想いのままに…

日々の生活の中で感じたことを、想いのままに綴りたいと思います。

雨の中でしたが…

2024-05-07 21:23:35 | 日記
予報ほどの大雨にならなかったので、お買い物に行くことにしました。

我が家を車で出て5分ほどのところに差し掛かった時、
10mほど先を、傘をさして歩いておられるご婦人が2名。

「〇〇さんのお宅のお母さんかしら?」と私が言うと、
主人も「そうだね。」と言います。
小雨でしたが、お母さんと娘さんが雨の中をお散歩しておられるのを見て、
ご高齢になられた親御さんと少しでも一緒にいる時間を作ろうと
思っておられるのかしら?と想像していました。

ゴールデンウィークの間…ということで、
東京にお住いの娘さんが帰省しておられることは、
数日前にお会いしていましたので、知っていました。
今年の連休は、そのほとんどを80代のお父さんと70代半ばのお母さんと、
ご実家で過ごされているようでした。
そんな娘さんも、50歳近くで独身ということです。

離れて暮らしていると、たとえ頻繁に連絡を取り合っていたとしても
言い忘れたり、少しの変化に気付かないことなどがあるものです。
1泊や2泊の帰省でも然りです。

と言いますのも…、
広島県の田舎町で暮らしていた私は20歳になった時、
大阪の親戚の家に住まわせてもらいながら、会社勤めをしました。
親戚から、「都会の会社で働いてみてはどう?」と声を掛けられたのです。
両親も、「いろいろな経験ができるし、親戚のお手伝いをしてあげるのならば、
親戚も助かるでしょうから…。」と2年間の約束で大阪に出て行きました。

大家族のそのお宅のことを手伝いながら、会社に通う日々でした。
朝早く起きて朝食の準備をし、会社から帰ると家事を手伝い、
受験を控えた子供たちへの夜食を作り、お風呂に最後に入ってお掃除など…
寝るのは夜中の1時半、朝は5時に起きていました。

寝る間も少なくなるほど、とても忙しい日々でしたが、
職場ではいろいろな経験ができて楽しかったですし、
親戚からも助かっていると言ってもらえましたので、嬉しくもありました。

ところが、約束の2年を過ぎても親戚の忙しさは増していましたし、
両親に状況を話して、2年延長することになりました。

そして2年後…つまり4年後に実家に帰った時、
母は体調を崩していて、検査入院などをしても原因がわからず、
病院や施設で足掛け9年寝込んで亡くなりました。

大阪での暮らしを、私がもしも最初の約束通り2年で帰っていれば、
母の異変に気付いたかもしれない…と思ったこともありましたが、
時すでに遅しでした。
4年の間には、1~2か月に1度くらい、1~2泊で帰省していたのですが
私は『母は元気な人』と思っていましたし、母も心配をかけまいと
元気にふるまっていたのでしょう。

24歳になり、田舎で両親と暮らせることになる『矢先…』だっただけに、
それ以来、『矢先…』という区切り方が、あまり好きではなくなっています。
気になっていること、やりたいと思っていることなどは、
可能な限り早く何とかしておいた方がいいわ…と思うようになりました。

今日、雨の中をお散歩しておられるご婦人お二人を見ていて、
少しの時間をも大切にされているように思えて、『いいことだわ。』と
思ったのです。


 白い花のヤマブキが咲いていました。
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