切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

妙真寺~三縁寺・・・羽束師地区     京都市伏見区    2023.6.19 訪問

2023-06-23 22:01:18 | 撮影
 羽束師。この地域は京都市南部の桂川沿いから乙訓地域の間に位置する。この地名が登場するのは奈良時代までさかのぼる。平城京から長岡京へ遷都された後、その長岡京の南部に入っていた。しかしわずか10年で平安京へ遷都されることになる。新たに平安京の時代になってもこの地域は、農業に適した土地柄であり、平安京において農産物供給になくてはならない土地として開墾が進められ、またこの当時からの長岡京や平安京における土地区画が進められており、今現在もそれが農道や細い住宅街路として残されている。近年はJR や新幹線、国道171号線、あるいは外環状道路などに挟まれており、住宅街の広がりが進んでいて様々なスーパーやドラッグストアなど発展が著しい。そんな中にいくつかのお寺があり、歴史の古い神社も存在している。数あるお寺の中で今回は2箇所を紹介。


妙真寺

 

 戦国時代の終わり近くになって創建された。当初は浄土宗のお寺であり妙法寺という名前であったが、後年日蓮宗に変わり名前も妙真寺となる。同時に近くにあったお寺を吸収している。日蓮宗のお寺ということで本尊は曼荼羅ということになる。境内には源通親の妻の墓がある。源通親は当然、源氏一族の人物であり、平安終わり頃から鎌倉時代にかけて、要職についていた大臣だ。彼は当時久我通親とも呼ばれており、奈良時代からこの一帯を治めていた久我氏の名前がつけられて呼ばれていたようだ。
 周辺に田畑から広がっているだけに、お寺の敷地は思いのほか広く、境内もそこそこある。ただ全体的に緑が少なくそういった意味では、全体にすっきりした雰囲気だ。本堂等の建物はごく普通と言った感じがする。

       


三縁寺

  

 桂川の堤防道路沿いにある。浄土宗のお寺で創建は明治43年、1910年だ。もともとは羽束師地域の桂川防波堤が破損した時に、新たにお寺を再建するために3箇所あったお寺を1箇所に集約して三縁寺としたものだ。従って山門を始め境内、あるいは石柱、本堂の建物などなど全てが新しい。そういった意味では歴史的な古さというものはほとんど感じられないと言える。かつてこの地域は桂川の氾濫などによって水害がよく発生したところでもあり、 川のすぐ近くのお寺などは様々な被害を受けていたようだ。お寺全体としては非常に落ち着いた雰囲気だ。


    
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