日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

興奮さめやらぬ…

2008-12-21 | 今日の出来事。(私事編)
二度目の第九を歌う機会に恵まれ、たった今公演が終わりました。嬉しいことに、佐渡裕氏の指揮する東京フィルの第九です。前回より今回のほうがずっと緊張しました…でも堪能しましたよ~

佐渡氏の指導は、微妙に混じる関西なまりのせいもあって、わかりやすく親しみやすい感じです。それでいて、時にふと音楽の深遠さや厳しさをも感じました。

でも、今日の演奏会は基本ビート感あふれる「元気になる」第九でしたよ!
佐渡さんやっぱりいいですね指揮姿に釘付けでした。写真とかより実物のほうがずっとステキです(というのも失礼ですかね^^;)ファンが多いのもうなずけます…

…で、突然ですが、
なんだか今はいろんな方にお礼を言いたい気分です。
今、いろいろなところにいる、あなたやあなたやあなた。いつも本当にありがとう。

…ちょっと酔ってる(音楽に?)ものでお許しを(^o^;)

親も進化する

2008-12-19 | 今日の出来事。(私事編)

音楽ネタが続きそうなのであえて違う話題にしてみました♪


私は幼稚園の時もPTA(保護者会と呼ばれていました)の役員をしていたのですが、(物好きといわれそうですね^^;)その頃の私は明らかに今とは違う感じだったと思います。
「肩に力が入っていた」というのでしょうか。
我が子にもっとよい教育環境を…教育をより良いものに…
他の保護者や幼稚園にいろいろ意見もしました。 今思えばつくづく怖いもの知らずです…


ある先輩役員が、ある時こんなことを言いました。

「保護者会っていうのは、保護者と幼稚園の橋渡しをするというよりも、どちらかというと幼稚園の意向を保護者に伝えるためにあるのよ」

私は「逆じゃないの?!どちらかというと保護者の意向を幼稚園に反映させるものでしょう!」と思いっきり反発しましたね。(もちろんそんなふうに言いはしませんでしたが。何しろそうは言っても波風は立てたくないタイプなもので^^;)

でも今は、その先輩役員の言葉がわかります。
いろいろな先生や親に出会い、子どもが成長するにつれて、ものの見方が少しずつ変わってきた(平たく言えば「大人になった」?)のだと思います。


間もなく新一年生が入学してきます。
よく言われることですが、親も「一年生」です。
きっと最初のうちは、
我が子しか目に入っていない、
学校や地域の支えの大切さがわかっていない、
当然役員も尻込みする、
そのくせ教育に対する不満だけは山ほど…
といった、「・・・」な親たちも、たくさんいると思います。

でも、親も「進化する」もの。
かたくなだった心も、いろいろな人に接し、いろいろな経験をするうちに、徐々に「自分目線」「我が子目線」だけでない見方ができるようになっていくと思います。

大切なのは、
最初がダメだからといって、ずっとダメだと決めつけないことではないでしょうか。
気楽なつきあいからスタートしても、やがて「人と人との支え合い」を実感できるようになるでしょう。
私自身がいろいろな人から親として育ててもらったように、今度は私もその手助けができればと、おこがましくも考えたりしています。


絶好調

2008-12-16 | 今日の出来事。(私事編)
私の場合、自分の状態を人に言われて気づくことが多いのですが…
最近の私は、まさに絶好調!!です。
これも「第九初体験」によるところが大きいかな?


ふと思い立って、夏から「所沢で第九を」に参加してみましたが、その参加者の多さにまずビックリ!!
例年は二百名に届くことはなかったらしいのですが、今年は定員をはるかに超える参加希望者があり、急遽定員を250名に増やしたそうです(舞台スペースの関係上、それが限界だったらしい)。それでも歌えなかった方もいたようです…
※この舞台スペースですが、ホントに一杯いっぱいでした…座る余裕もないので、第三楽章で出たら「立ちっぱなし」です。これが一番キツかった…(T T)

歌を始めてみて、思ったこと。
同じ音楽でも、歌はピアノより生身の人間に近いのですね。「本能的」とでも言うのでしょうか。
自分の体の状態・心の状態が、ダイレクトに表れてしまうので、小手先のごまかしが効かないのです。これは新鮮な発見でした。
その上、本気で歌うと、ほんの2、3フレーズ歌っただけで汗ばむほどなんですよ!まさに「体が楽器」という感じです。
当然カロリー消費量も多いと思うので、ダイエットになるか…?と思いきや、歌うとその後やたらお腹が空くんですよね~…なので残念ながら「歌ダイエット」は、限りなく不可能に近いと思います。

合唱指導の先生の素晴らしさ。
発声や楽典の知識の豊富さはもちろんですが、私が感動したのはそれを伝える言葉の豊かさです。
「ドからレに移動する時は、下から持ち上げて『うんしょ!』とやるのではなく、ひしゃくに汲んだ水を上から注ぐように…」
「喜びいさんで街を駆け抜けてきたものが、教会の扉をバーンと開き、厳かな静寂の中で立ちすくんでいる」
「地上からの人間の声に対して、空のかなたから帰ってくる『人ならぬ声』のように…」
…このような先生の言葉一つで、その後の演奏がガラッと変わるのです。

これが、単に「もっと気持ちを込めて」だけだったら?
あるいは「もっとのどの奥をたてに開けて」などの技術的な指導だけだったら?
果たしてこんな豊かな響きを作り出せただろうか…と思ってしまうのです。


…うわ~、書きたいことがどんどん出て来た…
続きは次回に…(いつになるかわかりませんがスミマセン