☆・・・神は世に、二人の「ダコタ」と言う名の美少女を生み出した。
かたや、天性の美貌を誇るダコタ・ブルー・リチャーズ。
そして、もう一方は、天才の子、ダコタ・ファニング。
今回は、このファニング嬢の新作を観に行った。
◇
いい作品であった。
私は、何の知識もなく、成長したファニング嬢の、少女の終わりの悲しさを堪能しようと映画館に赴いたのだが、
物語は1960年代、黒人公民権運動を時代背景とした物語だった。
私は、最近、ちょうど、黒人奴隷問題を扱ったアメリカ製ドラマ『ルーツ』を思い出していた。
[下らないことを考えている私<ディオとチキン・ジョージ>](クリック!)
これも、共時性なのだろう。
しかし、改めて考えると、恐ろしい時代だったものである、人が人を「奴隷」にしちゃってたんだもんなあ。
やっぱ、白人は信用ならない・・・。
しかし、もっと異常なのは、最近の日本人である。
不況とは言え、飽食し、娯楽に倦み、いつしか、人を支配したい、人に支配されたいと言う願望に囚われ、バランスを持った人間関係は崩れ、他者を「支配者」か「奴隷」かの択一でしか見られなくなり、それがいつしか性犯罪へと帰結している。
アメリカなどは、その性的歪みの発祥の地であるが、日本ほどの熟成をしていない。
◇
この作品では、かつて、『アイ・アム・サム』で、幼女と少女の間の「女」を見事に演じたファニングが、今度は、少女から女性に変わろうとする「女」を見事に演じている。
いや、この作品の素晴らしいのは、天才であるファニングの、その演技以上の、プライベートな変化を見事に捉えている点なのだ。
今回の作品でのファースト・コンタクト・・・。
私は、「ああ、ダコタ・ファニングも大人になっちまったか・・・」と、その美しさの月並みさに嘆かされた。
しかし、不幸な事故で、父子家庭の一人っ子になったファニング演じるリリィが、父親と画面上に出てくると、その大きさの違い(華奢であること)が比較できて、私は、まだまだ可愛いなと安心するのだ。
物語は、誕生日の夜中に家を抜け出し、土に埋めていたクッキー缶から、母の思い出を取り出し、夜空を見上げ横になり、それをシャツをはだけさせたおなかに載せて思いにふける・・・、そんなはじまりだ。
しかし、娘を心配した父親に見つかり、男と逢引でもしていたかのように思われ、床に撒いた荒挽きコーンの上に正座させられると言う体罰を受ける。
この二つのエピソードは、どちらも、「少女」と「性」をあからさまに示していて、私などは、かなり興味を持つ。
だが、「少女」の描写パートは、そこで終わる。
物語のテーマは「少女愛」ではなかったのだ。
◇
その後、オープニングテーマの残滓として、必要となったブラを買いに行く。
その時に、選挙権を得ようと公民館に赴いた子守の黒人ロザリンへの差別的白人の暴力に遭遇し、それに耐えかね、
リリィは、そのロザリンと家出、黒人の女性ばかりが住んでいる館に逃げ込み、「少年」の如く奔放に過ごすことになった。
また、そこで黒人少年と恋などをして、「ティーンエイジャー」の様相も見せる。
子供になり、少女になり、少年になり、女になる。
そんな多感な万華鏡のようなファニング嬢の成長を、作り手は見事に活写していた。
白い肌は病的に可憐で、
内心とは別に、その視線は、美しく鋭く、無邪気だ。
◇
では、この作品のテーマは何なのだろう?
難しいのである。
シンプルな作品なのに、正直、私にはピンとこなかったのだ。
黒人の公民権運動を背景に見据えた、人を人と等しく見る事の大切さを説く物語なのか?
あるいは、リリィが、自分を捨てた母親の、記憶定からぬ真実の姿を求める物語なのか?
その二つが融合し、テーマを為しているはずなのに、どうにも、私は、ファニング嬢の魅力に夢中で、そこまでの深い鑑賞が出来なかった。
時おり、光を背に、リリィが佇むショットがあるのだが、美しいのである。
・・・私が去年までつきあっていた娘は、母子家庭の私生児だったのだが、夜とか話し込むと、「どんな父親だったか分からないけど、とにかく会いたい知りたい」と、感極まってポロポロ涙を流していた。
だから、難しい物語であったが、私には、リリィの真摯な思いが、その思い出と重なって、共感できた。
・・・ともあれ、ファニング嬢、次に銀幕で会う時には、大人になっちゃっていることでしょう。
少女の時期は刹那、だから、輝くのである・・・。
PS。この作品、語ったら、優れた点が無数にあるのだが、切りがないので、概観だけを語りました。
観に行くが良かろうもん!
(2009/03/23)
かたや、天性の美貌を誇るダコタ・ブルー・リチャーズ。
そして、もう一方は、天才の子、ダコタ・ファニング。
今回は、このファニング嬢の新作を観に行った。
◇
いい作品であった。
私は、何の知識もなく、成長したファニング嬢の、少女の終わりの悲しさを堪能しようと映画館に赴いたのだが、
物語は1960年代、黒人公民権運動を時代背景とした物語だった。
私は、最近、ちょうど、黒人奴隷問題を扱ったアメリカ製ドラマ『ルーツ』を思い出していた。
[下らないことを考えている私<ディオとチキン・ジョージ>](クリック!)
これも、共時性なのだろう。
しかし、改めて考えると、恐ろしい時代だったものである、人が人を「奴隷」にしちゃってたんだもんなあ。
やっぱ、白人は信用ならない・・・。
しかし、もっと異常なのは、最近の日本人である。
不況とは言え、飽食し、娯楽に倦み、いつしか、人を支配したい、人に支配されたいと言う願望に囚われ、バランスを持った人間関係は崩れ、他者を「支配者」か「奴隷」かの択一でしか見られなくなり、それがいつしか性犯罪へと帰結している。
アメリカなどは、その性的歪みの発祥の地であるが、日本ほどの熟成をしていない。
◇
この作品では、かつて、『アイ・アム・サム』で、幼女と少女の間の「女」を見事に演じたファニングが、今度は、少女から女性に変わろうとする「女」を見事に演じている。
いや、この作品の素晴らしいのは、天才であるファニングの、その演技以上の、プライベートな変化を見事に捉えている点なのだ。
今回の作品でのファースト・コンタクト・・・。
私は、「ああ、ダコタ・ファニングも大人になっちまったか・・・」と、その美しさの月並みさに嘆かされた。
しかし、不幸な事故で、父子家庭の一人っ子になったファニング演じるリリィが、父親と画面上に出てくると、その大きさの違い(華奢であること)が比較できて、私は、まだまだ可愛いなと安心するのだ。
物語は、誕生日の夜中に家を抜け出し、土に埋めていたクッキー缶から、母の思い出を取り出し、夜空を見上げ横になり、それをシャツをはだけさせたおなかに載せて思いにふける・・・、そんなはじまりだ。
しかし、娘を心配した父親に見つかり、男と逢引でもしていたかのように思われ、床に撒いた荒挽きコーンの上に正座させられると言う体罰を受ける。
この二つのエピソードは、どちらも、「少女」と「性」をあからさまに示していて、私などは、かなり興味を持つ。
だが、「少女」の描写パートは、そこで終わる。
物語のテーマは「少女愛」ではなかったのだ。
◇
その後、オープニングテーマの残滓として、必要となったブラを買いに行く。
その時に、選挙権を得ようと公民館に赴いた子守の黒人ロザリンへの差別的白人の暴力に遭遇し、それに耐えかね、
リリィは、そのロザリンと家出、黒人の女性ばかりが住んでいる館に逃げ込み、「少年」の如く奔放に過ごすことになった。
また、そこで黒人少年と恋などをして、「ティーンエイジャー」の様相も見せる。
子供になり、少女になり、少年になり、女になる。
そんな多感な万華鏡のようなファニング嬢の成長を、作り手は見事に活写していた。
白い肌は病的に可憐で、
内心とは別に、その視線は、美しく鋭く、無邪気だ。
◇
では、この作品のテーマは何なのだろう?
難しいのである。
シンプルな作品なのに、正直、私にはピンとこなかったのだ。
黒人の公民権運動を背景に見据えた、人を人と等しく見る事の大切さを説く物語なのか?
あるいは、リリィが、自分を捨てた母親の、記憶定からぬ真実の姿を求める物語なのか?
その二つが融合し、テーマを為しているはずなのに、どうにも、私は、ファニング嬢の魅力に夢中で、そこまでの深い鑑賞が出来なかった。
時おり、光を背に、リリィが佇むショットがあるのだが、美しいのである。
・・・私が去年までつきあっていた娘は、母子家庭の私生児だったのだが、夜とか話し込むと、「どんな父親だったか分からないけど、とにかく会いたい知りたい」と、感極まってポロポロ涙を流していた。
だから、難しい物語であったが、私には、リリィの真摯な思いが、その思い出と重なって、共感できた。
・・・ともあれ、ファニング嬢、次に銀幕で会う時には、大人になっちゃっていることでしょう。
少女の時期は刹那、だから、輝くのである・・・。
PS。この作品、語ったら、優れた点が無数にあるのだが、切りがないので、概観だけを語りました。
観に行くが良かろうもん!
(2009/03/23)
ダコタ・ファニング良かったです。
母親にちゃんと愛されていたことを悟った彼女の顔が急に大人びて、言葉がおかしいかもしれないですが、普通の白人女性に見えました。
可愛らしい→美しいとでもいうのか…。
個人的にはオーガスト役のクイーン・ラティファに癒されました。あの慈愛に満ちた笑顔は、菩薩に通じるものがあるような。いや、顔だけ見るとむしろ大仏…って(違
ダコタ・ファニングはもうすっかり大人な雰囲気が出てましたね。
映画の後半になって、どんどん輝きを放っていく彼女の魅力はすさまじいなーって観ながら思ってました。
苦さと優しさを併せ持った素敵な作品ですよねー。
>>KLYさん
三姉妹は、それぞれが魅力的でしたね。
メイなんかも、優しい繊細さがよく出てる演技でした。
この作品、作為の見えない自然な『ベンジャミン・バトン』のような、リリィが出会う人物の面白さがありました。
>>★しんぽん★さん
ダコタちゃんは、いきなり大人になっちゃいましたね。
今の外見だけを見ると、そんなに変わってないじゃんと思ってしまうのですが、昔と比べると歴然です。
顔の輪郭なんかはっきりしちゃってまあ(>_<)
目の下のクマや、クイッと上がった口角がよろしいかと。
これからもよろしくお願いします!