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共産法の体系(連載第9回)

2020-02-07 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(2)憲章の統一的構造
 共産主義社会における最高法規となる民衆会議憲章(以下、憲章という)が国家基本法としての憲法と大きく異なる点として、「国」ごとに基本法=憲法が個々独立に存在し、相互に「外国法」として法源から排除し合うのでなく、すべてが世界共同体における憲章―世界共同体憲章―を統一的な法源とすることがある。
 この世界共同体憲章(以下、世共憲章という)は、現行体制で言えば、国際連合憲章(国連憲章)に相当する、言わば「地球の憲法」である。
 ただ、国連憲章はあくまでも国連加盟国のみを拘束し、国家憲法に当然に優位するという性質のものでもなく、主権国家の連合体である国連の運営規則を定めた条約にとどまるという消極的な性質を帯びている。
 それに対し、世共憲章は文字通り、全地球的な最高規範であり、世共を構成する各領域圏に対して漏れなく適用される。各領域圏は世共憲章を法源として、それぞれ固有の民衆会議憲章を制定する。逆言すれば、各領域圏の憲章は世共憲章に違背することはできないという制約を受ける。
 このように、世共憲章及び領域圏憲章は、世共憲章を根本的な法源としながら、相互に関連し合う統一的な構造を持つ。ただし、世共憲章と領域圏憲章との関係は上下関係ではなく、世共憲章がその支分法としての領域圏憲章を包摂する包含関係に立つ。また、ある領域圏の憲章が直接に他の領域圏に適用されるものでもない。
 同様に、領域圏内の準領域圏(州に相当)及び地方自治体も、領域圏憲章を法源として固有の民衆会議憲章を制定することができる。
 このうち、準領域圏は現行連邦国家に近い連合型の領域圏を構成する統治体であり、広汎な自主権を有するため、固有の憲章を備えることは自然である。これに対し、統合型の領域圏における地方自治体も固有の憲章を持つのは、地方自治が深化する共産主義社会の特色である。
 このように、民衆会議憲章は、世共憲章を究極の法源としつつ、領域圏憲章及び準領域圏憲章・地方自治体憲章をも包含した統一的な法構造を持ち、その全体が有機的に関連し合いながら適用されていくため、国境線で適用対象を区切られた国内法と国境線を越えて適用される国際法という法の形式的な区分が単純には妥当しない。

*世界共同体憲章の私擬的な試案として、『世界共同体憲章試案』を参照されたい。

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共産法の体系(連載第8回)

2020-02-07 | 〆共産法の体系[新訂版]

第2章 民衆会議憲章

(1)国憲から民憲へ
 共産法においても、法は効力の優劣による階層構造を採るが、その内容はブルジョワ法とは異なる。近代的なブルジョワ法体系で頂点に立つのは憲法である。最高法規とも称されるゆえんである。
 ここで言う憲法とは、国家の基本法という趣意である。つまり、ブルジョワ憲法とは政治的な国家の存在を前提とするという意味では、国家憲法(国憲)である。
 まさにこの点に、しばしばブルジョワ憲法が国民から遊離し、国家支配層の統治及び体制維持の法的道具と化す危険が内在している。技巧的な「法解釈」を通して憲法条項を実質的に書き換える「解釈改憲」はそうした危険が最大限に発現したものであるが、そもそも憲法自体を制定時から支配層に都合よく制定することも十分可能である。
 そうした支配層の策動に対して、「国家権力を統制・抑制することを目的とする近代憲法の本旨に反する」という正当な批判がしばしば向けられるが、この「正論」が通用しづらいことも、ある意味では国憲の本質なのである。
 国憲は国家の基本法であるから、起草の中心となるのも国家支配層の代表者であり、一般国民が起草に関わることはない。国民主権に立脚した近代ブルジョワ憲法において、国民が「究極的な」憲法制定権者であると言われるのも、まさに「直接的」な制憲者は別にいて、一般国民は名義上の「主権者」として象徴的に祭り上げられていることを示唆している。
 そのため、近代ブルジョワ憲法は国家権力の統制・抑制に目的があると宣言してみたところで、国家支配層が自らの武器であるところの国家権力の統制・抑制を真剣に考慮するはずもないのである。かれらにとって、憲法は権力行使における伝家の宝刀である。
 以上に対して、共産法における最高法規はもはや国家憲法ではない。真の共産主義には国家という観念も制度も存在しないからである。
 共産主義社会における最高法規は、民衆が自らの社会を運営するに当たっての基本原則を定めた基本法=民衆憲法(民憲)であり、それは同時に、民衆代表機関としての民衆会議の運営規則=民衆会議憲章という形態を持つものである。

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