子どもたちも眠りについた、イブの夜。
今年は
去年のようなすったもんだもなく、サンタさんも無事任務完了しました!
…ダンナも寝ちゃうと意外にヒマなんですよね~^^;
というわけで、ブログ更新!
今「朝まで生テレビ」をやってます。
お題は「激論バトル!!朝まで日本のサッカー応援宣言!」
見るともなく見ていますが(というより、コレ書きながら聞いてる
と言ったほうが正しいかな…)これがなかなかいい雰囲気なんですよ。
サッカーはあまり詳しくないので、ジーコとオシムの方法論の違い
がどうのと言われても???なんですが
この朝生では、参加者それぞれ意見の違いはありながらも、
みんなが日本のサッカーの将来を真剣に考え、また
日本サッカーを愛しているもの同士として、互いに相手の意見を
尊重しているのが伝わってきて、聞いているだけで
「日本のサッカーの未来は明るい!」という気分になってきます。
政治系「朝生」との雰囲気の違いに驚いていたわけなんですが、ふと
「政治系朝生は、なぜこういう議論にならないのだろう?」
と思ったのです。
まあ題材が題材ですから、サッカーと全く同じ雰囲気でやれ
というのも無理でしょうけど、せめて参加者には
方法論に違いはあっても、みんな日本を愛し、日本の将来を真剣に
考えているんだ、という“論戦相手を尊重する”姿勢が
最低限欲しいなぁ…と思うんですよね。
「私だけが平和主義者」
「私だけが平等主義者」
みたいな思い込みから抜けられない方とは、どこまでいっても
身のある議論にならないような…
(何となく福島○穂さん、田嶋○子さんなどの方々が
浮かんでおります…^^;)
…話は戻って、今やってるサッカー討論ですが、
たぶんこういう「ほのぼの系」(失礼^^;)討論は、
イキナリ妙案が出現するというわけでもないし、
目に見える成果というのはなかなか出にくいと思います。
でも、それでいいんだと思うんですよね。
最近よく感じることですが、世の中って思っている以上に
「目的」
よりも
「過程」
に意義がある場合が多いと思うんです。
政治についての話にしても、
たとえ成果の上がる結論にたどりつけなくても、
人の意見を聞く、
自分の考えをまとめながら話す、
という、議論の「過程」自体にかなりの意義があるという気がします。
もちろん、実際の政治の最前線では、「目的より過程に意義がある」とか
そんな悠長なことは言っていられないわけですよね…
悠長にあーでもないこーでもないと政治談義のできる私たちは
「待ったなし」の現場で奮闘している政治家の方々に対して、
少なくとも一定の敬意を払うべきではないでしょうか。
外野からの無責任な批判に終始するのではなく…
何となく、そんなことを思いました。
…あっそうか!
このサッカーの討論が聞いてて心地いいのは、
最前線の人々(選手や監督)に対する参加者の敬意が
感じられるから、かもしれませんね。