マキペディア(発行人・牧野紀之)

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定義、die Definition

2011年11月05日 | タ行
 たとえば「人間は理性的(種差)と動物(最近類)である」という具合に、最近類と種差(Genus proximum und Differentia specifica)を挙げるのが定義の基本とされているが、本当の定義とは何かは難しい。

 ヘーゲルの定義観は「参考」の07に好く書かれています。

  参考

 01、或る学問の定義、あるいは一層詳しく言うならば論理学の定義を証明するという事は、その定義の出て来た必然性を示すことでしかない。定義から或る学問を始めようとするならば、その定義に含まれるものはその学問の対象や目的についての常識的な理解だけである。(大論理学第1巻29-30頁)

 02、定義の中に定義されるべき規定が使われているような定義は拙い。(大論理学第1巻179頁)

 03、科学の中で無媒介に仮定された定義(大論理学第2巻165頁)

 04、或る概念の定義には、即ち或る概念を指示するためには、一般に、類と種差を示すことが要求される。(大論理学第2巻255頁) 

 05、全ての内容規定の統一は概念に等しい。従って、その統一を含む命題はそれ自身再び定義である。が、単に直接取り上げられた概念ではなく、その規定された、実在的な区別の中へと展開した概念である、換言するならばそれは概念の全き定存在を表現している。(大論理学第2巻467頁)

 06、出発点となる定義は感性的な対象を直接的に与えられたものとして取り上げ、それを最近類と種差、つまり概念の単純で直接的な規定である普遍性と特殊性の面から規定するのであって、それ以上の関係は展開されていない。(大論理学第2巻467-8頁)

 07、語源を根拠にして定義を演繹することがある。あるいは特に好く行われるのは、多くの特殊な場合から定義を引き出すやり方である。このやり方では、人々の感情や表象が根底に置かれている。そして、その定義が現存する表象と一致すれば「正しい定義」だとされる。

 この方法では科学的に本質的な事が度外視されている。即ち、内容的には事柄(本書では「法」)の絶対的な必然性〔生成の必然性〕が、形式的には概念の本性が度外視されている。
 哲学的認識では所与の概念の必然性こそが主要な事柄なのである。そして、その概念の歩み、即ちそれがある過程の結果として生成した歩みがその概念の証明であり、定義なのである。

 その内容がそれ自体として必然的だから、それは表象や言葉の中に出てくるのであり、これは派生的な事〔であって、第1の事ではないの〕である。(法の哲学第2節への付録)

 08、定義の意味はただその定義を展開することの中にしかない。その定義の必然的証明はその定義がその展開の中からその展開の結果として生ずる事にほかならない。(グ全集第8巻11頁)

 09、定義の形式が用いられる時は、或る基体が表象に浮んでいるということが含まれている。(小論理学第85節)

 10、哲学で扱う定義とは、その正しさが表象的意識に直接明らかな定義ではなく、その内容が自由な思考の中で、従って自己自身の中で根拠づけられた内容であるような定義である。(小論理学第99節への付録)

 11、或る対象、或る法則の定義は、そのものの自己内での本質性に属している全てのものを含んでいる。(歴史における理性125頁)

 12、どのような定義でも科学的には価値の小さいものである。……しかし、このような定義も日常の用途のためには非常に役立つし、無くてはならない事も少なくない。定義というものに不可避的な欠陥を忘れさえしなければ、それが害に成る事はない。(マルエン全集第20巻77頁)

 13、定義は科学にとっては無価値である。なぜなら、それはいつも不十分なものだからである。唯一の本当の定義とは事柄自身を展開することであるが、これはもはや定義ではない〔学問それ自身である〕。……これに反して日常の用に最も普遍的で最も特徴的な性格をいわゆる定義という形で手短に明示することは有益であり、必要でさえある。定義に過大な事を要求しさえしなければ、害にはならない。(マルエン全集第20巻578頁)

 14、ところでヒルベルトの場合には、これと異なって、点、直線、平面という基本的対象は前以って何であるという解説は与えられず、公理は、誰にも承認されなければならぬ真理というような意味を失って、幾何学を「矛盾なく」打ち立てるための前提となる単なる仮定となってしまっている。そして点、直線、平面というものは、これらの公理の示す関係を満足するものとして、間接的に定義されている。

 この間接的定義の方法は、『原論』第5巻において、比の相等しいことを定義するために用いられているものではあるが、ヒルベルトにおいては、これがはっきりと自覚されて論証的方法の特徴となるまでに徹底して採られている。(中村幸四郎『ユークリッド』玉川選書109~10頁)

 15、「間接的定義」(implizite Definition)という用語もヒルベルト自身は使っておりません。間接的定義を1つの原理として明せきな表現を与えたのは、イタリアのPadoaという人であったことを、フロイデンタールは注意しております。Padoaはペアノ学派に属する人であります。(中村幸四郎『ユークリッド」玉川選書、192頁)

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