尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

わが夢、あるいは退職5年目の感想

2016年04月07日 23時00分09秒 | 自分の話&日記
 先週の4月1日。東京新聞の教員異動特集をつい熟読してしまい、本来その日に書こうと思っていた記事を書けなかった。ブログを始めた頃は、一日に二つの記事を書くことだって、そんなに苦ではなかった。今はもうそれは結構辛い。5年と言っても、やっぱり年を重ねているのである。

 教員の異動は昨年から都教委のHPにも掲載されている。だから新聞で読まなくてもいいはずだが、やっぱり新聞で読みたいのである。最近は異常なまでに複雑な職階に分かれていて、読むのが大変で、やはりこういうのを見ていると「このような世界では生きていけない」と思わされる。それくらい異常だと思うんだけど、最近しか知らない若い教員は「そういうもんだ」と思っているのかもしれない。

 特に今年なんか、見ても知り合いの数が少ない。知人が一斉に同じ年に異動するわけもないが、それ以上にもう知人が少ない。思えば、僕より年上の教員は(原則的に)誰も現職ではないわけである。自分が教員になった頃は、当然ほとんどの人は僕より年上だった。校長になった人は退職が報じられるが、他の人は辞めても出ない。だから個人的に知ってる少数の人を除いて、名前を覚えている程度の人なんか、全然判らない。辞めて今は何をしてるんだろうと思う時もあるが、もういいか。

 昔、一時千葉県に住んでいた時には、全国紙がこぞって異動特集の別冊を作っていた。しかし、東京では「東京新聞」しか出していない。だから、ある時まで4月1日だけ、東京新聞を扱う販売所に異動特集を取りに行ったものである。(今は東京新聞を購読している。)なんで教員だけこんなものが出るのか。個人情報だから嫌だという人もいるようだが、やはり親にとって教員の情報は一種の「公共」であり、「公務員」である証なんだと思うしかないんだろう。
 
 さて、5年経って何が違うと言って、やはりその分、年を取ったということである。人に会いたいという気もほとんどなくなってきた。辞めたら会いたい人が昔はいっぱいいたのだが。自分の中の「ヘンクツ」性が増しているのではないかと思う。もちろん今までもずっとあったんだけど、仕事をしている間は押さえられていた。仕事は役割だから「演技」していればいいが、それが「習い性」になった部分とそうでもなかった部分がある。僕の場合、仕事の反作用として、今はあまり会いたくないのかもしれない。

 今日の題名として「わが夢」と書いた。それは「日本百名山を完登したい」とか「マチュピチュ遺跡やタージ・マハルに行ってみたい」とかいう類の「やりたいこと」という意味ではない。本来の「夜見る夢」のことである。もちろん覚えていないことも多い。だが、昔から同じような夢をよく見る。それは大体「学校」で、どこまで行っても行きつかないような、建て増しに建て増しを重ねた温泉旅館かなんかのようなラビリンスになっている。自分が生徒の時もあるし、自分が教員の時もあるが、大体生徒は両方が入り混じっている。夢というのは、大体が訳が分からないものだろうが、「学校」はいつでも謎である。

 時にはもっと直接に教師の夢も見る。いいことはない。いつも窮地に立たされている。例えば、掃除の時間に掃除を指示するのだが、生徒は誰も見向きもしない。もちろんどこか具体的な学校ではなく、生徒の顔もさまざまなんだけど、自分の声はどこかに遠く消えて行ってしまう。実際にはそんなことを経験したことは一度もないのに、そういう場面が出てくるのである。実際にさまざまの「大変な場面」は経験したけれど、僕の経験ではそういう時こそ「助けてくれる生徒」も必ずいるのである。でも夢の中では、誰も助けてくれない。「世界」に一人で立ち向かっている。

 このような感覚は教員時代にはほとんどなかったと思う。学校はそもそも「個人技」ではなく「集団競技」だから、自分がホームランをねらう時もないではないが、まあバントでいいやと思って仕事をする時が多い。基本、「授業」という持ち場を「保守」することは、自分以外に誰もできないけど、そこに苦労はほとんどない。それ以外の胃が痛いような経験が、今も身体的に残り続けているのかもしれない。嫌だと言っても仕方ないし、どうせならいい思い出の場面だけ夢に見たいけれど、そういう風にはいかないんだろう。「学校」以外に「街」の夢なんかもよく見るけど、どこまでもどこまでも街が続いて行って、家に帰り着くはずの道筋が判らない。そういうのが夢なんだろうが、慣れているから怖いとか苦しいということはない。案外懐かしい感触が残るとも言えるのである。

 目も足もそんなに衰えた気はしないから、映画を見たり散歩する程度なら困ることはしばらくないと思う。現職で亡くなった人が何人もいたことを思えば、まあ元気だと思う。自分が取り組めなかったような、例えば読んでない長大な文学に取り組むようなこともしたいが、それでも「役割意識」は完全には捨てられない。「教員免許更新制反対日記」という旗は、5年経ったから降ろしてもいいような気もしているが、それでも安倍政権が改憲(という名の強権国家つくり)を目論んでいる間は、「反安倍教育行政」の象徴の意味はあるのかなとも思う。人はやむを得ない時間を生きるしかないんだから。
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