日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

「勉強会」

2007-06-28 | 今日の出来事。(私事編)
つい先日のこと。
PTAの仕事で学校にいたときに、一人のお母さんから話しかけられた。
「midさんって、いつもPTAとか熱心にやってますよね♪いつもスゴイな~って思ってたんですよ。」
「いや~そんな…」
「実はですね、この前こういう集まりがあって、教育のこととかいろいろ話して面白かったんですよ。」
…そう言って彼女が見せてくれたパンフには、小さい文字ながらもそこここに「憲法改正反対…」や「教育基本法の理念…」などの文字が載っているのを、私は見逃さなかった。(なんか最近そのへんの言葉にモノスゴク敏感な私^^;)

「で、もしよかったらこんどこういうのがあるんですけど、ご一緒できないかなって…」
と言って次に取り出したチラシは、「教育についてみんなで考えてみませんか?」みたいな、一見ただの「勉強会」風のチラシ。主催者名も「教育を考える会(仮名)」のような、特にアヤシサを感じさせない名前になっているし、憲法云々等の政治的色合いは全く感じさせない。
そして彼女は、やがて「できればPTAでも紹介していただければ…」と言いたげな雰囲気になってきた。

…もちろん丁重にお断りしたのだが、なかなか苦労した。
「特定の団体の行事への勧誘にPTAが関わるのはよくないと思うのよね。前例もないし、一つ認めると『じゃあウチも…』となって歯止めが利かなくなるし…」

一応彼女は納得はしてくれたのだが、私なら絶対こういう勉強会に興味を持ってくれるだろうと思っていたようで、少々当てが外れたような表情に見えた。彼女は別に特定の偏向思想に染まっているというわけではなく、純粋に真面目に教育について勉強したいと考えているようだったので、余計腑に落ちなかったのだろうと思う。

それにしても危なかった。
もしも、彼女がチラシを見せる順番が逆で、先に「教育を考える会」のチラシを見ていたら、興味をそそられていたかもしれない…

しかし何というか「ズルイ」なぁ。「勉強会」という名目って。

「勉強」はしないよりするほうがいいに決まってる。真面目な人ほどそういう心理につけこまれて、気がつけば…となってしまいそうだ。
「平和」「人権」という言葉にしてもそうだが、反対を表明しづらい言葉を錦の御旗にする手法には、最近どうも違和感ばかりがつのっている。

重い記事を書くと

2007-06-22 | 音楽
筆が止まってしまいますね…イカンイカン!気を取り直して…

今日は娘の所属する吹奏楽部が西部地区吹奏楽発表会に出演しました。
コンクールではないので、一年生も全員総出演。記念すべき初舞台です。
ちょっと頬を紅潮させながら、みんな一生懸命演奏していました。初めてにしては上出来だったと思います♪


ビデオのファインダー越しに見る娘は、いっちょまえなカオをしてクラリネットを吹いていました。演奏歴は浅いのに、「それなり」に見えるから不思議です。

でも今回あることに気づいて「あ~、やっぱり私の子だな…」と思ってしまいました。
それは、もっと「見せる=魅せる」演奏をしてもいいのにな、ということです。

実は私も、ピアノを弾くときにあまり「体で表現」しないタイプなのです。なんとなく気恥ずかしさのようなものがあるんですよね。ある意味「音楽に没頭し切れていない」というか…
今回娘の演奏姿を見て、なんだか自分と似ているような気がしてちょっと苦笑いしてしまいました。

最近気づいたんですが、音楽って「耳」だけではなくて「目」でも味わっているんですよね。
もっとナルシスティックに「魅せる演奏家」になりきってみてもいいのでは?と思いました。

…まあ、まだ演奏を始めて日が浅いし、音を追うだけでも精一杯、ですよね。
これからこれから!

トラウマ

2007-06-18 | 堅めの話
私は傍目には能天気に見えるが、実は「子どもを預かる」という場面では、かなりの心配性だ。
そして、実はそれには理由らしきものがある。

(私の脳は、いやな思い出をどんどん忘れ去ろうとしてしまうので、今や記憶も霧がかかったように朧なのだが、なんとか掘り起こしてみる…)

大学の頃、私は人形劇サークルに所属していた。
そこでは毎年夏に、「巡業」と称して東北などの辺鄙な地域の小学校を回り、公演をしてまわっていた。

ある年の夏、ある小学校で、いつものように人形劇公演をした。
終わって子どもたちが帰っていったあとに、ある子の家から「兄が迎えに行ったのだが、そちらに行っていないか」という電話があった。
どこかで行き会っていると思うが、もしもすれ違ってこちらに来てしまったら、帰るように伝えますと言って電話を切った。
(ちなみに、この電話を受けたのは誰だったか記憶にない。自分だったのかどうかさえ…)

ところが…
夜遅くなっても帰らなかったその兄は、翌朝川で遺体となって発見されたのだ。
現場の様子から、足を滑らせて川に落ちたらしい、ということだった。

人の死に、間接的とはいえ関わったのは、生まれて初めてのことだった。
昨日人形劇を見に来ていた子どもたちの目の輝きに感動していただけに、なおさらこの悲劇が信じられず、受け入れられなかった。
私たちはどうしていいかわからず、撤収作業も何もせず長いこと押し黙ったままだった。

記憶は、ここまでしかない。どうやって帰ったのか、お葬式には出たのか、そのあたりも全く覚えていない。


楽しいイベントも、「絶対安全」ということはありえない。思わぬところに悲劇が待っている。
この事件は私の心に暗い深い闇を落し、以来子どもに関わること全てが恐ろしくなってしまった。


結婚して子どもが生まれた後も、正直なところその感覚から逃れることはできないでいた。変な話、子どもを誰かに(それが自分の母でも)預けている間は、何かあっていないだろうかと気が気でなかった。

そんな私がボーイスカウトのビーバー隊(一番年少の子どもたちの隊)のリーダーを引き受けるのに、どれほど勇気が要ったか、想像してみてほしい。
しかし、年月と、そして子どもとの楽しい経験の数々とともに、そのトラウマらしきものは克服されていったようだ。

もちろん、これからだって何が起こるか分からないし、また「何が起こるかわからない」からといって安全対策に抜かりがあってはいけない。
しかし、人生「絶対安全」が保証されるまで何もしないというわけにもいかない。
あの事件から、私はそういうことを学んだのだな、と今なら言える。

ネタがないので

2007-06-13 | ヤワラカメの話
先日の家庭教育学級開講式の講話の中に出てきたクイズでも…^^;


「川」はあるけど「水」はない。
「道」はあるけど「車」はない。
「山」はあるけど「木」はない。

…これはなんでしょう?

わかったら「分かった宣言」をどうぞ♪でも答えはナイショね♪
明日解答を発表します。
(もっとヒントがほしかったら言ってね♪コメント欄にて追加します。)

取引

2007-06-12 | ヤワラカメの話
息子は、よく目先の快楽(たとえば、「ゲームの時間を10分増やす」とか)につられて、割に合わない取引契約に易々とサインをする(?)。

ゲームの時間が増えるなら、まだ実質トクがあるからいいようなものの、私がいつも心の中で笑ってしまうのはこんな「取引」…


ウチでは(というか、たいていのお宅はそうだろうけど)
「まず『やること』をやってから、『好きなこと』をする」
というのが鉄則だ。
「やること」というのは、宿題・ピアノ・チャレンジの3点セット。
「好きなこと」は、ゲームだったりマンガだったり、いろいろだ。

それが息子の場合、その順番を入れ替えるだけでも、立派にエサ(笑)になるのだ。

息子「ねぇ~、今日先にゲームしていい?お願い~、何でも言うこときくから~…」

私「しょうがないな~、じゃあ家族の洗濯物全部たたんでしまって。そしたら特別に今日はいいことにしよう。」

息子「やった~!!」(…ひそかにほくそえむ私


…そして、ゲーム終了後…


私「ハイ、じゃあまず宿題ね!終わったらピアノだからね!」

息子(いつものように)「…あ~あ、あんな約束するんじゃなかった…


…息子よ、そろそろ気づこうよ。
その取引は割に合わないってことを。
それに、やることやっちゃってから楽しいことをしたほうが、思う存分楽しめるよ。

(…ま、私は助かるからいいんだけどね^^;)

やめる

2007-06-11 | 堅めの話
ブログをやめるわけではありませんのでご心配なく^^;


実は、8年間やってきたボーイスカウトのリーダーとしての仕事に一区切りをつけました。

本当は、徐々に仕事を減らしていってフェードアウトする形で身を引きたかったのですが、どうもそれはできないらしい、と気づいたので(…「一区切りつけたい」と申し出たのは、実は半年以上前)不本意ながら昨日「宣言」という形をとりました。(「計画」というのは、実はそれです。後ろ向きな計画ですみません…)

本当のところ、やめるには最悪のタイミングです。
スカウトも増え、リーダーは足りない。それをわかっていてやめるのは心苦しくないはずはありません…
引継ぎは徐々に進めてきてはいましたが、どんなにやっても不安と罪悪感から逃れることはできず、「これでOK」という気分にはなれません。
しかし、「もう限界」なんですよね。


実は、ボーイスカウトはどこの団もリーダーが足りません。
リーダーの仕事は、いい社会人・いい親がやっていくには、負担が重過ぎるのではないかと感じています。
活動とその打ち合わせに加えて、研修、団会議、RT(地区リーダーの会議)、キャンプの下見…制服やワッペンにも細かい規定があります。
このままでは、「限界までやってみたけどもうムリ」タイプのやめ方をする人は後を絶たないのではないかと思います。

本当はそういう問題意識は上部?に持ってもらいたいものなのに、
実際には私がやめることで、「上部」とは関係のない友人に迷惑をかけてしまうだけ…
仕事から解放された解放感とは裏腹に、しばらく鬱々モードが続きそうです…

「毎日更新」が…

2007-06-10 | 教育
一日で途切れた…orz
土日ってダンナもいるし、イロイロやってると忘れちゃうんですよね…
なんて言い訳スイマセンm(_ _)m

さて、気を取り直して…
最近「バカをつくる学校」(ジョン・テイラー・ガット)という本を読みました。

こういうセンセーショナルなタイトルの本は、普段の私だったら嫌悪する類なんですが、例の教育掲示板で“学校否定派”の方が得意げに持ち出すので、対抗意識を燃やして反論の材料にと読んでみました。
(もちろんおカネなんか出しません!図書館です。)

予想通り、「こうやって著者の意図は捻じ曲げられるんだな…」のいい見本になりました。

著者が否定しているのはアメリカの大量消費社会であり、著者の主張によると「学校がそれを支えている」らしいんですが、
彼女(その“学校否定派”の方)は、結局「学校は刑務所と同じだ」とかの扇情的な言葉を取り出して、学校を悪者に仕立て上げたいだけなのです。
おまけに読みもせずそれに便乗・拡大解釈する人まで現れる始末…

あらためて、“学校否定派”の方々の「浅さ」がよくわかりました。そういう意味では「バカをつくる学校」は貴重な書でしたね。同意できるものは全くと言っていいほどありませんでしたが。

行き詰まる…

2007-06-08 | 今日の出来事。(私事編)
どうも周期的に「スランプ」が訪れます。
書きたいことはたくさんあるんですけどねぇ…

リアルとネット、「どっちつかず」なのがいけないってことはわかっているんですが、私にとっては「だからこそ」のメリットも捨てがたいので、ときどきこうやってジレンマに陥ります…

よ~し、開き直って(ってよく言ってるような^^;)
来週は「軽い話」「短めネタ」オンリーでいきます!
そのかわり毎日更新!
ときどきこうやって宣言しないとダメみたいです、私…

というわけで早速、軽めネタ…

最近
「シンコウ」と打って「進行」を出そうとしたら
「侵攻」

「中間テスト」って書きたいのに
「中韓テスト」

って出るのです…ちょっと普通じゃないみたい^^;
これでは所謂“ネットウ○ク”だわ…