日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

本当のやさしさとは

2005-11-29 | 堅めの話
もうずいぶん前の話になるのだが、
例の教育関係の掲示板に、こんな投書が載ったことがあった。

・・・
気分が悪くなった人に優しく声をかけてさすってあげたり、
そういうことがすぐに出来る思いやりのある人がいる。

一方、
そういう場面に遭遇すると、気持ちが悪くて
「触りたくない」と思ってしまう自分がいることに
気づいて、イヤになる。
子供には真にやさしい人になってほしい。
・・・

と、だいたいこのような内容だった。
失礼ながら私は、これを読んで失笑してしまった。

ボーイスカウトのサマーキャンプなどでも、
移動のバスに酔った子どもの世話や後始末を、他のリーダーと共に行うことがあるが、そんな人たちが嘔吐物などに「触りたいと思ってやっている」とでもいうのだろうか。

「真にやさしい人」というのがどういう人を指すのかは、私にも分からない。
人の汚物を「触りたくない」と思うようでは、「真にやさしい人」だとは言えない、という考えもあるのかもしれない。
(普通の人でその条件を満たす人が、果たしてどのくらいいるのかは知らないが…)

しかし、私が思う「やさしい人」というのは
「今やるべきことがわかっていて、それを躊躇せず実行する人」
これに尽きるのである。


話は変わるが、私がまだ“青かった”頃…

「究極の愛」とは…?やはり「この人のために自分の命を投げ出せる」ということだろうか…
などと、頭デッカチに愛を定義づけ・ランクづけしようとしていた。

時は過ぎ…
子どもがまだ小さかったある日。
長い間の離乳食作りのせいで、献立から柔らかい部分だけを取り分ける癖がなかなか抜けないことに気づいて(…実際もう離乳食が必要なくなってからも無意識のうちにやっていた^^;)苦笑しながら、ふと思ったのだ。
こういう「習慣」もまた「究極の愛」だったのだ、と。

私の中では「食事を取り分けるクセ」も「命をかけて子どもを守ること」も、何も違いはないことに気づいたのだ。
共通しているのは、そこには「迷いがない」ということである。

本当の「愛」とは?とか「やさしさ」とは?とか、こむずかしく条件付けすることになんの意味があるだろう。
大切なのは「迷いがない」ことのほうではないだろうか。
そのためにはおかしな理屈や理想は、かえって妨げになることのほうが多い気がするのだ。

やれやれ

2005-11-28 | ヤワラカメの話
今週の忙しさと来たら…
なんで用事って一気に重なるかなぁ。ヒマなときにうまくバラけて来てくれればいいのに…
とはいえ今日のラウンドテーブルを最後に、なんとか「ヤマ場」は終わった!!
久々に地区のビーバー隊指導者の方々と顔を合わせたが、気持ちのいい人ばかりでゲンキをもらってきた
ま、今週の用事はどれも気分のいい集まりばかりだったけどネ♪
(特に忘年会かって?そりゃーそうでしょう♪)

ところで…
気になってる人もいるかもしれないので(…いるのか?!)一応報告させていただきますと、驚くべきことに「朝日記」は続いてるんだよね!
私の日記継続日数としては新記録かもしれない(情けな~…

コドモだましと言われそうだが
「続いてるヒケツ・その2」は「筆記具」にある気がしてきた。(…「その1」はコチラを参照のこと)
実は、この日記をつけるためだけにカラフルなミニ万年筆を取り揃えちゃったのよネ~
(「秘訣その1」の写真にチラッと写ってます♪)

透明なポーチに入ったそれらのペンを眺めているだけでもシアワセな気分に浸れる…そんな私ってヘンかしら?
で、ヤッパリと言われそうだがピンクのインクの減りが一番早い。そりゃそーだよネ♪

モノはこれなんですが、もし買うなら店頭で試し書きしてから買ったほうがいいヨ!
安いお店で試し書きせずに何本か買って失敗した私が言うのだから間違いない万年筆ってものによって結構書き味が違うんだよね。(…もしかしてそんなことジョーシキだった?!)

あとは…
白状すると、最近ナゼカ「キレイで小さめの字」を書けるようになりたい!と思い始めたことも、続いてる要因かも♪
もともとノートの罫線の中におさまりきれないくらいの大きい(しかも乱雑な)字を、あきらめ半分に書きなぐっていた私なのだが、ここにきて突然「小さい字」に憧れている。
ヘンなヤツだと笑わば笑え♪これが今の私の美学なのだ

独りで完結しなくてもいい

2005-11-21 | 今日の出来事。(私事編)
それは、何の前触れもなく降ってわいたような考えだった。
なぜかある日突然
「自分の人生を、“完結した”ものになんて、しなくていいんだ!」
と気づいたのだ。

何も自分ひとりだけで「起承転結」をやりとげる必要もない。
疑問や謎、やるせない思いなど、全ての「不完全なもの」を、
自分の人生の中だけですべて終結させなくては、なんて
思わなくていい。

それよりも、
子どもを始めとして、私とつながりのある人と何かを作りあげ、何かを残す。(もちろん、それも不完全でいい。)
これこそ我が人生ではないか。
なぜかふと、心からそう思えたのだ。


それなりに意識に変革もあったつもりの私だったのだが、やはり「個の完成を目指す」という枠組みに、こうもとらわれていたのだな…と愕然とした。
しかしそのとき感じた何ともいえない「心地良さ」は、一生忘れられないだろう。

自分が「つながりの一部」だと知ってからのほうが、「個の完成」を目指していたときよりも、前向きな気持ちが湧きあがってくるのを感じる。

なぜだろう?不思議だ…



後日談…

自分ひとりだけでこの境地に至ったと思い込んでいた私だが、実は以前読んでいるはずの奥村晶一さんのサイトに、ほとんど同じような記述があるのを後で発見して驚いた…
でもこんなふうに、そのときはそれほどピンと来なかったものが(…いや、前に読んだときもそれなりに「うんうん、そうだよね~」なんて思ってたような気もするが…私ってお調子者なのか?^^;)後から腑に落ちることってあるよね。

たぶん、自分の中でいろいろつなぎ合わせて「熟成する」ための時間が必要だったのだろう…
だから人生は面白い。

コーヒー

2005-11-18 | お気に入り♪
コーヒーが好きだ。
…というとコーヒーにウルサイ人のように思われることもあるが、そうじゃなくて単に好きなだけです。場合によってはインスタントでもOKってくらい♪

しかし、好きなコーヒーの味と言えば…
話は学生時代にさかのぼるのだが、住んでいたマンションのそばにコーヒーの専門店があった。(名前忘れた^^;ちょっとお高めなのでそれほどしょっちゅうは行けなかったが…)
店内には静かなクラシックが流れ、お客一人ひとりに合わせてカップを選んで、一杯ずつゆっくりドリップしてくれる、そんなお店だ。
そこのコーヒーのおいしいことといったら!まさに至福のひとときだった。
(関係ないけど…「しふく」を変換しようとしたら「私服」「雌伏」「私腹」…などと出てきて脱力しました

今はスタバなどのシアトル系コーヒーが全盛で、そういう店の雰囲気も好きでよく行く私だが、コーヒー自体はホントは普通の喫茶店で出るようなオーソドックスな味が好きなのだ

たまに「ちょっと疲れてるな~」と思ったときには、いつもは砂糖なし・ミルクのみで飲むコーヒーに、少し砂糖も入れてみる。
ミルクティーとかカフェオレを飲むときも、いつもよりほんのちょっと甘めにして飲むと、何だか癒される感じがして幸せだ

思えば「ダイエット」が最大の関心事で、カロリーに異常なくらい気を配っていた学生の頃からの習慣で、何でも「甘さ控えめ」にしてしまうクセがついている私だが、そんな必要はないことに気づいた。
だってもう十分ナイスバディだし~♪…ってそういうイミじゃなくて私って少々食べ過ぎようが病気しようが、体重はなぜかほとんど増減しないことに気づいたんだよね…これっていいんだか悪いんだか…

寒いですね…

2005-11-14 | 今日の出来事。(私事編)
昨日、昭和記念公園に家族で遊びに行った。
楽しく遊んで帰ってきたのだが…夕方近くなるにつれて、なぜだか「早くウチに帰りたい」という気分になってきた。
そのときはまだそれほど調子が悪い気はしなかったのだが、帰宅してまもなくすると、ひどい頭痛と吐き気と寒気に見舞われ、寝込んでしまった。

そういえば…
数年前、子どもたちがYMCAのクリスマスキャンプに行っているときに、ダンナとお台場でデートしたことがあったのだが、その後もちょうどこんな感じで急激に具合が悪くなったのを思い出した。
せっかくの貴重なデートの機会が台無しになってクヤシかったので、よく覚えている。…

今回の件でやっとわかったのだが、どうやら私の場合、「寒さ」と「水辺」の組み合わせは、体調を崩すキッカケになってしまうようだ。
実は昭和記念公園でも、ダンナと子どもたちがボートに乗っている間、池のほとりで寒風に吹かれて待っていたのだが、それで冷え切ってしまったのがいけなかった気がする。
遅まきながら、やっと自分の体のクセを一つ知ることができたようだ…

しかし!私はこの症状によく効く自己流治療法を、すでに考案済みなのだった
それは、名づけて「足ウラ温シップ法」。
頭痛と寒気が同時に来たときに特に効果的なのだが、足の裏に温感タイプのシップを貼って寝るのだ。
最初は土踏まずに貼っていたのだが、それだと私の場合少々刺激が強すぎるようなので、今はもう少し上の部分(足指の下あたり?)に貼っている。
すると翌朝起きたときにはもう気分爽快!なのである。今回もそれでスッカリ良くなった
もしこんな症状が現れて、他の療法が効かないようだったら、ゼヒお試しあれ

ある晴れた日に

2005-11-12 | 堅めの話
一人でふらりと公園に行った。
ものすご~~く天気のいい日で、体調もよく、気温も暑からず寒からず(←重要!私は気温の許容範囲がヒジョーに狭いので…)もうとにかく最高!!!な日だった。

と、遠くから親子とおぼしき声が聞こえてくる。
近づいてみると、赤ちゃんを抱っこした母親が、2歳くらいの子どもを連れているのだが、何がいけなかったのか母親は道々ず~っと子どもを叱り飛ばしているのだ。
「言うことをききなさい!」「何やってんの!」「置いてくからね!」
子どもは泣きながら母親の後を追い、スカートの裾ににつかまろうとしているのだが、彼女は歩みをゆるめる気配すらない…

何もこんなに気持ちのいい日に、そんなに怒らなくてもいいだろうに…
2歳くらいの子どもに、そこまで怒らなければならない理由というのが、私にはどうしても考えつかなかった。…

そういえば以前ニュースで、幼稚園に行きたがらなかった女児を母親が刺しただか殴っただかしたというのを聞いて、唖然としたことを思い出した。
たかが「幼稚園に行かない」くらいで、なぜそこまで…!
たまにはサボったっていいじゃないの!死ぬわけじゃなし!
刺したり殴ったりしたら子どもは死ぬんだよ!!


「子どもの意志を尊重すること」と「子どもを躾け導くこと」。
これを健全に両立させることが、なぜそれほど難しいのだろう。

普段私は教育関係の掲示板などで、「子どもの意志を尊重しすぎる」ことへの警鐘に重点を置いた投稿をしている。
しかし一方で、「厳しく教育せねば」と思うあまりか、子どもの意志なんて置き去りにしてしまっている親がいる、というのも、また事実なのだ。
その親子の姿を見ながら、そんなことを考えた。

そう考えると、私の意見はそれらの人々には「誤ったメッセージ」として受け取られている可能性もあるわけだ。
もっとしつけよ!もっと子どもを強制・矯正せよ!
子どもの意志など踏みにじれ!!と…
何だか背筋が寒くなるものを感じる。

…もっとも、それは逆も言えるな。
「子どもの意志を大切に」というメッセージは、「子どもをきちんと教育しなければ!!」という強迫観念が強すぎる人にとっては、気づきを促す言葉ともなるのだろうが、
普段から「子どもの意志」“しか”頭にない人などには「誤った気づき」をもたらす可能性がある。
「そうだ!全ての強制は“悪”なのだ!!」と…

言葉を「意図した人に、意図したように」伝えるというのは本当に難しい。


(写真と本文は全く関係ありません♪)

怒!!

2005-11-11 | 今日の出来事。(私事編)
入門 ゲーム理論

お願いですから、もうちょっと頭のいい人にレビュー書いてもらってください!!
内容の浅さに唖然としました…せっかくのゲーム理論が…
特に前半部分!これは書評の中に書くようなことじゃないダロ!!

この本自体は読んでいないのでこれ以上はなんとも言えないんだけどね。でも少なくともこのレビューのおかげで読む気はもう失せた。…
(ゲーム理論についての話だったら「ねこまんま」さんで紹介されてたこっちのコラムのほうが、よほど分かりやすいし面白いと思う。)

> たとえば、相手から譲歩を引き出すためには、
> ときにはこちらが譲歩することも必要だ。
…どちらかというと
「相手から譲歩を引き出すためには、強攻策に出ることがが必要になる場合もある」ってことを忘れて欲しくないなぁ。

…ま、軍縮は「祈りや願い」で達成されるわけではなくて
> こうした戦略と実践の積み重ねで達成される
って気づきがあっただけよしとするか…(ミョーにエラソウな私^^;)
ついでに言えば、「軍縮=平和」とは単純にいかない、ということのわかるクールな頭脳が増えてくれることも祈ろう。(シェリング博士の「核戦争の抑止」は必見だ。)

…しかし…
つらつら他の書評を見てたけど、これもひどいな…本の紹介っていうよりただ自説を繰り広げてるだけじゃない。
紹介されてる本とどうつながってるのか、肝心なところがまるでわからない。
「憂鬱(ゆううつ)な気分を救ってくれた。」だの「考えるヒントになる。」だのって…それはただの「アンタの気分」ダロ!!それで自己満足しないでくれ!!
まったく、書評とは何かすらわからなくなってるんじゃないだろうか…
曲がりなりにもお金もらって書いてるんだから…お願いしますよ、ホント。

堅めの話が続いたので

2005-11-10 | お気に入り♪
ちょっと私らしくないけど、たまにはお気に入りのキッチン用品でも紹介してみようかな♪
mihoさんのサイトの影響大♪Thanks!)

BRITA クール、ポット型浄水器です。
ちょっとでもメンテナンスが面倒だとスグに死蔵品になる我が家なんですが(いばれないって!)これはもうずっと愛用してます。それくらい楽!
その上ホントにおいしい水ができるよ!なんでもっと早く買わなかったんだろう…って思ったくらい。

ただ、「冷蔵庫のドアポケットにも入る」ってあったわりには、結構ギリギリだった^^;
確かもうワンサイズ上のヤツにもそんな宣伝文句がついてたような…そっちはホントにアヤシイと思う。気になる方は購入前にサイズを確認してね♪
冷蔵庫にいつもおいしい冷たい水があるのって幸せ

あ、リンク先はアマゾンですが、楽天あたりで探せばもっと安いのがあるかも…
別にアフィリエイトしてるわけじゃないので、他で買っていただいても全然かまいません。
っていうよりBRITAの回し者でもないので、もちろん買わなくても全然かまいません

フジコ・ヘミング

2005-11-09 | 音楽
お恥ずかしながら、先日NHKの再放送番組の中で、初めてフジコ・ヘミングの演奏を聴いた。(私の悪いクセなのだが、世間的に評判になっているものにはなかなかあらためて鑑賞しようという気が起こらないのだ。ハマるタイミングを逸するという感じ^^;)

何といったらいいのかわからないのだが、それはもう曲ではなくて、「物語」だった。

定番とされている「ラ・カンパネラ」も、もちろん素晴らしかったのだが、より衝撃的だったのはショパンのエチュード「革命」だった。

ショパンがロシア軍のワルシャワ侵攻を耳にし、失望と憤怒のあまり一気に書き上げたと伝えられている曲だから、椅子から立ち上がらんばかりに激情的に弾くのが通例だし、作曲者自身もそれを望んでいると思う。

しかし彼女の弾く「革命」の凄みときたらどうだろう。
彼女はショパンの曲によって、自分自身をなぞる物語をつむぎだしてしまった。そんな印象だ。
一見静かでありながら、底知れぬ深みと「悟り」のようなものまで感じさせるその演奏は、鑑賞者の心をひきつけて離さない。

それにしても、一見運命に翻弄されてきたかのような、苦難の人生を歩んできた人の仕事のほうが、心を打つ何かを持つような気がするのはなぜなのだろう…

どこまで「人権後進国扱い」されればいいの?!

2005-11-09 | 今日の出来事。(社会編)

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 日本社会の「差別」指摘 国連人権委報告

(ホントはこういう話題は取り上げたくないんだけど、あまりに頭にきたので…)
ほ~ら、言わんこっちゃない!!
一部の勘違いした連中による「一方的通報」によって、今や国連は中国・韓国・北朝鮮による「日本吊るし上げ」の格好の舞台になってしまった。
国際社会での日本の権威を貶めることは、つまるところ
他の国々の発言権を拡大するだけ
なのだということが、この連中は少しはわかっているのだろうか。そしてそれが「どのような世の中をもたらすことになるのか」まで考えての行動なのだろうか。
「国連サマサマ」な人々には考えることすらできないのだろうな…

これがどういう影響をもたらし始めることになるか、よく見ていこうではないか。
深刻な影響が出始めてから「しまった!!」と言っても、もう遅い。失われた信用を回復するのにはさらに時間と手間がかかるだろう。その間に失うものは計り知れない。


日本における人権・差別問題なんて、中国や欧米のそれの根の深さに比べたらかわいいものだ。
おさまる気配のないパリでの暴動を見るまでもない。(正直私もここまでくすぶるものがあったとは…と驚いてもいるのだが。)
欧米では「みんな違ってみんないい」が実現できているなんて、実は大嘘なのだということがよくわかるというものだ。

翻って日本を見てみるといい。
たとえば阪神大震災という未曾有の災害のさなかにあって、外国のメディアから
「暴動も略奪も見られなかったことは、奇跡に近い」という見方をされていたことについて、私たち日本人は深く考えたことがあるだろうか。
(…そもそも、そんな見方をされていたということをきちんと知っていただろうか?)

「病巣」がより根深いのは…?
日本は本当に「民度の低い」国なのか…?
ちょっと理性的に考えれば分かることだと思うのだが…

(オマケ…ここぜひ読んでみて!)