日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

ご挨拶♪

2006-12-31 | 教育
暮れも押し迫ってまいりましたが(…って迫りすぎや~!^^;)
皆様いかがお過ごしでしょうか。
このところ忙しさにかまけて更新が滞ってしまって
申し訳ありません
紅白をチラ見しながらフィギュアスケート鑑賞の合間に
これを書いております。いやぁ美しい~…
音楽がオケの生演奏なのもいいですね!

今年は私にとってどんな年だったかというと…

これまでいろいろと悩み、考え続けていた教育問題が、
自分の中でまとまり始め、確固たる信念になりつつある、
そんな年でもあり、

これまでも親しんでいたつもりだった音楽と、あらためて
出会ったかのような、いわば私にとっての“音楽元年”
とも言える年にもなりました。

どちらにしても「まだまだこれから!!」の思いがますます
強くなっている今日このごろです。
これからも私の紆余曲折を、生温かく?!(←2ちゃん用語)
見守って下さいネ♪
いろいろ積み残している“宿題”もあるのですが、
「全てに答えを出さなくてもいい」がモットーの私らしく(?!)
来年へ持ち越しとさせていただきます。
ご期待ください♪(&スミマセン…^^;)

さて、明日元旦から5日ほど九州・四国方面に帰省しますので、
しばらく更新ができません。
と言っても、ケイタイから気まぐれに帰省ルポを入れるかも?!
(…あんまり面白くはなさそうですが^^;)
お楽しみに♪

それでは皆様、どうぞよいお年をお迎え下さい!

久々に

2006-12-27 | ヤワラカメの話
笑える話でも…

怪盗アンデス?実は「回答案です」…変“漢”ミス大賞

 財団法人「日本漢字能力検定協会」(京都市)は25日、第2回「漢検“変漢ミス”コンテスト」の結果を発表した。

 思わず笑ってしまうような漢字の変換ミスの年間最優秀作品は、「遅れてすいません。回答案です」を打ち間違った、「遅れてすいません。怪盗アンデス」。終電間際に会議資料を作り終えた男性が、あせってメールを送信した時の変換ミスで、同僚から「腰の低い怪盗だなあ」などと大笑いされたという。

 ほかに候補に挙がった作品には、ゴルフのスコアを友人に報告した女性が、「ラフにハマって大変だったよ~」と書くつもりだったが、「裸婦にハマって大変だったよ~」と、伝えてしまったもの。もちろん大爆笑されたという。


ありますよね~、思わず笑ってしまう変換。
そういえば私も、特許関連の仕事をしていた頃、
「日本出願」
が、何度やってもなぜかいつも
「日本酒つ眼」
と変換されるのでアタマをかかえていました。
当時の一太郎の変換が、またバカでしたからねぇ~…
…友人たちには「midさんにピッタリの変換じゃない♪」などとからかわれていましたが…


で、別の話なんですが…
上記の“変漢”大賞の応募作品って、ほとんどそのまま人に見せてしまっているようなのがちょっと不思議なんですよね…
人に見せる前にちょっと見直したりとかしないのかしら??
それともこのご時勢、誤変換なんて恥ずかしくもなんともないのかなぁ??

私なんか、掲示板にウッカリ誤字入りの投稿をしてしまおうものなら、穴があったら入りたい心境になるんですけどね…
(“早く下がれ~、下がれ~…”と念じています(笑)

私は古い人間なのか、ネット上とはいえ、あまりにヒドイ文(書きっぱなしで何もチェックしていないな、というのが見え見えなもの)を見かけると、「う~ん…」と頭をひねってしまいます。
「人が読むに耐える文になっているか」どうかがチェックされていないのは、国語力というよりも、読んでくれる人への誠意の問題だと思うんですが…

その点(また引き合いに出してしまいますが^^;)めすねこさんのブログはすごい!と思うんですよね。

知識の深さは言わずもがななんですが、何しろ
言葉の使い方が的確。
文意が非常にわかりやすい。
 (何しろ、軍事知識のまるでない私でも「面白い」と感じる軍事ネタが書けるんですから。これってスゴイです!)
品がある。(…たとえエ○ネタでも^^;)
それでいて親しみやすい。
いや~、どれもお手本にしたいことばかりです。

これからも楽しみに読ませていただきます!


今ごろですが…^^;

2006-12-27 | 今日の出来事。(私事編)
「トラックバックを受け付ける」設定にしました!
事前承認制ですのですぐには反映されません。ご了承下さい(…ヘンなトラバも来ますからねぇ…(-_-;)

それもこれも、実は「のだめ」つながりで音楽の話がしたいから、だったりします。
正直な話、今の私は
「一生のうちで、これほどまでに音楽に恋焦がれていたときはなかった(ない)かもしれない…」というほどに、音楽漬けなのです。
ピアノを弾いていたい、音楽を聴いていたい、人と音楽の話をしたい。
それに尽きるといっても過言ではありません。

な~んだ、「のだめ」の影響か…?というミーハーさは認めたくはないんですが、やっぱり否定できない部分もあります^^;
でも、キッカケはどうでもいいんです!好きなものは好き!この気持ちは自分でも制御不能です。
(なんだか恋に落ちてる人のセリフみたいですね^^;)

おっと、もちろん音楽関係以外のトラックバックも歓迎です!
音楽漬けになってるおかげで、いつものようにとある政治系ブログに心の中でツッコミを入れたり(わけわかんないブログって多いんですよね…)、おかしな新聞記事をチェックする機会も減ってしまったのがちょっと残念…でしょうか?
とはいえ、そちら方面もいずれ復活しますので、そのときはヨロシク!

とうとう…

2006-12-26 | お気に入り♪
終わってしまいました…>のだめカンタービレ(ドラマ)

漫画のほうで話の展開がわかっていても、
多少「お涙ちょうだい」的ベタな演出になっていても、
まんまとのってしまっている私は感動の嵐でした…


それにしても、「のだめ」には狙っているわけではないのにいいセリフが多い♪♪

「音楽と正面から向き合う」
ハッと胸をつかれる言葉でした。
「真面目に努力する」でも
「音楽を楽しむ」でもなく、
「正面から向き合う」。これしかない、というセリフです。

「努力」というのは、決して「苦行」という意味ではないんですよね。
とはいえ、ただ楽しんでいるだけ・美味しいとこ取りをしているだけでは、決して得られないものがある。
ある道を志そうとするなら、いたずらに自虐的になるのではなく、
また「楽しい」のレベルで満足してしまうのでもなく、
まさに「正面から向き合う」ことこそが求められるのだと思います。

「厳しくされてもされなくても、ダメになるヤツはダメになる」
「成功するかどうかなんて、誰にもわからない」
一見「音楽と正面から向き合う」ことと矛盾しているかのようなこれらのセリフも、また鋭いところをついています。

「保証があるから、確証があるからガンバル」んじゃないんですよね。
「先が見えない」からこそ、今このときをガンバらなくちゃいけない。
そういうことなんだと思います。
保証を得てからやろうと思っていたら、人生何もできずに終わってしまいますから…

あとは、ドラマのセリフですが
「音楽ができるというのは、決して当たり前のことではない」
そうなんですよね。
あるものに一筋に取り組むことのできる環境にいられるというのは、それだけで感謝すべき、恵まれたことなのだなぁ…とシミジミ思いました。


…なんだか、そのまま「教育」カテゴリに入りそうな固い話になってしまいましたね…失礼しました^^;

とりあえずは、
「のだめカンタービレ」というドラマに正面から向き合った、スタッフとキャストの皆さんにお礼の言葉を申し述べたいです。
本当にありがとう!!

Let's議論!!

2006-12-25 | 今日の出来事。(私事編)
子どもたちも眠りについた、イブの夜。
今年は去年のようなすったもんだもなく、サンタさんも無事任務完了しました!

…ダンナも寝ちゃうと意外にヒマなんですよね~^^;
というわけで、ブログ更新!

今「朝まで生テレビ」をやってます。
お題は「激論バトル!!朝まで日本のサッカー応援宣言!」
見るともなく見ていますが(というより、コレ書きながら聞いてる
と言ったほうが正しいかな…)これがなかなかいい雰囲気なんですよ。

サッカーはあまり詳しくないので、ジーコとオシムの方法論の違い
がどうのと言われても???なんですが
この朝生では、参加者それぞれ意見の違いはありながらも、
みんなが日本のサッカーの将来を真剣に考え、また
日本サッカーを愛しているもの同士として、互いに相手の意見を
尊重しているのが伝わってきて、聞いているだけで
「日本のサッカーの未来は明るい!」という気分になってきます。

政治系「朝生」との雰囲気の違いに驚いていたわけなんですが、ふと
「政治系朝生は、なぜこういう議論にならないのだろう?」
と思ったのです。

まあ題材が題材ですから、サッカーと全く同じ雰囲気でやれ
というのも無理でしょうけど、せめて参加者には
方法論に違いはあっても、みんな日本を愛し、日本の将来を真剣に
考えているんだ、という“論戦相手を尊重する”姿勢が
最低限欲しいなぁ…と思うんですよね。

「私だけが平和主義者」
「私だけが平等主義者」
みたいな思い込みから抜けられない方とは、どこまでいっても
身のある議論にならないような…
(何となく福島○穂さん、田嶋○子さんなどの方々が
浮かんでおります…^^;)


…話は戻って、今やってるサッカー討論ですが、
たぶんこういう「ほのぼの系」(失礼^^;)討論は、
イキナリ妙案が出現するというわけでもないし、
目に見える成果というのはなかなか出にくいと思います。

でも、それでいいんだと思うんですよね。

最近よく感じることですが、世の中って思っている以上に
「目的」
よりも
「過程」
に意義がある場合が多いと思うんです。

政治についての話にしても、
たとえ成果の上がる結論にたどりつけなくても、

人の意見を聞く、
自分の考えをまとめながら話す、

という、議論の「過程」自体にかなりの意義があるという気がします。


もちろん、実際の政治の最前線では、「目的より過程に意義がある」とか
そんな悠長なことは言っていられないわけですよね…

悠長にあーでもないこーでもないと政治談義のできる私たちは
「待ったなし」の現場で奮闘している政治家の方々に対して、
少なくとも一定の敬意を払うべきではないでしょうか。
外野からの無責任な批判に終始するのではなく…
何となく、そんなことを思いました。


…あっそうか!
このサッカーの討論が聞いてて心地いいのは、
最前線の人々(選手や監督)に対する参加者の敬意が
感じられるから、かもしれませんね。

学びの楽しさ

2006-12-22 | 教育
「学校をもっと楽しいものにしてほしい。」
「勉強は楽しいものだということを教えてほしい。」
「そのためには、先生も授業を楽しんでほしい。」

「教育に望むもの」についての話をしていると、(主に親たちの間から)よく「楽しい」というキーワードにこだわった意見が出てくる。
確かに一面もっともだと思うのだが、
私は「楽しさ」というのは学習の一要素(それも原始的な)にすぎないと思っている。

学習を“食”にたとえるなら、楽しさというのは「美味しさ」に当たるものだと思う。

食の目的は当然ながら「栄養の摂取」だ。
しかしながら、「美味しさ」の要素が重要であることは間違いない。特に幼少期においては…
小さな子どもにとっては「なぜ食べるのか?」の理由は「美味しいから」で十分だろう。

しかし、「美味しさの追求」が本来の目的である栄養摂取を忘れさせてしまっては本末転倒だ。
ただ美味しいからという理由でお菓子だけを食べ続けたり、
嫌いだからという理由で野菜を食べないなどといった摂食行動では、体力はつかないし、ゆくゆくは体を壊してしまうことになる。

「学び」においても同じことだ。
「楽しいからやりたい(やる)」
「楽しくないからやりたくない(やらない)」
幼少期を過ぎてもこういう基準から離れることができないでいるならば、本当の意味で“知の体力”を育てることはできないだろう。

もちろん、嫌いなものを無理やり口に押し込むだけのような教育は有害だが、
「嫌いなものはやらなくていい」式の教育も同じくらい有害だということには、残念ながら気づくのが難しい。
「楽しさ」や「美味しさ」は、下手をすれば目先の快楽の追求に終わってしまいがちだということは、子どもを育てる上では常に気をつけておきたいことだと思う。

まだまだのだめ

2006-12-20 | お気に入り♪

下の子が熱を出して寝込んでしまいました。
退屈そうなのですが、ゲームばかりさせるわけにもいきません。
何かしたいことある?とたずねると
「“のだめ”が見たい。」だそうです。…
正直、子どもたちまでこんなにのだめに夢中になるとは
思ってもいませんでした

二人ともピアノを習っているので、それなりには音楽に
興味はあったんですが、今やブラームスの交響曲1番
一番のお気に入りです。
息子は、自分の好きな部分になると
「シッ静かにして!今いいところなんだから…」と
おしゃべりを制したりするし、
モーツァルトのオーボエ協奏曲の鼻歌を歌っていたりします。

娘のほうも、ピアノへの取り組み方が変わってきました。
譜読みが早くなったり、演奏が表情豊かになったり…
たったあれだけでもう覚えたの?!とか
もうこんな演奏ができるのか!等々、
親の私のほうが少々アセります。

(…などと言うと自慢に聞こえるかもしれませんが、
この前ママ友で「のだめ」の話で盛り上がったとき、似たような
話が多くて笑ってしまいました…
子どもってスゴイ…というかみんな影響されやすいのね^^; )

それにしても、家族でクラシックの話で盛り上がれる日が
やって来るとは思っていませんでしたね~…
(特にダンナ?^^;)

中には、「のだめ」でクラシックの敷居が低くなったことを
苦々しく感じている人もいるようですが、
私としては今のところ「うれしい!」これだけです!!

ただ、このクラシックブーム、一過性で終わってほしくないですね。
そんな心配は杞憂だとは思いますが。だって、音楽の世界は
とてつもなく広く深いですから…

私のほうの変化といえば、ピアノ好きは相変わらずなんですが、
最近一人での演奏・鑑賞に飽き足らなくなったのか、
無性に“セッション”をやってみたくて…
オケはさすがに無理ですが^^;何かグループに入って
やってみたいな♪ママさんコーラスでも何でもいいわ♪


ドラマ・のだめカンタービレ

2006-12-15 | お気に入り♪
ドラマの話は、見ていない人にはつまらないだろうと
遠慮していたのですが…
もうガマンできません!書きます!!

心配していたドラマ化なんですが、今や我が家は一家で
「のだめ」に夢中です。
もちろん、細かいところをつっこめばキリがありませんが、
いいんですよ。
ただの役者さん(と言っては失礼ですが…)があそこまで
がんばっているというだけですばらしい!と
感心するばかりです。

その他BGMや演出なども、関係者の方々の音楽への
情熱が伝わってきて、好感度大ですね♪
それでいて笑えるところは死ぬほど笑えるし…
クソまじめ&クサいスポ根ものになってたらどうしよう…
との心配は杞憂でした

例えば、第一話の
「たった二小節で間違えるな~!」
のシーン。もうこの間違い方が最高なんです♪
よくぞこんな、一瞬で誰もが笑ってしまう間違い方が
できたなぁ~と感心至極…
やっぱりこういう場面は、音の出ないマンガよりも
ドラマのほうがいいですね♪
(見てない方には「なんのことやら?」ですよね…スミマセン^^;)

それにしても、やっぱり音楽の力はスゴイ…
なんでも世間では、「のだめ」効果で空前のクラシックブーム
だそうです。
恥ずかしながら私もそれを担っている一人でして…

まさか私がシューベルトのピアノソナタにハマる日が
訪れようとは思ってもいませんでした。
シューベルトはのだめ同様苦手だったんですが…

オマケ…
スーパー「ひとしくん」って…
「スーパーひとしくん」だったのね…!!
「世界ふ○ぎ発見!」好きなのに、今ごろ気づく
私って…orz

このたび私、

2006-12-12 | 今日の出来事。(私事編)
主婦レベルがアップ!いたしました。
自慢したいわけではありません…それどころか、具体的に
言えば言うほど恥をさらすことになるのですが…
でも、ちょっとだけ恥をさらします^^;;

ダイニングテーブルの上がいつもキレイ!

洗い物をためなくなった!

アイロンかけが好きになった!

などです。
こうやって書いていても、恥ずかしさよりはうれしさが
こみ上げてくる私…


…イヤイヤ、そうは言っても、
もちろん家事は今までも一応(ホントに一応…)
やってはいましたよ。食事作りとか…
子どもにコンビニ弁当ばかり食べさせていたとか、
そんなことはないんですけどね…
でも、「仕方なくやってる」という感じだったので、
やっぱりそのレベルでした…

結婚十ン年、家事スキルにもモチベーションにも
全くと言っていいほど進歩がなく、とっくにあきらめて
いたのに…人間っていつでも変われるものなんですねぇ。
ここにきてついにレベル2に…カンドー!!(T-T)
(レベル2かよ?!)

よし、この調子でレベル3を目指すぞ!…
と、決意を新たにしていた矢先のこと…

今日生協から来たグリーンボックス(野菜)の中には、
ほうれん草、小松菜、チンゲン菜、キャベツ、
そして青々とした葉のついたカブが…
冷蔵庫には春菊の残りもまだあるってのに…こんなに
葉物野菜ばっかりどーせぇっちゅーの?!イヤガラセか?!

…いやいや、この挑戦受けて立ちましょう!
何しろ私はレベル2の主婦。葉物野菜、恐るるに足らず!

というわけで今日のメニューは葉っぱ尽くしです~…^^;

コメント欄…

2006-12-09 | 堅めの話

前のエントリは、実は下書きを書いたのが五日ほど
前だったのだが(日付を見ればおわかりいただけると思う)
そうこうしている間に、めすねこさんのブログで、
私の想定しているコメント欄の使い方とは“正反対”の例を
目撃してしまった。

私はフェミニズムについてはちゃんと本も読んでいないので、
自分の意見を述べることはできないのだが…
でもそんな私にも、コメント欄でのかの論客の“論法”が
おかしいことはわかる。

そのやりとりは、こんな感じなのだ。

「あなたの批判するフェミニズムは、主流ではない」

(めすねこさん)「では、主流とは?」

「・・・・・・・・・・・・」
「とにかく、あなたの認識は間違っている」


何を論拠としているのかを示さずに、よく批判に乗り込んで
くるなぁ…と、変な意味で感心してしまった。

2ちゃんねるなどで、
「(ネットウヨク等は)ソースソースとうるさい」と揶揄されるのを
見ることもあるが、
ソースを示せない意見より、ソースを明示した意見のほうが
信頼性が高いに決まっている。
(もちろん、ソースとは“情報源”の意味である。)


「愛を語る」んだったら、ソースは必要ない。
しかし議論の場でそんな態度では、人にまともに意見を聞いて
もらえるはずはないだろう。
前のエントリで述べた、自説に「当然」「自明」をくっつける
人々に似たものを感じる。

議論の仕方を見ているだけで、
どちらの知識が深いか、
どちらがモノを考えているか、そして
どちらの考え方が衰退していく運命にあるかが
一目瞭然にわかってしまうのだなぁ…と、
一連のやり取りを感心しながら読ませていただいた。
(他人事で申し訳ないが…)
やっぱりめすねこさんはスゴイ!