《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

『孫、帰る』柳家喬太郎を聴いて考えた

2009年11月29日 09時27分58秒 | Weblog
舞台『象』の台本が奥菜恵さんの手元に届いたそうです。
舞台、楽しみですなぁ。
ジャニーズ・ファンの皆さん相手に、チケット、手に入りますかなぁ~。
とても不安だし、心配です。


それはともかく、
私の手元には『柳家喬太郎落語集 アナザーサイドvol.3』が届きました。

『空蝉』は寝しなに、ベットの中で「途中で寝ちまったってかまわねーや」という態勢で、CDウォークマンで聴きました。
ここだけの話ですが……、

どういうわけなんですかねぇ……、

下掛かった話は余りしてこなかった《革命的》ブログだったんですが……、

……、……、……
●起してしまいました。お恥ずかしい……。

体調が悪かったのかもしれません。
「おめぇは体調が悪いと起つんか?」
面目ねえ。
「否定しろよ!」
生理的現象だもの、人間だもの、



そして、『孫、帰る』の方なんですが、
おじいさんが緑のじじいをしている場所が「ママの車が事故ったところだね!」
ってところで、すっと一筋の液体を目尻からあふれさせてしまった。
そこに来るまで、話の構造がまったく分かっていなかったんですけど、
あの一言で、ほぼ全てがさあ~っと見えてきて、

生理的現象が起こってしまった。


で、「覆水盆に返らず」について考えてしまったんですが、
あの語源になっている出来事で、
なぜ奥さんはお盆に水を汲んできちゃったんですかねぇ。

それを地面にこぼしちゃったから、元に戻らないことになってしまうわけで、
普段通り、コップか茶碗に水を汲んで、
それをお盆に載せて持ってきて、
で、水をこぼせばよかったのにねぇ。

ふつう、お盆に水を汲みますか?なんでお盆に汲んだんでしょう?
水を汲むのはコップか茶碗でしょ?やっぱり。

そういう普段やらないことはやっちゃダメ、ってことですな。
そうすれば「覆水盆に帰って」ミヨコさんも来られたんじゃないかと……。

オチにふれないように気を遣うと、な~んか、ただ茶化しただけみたいに読めてしまいますなぁ。

たまには小咄で気分転換しましょう!

2009年11月25日 20時31分39秒 | Weblog
いつも小咄みてーなもんじゃねーか、というあなたの声が聞こえました。
でも、小咄で気分転換したいんです。
そんな今日なんです!

私のお気に入りの咄を3つ。



子供「ここの占いは当たらないよ、全然当たらないよ、占ってもらうだけ無駄だよ。」
占い師「とんでもねぇこと言うガキだ。てめー、どこのガキだ?」
子供「当ててみな!」



「今朝方、私の家の前の路地を一本大通りに出たところで、右から傍若無人にジグザグ走行のバイク。左からは出社時間を気にしてスピードオーバー気味の乗用車。バイクはジグザグをやめない、乗用車もスピードを落とさない、どっちも超強気。あれよあれよという間に、私の目の前で、ドンガラガラガラガッシャン!そして、私は革命的奥菜主義者同盟の一員でございます。」
「なにそれ?」
「かんたんなジコ紹介でございます。」



日本語は美しい言語だ。50音図をご覧なさい。『愛』で始まって『恩』で終わる。仮名遣いが合っていないが。そこへいくと、アングロサクソンは!アルファベットを思い浮かべてご覧なさい。『 I 』の前に『 H 』が来る。



「お前さんは私のことを屁とも思っちゃいないだろう?」
「すみません。これからは屁と思うようにいたします。」



なんで大和ハウジュ、いや、
なんで4つなんだ?

わたしと湯河原と奥菜恵さん

2009年11月24日 20時24分59秒 | Weblog
この写真は11/15(日)に撮影した
「こごめの湯」無料休憩所からの眺めです。
温泉場中央を流れる川岸にひっそりとたたずむ旅館群の落ち着いた雰囲気が
よく伝わるのではないかと思います。
無料休憩所からの眺めとしては、なかなかの眺めだと思います。

あ、無料と言っても、こごめの湯自体の入館料というものがありますので、そこは誤解なさいませんように。



ときに、タケさん。

「もう突っ込みませんよ!」

この温泉場中央を流れる川の名前をご存じかな。

「藤木川って言うんでしょ!」

 …………

「ちょっと、黙らないでくださいよ、ご隠居」

誰がご隠居じゃ、失礼な!しかし調べておったとは、こいつぁ一本取られたわい。ま、タケさんの言うとおり、この川の名は「藤木川」。この川沿いには大きな病院があって、藤木病院。藤木病院と言えば『若葉のころ』ですよね~、奥菜主義革命同志諸君!

「あの病院、藤木病院って名前じゃないんですけど。」

『若葉のころ』最終回を見ておらんのかね?あの病院は人手に渡ったじゃろ?



各方面に迷惑がかかりそうなので、この辺でやめておきます。

「 湯河原と万葉集 」~佐々木信綱:萩谷朴比較研究序説

2009年11月22日 15時09分04秒 | Weblog
足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子ろが言はなくに
〔万葉仮名〕 阿之我利能 刀比能可布知尓 伊豆流湯能 余尓母多欲良尓 故呂河伊波奈久尓

ご存じの通り、湯河原の温泉は万葉集の歌に詠まれているのであります。
そして、「出湯(いでゆ)」を詠んだ歌としては、万葉集“唯一の歌”なのであります。
そのことを誇りに、万葉公園が整備されており、歌碑も存在しています。

観光案内などで、よく有りますヤン、「~~と言われております」てな言い回し。
わたしゃねぇ、あの言い回しを耳に、目にすると、無性に腹が立つんですワ。
あんたは言ってないんですか?ただの噂なんですね?真相を明かす気なんてないんですね?それでもそれを吹聴しているんですね、その自覚は多少有っても「え~~い、言ったもん勝ち!」て感覚なんですね?と。

我が、終の棲家と思い定めつつある湯河原は、そんな温泉場じゃありません。
言い切っております、“唯一”と。
小梅堂店主といい、この件といい、湯河原のお人は言い切るのがお好き、
と言うわけではなくて、佐々木信綱博士の研究の成果として、定着している事実なのであります。
「足柄の土肥」は湯河原の古名であって、西伊豆の土肥を指すものではない、と。
『出づる』の万葉仮名が「伊豆流」なのは、ご愛敬……。



さて、歌意についてですが、解明できないほどではないにせよ、多少難解なようで、
ちょっと調べてだけでも、2種-4通りくらいに類別できるようです。

a)わき出る温泉が揺れる。そのように心が揺れているとは、あの娘は決して言わないことだ

b)足柄の土肥の河辺に噴出する温泉の湯煙、それが中空に漂い揺らぐようにあの娘は私との関係を不安げには言わなかったが、私は心配だ・・・

c)足柄の土肥の谷間に湧き出る湯のように少しも不安なことなどあの娘は言わないのに
c)’二人は、足柄(あしがら)の土肥(とい)に湧く温泉のように、絶えるなんてことはない、とあの娘は 言うのだけれども

a )b)は「揺れる想い」の比喩として、「温泉」が登場するのに対して、
c)では「絶えることのない想い」の比喩として、「温泉」は登場しています。
またa)は「温泉の湯」が揺れる、b)は「湯煙」が揺れる、と解釈されています。
いずれにしても「だいじょうぶよ!」と言われているのに安心できない男心、
普通そういう心配は東尾理子の方が抱くんじゃないの?とは思いますが、
そこは3通りの解釈とも一致しているんですね。

ところがここに、もうひとつ別系統の解釈を見つけてしまいました。
「萩谷朴博士の解釈か?」と一瞬疑ってしまったほど、異色です。(分かってもらいたい、この感想!)

 足柄の土肥の河内(湯河原を指す)で
 お湯に入って、湯煙を見ていると
 遠くにいる 彼女のことが思いだされて、切なくなる

温泉は比喩ではなく実景となり、
「女の言葉への不安」は「会えないことによる素直な恋しさ」へと純化しているんですな。
ちょ~~っと、キモ!



湯河原の人々は「万葉集に読まれている出湯は湯河原だけ」と主張するのであって、
「万葉集に読まれている温泉地は湯河原だけ」とは主張なされない、と言われております。
なぜかといえば、たとえば伊香保などは地名としてなら、湯河原の1首をはるかに凌駕する9首に詠まれているのであります(しかも湯河原は土肥と詠まれているし)。

“東歌総数は230首。国が銘記された歌は95首で、そのなかで最も多いのが上野国の26首、以下、相模16首、常陸12首、武蔵10首である。上野国が際立っている。その中で9首は伊香保の地名を含む歌である。”

という記述がどこかにありました。どこだったっけ?まあいいや。


① 伊香保ろの 八尺の堰塞に 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば

② 上毛野 伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり

③ 上毛野 伊香保の沼に 植ゑ子水葱 かく恋むとや 種求めけん

④ 伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど 吾が恋のみし 時無かりけり

⑤ 伊香保嶺に 雷な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ

⑥ 伊香保世欲 奈可中次下 思ひとろ 隈こそしつと 忘れ為なふも

⑦ 伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝しめとら

⑧ 伊香保嶺の 阻の榛原 わが衣に 着き寄らしもよ 一重と思えば

⑨ 伊香保ろの 阻の榛原 ねもころに 将来を な兼ねそ 現在し善かば 



「伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど……」なんざ~乙ですな。私の奥菜恵さんへの思いを言い当てられたようで。

「これはキモくはないんですか?」
キモくないと言われております。 

奥菜主義革命が漫然と語る湯河原の魅力()

2009年11月20日 20時43分30秒 | Weblog
あ~あ、これを書いちゃうと、とりあえずこのシリーズもお仕舞いだわな。
結局最終回が一番盛り上がらない。
ま、私のブログではよくあることだ。

本当は教えたくないんだけど、あなただけに教えちゃう湯河原の魅力!
ということで話を引っ張ってきたわけですが、
私が湯河原の一番の魅力だと思っていることは、

「干物のおいしさ!」

う~む、どうも平凡だ、盛り上がらない。


だけど、干物ったって、どこでもいいから買ゃーいい、というわけのものではない。
他のお店で買うんだったら、どこで買っても同じよ。
ぜひ、湯河原駅前ロータリーの西側出口にある「八角」をオススメしたい。

この店は大学時代の仲間Kマちゃんから「ここ以外では買うな!」
と教えたもらったお店。



う~む、表現はすこ~~し違ったかもしれん。
しかし、そういう意味の自信あふれるご推薦だったことは間違いない。

お店を教えてくれたのは、そのKマちゃんだったが、
何を買うかを選んだのは私。
その選択に私の在り方生き方がにじみ出ているのであります。

干物。この言葉からどんな魚を思い浮かべます?
鯵、金目、柳鰈、魚偏に師(なんて読むんでしたっけ?)、秋刀魚……
いろいろあるでしょうが、私がいつも「八角」で買うのは


エボ鯛。

いつも、

エボ鯛。

私が、お土産で買う干物と言ったら、エボ鯛。

金目?高いじゃん。高くてうまいは当たり前。

鯵の開きよりエボ鯛が好きだぁ~。

「八角」のエボ鯛食ったら、他の店のは買えませんよ。


だめだ~。盛り上がらん。
次のネタは?なんて考えると、気が重い。

奥菜主義革命が漠然と語る湯河原の魅力()

2009年11月16日 20時54分48秒 | Weblog
もうそろそろ本題の「本当は誰にも教えたくないんだけど、あなただけに教えちゃう湯河原の魅力」の方に入らないと、訪問者数が激減しそうな予感がするのですが、

私は、読者に媚びない!

今日も前座噺にお付き合いくだされ。


神奈川県指定銘菓「きび餅」というのお菓子をお土産に買いました。きのう。

「えっ?昨日も湯河原行ったんですか?」

行きましたよ。なにか?
12月13日までに下見をしておきたいポイントが、もう1カ所有ったものですから。


見るからに美味しそう、とか、高級感あふれる、とか、手が込んでそうだなぁとか、材料を厳選しているんだろうなぁとか、目でも楽しめる、とか
そういうイメージとは、いーーっっっさい無縁のお菓子でしたが、
なんか「無視できない懐かしさ」を訴えてくる見てくれのお菓子で、
素通りできませんでした。

口に入れると、まずは「きな粉」がちょっとむせるんですが、
奥菜恵さんが大好きなきな粉ですから、え~~い、と我慢すると、
何とも上品な甘さが口の中に広がり始めます。
あれ以来、すべての食べものを薄味にしている私にはちょうどいい甘さ加減で、
しっとりした食感とともに滋味を存分に楽しめました。

販売しているお店には、有名なお店が2店有るのですが、
お店の外観から、迷わず「小梅堂」で購入しました。
「こごめの湯」最寄りバス停の目の前でしたし。


で、小梅堂店主敬白による「きび餅の由来」始まり、始まり!

“万葉集にも詠まれた湯河原のなかで、小梅の里と呼ばれた当家の周辺は大正の文豪達が好んで逗留した旅館街です。いまや湯河原みやげの定番となったきび餅は、初代小松清之助が何とかこの地に名物をと創製したのが初まりです。それは相州産のきびもろこしと白玉を混ぜ、ふかしてお餅とし、きな粉をまぶしただけの素朴な製法でした。味の秘密は裏山の湧水にあるのだろうとかお客様に訊ねられることがあります。昔ながらのものですので気の利いた秘伝は何ひとつありません。藤村以来、きな粉のほのかな甘みと餅の滋味とのハーモニーを時を隔ててみなさまに愉しんでいただいております。神代の史跡を誇るこの湯河原で歴史に思いを馳せながら、あるいは川面を渡る風に季節のにおいを感じながら、きび餅をはんでいただければ幸いです”

えらい!
「気の利いた秘伝は何ひとつありません」
と言い切ってしまう潔さを、見上げたいもんじゃありませんか。
グルメ番組に登場して、スープのだしの取り方について、うんざりするほど蘊蓄をたれるラーメン屋に辟易としていらっしゃるご同輩!そう思うでしょ!いまのラーメンにはこの潔さが欠けているんだ!、と。ラーメンはラーメン、ラーメンらしく食わせてくれ!、と。何がつけ麺だ!、と。そんなもの昭和の時代にはなかったぞ!と。

何を熱くなっているんでしょう、私は。ときにタケさん。
「タケさんって、だれ?」
だれでもない!
「始まり」と書くべきところを「初まり」と記している点と、
お客が食べるのを「はむ」と表現している点が、
ちょと気になるんですがな、トクさん。
「タケさんと話していたんでは?」
タケさんて、だれ?

JR東日本の「Suica 事業」関係者を小1時間ほど問い詰めたい

2009年11月15日 20時37分23秒 | Weblog
本日湘南新宿ラインのグリーン車を利用する機会がありましまして、
グリーンアテンダント、 でしたかな?
とにかく、スチュワーデス兼車販のお嬢さんに
「缶のブラックコーヒーをちょうだい」
ってゆーてみたんですわ。

もちろん缶のブラックコーヒーは売っていました。


ところが、

ところが、

「スイカで支払いを」

と言ったところが、

お嬢さんは「車内は現金のみになります」

だと!


東日本旅客鉄道の株主の一人として、とても納得できませんね。
株主には、カード事業によって収益力を高めることをあれほど喧伝し
しかも、駅・鉄道に関連する小売業者に「スイカ」が利用できるような対応を
あれほど依頼しているくせに、
お膝元の列車内では「現金のみ」ですか?!

ざ~~けんなよ、JR東日本!

と言われても仕方がないんじゃないでしょうか。

『スイカ』をもっと利用して欲しいんなら
まずかいより始めよ(かい、はどんな漢字だっけ?)ですよ。

湯河原の民鉄系バスが、バス〈共通〉カードの利用ができないというのも腹が立つ!

関係者よ、革命的奥菜主義舎同盟に対し、毅然たる、確固たる回答を寄せることができるか?如何!

奥菜主義革命が漠然と語る湯河原の魅力()割り込み耳寄り情報ゥー!

2009年11月12日 21時01分07秒 | Weblog
というわけで、前号の予告通り
「これは誰も教えたくなかった湯河原の魅力:こっそり教えます!」







をあっさり書いてしまっては、このシリーズが終わってげっそりしてしまう。
新潟油田のように枯渇しかかっていて乏しい才能を振り絞ることに
日々呻吟しておるというのに、せっかくつかんだこのネタ、
そうそう簡単に終わらすわけにはいかんのですよ。

で、今日は「割り込み、耳より情報ゥー!」

日帰り温泉で「こごめの湯」にお世話になったあと、
タクシーで駅まで戻ったのでは、せっかくのお値打ち感が台無しじゃ。
ぜひとも「公園入り口 停留所」から路線バスで家路に就きたいもの。
そこで、今日の「割り込み、耳より情報ゥー!」は
「公園入り口 停留所」のバス通過予定時刻表(日・祝)にスポットをあててみたぁー!

湯河原駅行き 公園入り口 停留所(日・祝日)
6時: 16 31 40 52
7時: 02 12 22 32 42 52
8時: 02 12 22 32 42 52
9時: 02 12 22 32 42 52
10時: 02 12 22 32 42 52
11時: 02 12 22 32 44 56
12時: 08 20 32 44 56
13時: 08 20 32 42 52
14時: 02 12 22 32 42 52
15時: 02 12 22 32 42 52
16時: 02 12 22 32 42 52
17時: 02 12 22 32 44 56
18時: 08 20 35 47 56
19時: 08 20 32 44 56
20時: 08 21 37 49
21時: 09 25 36 56
(※この時刻表は、伊豆箱根バスと箱根登山バスの共同運行です。)

ということになっている。
耳寄りでしょ、どうだ、まいったか?(アサダ二世調で)
ちなみに土曜日はどういう通過予定かっちゅーと、

湯河原駅行き 公園入り口 停留所(土曜日)
6時: 16 31 40 52
7時: 02 12 22 32 42 52
8時: 02 12 22 32 42 52
9時: 02 12 22 32 42 52
10時: 02 12 22 32 42 52
11時: 02 12 22 32 44 56
12時: 08 20 32 44 56
13時: 08 20 32 42 52
14時: 02 12 22 32 42 52
15時: 02 12 22 32 42 52
16時: 02 12 22 32 42 52
17時: 02 12 22 32 44 56
18時: 08 20 35 47 56
19時: 08 20 32 44 56
20時: 08 21 37 49
21時: 09 25 36 56

となっている。
耳寄りでしょ、どうだ、まいったか?(アサダ二世調で)
じゃ、平日はどうなっとるかというと

湯河原駅行き 公園入り口 停留所(平日)
6時: 16 31 40 52
7時: 02 12 22 32 42 52
8時: 02 12 22 32 42 52
9時: 02 12 22 32 42 52
10時: 02 12 22 32 42 52
11時: 02 12 22 32 44 56
12時: 08 20 32 44 56
13時: 08 20 32 42 52
14時: 02 12 22 32 42 52
15時: 02 12 22 32 42 52
16時: 02 12 22 32 42 52
17時: 02 12 22 32 44 56
18時: 08 20 35 47 56
19時: 08 20 32 44 56
20時: 08 21 37 49
21時: 09 25 36 56

どうだ、まいったか?(アサダ……もういい?、あ、そう)

ネットで、バス会社のホームページで調べたんですが、
そこでは、もっともらしく「平日」「土曜日」「日・祝日」と3区分されているのに、



3つともまったく同じ通過予定時刻で 
お・お・わ・ら・い・海水浴場(関東ローカル)

バス会社公式ページでの表現が「通過予定時刻表」となっているのも、
気になるっちゃぁー、気にはなる。

停留所で待っていても、

「どーだ、まいったか?」

の一言を残して、バスが通過して行って
お・お・わ・ら・い・海水浴場(関東ローカル) 


だったりして。

奥菜主義革命が漠然と語る湯河原の魅力(Ⅲ)

2009年11月10日 21時25分01秒 | Weblog
まずは
『きみよ涙が止まらぬときは』
を私に教えてくれた
森繁久彌さんのご冥福を心からお祈りします。


さて、湯河原の魅力は、「元乗り鉄」にとってはその行き帰りにある、
と申し上げておいたのですが、その件について話を継続します。

埼玉の西部に住まう者が気軽に行ける温泉地となると、
伊香保、草津、水上、日光・鬼怒川、石和、熱海・伊豆
といった方面になるかと思うのですが、これらの温泉地、
到着後はそれこそ、こんなことやあんなこと、
あまつさえ、そんなことまでして、楽しめる処とは思いますが、
如何せん、行き帰りはだいたい一つのパターンになってしまうんじゃないでしょうか。
(この↑一行の言い回し、どことなく加藤紘一調になってません?)

ところが、湯河原の場合、
『埼玉の西部在住で鉄道利用』という条件つきですが、
結構いろんなアクセス方法が思い浮かぶんですな。


①踊り子号で行く

これだって、
 1)ノーマルの、全然旅情をかき立ててくれない踊り子号
 2)もう気に入っちゃたぜ、スーパービュー踊り子号

という選択肢が存在し、
 〔a〕東京乗車
 〔b〕品川乗車
 〔c〕大宮乗車
 〔d〕池袋乗車

という選択肢も存在する。


②新幹線で行く

小田原下車か、熱海下車か。
東京で乗るか、品川で乗るか。
下から見るか?横から見るか?

「え?何を?」

打ち上げ花火、

ブホッ。意味なく700系で運転される「こだま」を狙うのもおもしろい。
小田原停車の「ひかり」なんてチョイスもある。


③湘南新宿ラインで行く

普通車の自由グリーン席で温泉旅行というのも乙なもの。
割引があるから、とホームでグリーン券を買っちゃって、
「ちぇ、なんだよ!座れねーじゃんかよー」と悪態を突くのも
“旅の恥は”なんとやらで、旅情を豊かにしてくれます。
(ここはぜひ大和田伸也さんの口調で。あのお方、「す」が「しゅ」って聞こえちゃうのよね。)


④ここからだんだんアブノーマルに。

湘南新宿ラインだと、小田原で乗り換えが必要になります。
新幹線利用でも、小田原乗り換えとなることが多いでしょう。
で、どうせ小田原で乗り換えをするのであれば、
いっそ小田急ロマンスカーで逃げようか、という気も出てきます。


⑤どうせ小田急使うなら…小田原じゃなくて

日帰りの時や、一泊でも行きには余りしたくないことですが、
1泊しての帰りになら…
バスで箱根に出て、箱根湯本からロマンスカーで帰るというのはいいですよ。
湯河原から『箱根定期観光バス』が出ているはずです。

⑥他からも乗れるでしょ、小田急

これも1泊しての帰りにならおすすめの穴ルート。
朝風呂を湯河原で楽しんだら、江ノ島に出て、江ノ島で遊ぶ。
水族館大きいし。弁天さんがあなたを待ってるし。
そして江ノ島から小田急ロマンスカー。

(もちろん、考えればもっと異常な行き方できますよ。
川越線-八高線-相模線-東海道本線とかね。
でもそれを言い始めたら、どこでも同じことになっちゃうんで…。)


さあ、どうだ!私が力説したい湯河原行きの魅力はこれだ!

「あれ?『湯河原の魅力』って言ってたのが、『湯河原行きの魅力』に変わっちゃいませんか?」

……痛いとこ、突きますね~。そーなんだよなぁー。これ、湯河原自体の魅力ではないんだよねぇ。
これじゃダメ?

「これじゃダメかってねぇ、無責任でしょ、それじゃ」

よ~し、わかった!(犬神家の一族じゃねーんだよ)
今度こそは、私を捉えて放さない湯河原自体の魅力を、
私は本~当は誰にも教えたくないんだけど、
奥菜恵さんを愛する皆さんだけに、お話しいたしましょう。

以下次号! 

奥菜主義革命が漠然と語る湯河原の魅力(Ⅱ)

2009年11月08日 19時40分17秒 | Weblog
前回の記事では、余りある湯河原の魅力について、
全く触れることができなかった感がございました。
“元”乗り鉄[【野中広務(自民元)】みたいな]の私にとって湯河原は、
その行き方、帰り方に言い尽くされぬ魅力が存在しています。





しかし、


しかしですね、
昨日、北海道日本ハムファイターズが日本選手権で敗れてしまいました。
そのことを悼むことを優先させてはいただけませんか。


いいでしょ。

 唄:森繁久彌
による
 『君よ涙が止まらぬときは』
を捧げます。

一、君よ涙が止まらぬときは
  山に向かいて黙して立てよ
  心は遠くあの尾根越えて
  忘れた夢をさがすだろ

二、君よ悲しく眠れぬときは
  窓を開いて星空仰げ
  夜空の下で誰もがみんな
  明日を望み生きている

三、君よ涙が止まらぬときは
  山に向かいて黙して立てよ



早稲田も東京六大学野球で優勝できなかったものなぁ。

マイペース『東京』をお聴きください。

  神宮へはもう何度も行きましたね
  君が投げる 美し球場
  神宮へはもう何度も行きましたね
  君が打つ  美し球場


ここで、問題です!
今季、慶應は早稲田に連勝して、勝率では1位になったのに優勝できませんでした。
さてどうしてでしょう。



そんな慶應義塾大学にも

 ♪谷底の百合 by寒空はだか

を捧げたい。

  この世の生きとし生ける者の 不幸を背中に背負いこんで
  月の砂漠に爪をたて 安酒に溺れる我と君
  さしだしたその手は誰のもの ふれるだけで切れる蜘蛛の糸
  傷ついた心に塩をふれ 開いた傷口にワサビをぬれ
  折れた細い足にムチをうて わめけ泣き叫べ ララ 生きてゆけ

  目覚めれば凍れる焼け野原 捨てられたメス犬がすすり泣く
  まばたきの刹那によみがえる ガソリンでも燃えぬ夢の跡
  がんじがらめにからむ赤い糸 あえてひいてみせるはずれくじ
  傷ついた心に塩をふれ 開いた傷口にワサビをぬれ
  折れた細い足にムチをうて わめけ泣き叫べ ララ 生きてゆけ
  わめけ泣き叫べ ララ 生きてゆけ


で、「湯河原行き方帰り方の魅力」なんですが、

弊ブログの『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
あの書き込みにおつきあいしてくださった方ならば、
我慢強いですよねっ!

以下次号、乞うご期待。

“早稲田大学野球部第百代主将”は斎藤佑樹投手

2009年11月07日 07時36分09秒 | Weblog
えエ~~、それはないんじゃない?!
ピッチングに専念させてあげましょうよ!彼、重傷よ!きっと。







あっ、原をバッティングに専念させてあげようっちゅうー深慮遠謀か。





ま、「深慮」というよりは「姑息」だな。

(考えてみると「姑息」って、ひどい文字遣いだね。使うべき文字じゃないね。)

もとい。「深慮」というよりは「小息」だな。

勝てば官軍、航空部

2009年11月04日 22時09分16秒 | Weblog
私の出身高校には当時「航空部」という珍しい部活が存在していました。
しかし、何をやっているのか、まったくその実情は明らかではなく、
その辺を突かれると、連中が口にしていたキャッチフレーズが

「勝てば官軍、航空部」

でした。

小笠原もラミレスも目覚めさせたくなかったし、
金森、武田久のいやらしさをもっと植え付けたかったしなんだけど、
北海道に帰れることになったんだもの、良かったね。おめでとう。

「勝てば官軍、ファイターズ」


そして「沈黙は金」
湯河原の魅力について語るのを忘れてしまったわけではないのですが、
また別の機会を乞うご期待。

早稲田が負けて、北海道日本ハムファイターズが負けた日に

2009年11月01日 00時42分00秒 | Weblog
森繁久彌が唱っていた歌、
という記憶しかなくて曲名を覚えていなくって、
ずっと歌詞を知りたかった歌の歌詞をネット上で発見!

いい時代に生を受けたもんだ、と感謝。


 君よ涙が止まらぬときは

一、君よ涙が止まらぬときは
  山に向かいて黙して立てよ
  心は遠くあの尾根越えて
  忘れた夢をさがすだろ

二、君よ悲しく眠れぬときは
  窓を開いて星空仰げ
  夜空の下で誰もがみんな
  明日を望み生きている

三、君よ涙が止まらぬときは
  山に向かいて黙して立てよ