▼5317 『人物紹介⑥ 岡崎久彦元駐タイ大使』 蘭@出先 2006/07/31 10:21
なにゆえタイだったのか・・・?
と、しょうもないことを考えつつ、登壇した岡崎氏の話を聞く。
「時間が短いのでポイントだけ」「外の方をけなすのも良くないので、外の方をほめようと思う」と、藤岡信勝先生について語っていった。
曰く、たとえ共産党員であったとしても今は違うのだから「偉い」!
たとえ、昨日に共産党を離党していたとしても、それは偉いことだ! と仰る。
共産党の組織作りのノウハウなどを会得し、こちら側に情報・知識として持ってきた功績たるや大きい、という趣旨のことを語っていた。
岡崎氏は、この問題を取り違えている。
そもそも、藤岡先生が共産党員だったことなどは然したる問題ではないのだ。
藤岡先生が、共産党のノウハウで持って、「つくる会」内部に【粛清】気運を蔓延させたことこそが問題なのである。
藤岡先生が、どんなに組織を形作ろうが、そこに<共産党人格>が付随している限り、一人「ゴンベが種蒔きゃ、カラスがほじくる」状態で、その組織は立ち腐れる。
まあ、その辺の研究は、栗原教授に譲る^^
また、後に人物紹介する「つくる会」元高知支部長は、今現在でも、そのことを憂えている。
「(日本教育再生機構と提携することになりそうな)つくる会には、まだまだ安心できない」と・・・。
それから、ここでは、岡崎氏が、藤岡先生の依頼を受けてだろう、改訂版の部分執筆をおこなったことについて詳しくは書かないが、こうして、ちょっとだけ言及しておく^^
そういった縁で、岡崎氏が藤岡先生をほめているという可能性もなきにしもあらずだからだ^^;
また、「つくる会」創立当初、創立メンバーには「4人組(西尾・藤岡・坂本・高橋)」がいるが、このほかに岡崎氏も入る予定があったことは、最近の『西尾幹二のインターネット日録』で知った。
なぜ、彼は直前で、辞めたのか?
また、去年の<正論大賞>受賞者は藤岡先生だったわけだが、この大賞の推薦人として岡崎氏がおり、岡崎氏は数年前から、ずっと藤岡先生を推薦し続けていたのだそうだ。
だが、去年はたまたま推薦しなかった。
そしたら、まさかの藤岡信勝先生の大賞受賞だったのだそうだ^^
私は、これから先、八木先生が「日本教育再生機構」の会長を長期政権で続けていく中で、問題となるのが【親米派】との戦いとなるであろうと思っている。
今は、アメリカ許容の世論の中にいる。
私も、二元論で言ったら、「親米」であろう。
しかし、八木長期政権が続き、「日本教育再生機構」が抜群に機能した十数年後、状勢(情勢)は変わるだろう。
その時、我々は「親米派」との戦いを始めることになる。
我々は、小林よしのりや西尾幹二(まあ、西尾先生は親米だったり・反米だったり状況で変わるのだが・・・^^;)の【反米派】などとは格段に異なる、【日本派】と呼ばれるべきものになろう。
その時、戦うべき相手の長として岡崎氏が立ち現われてくる可能性は大いにある。
心せよ! 皆の衆!
そして記憶せよ、「日本主義派」というシンプルなネーミングを!!!
時間が集会の最期に吹っ飛ぶが、
私とMUTIさんとまほ氏が<教育再生の夕べ>の会場を出て、パストラルホテルのロビーを歩きつつ、最後に見た著名人は岡崎氏だった。
私たちは、「うわーっ^^」とミーハー根性丸出しで、岡崎氏の顔を見た。
岡崎氏は我々を一瞥だにせずに、頬を「ピクンピクン」と痙攣させながら、すれ違って行った・・・。
▼5318 『人物紹介⑦ 櫻井よし子』 ミッドナイト・蘭 2006/07/31 19:11
岡崎氏の前か後か、もはや、酔っ払っていたので忘れたのだが、櫻井よし子さんも登壇した。
私は会場の後方にいたのだが、それまで前方の舞台上にいる人が見えていたのだが、櫻井さんは見えなかった。
背が高そうに見えるのだが、やはり女性、他の男衆に比べると小柄なのだろう^^
私は、爪先立ちして、菩薩のような櫻井さんを見た。
櫻井さんに、『西遊記』の三蔵法師役をやらせると適任かもしれないなあ、と、ふと思った。
この頃になると、やや、出席者も酒が回り、会場も砕けた雰囲気になってきていた。
ので、櫻井さんの、低いポクポク喋りがいまいち聞き取り難かった。
挨拶は、挨拶らしく無難な内容に終始していた。
≪[櫻井よしこ女史との思い出・・・(2004/08/23)]
▽今日は、俺の女性遍歴を語ろうか・・・。
(・・・中略・・・)
みんな素晴らしいレディー達だ・・・。
そうだなあ、今日はよしことの思い出を語ろうか・・・・。笑った時のエクボの魅力的な女性だった・・・。
▽あれは十数年前のことさあ・・・。そう、俺はほんの<ひよっこ>だった^^;
一人暮らしをしていた頃のことだ・・・。
それは、俺が一人で、夜、テレビを見ていたときの事さ、よしこがやってきたんだ・・・。
▽(ここから普通の文章^^)
深夜間近、私は、日本テレビの『今日の出来事』と言うニュース番組を見ていた。
その頃は、櫻井よしこさんがニュースキャスターをやっていた。まさに『才女』と呼ぶに相応しい女性で、私は、その硬派なキャスターぶりが気に入って、『ニュース・ステーション』の後には4チャンネルを見ていたものだ・・・。
当時は<夏の風物詩>として、三井物産社屋前の池の<カルガモ親子>が、毎年話題になっており、その日の『今日の出来事』のお天気コーナーでは、若いお天気お姉さんが<カルガモ親子>の近況を報告していた。
<カルガモ親子>のVTRを見た後、お天気お姉さんが当然のセリフを言った。
「カルガモ親子、可愛いですね~^^」
すると、横に立っていた櫻井よしこ女史が、ツツツ~・・・と、そのお天気お姉さんの背後に寄り添い、その両肩に両手を置き、いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、言ったのである。
【「あなたも可愛いわよ」】
これには、ブラウン管の前の私ものけぞった! 妙な興奮が私の心を高揚させた。
と、同時に、私は櫻井よしこ女史に惚れた自分を認識し、テレビに向かって呟いたのだ。
【「あんたも、可愛いぜ・・・」】
一人暮らし・・・。テレビに向かって独り言、誰も聞きとがめる者なし・・・。
だが、隣室のカップルの睦言だけは、夜中に聞こえてきやがるのだ^^;;;
▽[可愛さのヒエラルキー]
カルガモ親子>お天気お姉さん>櫻井よしこ女史>ミッドナイト・蘭
「誰か、俺のことを可愛がってくれェェェ!」
とは言え、私は、女の人のいる店に行くと、殆どの場合、メチャ可愛がられる。・・・正直だからである。女の人が、私の席の横に着く、と私は開口一番に言うのだ。
【「良かったア^^ 綺麗な人で・・・^^」】
すると、夜の仕事で疲れたホステスさんが、はにかんだ笑顔を浮かべるのだ。
【「あんたこそ・・・、可愛い人だね・・・」】≫
お食事タイムになってから、そのお顔を見ようと、櫻井さんのいた会場左前方にまほ氏とともに向かったのだが、途中退場したらしくいなかった・・・^^;残念!
しかし、その時、まほ氏が言った。
「内田弁護士がいましたよ」
「えっ、どこどこ?」
「あの背の高い方です」
会場右手前方、真ん中に位置するローストビーフ切り分け場を挟んだ向こうに、巨大な男が立っていた。ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・。
「うほほほほ^^ 内田弁護士って、大きいんだ^^」
・・・ガリバーみたいだった。
▼5319 『人物紹介⑧ まほきゃすと』 ミッドナイト・蘭 2006/07/31 19:38
今回の「内紛」問題で、ネット上で共闘したまほきゃすとさん。
(ブログ『Kotori Love Love Diary』)
私は会いたくてしょうがなかったのだが、今回の集会で会えて嬉しかった。
なんか温和ないい方なので、これからも会う機会があるだろうて。
まほ氏の最近の更新は、この「教育再生の夕べ」報告での、私の言葉の事実認定が繰り返し為されているが、それは以下のエピソードに由来していよう。
まほ氏 「蘭さんは、なかなか保守論壇とコネクションがあるみたいですよね^^」
蘭 「ああ、それは・・・・です・・・」
まほ氏 「えっ!?^^」
蘭 「・・タ・です」
まほ氏 「うん?」
蘭 「あれはハッタリです」
まほ氏 「・・・えっ!? えっ!? え~っ・・・、・・・」
まほ氏、絶句・・・^^;
その他にも、幾つか、私の「ハッタリ」に関する裏事情を聞かせたのですが、そのたびに、まほ氏は「えっ!?・・・」と絶句した。
この方、可愛い方なのである。
まほきゃすと氏は、この問題に対し、客観的であらねばと対応しているのがよく分かった。
だが、私は、こちらが「正しい」と思い至り、八木・新田側に立って、「戦争」をしていたつもりなのである。
そこが、私の「ハッタリ」戦術でもあった・・・^^;
まほ氏は、客観的であらねば、と、八木・新田側に正しさを感じつつも、「四人組」を「田舎者」と評したりして、何とかバランスを得ようとしていた。
しかし、それを、こちら側に引き込んだのは私でもある。
・・・それでいいと思うし、まほ氏も納得していると思う。
今回、生の新田先生の姿を見て、まほ氏は、その思いを強めたと思う。
「四人組」+八木先生+種子島氏は、素晴らしく「いい奴ら」だった。
まほ氏は、最期に、「自分も、どこかで、保守運動に身を投じたいと思っていたので(これはいいチャンスかもしれない)」と言っていた。
・・・お互い、ここが「人生の重要な選択」なのかも知れません^^
▼5320 『人物紹介⑨ MUTI』 ミッドナイト・蘭 2006/07/31 19:49
MUTIさんのご職業の特殊性に鑑み、あまり多くを語れないのですが、ちょっとだけ。
私は、今回の集会、MUTIさんを連れてきて良かったなあ、と思っていた。
彼は、もちろん自称ではあるが、兵頭二十八門下の方である。
つまり、ミリタリーマニアでもある。
今回の集い、かような物理的情報に疎い方々ばかりでもあった。
後々、兵頭氏の流れは、「日本教育再生機構」で生きてくると思うのだ。
また、今回、代表発起人が一人・中西輝政氏が病欠していた。
だが! MUTIさんは、やや輝政先生似なので、足りない面子の補充に適任だったであろう。
『2ちゃんねる』情報で、田中英道先生も出席していると読んだのだが、その真偽はどうなのであろう?
そう言えば、似た方がいたような、いないような?
私は、なかなかの田中英道ファンなので、どなたか教えてください^^
(2006/07/31)
なにゆえタイだったのか・・・?
と、しょうもないことを考えつつ、登壇した岡崎氏の話を聞く。
「時間が短いのでポイントだけ」「外の方をけなすのも良くないので、外の方をほめようと思う」と、藤岡信勝先生について語っていった。
曰く、たとえ共産党員であったとしても今は違うのだから「偉い」!
たとえ、昨日に共産党を離党していたとしても、それは偉いことだ! と仰る。
共産党の組織作りのノウハウなどを会得し、こちら側に情報・知識として持ってきた功績たるや大きい、という趣旨のことを語っていた。
岡崎氏は、この問題を取り違えている。
そもそも、藤岡先生が共産党員だったことなどは然したる問題ではないのだ。
藤岡先生が、共産党のノウハウで持って、「つくる会」内部に【粛清】気運を蔓延させたことこそが問題なのである。
藤岡先生が、どんなに組織を形作ろうが、そこに<共産党人格>が付随している限り、一人「ゴンベが種蒔きゃ、カラスがほじくる」状態で、その組織は立ち腐れる。
まあ、その辺の研究は、栗原教授に譲る^^
また、後に人物紹介する「つくる会」元高知支部長は、今現在でも、そのことを憂えている。
「(日本教育再生機構と提携することになりそうな)つくる会には、まだまだ安心できない」と・・・。
それから、ここでは、岡崎氏が、藤岡先生の依頼を受けてだろう、改訂版の部分執筆をおこなったことについて詳しくは書かないが、こうして、ちょっとだけ言及しておく^^
そういった縁で、岡崎氏が藤岡先生をほめているという可能性もなきにしもあらずだからだ^^;
また、「つくる会」創立当初、創立メンバーには「4人組(西尾・藤岡・坂本・高橋)」がいるが、このほかに岡崎氏も入る予定があったことは、最近の『西尾幹二のインターネット日録』で知った。
なぜ、彼は直前で、辞めたのか?
また、去年の<正論大賞>受賞者は藤岡先生だったわけだが、この大賞の推薦人として岡崎氏がおり、岡崎氏は数年前から、ずっと藤岡先生を推薦し続けていたのだそうだ。
だが、去年はたまたま推薦しなかった。
そしたら、まさかの藤岡信勝先生の大賞受賞だったのだそうだ^^
私は、これから先、八木先生が「日本教育再生機構」の会長を長期政権で続けていく中で、問題となるのが【親米派】との戦いとなるであろうと思っている。
今は、アメリカ許容の世論の中にいる。
私も、二元論で言ったら、「親米」であろう。
しかし、八木長期政権が続き、「日本教育再生機構」が抜群に機能した十数年後、状勢(情勢)は変わるだろう。
その時、我々は「親米派」との戦いを始めることになる。
我々は、小林よしのりや西尾幹二(まあ、西尾先生は親米だったり・反米だったり状況で変わるのだが・・・^^;)の【反米派】などとは格段に異なる、【日本派】と呼ばれるべきものになろう。
その時、戦うべき相手の長として岡崎氏が立ち現われてくる可能性は大いにある。
心せよ! 皆の衆!
そして記憶せよ、「日本主義派」というシンプルなネーミングを!!!
時間が集会の最期に吹っ飛ぶが、
私とMUTIさんとまほ氏が<教育再生の夕べ>の会場を出て、パストラルホテルのロビーを歩きつつ、最後に見た著名人は岡崎氏だった。
私たちは、「うわーっ^^」とミーハー根性丸出しで、岡崎氏の顔を見た。
岡崎氏は我々を一瞥だにせずに、頬を「ピクンピクン」と痙攣させながら、すれ違って行った・・・。
▼5318 『人物紹介⑦ 櫻井よし子』 ミッドナイト・蘭 2006/07/31 19:11
岡崎氏の前か後か、もはや、酔っ払っていたので忘れたのだが、櫻井よし子さんも登壇した。
私は会場の後方にいたのだが、それまで前方の舞台上にいる人が見えていたのだが、櫻井さんは見えなかった。
背が高そうに見えるのだが、やはり女性、他の男衆に比べると小柄なのだろう^^
私は、爪先立ちして、菩薩のような櫻井さんを見た。
櫻井さんに、『西遊記』の三蔵法師役をやらせると適任かもしれないなあ、と、ふと思った。
この頃になると、やや、出席者も酒が回り、会場も砕けた雰囲気になってきていた。
ので、櫻井さんの、低いポクポク喋りがいまいち聞き取り難かった。
挨拶は、挨拶らしく無難な内容に終始していた。
≪[櫻井よしこ女史との思い出・・・(2004/08/23)]
▽今日は、俺の女性遍歴を語ろうか・・・。
(・・・中略・・・)
みんな素晴らしいレディー達だ・・・。
そうだなあ、今日はよしことの思い出を語ろうか・・・・。笑った時のエクボの魅力的な女性だった・・・。
▽あれは十数年前のことさあ・・・。そう、俺はほんの<ひよっこ>だった^^;
一人暮らしをしていた頃のことだ・・・。
それは、俺が一人で、夜、テレビを見ていたときの事さ、よしこがやってきたんだ・・・。
▽(ここから普通の文章^^)
深夜間近、私は、日本テレビの『今日の出来事』と言うニュース番組を見ていた。
その頃は、櫻井よしこさんがニュースキャスターをやっていた。まさに『才女』と呼ぶに相応しい女性で、私は、その硬派なキャスターぶりが気に入って、『ニュース・ステーション』の後には4チャンネルを見ていたものだ・・・。
当時は<夏の風物詩>として、三井物産社屋前の池の<カルガモ親子>が、毎年話題になっており、その日の『今日の出来事』のお天気コーナーでは、若いお天気お姉さんが<カルガモ親子>の近況を報告していた。
<カルガモ親子>のVTRを見た後、お天気お姉さんが当然のセリフを言った。
「カルガモ親子、可愛いですね~^^」
すると、横に立っていた櫻井よしこ女史が、ツツツ~・・・と、そのお天気お姉さんの背後に寄り添い、その両肩に両手を置き、いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、言ったのである。
【「あなたも可愛いわよ」】
これには、ブラウン管の前の私ものけぞった! 妙な興奮が私の心を高揚させた。
と、同時に、私は櫻井よしこ女史に惚れた自分を認識し、テレビに向かって呟いたのだ。
【「あんたも、可愛いぜ・・・」】
一人暮らし・・・。テレビに向かって独り言、誰も聞きとがめる者なし・・・。
だが、隣室のカップルの睦言だけは、夜中に聞こえてきやがるのだ^^;;;
▽[可愛さのヒエラルキー]
カルガモ親子>お天気お姉さん>櫻井よしこ女史>ミッドナイト・蘭
「誰か、俺のことを可愛がってくれェェェ!」
とは言え、私は、女の人のいる店に行くと、殆どの場合、メチャ可愛がられる。・・・正直だからである。女の人が、私の席の横に着く、と私は開口一番に言うのだ。
【「良かったア^^ 綺麗な人で・・・^^」】
すると、夜の仕事で疲れたホステスさんが、はにかんだ笑顔を浮かべるのだ。
【「あんたこそ・・・、可愛い人だね・・・」】≫
お食事タイムになってから、そのお顔を見ようと、櫻井さんのいた会場左前方にまほ氏とともに向かったのだが、途中退場したらしくいなかった・・・^^;残念!
しかし、その時、まほ氏が言った。
「内田弁護士がいましたよ」
「えっ、どこどこ?」
「あの背の高い方です」
会場右手前方、真ん中に位置するローストビーフ切り分け場を挟んだ向こうに、巨大な男が立っていた。ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・。
「うほほほほ^^ 内田弁護士って、大きいんだ^^」
・・・ガリバーみたいだった。
▼5319 『人物紹介⑧ まほきゃすと』 ミッドナイト・蘭 2006/07/31 19:38
今回の「内紛」問題で、ネット上で共闘したまほきゃすとさん。
(ブログ『Kotori Love Love Diary』)
私は会いたくてしょうがなかったのだが、今回の集会で会えて嬉しかった。
なんか温和ないい方なので、これからも会う機会があるだろうて。
まほ氏の最近の更新は、この「教育再生の夕べ」報告での、私の言葉の事実認定が繰り返し為されているが、それは以下のエピソードに由来していよう。
まほ氏 「蘭さんは、なかなか保守論壇とコネクションがあるみたいですよね^^」
蘭 「ああ、それは・・・・です・・・」
まほ氏 「えっ!?^^」
蘭 「・・タ・です」
まほ氏 「うん?」
蘭 「あれはハッタリです」
まほ氏 「・・・えっ!? えっ!? え~っ・・・、・・・」
まほ氏、絶句・・・^^;
その他にも、幾つか、私の「ハッタリ」に関する裏事情を聞かせたのですが、そのたびに、まほ氏は「えっ!?・・・」と絶句した。
この方、可愛い方なのである。
まほきゃすと氏は、この問題に対し、客観的であらねばと対応しているのがよく分かった。
だが、私は、こちらが「正しい」と思い至り、八木・新田側に立って、「戦争」をしていたつもりなのである。
そこが、私の「ハッタリ」戦術でもあった・・・^^;
まほ氏は、客観的であらねば、と、八木・新田側に正しさを感じつつも、「四人組」を「田舎者」と評したりして、何とかバランスを得ようとしていた。
しかし、それを、こちら側に引き込んだのは私でもある。
・・・それでいいと思うし、まほ氏も納得していると思う。
今回、生の新田先生の姿を見て、まほ氏は、その思いを強めたと思う。
「四人組」+八木先生+種子島氏は、素晴らしく「いい奴ら」だった。
まほ氏は、最期に、「自分も、どこかで、保守運動に身を投じたいと思っていたので(これはいいチャンスかもしれない)」と言っていた。
・・・お互い、ここが「人生の重要な選択」なのかも知れません^^
▼5320 『人物紹介⑨ MUTI』 ミッドナイト・蘭 2006/07/31 19:49
MUTIさんのご職業の特殊性に鑑み、あまり多くを語れないのですが、ちょっとだけ。
私は、今回の集会、MUTIさんを連れてきて良かったなあ、と思っていた。
彼は、もちろん自称ではあるが、兵頭二十八門下の方である。
つまり、ミリタリーマニアでもある。
今回の集い、かような物理的情報に疎い方々ばかりでもあった。
後々、兵頭氏の流れは、「日本教育再生機構」で生きてくると思うのだ。
また、今回、代表発起人が一人・中西輝政氏が病欠していた。
だが! MUTIさんは、やや輝政先生似なので、足りない面子の補充に適任だったであろう。
『2ちゃんねる』情報で、田中英道先生も出席していると読んだのだが、その真偽はどうなのであろう?
そう言えば、似た方がいたような、いないような?
私は、なかなかの田中英道ファンなので、どなたか教えてください^^
(2006/07/31)