日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

選挙のこと…その他雑感

2007-04-29 | 堅めの話
もひとつおまけ、選挙の話です。
今回の選挙では、なぜかいつもより「投票って難しい…」と感じました。

私の中では立候補者は3つのグループに分かれています。
1.当選してほしい人
2.どっちでもいい人・よくわからない人
3.当選してほしくない人・論外な人

もちろん1.の人に投票するわけですが…
最近1.のグループが増えてきたので、いろいろと悩むことが増えてしまいました。

その理由の一つは、PTAやらボーイスカウトやらをやっているうちに、直接的に・あるいは間接的に候補者の人となりを知る機会が増えてきたことにあります。
それがみんないい人なんですよね…多少の方法論の違いはあるにせよ、どの人もこの町を愛し、本気でよくしようと考えているのが伝わってきます。

でも、投票できるのはたった一人です。
複数に投票できればいいのに…
あるいは「この人は当選してほしくない」という人に投票する制度にするとか…
(これもいろいろ弊害がありそうですが…)


また、当選者が一名である市長選などと違って、複数が当選する場合には、いろいろと「思惑」も交錯します。
この人は放っておいても支持基盤が固いから大丈夫だろう、それなら今回は新人のこの人に入れようか…?
イヤ、みんながそう思って入れなかったら大変だし…ウガ~!!
まさに「ゲーム理論」の世界です。

選挙は今のところ最も民主的な手法とされていますが、民意の正確な反映というのは、思った以上に難しそうです…

選挙運動「これはイイ♪」編

2007-04-29 | 堅めの話

今度は逆に、「おっこれはいいかも!」と思ったこと。

今回選挙前に配られた議会報や議員だよりの数は、県議選はともかく市議選では相当な数に上りました。
「ちゃんと読んで、ちゃんと考えて選ぼう」とは思っていても、何しろ物理的・精神的ゆとりにも限界があります。一生懸命作っているのはわかるのですが、最後のほうはほとんど読まずに右(ポスト)から左(ゴミ箱)状態でした。

そんな中で私の目を引いたのは、ある候補者のチラシです。

先日所沢丸井店が閉店しました。
「えー、あの丸井が…収益よくなかったのかな?」
「空き店舗どうするんだろう…あのへんがさびれたらやだなぁ」
そのくらいしか考えていなかった私ですが、その候補者はチラシの中で
「所沢市の税収がこれだけ減る」ということ、あるいは「それに変わる財源をどう確保するか?」という話をしていました。
「そうか!大型店が撤退すると、それだけ市の税収が打撃を受けるんだ…」
ここに気づかせてくれたこの候補者のチラシに、興味をひかれないはずはありません。
かくして彼は「気になる候補者・応援したい候補者」の一人になりました。

「政治というのは自分の生活と直結しているのだ」
ということがわかれば、政治への興味も増します。それが目に見える具体的事例であればなおのことです。
このあたりが政治家としてのウデの見せ所でもあるんだな、とあらためて感心しました。


選挙運動「これはちょっと…」編

2007-04-29 | 堅めの話

GW真っ只中に、こんな長いエントリを、しかも上下編で…^^;
お暇な方はお付き合いください。選挙についての感想イロイロです。

所沢では県議選、市議選と二つの選挙がありました。
選挙が近づくと広報などがオニのように増え、街頭演説もかまびすしくなります。
ちゃんと主張を聞いて、ちゃんと考えて選ぼう…わかってはいるのですが、これだけ多いとそれもなかなか難しいですよね。

そこで、投票に当っての私のチェックポイントをあげてみようと思います。まずは選挙公報や街頭演説で「これはちょっとなぁ…」と思ったことです。

1.漠然とした理想だけを語っている。
…たとえば、「いじめのない楽しい学校に」「子育てのしやすい環境づくり」などです。
「いじめのない楽しい学校に」
言うのは簡単です。しかしこれって実現するのでしょうか…
「子育てのしやすい環境」と一口に言いますが、方法は色々ですし、中には相反する方向性のものもありそうです。“理想”はわかりますが、具体的ににどうしたいと考えているのかが全くわかりません。

2.むやみに不安を煽る内容になっている。
…たとえば「このままでは環境が破壊される!」「貧困と格差の広がるこの社会で…」等々。
これが困った、あれはいけないばかりではなく、やっぱり前向きで元気のわいてくるビジョンがほしいですね。


あと細かいところで言えば、私的にあまり評価できないのは以下のような点です。

・必要以上に「プロフィール紹介」に力を入れている。
…なんでもいいんですが、とりあえず「趣味が同じだから、出身校が同じだから」という理由では投票しませんので。

・必要以上に「議員特権の廃止・削減」を訴えている。
…「政治家というのはラクしてオイシイ思いをしている」と信じこんでいる有権者にはウケがいいでしょうが、私としてはまずは「その待遇に見合った仕事をしているか」で評価したいです。

長くなってきたので分けることにしました。
次回は選挙運動「これはイイ♪」編です。


あまりに面白かったので

2007-04-24 | ヤワラカメの話

某所で拾ってきました。「民主党ブーメラン伝説」

菅「未納三兄弟って言うんですよ!」
→自分も未納発覚、代表辞任し、丸坊主になって お遍路へ

菅「私の未納は厚生労働省の不手際」と言い訳
→当時の厚生大臣は自分

小沢、小泉の年金未納批判
→自分も未納発覚、民主党代表就任直前で辞退へ

岡田「小泉さんは兼職の疑いがある、国家公務員法違反だ!」
→自分が兼職、国家公務員法違反

永田「お金に魂を売ったのは自分(武部)じゃないですか!」
→与党のスキャンダル欲しさに魂を売った永田、辞職へ

安倍「外交とは日本の国益を守る事」菅「当たり前ですよ!」
→シンガンス工作員の釈放嘆願書にサイン

自民案を批判し、結果民主の教基法改正案で審議
→「我々の提出した案には賛成できない!」

小沢「ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」
→菅の息子はニート

菅が世襲議員批判
→菅の息子が出馬、ちなみに二回連続落選(菅曰く、優秀な人材を探したらたまたま息子だった)

菅「ハマコーさんは金を配っていた」
→ハマコーが配っていたのは小沢の金

安倍内閣閣僚の事務所費問題追求
→小沢はダントツの4億(全部あわせると10億)

民主が審議拒否までして機械発言批判
→菅は子供の生産性発言

諫早湾の干拓工事を批判して「誰の許可でやってるんだ!」
→自分が厚生大臣のとき許可

安倍がアパの社長と写っている写真があるとして批判
→鳩山がアパの社長と写っている写真もあった

安倍が統一教会に祝電を送っていると批判
→鳩山は若手を何人も引き連れて出席

小沢、非核三原則に触れた麻生の罷免要求
→2002年に「日本は3000発から4000発の核兵器を作れる」と発言

鳩山、非核三原則に触れた麻生の罷免要求
→1999年に「こういう議論(核論議)をしなきゃいけない」と発言

橋本元首相の女性スキャンダルを叩く
→菅、戸野本優子との不倫が発覚、「一夜を共にしたが、男女の関係は無い」と発言

小沢、小泉の靖国参拝を批判
→過去に「所謂A級戦犯が祀られていても参拝に問題は無い」と発言

鳩山「佐田大臣は辞めれば良いという問題では無い」
→角田副議長、説明に答えず辞任

安倍「子供は国の宝」千葉景子「子供は経済や年金のために生まれるのでない」
→民主の政策提言にも「子どもは国の宝」と書かれていた。


・・・番外編・・・
菅「乾杯だとカンパイ(完敗)になりますから、カンショウ(完勝)としましょう、では、カンパ~イ!」



「人のふり見て我がふり直せ」と言いますが…
我がふり直さず、人のふりをあげつらうことだけに血道を上げているとこうなるという、好例が並んでいますね。

それにしても、
「子供は国の宝」を「子供は経済や年金のために生まれるのではない」なんて…
言いがかりとしか言いようがありませんね。
私も子供たちによく「キミたちは宝物よ」と言いますが、そういうのも「将来養ってくれ」という意味だととらえるんでしょうかね~…何という貧しい考えだ…
しかも、自分のところの政策提言にも同じ言葉が載っていたなんて、オチにしても低レベルすぎます。

とにかく他を「批判」していればスゴイように見えていた時代は、もうとっくに終わっています。中身で勝負してくださいね。


あれからの娘

2007-04-24 | 今日の出来事。(私事編)
娘の勉強について、
「かける時間が短い」
「深く探求しようとしていない」
などと文句をつけていたのは、先にアップしたとおりですが、ここにきて娘のちょっとした変化に気づきました。

元々娘は超慎重なタイプで、冒険と名のつくものは一切したくない!という感じだったのですが、先日急に
「ママ、私○○高校に行くことにする。」
と力強く宣言したのです。
「行きたいんだけど…」でも
「受けようかなぁ…?」でもなく、断定形です。

ちなみにこの○○高校、彼女の実力からすれば無理ではないとは思っていたのですが、今までの彼女の「安全第一」路線から考えると「おっやるな!」と思える、狙いがいのあるレベルです。

私「おっいいね!ガンバレ!応援してるよ。」
娘「行けると思う?」
私「モチロン。もっと上でも行けるかもよ?」
娘「じゃあもっと上狙おうかな~?♪」

今までの娘だったら、「エ~無理だよ」と即座に返していたと思います。
いつの間にこんな自信をつけたんだろう?
ちょっと意外で、うれしい驚きでした。

…それにしても、「やっつけ仕事」を嘆いて間もないというのに、どういう風の吹き回しで…

よねさんにいただいたトラックバックを読んで、あらためて考えてみました。
前も書きましたが、娘は「モノを書く」のが苦にならないタイプです。
ノートをとるのも大得意。
難問に挑戦するのと違って、地味と言えばこれほど地味な勉強もないですが、それが徐々に自信と挑戦欲につながってきたのかもしれません。

それと、もう一つ気づいたこと。
娘は、入学したての中学校(特に、仮入部中の吹奏楽部)が楽しくて仕方ないようです。毎日目をキラキラさせて帰ってきます。
こういう日々を過ごすのは、受験という場面のみならず、これからの人生できっと大きな宝になるだろうな…そう思いました。
ガンバレ、「青春って感じ」(本人談)の娘よ!

「損」とか「得」とか

2007-04-18 | 今日の出来事。(私事編)
今年初めて、役員選出をサポートしに他学年のあるクラスに入りました。
ちょっと難航するかな…?と思ってはいました。しかしこれほどとは…

ウチの学校の役員選出システムは、大まかに言うとこんな感じです。
「子どもの在学中に一度は役員をやりましょう」
(ただし、データをとったりはせず、良識にお任せします、という感じ)
「保護者会を欠席されても選出の対象になります」


今まで私は恵まれていたのか、選出される委員や係の数が比較的多いにもかかわらず、わが子の保護者会ではたいてい和やかに決まっていました。
欠席裁判のようなことになったり、追求・非難合戦になったり…という、巷で漏れ聞く修羅場は、経験したことがなかったんですよね。

ところが…
やっぱりあるんですね。
詳しくはここでは書きませんが…

「損」とか「得」とかって、何だろう?
PTAにまつわる場面では、損とか得とかの言葉がよく聞こえてきます。

「役員を二回もやるなんて損!」(なかには「バカ」みたいな言い方をする人もいるそうです…)
「一度も役員をやっていない人も絶対いるはず、逃げ得だ!」

…加えて思うのは、「損」とか「得」が、きわめて近視眼的にとらえられていることが多いということです。
たとえ直接には「得」にならなくても、めぐりめぐって自分や子どものためになっている、というふうに考えることができず、ただほんの目先の「得」だけを追い求めている、というか…

たとえば、「“子どものための”PTA」とはよく聞かれるもっともな主張です。
もちろん私も異論はありません。しかし、設備を整えたり、子ども対象の講演会を開いたり、というような直接的な還元しかいらない、というのも、なんだか違うような気がするんですよね。

たとえば、そういう方はよく「学校に地域のお偉いさんはいらない」といいます。
しかし、好むと好まざるに関わらず、学校は地域にお世話になっている存在です。
それならば、学校と地域の円滑なつながりを築くのに一役かっているPTAの活動も(直接ではないにせよ)子どものためになっている、と言えるのではないでしょうか。

日頃から地域の方の暖かいまなざしを感じている私としては、
「“余計なこと”は一切しない!損だから。」
と言い張る保護者に、ある種の傲慢さを感じてしまいます。

(最後に…もちろん「過ぎたるは」なんとやらで、子どもそっちのけの地域なかよしサークルになってしまってはいけないと思いますが。)

学びの世界は奥が深い…

2007-04-12 | 教育
今回のエントリ、アップしようかどうしようか迷ったんですが(なにせ娘の話なんで…)
「これからの期待を込めて」ということで許してもらおう^^;


実は、我が家の子どもたちは2人とも成績が良いです。
理由は…う~ん、なんでしょうね?
いつもダンナと「やっぱり親の頭がいいからだね~♪」なんぞと戯れ言を申しておりますが(ここは聞き流すトコロね^^;)本当のところは謎です。

一つ思い当たるのはベネッセの「チャレンジ」教材を幼少の頃からやってきたことですね。
これがよくできた教材なんですよ。ヘタに塾に通うよりずっといいと思います。
(もちろん、ちゃんと課題をやれば、の話ですが…)

イイコトその1・学習習慣を身につけるのにいい。
分量もほどよいし、スケジュールも組みやすい。また、課題を提出してポイントをためたら賞品がもらえたりするのです。
これならモチベーションも上がろうというもの♪さすがベネッセ、子ども心をうまくつかんでます。

イイコトその2・教材の取り上げ方がうまい。
教材には毎回知的好奇心を刺激する題材が盛り込まれています。オトナが読んでも面白い!(読書好きでない息子も、これだけは自分から欠かさず読んでいるくらいです。)


で、ここからが本題…つい先日のことです。
最近2階の自分の部屋で勉強することが多かった娘が、珍しく下でやっていたので、私は見るともなく見ていました。
「…ハイ終わり。」
…って、もう?!早っ!というか早すぎ!!
確かに答えはあっているのですが、念のためチョット突っ込んだ質問(と言ってもちょっと考えればわかること)をしてみると、驚くほどわかっていません。

(私)あのさぁ、いつもこれ(2ページ)だけやるのにどのぐらい時間かかる?
(娘)え?5分くらいだよ。

…もうちょっと時間をかけてやっていると思っていた私は唖然としました…
そして、時間をかけていないのがスゴイことだと思っているかのような娘にも、開いた口がふさがらず…

私自身がついに身につけることができなかった学習習慣を、わが子がちゃんと身につけていることに安心していた私は、あらためて思い知らされました。

「学習習慣」は、勉強の入り口でしかなかった…orz

わかっていたつもりだったのに、このところ「基礎学力重視」にこだわるあまり、知的好奇心とか探究心とかの重要性がちょっと置き去りになっていました。

「小学校のときみたいに、正解が早く出ればオッケー、ってわけじゃないんだからね!中学に入ったらそんな勉強じゃ通用しないよ!」などとオドシてはみたものの、当の本人は「は~い。あーめんどくさ~い。」…
親としての自信にヒビが…

帰宅したダンナにこの話をしたところ、
「そうだなぁ、でも学習習慣とか読み書きソロバンの基礎学力が大事だっていうことは確かなんだし。
あとは本人の気づきを待つしかないんじゃないかな。大丈夫、知的好奇心がナイってわけじゃないんだし。」

確かに、娘は自分の好きな歴史なんかだと、教科書レベルを超えていろいろ調べたり考えたりしています。
しかし、好きな科目でなければ、とたんに「やっつけ仕事」になってしまうのです。(この日やっていたのは理科でした。)私の目から見て十分「知的好奇心を刺激する」ように作られているように見えるチャレンジの教材でさえ…
人(子ども)に「(知的)好奇心を起こさせる」というのが、いかに難しいかがよくわかりました。

この一件で、私は覚悟を決めることにしました。

これからは、勉強もどんどん「親の手出し無用」の世界に入ってゆくのでしょう。
興味にまかせて、一科目にドンドン突っ込んでいくもよし、
興味のない科目であってもそこそこ点がとれる程度の「要領のよさ」を身につけるもよし。
娘の人生なんですから。

…でも、私としては、とりあえず
「面倒なことをさけて通っちゃダメだよ」とだけ言っておこうと思います。
(本音を言うと、まだ「どうすれば…」とオロオロしている自分もいますが^^;)

過去を顧みて自らを省みる

2007-04-10 | 今日の出来事。(社会編)
「そんな認識だと心配」 井戸・兵庫県知事が石原氏批判(朝日新聞) - goo ニュース

 東京都知事選で3選を果たした石原慎太郎知事が8日夜の会見で「神戸の地震の時なんかは、(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、2000人余計に亡くなった」と発言した問題で、兵庫県の井戸敏三知事は9日の定例会見で、「失礼な発言だ」と批判した。
井戸知事は阪神大震災について「明け方の突発的な上下動が激しい地震で、多くの犠牲者が圧死だった。公的救済が入る前に、地域住民による救済が必要な状況だった」と言及。そのうえで「『関東大震災』が起こるとされている東京都のリーダーが、そのような認識だといささか心配だ。都民も心配で眠れなくなるのではないだろうか」と語った。

阪神大震災が起きたとき、自衛隊は40分後には出動できる体制を整えていた。にもかかわらず、知事の決断が遅れ、実際の出動には4時間を要した。
もっと早く出動できていれば、助けられた命はもっと多かったはず…これはまぎれもない事実なのに、それを「失礼な発言だ」で終わらせてしまっていいのだろうか。

「公的救済が入る前に、地域住民による救済が必要な状況」というのもよくわからない。
被害の少なかった人による自助努力に頼るにも限度があるだろう。そこらのボヤを近所のバケツリレーで食い止めるのとはわけが違うだろうに…

石原氏に批判的な別のブログでは、この発言を死者を冒涜するものであるかのようにとらえていたが、お門違いもはなはだしい。
過去の事例をきちんと検証し、そこから学ぶことができてこその危機管理なのに、単なる誹謗中傷合戦に終わらせてしまっては、それこそ亡くなった人々も浮かばれないというものだ。

一方、石原氏のほうも、もう少し言い方というものがあるのでは…と思う。
「2000人余計に亡くなった」ではなく、「2000人は助けられたかもしれない」と言えば、受け取られ方もずいぶん違っただろう。
過去を顧み、そこから学んでいるか?という意味では、こちらも「どっちもどっち」である。

…とはいえ、私自身は、
石原氏の発言を批判するだけの知事のいる県より、災害時にためらわず自衛隊を派遣してくれそうな知事のいる県(都)のほうに住みたいと思うが…


「公立校応援団」宣言!

2007-04-05 | 教育
宣言!
私は、「公立校応援団」です。
(「公立校」…ここでは主に、「選抜のない公立の小中学校」を指すと思ってください)

もちろん、私立校やその他の教育を選択することを否定するわけではありませんし、いろいろな教育を試し、選択する機会が確保されているのもよいことだと思っています。
しかし、ここでは公立校の魅力を存分に語ってみたいと思います。(他ではあまり語られませんからね。)

公立の魅力は、例えるなら「普通の街歩き」のそれではないかと思うのです。

街歩きのよさは、そこから何を学ぶか・何を受け取るかが、その人自身に委ねられているというところだと思うのです。

「何気なく角を曲がったら、菜の花が満開だった。」
街歩きには、こういう感動があります。

もちろんこれはただの比喩ですが、たとえば
満開の菜の花から、ある人は自然の不思議を感じ取り、自然科学の道に進むかもしれない。
またある人は命のはかなさを思い、文学の道を志すかもしれない。
その可能性は、まさに無限大です。


一方、選抜を潜り抜けた人の集う学校は、「テーマパーク」のようなものではないでしょうか。

…そう言うと、「エ~、じゃあそっちのほうがいいじゃない!!」と思う人もいるかもしれません。
でも、私はそうではないと思うのです。

なぜなら、テーマパークは
いい意味でも悪い意味でも「作られた空間」だからです。
確かに「一定レベル以上」になった分、ある程度以上の出会いと感動が得られるのは「保証つき」でしょう。しかしその分、思わぬ感動に遭遇することは望み薄です。
キレイに造形された花壇は、たとえば理想のガーデニングを学ぶのにはいいでしょうが、上記の「菜の花」のような個性豊かな感動を得ることができるかといえば、それは疑問です。


…というようなことを、今日打ち合わせで行った職員室で、窓の外の菜の花を見ながら思っていました。
菜の花が満開で、まぶしいほどに明るくて、本当に温かく感じるのです。
こういう温かい環境で子どもたちを育ててくれている小学校に、今更ながら感謝している私です。