☆私は熱心なマイケル・ジャクソンのファンではなく、人並みに、子供の頃、「スリラー」のPVに驚嘆し、花見の席の盛り上げに<ムーン・ウォーク>をやってみせる程度の認識である。
ただ、MJの<ネヴァーランド>思想には、共鳴できる部分が50%はあって、本日、この作品を見に行ったところ、「プリキュア」を見に来ていた幼女がいっぱいいて、私は、<ネヴァーランド>の早急な建設を急がせようと思った(誰にだよ!? ^^;)。
◇
ともあれ、私の好きな音楽ジャンルとは言えないMJだが、この作品は、MJとスタッフが「総合芸術」の一つとして作っていたライブの裏を描いているので、
MJのエンターテイメントを築いていく思想と、その過程と、多人数のスタッフでの製作作業と言う「組織論」に目がいった。
◇
芸術には色んな側面があろうが、私自身は、こうして文章を書くとき、字の一つ一つをドット(芸術因子)と考える。
そして、その集合体が文章となる。
ここでは、その集合体が、1エントリーとなる(厳密には、そこまでにも、センテンスやパラグラフなどの確認段階がある)。
更に、その1エントリーをも、ドット(芸術因子)の一つと考える。
その集合体が、この「ブログ」である。
私は、マイケルのような「キング」ではないので、当然ながら粗もあるが、このブログのピラミッド構造を形成する因子の文字一つにでも慎重を期しているつもりだ。
それが、最高の文章作用を及ぼすと信じているからだ。
・・・私の文章は、読点「、」が多いので有名だが、それは、閲覧者の誤読を防ぐためだ。
◇
・・・で、MJだが、そのライブのピラミッド構造を完璧にすべく、あらゆるところに注意を怠らない様を見て取ることが出来た。
微小なイントネーション、キー、テンポの違いにも、何度も歌い直し、客を喜ばせるための最高の因子を据えようとする。
「こっちのほうが深みが出る」
「こうしたほうが効果がある」
「ここは、お客さんが最高に盛り上がるところなんだ」
その小さな指摘の集積が、究極のライブへ導くことを知っているのだ。
この映画作品は、ロンドン公演のリハーサル風景を撮ったもので、その公演は50ヶ所に渡るとのことだった。
おそらく、その中でも、「完全」なる公演は3度くらいしか出来ないんだろう・・・。
◇
「神は細部に宿る」 by ミース・ファン・デル・ローエ
◇
このドキュメントの監督は、『ハイスクール・ミュージカル』の監督・振り付けのケニー・オルテガで、このライブの総指揮もしている。
果たして、ライブの主導権は、オルテガとMJのどちらにあるのか?
映像からは、お互いが「大人の尊重」のし合いをしていて感心させられた。
オルテガは、MJの才能を信じていて、MJの才能が100%発揮できるような環境を、総指揮者として行なっていた。
そして、MJも、大スターなのに、非常に優しく、皆に接している。
おそらく、若い頃から、スターだったので、ネガティブな感情を持っていないのかもしれない。
だが、「総合芸術」の完成には並々ならぬ意欲と根気と努力を惜しんでいない。
◇
私が不覚にもホロっとした箇所は、美人のギタリストに、
「ここはもっと高音で、もっと長く! ここが君の見せ場なんだ! もっと!」
という場面だ。
自分のコンサートなのに、脇役を輝かせるために全力を尽くしている様が非常に良かった。
それが、このライブを高度に完成させるための当然の措置だとしても、
それとは違った、仲間たちと完成させると言うチームワークみたいなものが強く感じられたのだ。
◇
凄まじい気の使いようが見て取れた。
てっきり、私は、大スターのMJにスタッフがチヤホヤと、腫れ物に触るような状況を想像していたのだが、それは違った。
MJが、スタッフや、全世界のファンに奉仕しているようであった・・・。
これでは、豪邸に帰宅し、疲れて就寝するに際し、ちょいと精神安定剤を多めに飲みたくもなるだろう。
(2009/11/01)
ただ、MJの<ネヴァーランド>思想には、共鳴できる部分が50%はあって、本日、この作品を見に行ったところ、「プリキュア」を見に来ていた幼女がいっぱいいて、私は、<ネヴァーランド>の早急な建設を急がせようと思った(誰にだよ!? ^^;)。
◇
ともあれ、私の好きな音楽ジャンルとは言えないMJだが、この作品は、MJとスタッフが「総合芸術」の一つとして作っていたライブの裏を描いているので、
MJのエンターテイメントを築いていく思想と、その過程と、多人数のスタッフでの製作作業と言う「組織論」に目がいった。
◇
芸術には色んな側面があろうが、私自身は、こうして文章を書くとき、字の一つ一つをドット(芸術因子)と考える。
そして、その集合体が文章となる。
ここでは、その集合体が、1エントリーとなる(厳密には、そこまでにも、センテンスやパラグラフなどの確認段階がある)。
更に、その1エントリーをも、ドット(芸術因子)の一つと考える。
その集合体が、この「ブログ」である。
私は、マイケルのような「キング」ではないので、当然ながら粗もあるが、このブログのピラミッド構造を形成する因子の文字一つにでも慎重を期しているつもりだ。
それが、最高の文章作用を及ぼすと信じているからだ。
・・・私の文章は、読点「、」が多いので有名だが、それは、閲覧者の誤読を防ぐためだ。
◇
・・・で、MJだが、そのライブのピラミッド構造を完璧にすべく、あらゆるところに注意を怠らない様を見て取ることが出来た。
微小なイントネーション、キー、テンポの違いにも、何度も歌い直し、客を喜ばせるための最高の因子を据えようとする。
「こっちのほうが深みが出る」
「こうしたほうが効果がある」
「ここは、お客さんが最高に盛り上がるところなんだ」
その小さな指摘の集積が、究極のライブへ導くことを知っているのだ。
この映画作品は、ロンドン公演のリハーサル風景を撮ったもので、その公演は50ヶ所に渡るとのことだった。
おそらく、その中でも、「完全」なる公演は3度くらいしか出来ないんだろう・・・。
◇
「神は細部に宿る」 by ミース・ファン・デル・ローエ
◇
このドキュメントの監督は、『ハイスクール・ミュージカル』の監督・振り付けのケニー・オルテガで、このライブの総指揮もしている。
果たして、ライブの主導権は、オルテガとMJのどちらにあるのか?
映像からは、お互いが「大人の尊重」のし合いをしていて感心させられた。
オルテガは、MJの才能を信じていて、MJの才能が100%発揮できるような環境を、総指揮者として行なっていた。
そして、MJも、大スターなのに、非常に優しく、皆に接している。
おそらく、若い頃から、スターだったので、ネガティブな感情を持っていないのかもしれない。
だが、「総合芸術」の完成には並々ならぬ意欲と根気と努力を惜しんでいない。
◇
私が不覚にもホロっとした箇所は、美人のギタリストに、
「ここはもっと高音で、もっと長く! ここが君の見せ場なんだ! もっと!」
という場面だ。
自分のコンサートなのに、脇役を輝かせるために全力を尽くしている様が非常に良かった。
それが、このライブを高度に完成させるための当然の措置だとしても、
それとは違った、仲間たちと完成させると言うチームワークみたいなものが強く感じられたのだ。
◇
凄まじい気の使いようが見て取れた。
てっきり、私は、大スターのMJにスタッフがチヤホヤと、腫れ物に触るような状況を想像していたのだが、それは違った。
MJが、スタッフや、全世界のファンに奉仕しているようであった・・・。
これでは、豪邸に帰宅し、疲れて就寝するに際し、ちょいと精神安定剤を多めに飲みたくもなるだろう。
(2009/11/01)
そのあとのギターソロにつながるのもあカッコいい!
6月にMJが逝って、短期間に、これだけの作品をよくぞ作ったものです。
komakenさんのブログ、旨そうなものがたんまりですな^^