで用事を忘れてるってのもどうかと思うけどネ)子どもが懸賞に応募するとかで、雑誌綴じ込みのハガキを持ってきた。あいにく50円切手を切らしていたこともあって、ホントなら一箇所ですむはずの用事がずいぶんメンドイことになってしまった。…

買い物自体はあっという間に片付く。
で、切手だが「サービスカウンターで扱ってるかな…?」とダメもとで行ってみたら、そこには「業務時間は20時まで」のつれない表示が…(まあどっちにしても扱ってなかったようなんだけどね。)

しかたなくコンビニへ。
無事切手をゲットしていざ投函しようと思ったら、コンビニ前にはポストは陰も形もない。
「切手売ってんだからポストくらいあるだろう」と思ってた私が甘かった…
私の性格から言って、後日出そうと思ったら忘れて何日も出さないハメになるのは目に見えていたので、やむなく駅前まで出て投函してから帰った。
も降り続いてるし、どうしてもキゲンも悪くなるというものだ。…


それから、学校関係の費用の引き落としも郵便局と決まってるのが不便!
ちょっと気を抜いてるとすぐに「給食費再引き落としのお知らせ」が来てしまうだって普段郵便局になんて行く用事ないもん!
その上銀行同士ならわざわざ行かなくてもネットで振替・振込もできるっていうのに、郵便局はそれもできない!!

早く郵政民営化でも何でもして、郵便関係もちょっとは時代に追いついてくれ~、と切に願う。
切手をスーパーでも扱うとか、切手を売ってる場所にはポストも置くとか、郵便局を便利な場所に移すとか、銀行-郵便局間の取引がネットでできるようにするとか…
本当のところ、郵便のせいでビジネスの効率化もずいぶん妨げられてると思うゾ!

国家による言論統制

2005-06-15 | 今日の出来事。(社会編)
「民主主義」入力禁止 米MS、ブログ検閲で中国に協力 (朝日新聞) - goo ニュース

…恐ろしいねぇ~、ここまでやってたとは…
インターネットは情報の垣根を取り払ってくれると思ってたんだが、中国にかかると「洗脳仕様」に改造されてるようなものだ。こんな状態だったら「反日」の気運が盛り上がるのなんて、いとも簡単だろうなぁ…

しかし、このニュースを「朝日新聞が」取り上げたのには、ある意味驚いた。最も扱いそうにないニュースだと思ってたんだけど…
…待てよ、「言論統制に協力してる」ということでMSのほうを標的にしてるのかも…
できれば「言論統制やってる親元」のほうもマメにヤリ玉にあげてほしいものだ。
中国の「日本憎し」は、メディアが一番敵視しなければならないはずの「言論統制」によって盛り上げられたものだ、ということもお忘れなく…

「男の子(男)」ってホントに、愛すべき存在だと思う。

2005-06-14 | 堅めの話
最近小五の姉と小一の弟がしょっちゅういがみ合っているような気がしている。
それを見ながら思うのは、やはり「男と女ってこうも違うのね…」ということだ。

ご想像の通り、姉のほうがとにかく口が立つ。
弟の他意のない「ただの質問」も姉にかかれば瞬く間に自己憐憫・自己弁護に使われてしまうのだ。(ま、年齢差は考慮に入れなければならないが…)

例えば…
私に「そろそろ勉強したら?」と言われた弟が「はーい」と返事をした後に、何気なく「おねえちゃん、なにしてるの?」などと言おうものなら、すぐさま「いいでしょ、何だって!今から勉強するところなんだから!!なんで人のことすぐ言いつけるの?!」と過剰反応を起こす。
元からそんなつもりは全然ない弟は、しどろもどろになるか逆ギレするかのどちらかである…
(で、最終的には私の「逆ギレ」を引き起こす^^;)

でも、実は私自身そういうのがお得意なのだ…
夫婦ゲンカでもよくあるパターンなのだが、最初はただ言葉尻をとらえて返してるだけだったりするのが、相手が逆ギレ気味に返答してきたりするとだんだんホントにアタマにきて、そのうち何にアタマにきていたのか冷静に判断できなくなる。
また悪いことにそうなると引っ込みもつかなくなってしまい、ますます事態の収拾は困難を極めることに…

思うに、やはり口では男より女が圧倒的に強いと思う。
ある言葉のどこをどう解釈してどう返せば、「相手をワルモノにできるか」を心得ているからだ。
翻って男はといえば、「思いを言葉にする」という作業だけでイッパイイッパイ、というところがある。(…失礼
たとえば、男が疑問を口にした場合、たいていそれは言葉どおりの「ただの疑問」だが、女は疑問の形を取ってそこに不満や要求をもぐりこませることができるのだ。

これに気づいたキッカケは、あの有名な「話を聞かない男、地図の読めない女」だった。
最初は「性差よりも個人差のほうが大きいはず、男女差別だ!!」と怒りがよぎって本を閉じそうにもなったのだが、あまりにも思い当たる部分が多すぎる。
しかもこの本を書いたのはアメリカ人だというのに…
民族の違いを超えて、「男女の違い」は共通だったのだ。
まさに「目からウロコ」だった。
(ちなみにこの本を夫婦で読んで以来、不毛な夫婦ゲンカは激減した。)

もう一つ、この本から教わったのは、「本当の意味でお互いの違いを認める」ことは「男女差別」の問題とは別物である、という「切り分けて論じる」視点だ。
今まで自分を「論理的」だと思っていた私だが、実はゼンゼン違っていた、ということを思い知らされた。
(今思えば、以前書いた「アンチA」とも通じる考え方の転換点だった。)


…で、例によって姉弟ゲンカにキレた私は、その後冷静に姉を諭した。
言語能力の「男女の差」をほんのちょっとだけ匂わせつつ…(あまりそこを強調すると今度は先入観にとらわれすぎてしまうからね。)
例としてあげたのは…
「ホラ、ママは電話しながらゲームしたりテレビ見たりできるけど、パパは電話してるときウロウロするばかりで他のコト何もできなくなっちゃうでしょ?」
…これが適切な例だったかどうかはいろんな意味で「ビミョ~」だが…