○○419『自然と人間の歴史・日本篇』ロッキード事件(1)

2017-08-10 07:57:03 | Weblog

419『自然と人間の歴史・日本篇』ロッキード事件(1)

 「ロッキード事件」とは、アメリカと、日本を含む多国間との間に起きた一連の事件のことをいう。1976年(昭和51年)2月にアメリカ議会上院多国籍企業小委員会(委員長がフランク・チャーチであることから、「チャーチ委員会」と呼ばれる)の公聴会で、アメリカの軍需産業であるロッキード社が世界十数か国に秘密代理人を置き、賄賂を使って航空機の売り込み工作を行っていた事実が発覚した。日本だけがターゲットにされたのではなく欧州、南米、中東、アジアの国々なども関係していた。この事件はまた、軍産複合体としてのアメリカが、日本政府を意図的に政治疑惑に巻き込むことを意図して展開されたものでもない。なお、この2年後の1978年(昭和53年)2月、今度はアメリカの証券取引委員会がやはり軍需産業のグラマン社を告発する事件が起こっている。これには、ダグラス社も絡んでいた。これを「ダグラス・グラマン事件」と呼ぶ。こちらの日本との関係とは、早期警戒機E2Cの日本売り込みに、日商岩井を経由して岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、松野頼三に秘密資金を提供していたのではないか、という疑惑である。
 ロッキード社による買収工作を巡っての日本での疑惑の向きは、国内航空大手の全日空(ANA)の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、同社の代理人が当時の日本政財界に金銭をもって働きかけていた。日本でこの事件をややこしくしたのは、自由民主党衆議院議員で(当時)前内閣総理大臣の田中角栄が、疑惑の中心人物に浮上したことであった。
 具体的には、同公聴会で、ロッキード社会計検査担当会計士フィンドレーは、同社の工作資金の不正支払いの事実をかなり深く証言したと考えられる。当会にて「ピーナッツ100個受領」の領収書が公表されたのだ。続いて、コーチャン同社副社長は具体的な資金の流れに関する証言を行い、日本にも工作のための資金が渡ったことが明かされるに至る。
 なぜアメリカでそんなことになったのかというと、当時のアメリカでは軍産複合体絡みの政治汚職に国民の批判が集まっていた。ロッキード社はニクソン政権と強く結び付き、政府を窓口とした売り込みと多額の工作資金の使用によって販路拡大を行っていた。ところが、ウォーターゲート事件でニクソン批判が高まるなかで、こうしたロッキード社のなりふり構わぬ商法が政府援助に基づく資金の不正使用ではないかとの疑惑が生じ、かかる委員会で調査が行われた。すると、日本への売り込みでの工作が明らかになっていった。
 具体的には、全日本空輸に対する大型旅客機(エアバス)Lー1011トライスターの売り込みと、防衛庁(現在の防衛省)次期主力戦闘機Fー15と対潜哨戒(しょうかい)機P3Cの採用についての日本への働きかけであった。同社は、これら3機種の売り込みのために、日本における同社秘密代理人児玉誉士夫(こだまよしお)と同社代理店丸紅および全日空を通じて総額30億円を超えるといわれる工作資金を用意し、これを贈賄に使い、多数の自民党国会議員と政府高官の買収を行った、というのであった。
 ところで、この事件の発覚に先立ち、田中はその派手な政治的立ち居振る舞いの裏側で、金券まみれのことをしていた事実が明らかになりかけていた。月刊誌「文藝春秋」1974年11月号に掲載された、立花隆氏による「田中角栄研究~その金脈と人脈」と、児玉隆也氏による「淋しき越山会の女王―もう一つの田中角栄論」でその金権体質を指摘されていた。1974年11月26日、彼は自民党総裁辞任表明に追い込まれた。同年12月9日、田中は首相辞職を余儀なくされるに至る。
 鳴り物入りだと見られていたロッキード事件は、概ね次の経緯を辿る。1976年7月27日、田中は受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕された。時の総理大臣としての彼が、1972年8月末にハワイで行われた田中・ニクソン会談に関連して、総理大臣の職務権限に基づき前記3機種の導入を約束し、その報酬として5億円を収賄したというのであった。政治家では、田中前首相の他にも、佐藤孝行運輸政務次官(逮捕当時)や橋本登美三郎元運輸大臣が逮捕された。民間人では、全日空の若狭得治社長やロッキードの販売代理店の商社・丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ、CIA(米国の中央情報局にして、アメリカ大統領に近い諜報機関、全世界を股に掛け政治工作も手掛けることで知られる)と深い関係にあった児玉誉士夫や、児玉の友人で「政商」(内外の政府と結びついて利益を得る個人もしくは団体)と呼ばれた小佐野賢治(おさのけんじ)が逮捕された。我が国犯罪史上稀に見る、関係者の中から多数の不審死者を出したことも、この事件の特徴の一つである。
 政治家田中の罪状は、受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いでの逮捕であった。裁判等の大まかな経緯については、次のとおり。
 1976年(昭和51年)2月4日、日米国上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会でロッキード社が航空機売り込みのための対日工作を証言した。
 2月6日、ロッキード社コーチャン副会長が「丸紅・伊藤宏専務に支払った金が政府高官に渡った」旨を証言していることが判明。
 2月16日、衆議院予算委員会で証人喚問が始まる
 2月18日、ロッキード事件の取り扱いを巡り、検察首脳会議がもたれる。
 2月24日、検察庁、東京国税局、警視庁の三庁合同で丸紅本社や児玉邸など、27か所に一斉捜索が入る。事態を重視した三木武夫首相は、アメリカのフォード大統領に資料の提供を求める親書を送る。
 3月1日、衆議院予算委員会で第二次証人喚問が行われる。
 3月4日、病床にあった児玉誉士夫の臨床取り調べが開始される。
 3月13日、児玉を約8億5374万円分の所得税脱税で起訴するに至る。
 3月24日、米国からの資料提供に関する日米司法取り決めが調印される。米国は、自国内のウォーターゲット事件で前大統領のニクソンが辞任に追い込まれたことを、思い出していたであろうか。
 4月2日、田中角栄前首相が、自分の派閥・田中派の「七日会」臨時総会にて「所感」表明を行った。彼はまだ、党内で公然たる力を発揮していた。
 4月10日、米国からの公聴会等の資料が検察庁に到着した。
 5月10日、検察が児玉誉士夫を外為法違反で追起訴する。
 5月13日、自民党の椎名悦三郎副総裁、田中前首相、大平正芳蔵相、福田赳夫副総裁が、事件捜査に熱心な「三木(首相)おろし」を画策していたことが判明するに至る。
 6月22日、東京地検特捜部は、偽証罪で丸紅・大久保利春前専務を逮捕する。同地検と警視庁が、全日空・澤雄次専務ら3人を外為法違反で逮捕する。
 7月2日、同特捜部が、丸紅・伊藤宏前専務を偽証罪で逮捕する。続いて7月7日、全日空・藤原亨一取締役を外為法違反で逮捕する。続く7月8日、全日空・若狭得治社長を外為法違反と偽証罪で逮捕する。続く7月9日、全日空・渡辺尚次副社長を偽証罪で逮捕
する。続く7月13日、同特捜部は、丸紅・檜山廣前会長を外為法違反で逮捕する。さらに7月27日、同特捜部は、田中前首相、榎本敏夫元首相秘書を外為法違反で逮捕する。相次ぐ関係者の逮捕に直面して、田中前首相は自民党を離党するに至る。
 8月2日、田中前首相の私設秘書兼運転手・笠原政則の自殺体が発見される。

(続く)

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