☆正式なタイトルは長くって、『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』だ。
私は、前にも書いたが、<AKB48>について全然詳しくない。
でも、若い女の子の集団と言うことで少しは興味がある^^;
多少はメンバーの名前も知っている。
観に行ったら、大ファンになってしまうかも知れない。
本日は残業であったが、21時からのレイトショーに頑張って行った。
チケットを購入するときは、『リリカルなのは』の時以上に恥ずかしかった^^;
私がAKBのファンならば、恥ずかしさも起こらないのだろうが、
ファンではなく、ファンになる可能性も否定しないと言う意味での鑑賞なので、恥ずかしさも募った・・・。
◇
さて観始める。
最初の5分くらいを見て、「ああ、俺は場違いな鑑賞をしている」と思った。
そもそもが、この作品はファンの為のものだ。
彼女らの活躍を充分に知っている方々が、その舞台裏や、クローズアップされたメンバーのインタビュー、素の姿を見て楽しむものだった。
その前提からして、私は間違っていた。
でも、その「間違い」の状況を乗り越えて観続けても、私には、どうも「合わない」アイドル集団であることが分かった。
で、その考察を書くべきなのだろうが、夢中になっている方々がいる以上は、これは、私の「好み」の問題であるかも知れないので、書くのは野暮だ。
だから、強烈なひと言だけを、伏字で書く。
「○○ばっか!!!」
◇
カンボジアの娼婦の話だ。
首都プノンペン(に限らないが)にいた娼婦たちは、ベトナムの娘たちが多く、背も小さく、色白で、見た目は子供のように見えた。
だから、可愛くはある。
しかし、化粧はちゃんとしており、子供のような容姿に化粧がアンバランスなのだ。
もしくは、毎夜、客を取るので、肌が荒れ、その上に化粧を施すので、極端に言うと、老婆が年甲斐もなく色気づいているようなアンバランスもある。
そこには、年相応の「調和」はない。
子供のような体なのに、性交を繰り返しているので、下半身だけはどっしりとしている。
そんな中でも・・・、そんな「娼婦」グループの枠の中でも、人気の順列はあるだろう。
傍から見ると、それは、スポーツ界のような客観的に納得できる勝負ではない。
小さな共同体の、ルールがその内部で決められた勝手な「順列」である。
しかし、そんな勝負だとても、競う彼女らの姿を見ていると、幾らかの感情移入をしてしまう。
男の趣味は、(日本では特に)多様化の度合いを深めている。
一昔前ならば、「女の子らしくない」と一蹴されたような個性が、今や、もてはやされている。
男らしくリーダーシップを取る女を抱きたいと思う男もいよう、
「美」からかなりかけ離れている女に可愛さを感じる男もいよう、
オドオドと挙動が不審な女に魅力を感じる男もいよう。
極端に言うと、カンボジアの大地に何百万と埋められている地雷を踏んで、足の指を吹っ飛ばしたような少女を「魅力的」と感じ、そんな少女を買う男もいるかもしれない。
難しい例えだが、オッパイが好きな男が、貧乳の女に、「オッパイがない事で意識されるオッパイ」の、大きな存在感を感じる、と言う、一種、倒錯的な、次義的な意味での趣味嗜好さえもあるだろう。
◇
私は、<AKB48>と言うグループに、そんなことを考えさせられた。
・・・なんで、彼女らの顔は、顔を半分にしたときの右左(みぎひだり)があまりに違うのであろうか・・・。
(2011/02/21)
私は、前にも書いたが、<AKB48>について全然詳しくない。
でも、若い女の子の集団と言うことで少しは興味がある^^;
多少はメンバーの名前も知っている。
観に行ったら、大ファンになってしまうかも知れない。
本日は残業であったが、21時からのレイトショーに頑張って行った。
チケットを購入するときは、『リリカルなのは』の時以上に恥ずかしかった^^;
私がAKBのファンならば、恥ずかしさも起こらないのだろうが、
ファンではなく、ファンになる可能性も否定しないと言う意味での鑑賞なので、恥ずかしさも募った・・・。
◇
さて観始める。
最初の5分くらいを見て、「ああ、俺は場違いな鑑賞をしている」と思った。
そもそもが、この作品はファンの為のものだ。
彼女らの活躍を充分に知っている方々が、その舞台裏や、クローズアップされたメンバーのインタビュー、素の姿を見て楽しむものだった。
その前提からして、私は間違っていた。
でも、その「間違い」の状況を乗り越えて観続けても、私には、どうも「合わない」アイドル集団であることが分かった。
で、その考察を書くべきなのだろうが、夢中になっている方々がいる以上は、これは、私の「好み」の問題であるかも知れないので、書くのは野暮だ。
だから、強烈なひと言だけを、伏字で書く。
「○○ばっか!!!」
◇
カンボジアの娼婦の話だ。
首都プノンペン(に限らないが)にいた娼婦たちは、ベトナムの娘たちが多く、背も小さく、色白で、見た目は子供のように見えた。
だから、可愛くはある。
しかし、化粧はちゃんとしており、子供のような容姿に化粧がアンバランスなのだ。
もしくは、毎夜、客を取るので、肌が荒れ、その上に化粧を施すので、極端に言うと、老婆が年甲斐もなく色気づいているようなアンバランスもある。
そこには、年相応の「調和」はない。
子供のような体なのに、性交を繰り返しているので、下半身だけはどっしりとしている。
そんな中でも・・・、そんな「娼婦」グループの枠の中でも、人気の順列はあるだろう。
傍から見ると、それは、スポーツ界のような客観的に納得できる勝負ではない。
小さな共同体の、ルールがその内部で決められた勝手な「順列」である。
しかし、そんな勝負だとても、競う彼女らの姿を見ていると、幾らかの感情移入をしてしまう。
男の趣味は、(日本では特に)多様化の度合いを深めている。
一昔前ならば、「女の子らしくない」と一蹴されたような個性が、今や、もてはやされている。
男らしくリーダーシップを取る女を抱きたいと思う男もいよう、
「美」からかなりかけ離れている女に可愛さを感じる男もいよう、
オドオドと挙動が不審な女に魅力を感じる男もいよう。
極端に言うと、カンボジアの大地に何百万と埋められている地雷を踏んで、足の指を吹っ飛ばしたような少女を「魅力的」と感じ、そんな少女を買う男もいるかもしれない。
難しい例えだが、オッパイが好きな男が、貧乳の女に、「オッパイがない事で意識されるオッパイ」の、大きな存在感を感じる、と言う、一種、倒錯的な、次義的な意味での趣味嗜好さえもあるだろう。
◇
私は、<AKB48>と言うグループに、そんなことを考えさせられた。
・・・なんで、彼女らの顔は、顔を半分にしたときの右左(みぎひだり)があまりに違うのであろうか・・・。
(2011/02/21)