日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

op.61 CVポート抜去

2020-12-23 | 闘病記に名を借りた自分語り

これからCVポートの抜去手術を受けてきます。

こちらでは触れていませんでしたが、
抗がん剤治療が決まったときに、お医者様のすすめでCVポート(皮下埋め込み型ポート。中心静脈カテーテルの一種)を入れることにしました。

理由はいくつかあります。
①抗がん剤は強い薬剤なので、続けて打っていると腕の血管が脆くなって点滴が出来なくなる恐れがあること。
②幸い主治医の先生がCVポート施術のエキスパートでいらしたこと。
③毎回点滴を刺すのが痛くて怖いので😂

理由③については、CVポートでも刺すときは痛いということが分かったのですが😂
私の性格上、刺すところが見えないことで怖さが和らぐので有難かったです。

結論から言うと(まだ結論を言える段階ではありませんが)
お医者様を信頼して入れてよかったです。

正直なところ、入れた当初はやはり痛いし怖いし、
抗がん剤に対する不安と相まって、
こんなボロボロの体になってしまった...と悲しみにとらわれていました。
ガン再発についての記事を読み、
もしかしたらポートを取り除ける日は来ないのかもしれない...
そう覚悟を決めなければと思ったこともありました。
今、この日をあっさりと迎えられたことがまるで夢のようです。❤️😌

もしもポート留置を迷われている方がいらしたら、
個人的にはおすすめしたいです。
抗がん剤の回が進むにつれて、その有難さを実感していました。
私も今後、もしまた必要になったら
再びポート留置を考えます。

最終的には
お医者様を信頼しているか?
ここに尽きるのかもしれません。


op.60 便りのないのは😅

2020-12-14 | 闘病記に名を借りた自分語り

更新が滞りがちです。

はい、お察しの通り非常に調子が良いです。「コロナ渦の入院で思ったこと②」を書こうと思っていたのに、何だったか思い出せなくなってしまいました...😅

よって、「コロナ渦の」は削除して続けようと思います。

今後は、入院中・闘病中に私を救ってくれた人やモノの数々について、そして

それらすべてを(ある意味)無に帰してしまった「悟り」について、

ぼちぼち書いていこうと思います。


マスク

2020-12-11 | 独り言

久しぶりに闘病以外のことを書いてみる。

私はマスクが嫌いだ。

息苦しいとか、眼鏡が曇るとか、
そういった実用上の不便もさることながら、
マスクがスタンダードになった世の姿が、私には涙ぐみたくなるくらいに悲しいものに映るから。
そんな世の中で長生きして何になる?という考えさえよぎる。

イギリスのある保健局が
「コロナ時代の安全なセックス」についての指針を発表しているのだが、それによると
究極の安全なセックスは、自分自身!(分かるよね笑)だとか。
他にも、
「キスは感染のリスクを高めるので避け、できればマスクをしましょう」
とか
「体位を工夫して、極力顔と顔が向き合わないようにしましょう」
などとあることを知り、唖然とした。
(最初は虚構新聞かと思った😅)
一部の方々は、こんなマニアックなセックスを好むのかもしれないが(笑)
そうまでして感染を避けることを考えなければならないのか...

何より、
これから恋人になろうという男女は、どうやって距離を近づければいいのだろう。
顔を近づけたくなったら、そうしてもいいかいちいち確認をとるのだろうか。
キスをする前には、両者
マスクを外すとか下ろすとか(笑)の一手間が加わるようになるのだろうか。
私のロマンチックな時代(ささやかな笑)には、そんな無粋な儀式がなかったことを、ただ幸運に思っている。

いずれ、家族(親子)であってさえ、
マスクをしている顔を見ている時間のほうが多くなる...そんな時代が来てしまうのだろうか。

生物は、すべて「運命共同体」の宿命を負わされている、と私は思っている。
しかし知識を蓄えた人類は
その宿命から逃れようとしているのだろうか。


op.59 入院中に思ったこと①

2020-12-04 | 闘病記に名を借りた自分語り

(アナウンス)「当院では当面の間、原則
宴会禁止とさせていただいております。...」
えっ!?
と思ったら、面会禁止でした😆

見舞い客の出入りしない病棟は、とても静かでした。
加えて(着替えの受け渡し等の接触を減らすため)貸出パジャマが推奨されていたせいか、入院患者も必要以上に出歩いていなかったように思います。
同じ入院着を着て、同じ病室で長い時間を過ごすうちに、同室の患者間にいつしか家族のような不思議な一体感が生まれていた気がします。私も心穏やかに入院生活を送ることができました。

もしも、これが(コロナ不安のない)平時で
お見舞い客がひっきりなしに出入りしている状態だったらどうだっただろう?と想像してみました。

髪もなく、もちろんメイクもしていない無防備な姿で
点滴を引摺りながらよろよろと歩く様を、異性同性関係なく出入りする健康な人たちに見られるのは、嬉しいものではないだろうな...

また、たとえば同室の人の中で
ある人には見舞い客がたくさん押しかけ、
ある人には見舞い客が一人も来ない、という状況だったら...
果たして心揺さぶられずにいられただろうか?
(うらやましい、にせよ
うるさい!にせよ
寂しい、にせよ。)

人間には「他人と比べてしまう」性質があります。
(それを「嫉妬」という単純な二文字に押し込めることはしません。)
もしかしたら、心が乱される理由のほとんどは幸不幸そのものではなく
「比べてしまう」ところから来ているのではないだろうか...
そんなことを考えてしまいました。