切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2022年 京都の梅 伏見稲荷大社 京都市伏見区

2022-03-23 23:12:40 | 撮影
 

『伏見稲荷大社
 当社は宇迦之御魂大神を主祭神に佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神を奉祀し、この 五柱を総称して稲荷大神と称えられている。
 稲荷大神は商売繁昌、五毅豐穰の神様として 広く信仰され、全国各地に祀られる稲荷神社の 総本宮である。御鎮座は和銅四年(七一一)二月の初午の日と伝えられ、每年二月初午の日には 初午大祭が斎行される。四月下旬から五月三日に稲荷祭、十一月八日には火焚祭が斎行される。
 御本殿は応仁・文明の大乱で焼失したが、明応八年(一四九九) に再興し重要文化財に指定 れている。また権殿をはじめ多くの社殿等も平成二十六年(二〇一四)に重要文化財に指定された。淳和天皇の天長四年(八二七)に従五位下の神階に授かり爾来年とともに昇敘し、天慶五年(九四二)正一位の極位に昇る。また承和十二年(八四五)に名神に列し、延喜式神名帳の中に山城国紀伊郡「稲荷神社三座 並名神大。月次・新嘗」とみえる。明治四年(一八七一)五には官幣大社に列格、昭和二十一年(一九四六)十一月に伏見稲荷大社と改称され、今日に至る。
 京都市』  (駒札より)

   

 京都の梅については数年に渡って撮影し続けてきた。主だったところは既にブログにもアップし終えている。今年はなるべく穴場と言われるようなところを求めて、色々と資料を見てみたが、それもほとんど撮り終えていた。行き着く所まで行くと、あるお寺に一本だけの梅の木、ある神社では一本から二本の梅の木、という具合になっていく。もう一点は今まであまり足を伸ばしていない遠くまで行くこととなる。片道1時間も一時間半もかけて行くとなると、結構負担だ。というわけで今年も大半は既に撮り終えたところが中心だ。
 そんな中、伏見区の「伏見稲荷大社」に梅の木があるという情報をつかんで、撮影しに行くことにした。これは初めて。しかしこちらへは何度も訪れているが、梅の木というのは見た記憶がない。ひょっとして山の頂上にあるんだろうか、などと思いながら向かう事とした。
 伏見稲荷大社の詳細については、2021年2月18日付の当ブログにおいて紹介している。ここでは梅の木の事についてだけ記すことにする。

 休日はどうしても人が多いので、平日を狙って訪れた。ここの駐車場は無料で開放されている。ほぼ満車に近い状態。そして JR の駅からの参道はかなりの人出。やはりさすがと言うべきところだ。早速第二鳥居から撮影を始める。真っ赤に塗られた鮮やかな朱色は何十年かに一回塗り直されて、現在に至っている。鳥居を含め楼門などはほとんどが国の重要文化財に指定されている。本殿、末社などなどその場所ごとに短文の駒札が立っていて、これも重要文化財なのかと思ってしまう。
 広い境内にはファミリーをはじめ、若者のカップルがレンタル着物を着用して仲良く歩いている姿が目立つ。また大学生のグループ、そしてこの時期に修学旅行に訪れている中学校もいくつかあった。もちろん観光バスでお年寄りのツアーの団体もやってくる。コロナ禍の中で、やはりなんといっても伏見稲荷大社だ。

 撮影禁止の本殿に参拝して周囲を見回して梅の木を探すが、目に入るのは人間ばかり。千本鳥居に向かう。ここも人間だらけ。鳥居の中を歩いて少しずつ上っていく。1/3くらい上ったところの曲がり角で、頂上まであと40分と記されていた。頂上に行ったらあるんだろうか。自分の足ではさすがに老化もあって40分ではきついなと思う。仕方ないのでここで諦めて別ルートを下り始める。しばらくゆるい坂を下っていくと、ほどなく庭園が見えてきた。少し遠いがようやく小さな白梅が見える。
 ようやく小さな一本の梅の木を見つけた。でもあまりにも小さすぎる。池に沿って少し歩くと無料休憩所の脇に、なかなか見事な紅梅が目に入った。なるほどこれが伏見稲荷大社の梅の木かと納得。この一本の貴重な梅の木をいろんな角度から撮影。そのあとまだあるだろうかと思いながら元の場所に戻ってきたが、なかった。
 まぁだだっ広い境内の中に、わずかこれだけの梅というのもある意味、渋いもんだと思わされた。というわけで無事伏見稲荷の梅の撮影が終了。でも訪れている大勢の人々はこの梅の木にはほとんど気づかず、眩いばかりの楼門や拝殿、本殿などにすっかり気持ちを奪われている。改めて伏見稲荷大社の凄さというものを感じさせられた。

     
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《 ロシアによるウクライナへの侵略という暴挙 》 ⑫  2022.3.22

2022-03-22 23:39:42 | 社会
◆ 戦況は一進一退か・・・プーチン大統領はどこまで悪行を重ねる気なのか



 前回のブログ投稿からほぼ一週間経った。ウクライナ国民はゼレンスキー大統領を中心にモチベーションを下げることなく、この戦いによく耐えまた戦っていると思う。戦況の様子は毎日毎日様々なメディアを通して、世界中から日本にも入ってくる。テレビのニュース情報番組等では、ウクライナ情勢に関するひとつのコーナーが設けられるような形で戦況が伝えられ、様々な方向から撮影された映像が極めて生々しい。がしかしやはりインターネットの様々なサイト、特にニュース関係のサイトなどからの情報は極めて早く届く。外国語のままで届くケースもあれば、日本語のテロップが流れるケースもあり、改めてネットの即時性というものが感じられる。

 そんな中ひとつのニュースが心を打った。第二次世界対戦においてヒトラーはユダヤ人を絶滅させるために、各地で拘束し貨物列車でポーランドやドイツに輸送し、あちこちに建設された強制収容所に送り込んだ。そしてシャワーを浴びさせると言う名目で、一度に何百人を大きなシャワー室に入れそこで致死性の毒ガスを浴びせさせ、皆殺しにしていった。いわゆるホロコーストだ。こうして正確な人数は分からないとは言うものの、およそ600万人が虐殺されたと言う。しかし中には1945年、ドイツの降伏によってかろうじて強制収容所から助け出された人々もいたのだ。その人たちももはや80代90代の高齢者となっている。そして自分の祖国に帰って平和な暮らしをしていたが、この程その厳しいホロコーストを生き延びた96歳の男性が、ロシアのミサイル攻撃によって家が破壊され死亡した。彼は戦後ずっとホロコーストの語り部として、各地で戦争の残虐さやホロコーストの実態を若者達に伝える活動をしていたと言う。せっかく生き延びた命が、今回のロシアの攻撃によって無残な死に方をすること自体、侵略戦争の理不尽さというものが際立つ。改めて本当に許せないことだと思うものだ。

 ゼレンスキー大統領は明日23日、日本の国会で演説をすると言う。先日はアメリカの国会において行なっている。同じようにリモートで行われる予定だ。その場で以前から大統領が依頼しているように、日本からの支援をお願いするだろうと言われている。同時にアメリカにも日本にも、ウクライナの上空を飛ばないように設定することに協力を要請するものと思われる。このことはとりもなおさず上空を侵犯したならば、即撃墜することができるということを意味する。ウクライナ軍は装備がかなり貧弱ではあるものの、西側諸国からの武器の供与を受けて、ロシアの戦闘爆撃機の攻撃に対し対空ミサイルや対空機関砲、あるいは旧ソ連製の戦闘機で応戦をしている。
 更にここにウクライナ上空の防衛圏を設定すれば、かなり強力な援助となる。だが同時にそれは設定を公式に認めたアメリカや日本が、ロシアに対し宣戦布告と同様の扱いを受けることを意味するだろうと言われている。そういった意味では日本はおそらく、アメリカと同様にその要求に対しては拒否するのではないかと考えられる。



 日本による支援は既に自衛隊装備品の防弾チョッキ、日常生活用品などが送られている。もちろん他にも支援できるものは多々あるのではないかと思う。現在戦況が膠着状態にあって、相次ぐ無差別爆撃によって大都市だけではなく、中規模小規模な都市までもが爆撃の対象となっており、そういった街では防衛網も弱く、実質上壊滅状態になっているところもある。地下室に避難している民間人たちにとっては、食べ物と水が不足しつつあり飢餓状態に落ちる寸前のところまで来ているとのことだ。そういった意味では、生きることに繋がるような支援が求められる。しかしこれは隣国ポーランドからトラックなどで現地まで輸送しなければならない。実際に遥か彼方まで無事に届けられるかどうか、ということが危ぶまれている。
 現在ロシアは完全に民間人も軍人も関係なく、無差別攻撃を行っており、民間人の犠牲者がどんどん増えている実態にある。子供や女性が爆撃などで殺されても、プーチンは何とも思わない。彼の心中に同情の気持ちや申し訳なさというものは、ひとかけらもないだろう。謂わば血も涙もない冷徹な機械人形でしかないのだ。
 
◆ プーチン大統領のロシアは完全に「戦争犯罪」を犯している



 ウクライナの内務省が発表したところでは、ドンバス地方で子供達が約2400名、ロシア国内に強制的に連れて行かれたとのことだ。第一戦争に子供を巻き込むこと自体が戦争犯罪そのものに該当する。もう少し広く言えば、一般民間人を戦争によって殺戮すること自体が戦争犯罪にあたるのだ。その意味では第1次世界対戦も第2次世界対戦も、戦争の終盤は敵を殲滅する勢いで行われたという意味では、戦争犯罪がまさしく蔓延していたことになる。
 第2次対戦後のベトナム戦争においてもアメリカ軍は、完全に戦争犯罪を犯していた。そのことに反省があったのかどうかは知らないが、今回のウクライナにおいてもロシア軍は、平然と民間人を殺し続けている。そして子供も親から引き離され、連れて行かれるという状況だ。このことに対して様々な憶測が流れているが、ロシア国内においてその子供達が人身売買の対象になるのではないかと言われている。その人身売買の具体的な内容についてまではわからないが、まことしやかに言われていることだけは間違いない。

 さらに西側諸国が最も警戒しているのが、以前このブログでも紹介した B C 兵器の使用だ。このところプーチン大統領は、ウクライナが国内において生物兵器や化学兵器を製造し準備していると訴えている。このように訴える事によって、逆にこれを口実にしてロシア側が、生物兵器・化学兵器を使用するのではないかと考えられている。
 すでに第1次世界対戦の中でこれらの兵器は使用が禁止されるべきものだとして、戦争犯罪に位置付けられている。しかしいくら戦争犯罪で使用が禁じられているとは言われていても、実態としてはガス兵器が使われたりしているのが事実のところであり、第2次世界対戦でもホロコーストひとつ見ても、まさしく戦争犯罪そのものだ。そして戦後も各地の紛争において毒ガス兵器が使われている。
 戦況を一気に変えるためにはロシアとしては、ミサイル及び爆撃機からの爆弾で各地を破壊すればと思われるところだが、広い国土に対して主要都市1箇所を壊滅させるのもかなりな爆弾の数が必要であり、またそのぶん高額な費用もかかる。ところがガス兵器は安くつく。そして効果は極めて大きい。砲弾や爆弾に毒ガスを液体化して詰め込み、それをあちこちに打ち込んで爆発と同時に液体が気化して毒ガスとなり、周囲にどんどん広がり多くの人が無差別に死んでいく。この方法は建物などにはほとんど被害を出さずに、人間だけを殺すやり方だ。ロシアとしてはなるべく安上がりに済ませるために、こういったものを使う可能性はほぼ確実だろう。
 ただ生物兵器についてはリスクが伴うので、なかなか難しいところだと言える。ペスト菌であれチフス菌であれ、あるいは新たに開発された細菌をばらまくというのは、自分にも被害を及ぼす可能性があり、今現在世界中で蔓延しているコロナウィルスと同様に、次々に変異して国境線関係なく広まってしまう可能性もあるのだ。そういった意味では生物兵器の使用については実際には考えにくいところだろう。



 次回は中国の対応と経済制裁によるロシアの今後について考えてみたい。


  (以下続く)  (画像はTVニュースより)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《地下鉄サリン事件27周年 語り継ぐ取り組み》  2022.3.21

2022-03-22 00:44:34 | 社会


★ 事件の被害者達と新たな世代に語り継ぐ活動

 昨日3月20日は1995年に発生した「地下鉄サリン事件」から27周年の日だった。ちょうどその年1月17日に阪神淡路大震災が発生し、関西一円は壊滅的な打撃を受け全国的に都市直下型巨大地震の恐怖を改めて思い知らされたものだ。それからわずか2ヶ月後に地下鉄サリン事件が発生。
 昨日の各テレビ局のニュースや新聞紙上などでも取り上げられていたというのも、事件の被害者たちが高齢になり被害者の会が取り組んできた慰霊式の取り組みなどが、今回で最後となるということも含め、一斉にニュースに取り上げられたようだ。同時に昨年11月3日には「坂本弁護士一家殺人事件」の慰霊の取り組みも、正式に昨年で最後となったと言う。おそらく後は各個人でお参りをしたりという具合になっていくんだろう。

 地下鉄サリン事件においては14名の死者。そして6000数百名に及ぶ重軽傷者が出た。中には後遺症に苦しんでいる人が今なお大勢おられる。そして意識不明のまま脳死状態に近い状態で寝たきりになっている人もおられる。そういった意味では日本の歴史史上稀に見ると言うか、全く初めてと言う無差別集団テロ事件となったのだ。
 無論言うまでもなく新興宗教を名乗る「オウム真理教」による集団殺戮事件であった。後に麻原彰晃をはじめとする幹部たちが次々に逮捕され、結果的に13名の確定死刑囚が死刑を執行され、今となっては主犯である麻原彰晃の考えていたこと、しようとしていたことが解明不十分なままに終わりを告げてしまった。



 もちろんオウム真理教が犯した事件はこれが初めてではなく、すでに長野県松本市においてやはりサリンという化学物質を発生させ、大勢の死者を出すという事件を起こしており、また個人に狙いを定めた殺人事件も何件か犯している。オウム真理教が言うところの「 ポア。」 これらも含めるとオウム真理教によって奪われた命はかなり多数に上り、なおかつ重軽傷者あるいは、その後の後遺症で未だ寝たきりの人は数が多い。未曾有のこんな事件に対して決してあってはならない異常な事件としてだけで捉えるのではなく、二度とこんなことがあってはならないとの思いに駆られて「被害者の会」が結成され、いわゆる事件を語り継ぐ取り組みが行われてきたと言う。
 やはり事件の性格上、そして被害者の規模があまりにも大きいことから、事件を風化させてはならないとの思いから語り継ぐ活動が続けられているものと思う。
 日本においてこのように「語り継ぐ取り組み」というのは、他にもいくつか存在している。国民のほとんどが知っているのが、広島及び長崎に落とされ何十万人という犠牲者を出した、アメリカによる原子爆弾の被害だ。日本が中国大陸侵略と言うことから始めた戦争が、結果的に原爆を見舞われるという形で敗戦に至った訳だが、その最後の部分で原子爆弾が初めて民間人の頭上に投下され、広島、長崎合わせて30数万人が一瞬に亡くなると言う甚大な被害を被った。
 あまりにもの惨状に、核兵器そのものを使ってはいけない、なくすべきだとの声が高まる中で、唯一の被爆国である日本においては、決して誰もが永遠に忘れてはならない重大な被災ということで、語り部の体験者達が長崎や広島に現れ、それが組織化されて語り継ぐ取り組みが行われてきた。しかしその語り部達も高齢となり語り継ぐ活動そのものが縮小されつつあった。そんな中で若者の中から、やはり世代が変わってもずっと語り継がなければならないということで、広島と長崎ではかなり積極的な形で平和学習を含め、語り継ぐ活動が続けられている。
 これとは別に自然災害における大被害についても、同じく語り継ぐ活動が行われている。特に1995年の阪神淡路大震災。そして2011年の東日本大震災については、未曾有の被害を出しており、これについても助かった人々により語り継ぐ活動が行われていると言う。もちろん自然災害に対して、どのように普段から対応すべきなのか、防災意識の向上を目指し、また具体的な対策なども含めてそこから得られた教訓を幅広く、また次の世代にも伝えていくという大事な取り組みだと言える。

 オウム真理教というのは、正式に宗教法人として申請され認められている。当初は麻原彰晃の特殊能力をを売り物に、大学生たちが次々に入信し洗脳され、大きな組織へと広がっていく。そして出家した学生たちは家族を捨てて縁を切り、自分自身の生涯をオウム真理教へと捧げるという事態に至って、残された親たちは「オウム真理教から子供達を取り返す会」といった組織がつくられ、具体的に力づくで自分の息子を娘を連れ出そうとしたものの、洗脳されたら学生たちはそれに応じることなく、膠着状態となった。冷静な親たちから見れば、麻原彰晃が厳しい修行の果てに空中浮遊ができるなどという、まったく馬鹿げた写真を見て最高学府で学んでいる学生たちが、簡単に麻原彰晃に心酔して信者となってしまうと言う奇妙な現象が起こったのだ。
 その結果オウム真理教は大きな組織となり、内部にまるで一つの国のような組織を作ってそれを維持拡大し、具体的に国政選挙にまで売って出るようになる。しかし様々な事件を犯す中でオウム真理教の名前が出てくることになるが、決定的な証拠がないということで、結局具体的な立ち入り調査ができずに、最後は地下鉄サリン事件を許してしまうことになった。これをきっかけにようやく警察は具体的に動いて、山科県にあるサティアンと呼ばれる施設に次々と捜査のメスが入り、幹部及び麻原彰晃も逮捕されるに至る。

 そしてこの事件を風化させてはならないということで、「事件を語り継ぐ会」が活動を続けているわけだ。
 だがニュースを見ていて、あるいは新聞を読んでいて、少し疑問が出てきた。確かに日本において見たことも聞いたこともないような、前例の無い特殊で極めて影響力の大きい事件であっただけに、語り継いでいくという事自体は大事だし、今後も続けていく必要があるとは思う。実際に語り継ぐ活動をされている方々は偉いと思うし、その労力には賛辞を送るものだ。ニュースなどではそのことは報道されていたものの、では「語り継ぐ内容」についてはどうなんだろうか。
 地下鉄でサリンを撒かれ大勢の人が死んだ、助かったが後遺症が残った、何ヶ月も入院した、今も影響は残っている、精神的な恐怖心がある、こういう事件を許してはならない・・・といった内容が語り継がれているのではないかと思う。実際にはその内容を聞いたことがないのでわからない。仮にこのようなものだとすれば、大切なことがすっぽりと抜け落ちてしまうということになる。
 私が感じていることが、実はきちんと語り継ぐ内容に入っているのならば非常に申し訳ないと思う。もしそれが入っていないのならば、是非語り継ぐ内容に入れて欲しいと願う。入れて欲しい内容は大きく簡略化して、ただ一点。その一点は少し内容について、事の是非を問われるような内容にもなろうかと思う。しかしこれを入れなければ語り継ぐ事件の内容の本質は、後世には教訓として伝わらないことになると思うのだ

★ 地下鉄サリン事件について語り継ぐ内容に入れておくべきこと



  端的に言ってしまえば、この未曾有の大事件は防ぐことができたはずだということだ。オウム真理教による具体的な犯罪の最初の大きなものは、1989年に起こった「坂本弁護士一家殺人事件」だ。
 坂本弁護士は故あってオウム真理教に取られた息子を取り返したいという親の願いを受け止めて、行動を始めた。その活動を通して様々な形でオウム真理教にアプローチしている。麻原彰晃はこの弁護士がオウム真理教の今後の活動に対して、大きな壁になることを恐れ、その行動をマークし始めた。一方このころマスコミもオウム真理教の出家信者に関する問題を少しずつ取り上げ始めている。そんな中から具体的な活動を始めていた坂本弁護士に TBS テレビが、単独インタビューを実施した。無論オウム真理教の問題についての内容だ。
 この情報を得たオウム真理教は TBS テレビに押しかけて、放送前のインタビュー内容のビデオを見せるように要求。ところがなんと驚くことに、 TBS テレビはオウム真理教関係者にそのビデオを見せてしまったのだ。当然オウム真理教側は強く抗議し、嘘の情報だということで放映中止を求め、 TBS は実際に放送中止してしまった。
 この TBS の対応が決定的な、そして重大なミスだったのだ。このビデオによって麻原彰晃は坂本弁護士をポアする(殺害)ことを決意し、部下に命令したということになる。そして結果的に坂本弁護士宅に乗り込み、弁護士、その妻、そして小さな子供、計3人を殺害した。坂本弁護士が所属する事務所に出勤しないことを不審に思った事務所側が、警察へ届ける。
 神奈川県警の管轄だ。家宅捜査をするものの3人の姿はなく、部屋の中には派手に争ったような感じはなかったが、オウム真理教のバッジが落ちていたことがわかった。しかし操作の結果は、結局何も分からずということで済まされた。マスコミ側が記者会見で追求するときにバッジの問題は、オウム真理教が信者の親に渡ったものが坂本弁護士の所にあったんだろうと答えた。つまりオウム真理教の言い分を鵜呑みにして、そのまま発表したのだ。3人が行方不明になったことについては、これもまた驚くべきことに警察は、「おそらく法律事務所のお金を使い込んだか何かで雲隠れしたんだろう、あるいは借金を返せなくて夜逃げしたんだろう・・・」等と全く何の根拠もない作り話をしてみせたのだ。

 坂本弁護士及び彼が所属していた法律事務所は共に、「自由法曹団」と言う法律団体に所属していた。特に弱い人の立場に立ち、民事裁判や行政裁判などでも大きな役割を果たしていた。警察や公安はこの自由法曹団という組織が、日本共産党との関係が深いということですべてをリストアップしており、日常的にマークしていたと言われている。つまり同じ司法界の中でも自由法曹団というのは、時の政権や権力に対しては危険な存在として、警察においては神奈川県警のみならず、全国の警察が共通認識を持っていたと言われている。つまり警察から見ても、自由法曹団の弁護士たちはいわば「敵」ということになるのだ。

 当寺、神奈川県警の本部庁舎の中では、どうせどこかに逃げて隠れてるんだろうと鼻で笑っていたと言う。県警の上層部や刑事たちも同様に、深刻な問題としては誰一人考えず、捜査は形式的にやっているような状態だったと言われている。こうした神奈川県警の予断と偏見が杜撰な捜査に終始し、真剣に取り組もうとはしなかったということなのだ。
 結果的にはこの時に真剣に操作していれば、オウム真理教の犯罪だということでサティアンの家宅捜索が行われ、逮捕されていた可能性も高かったのだ。
 このようにしてまず第1に、 TBS テレビと言うマスメディアのいい加減さ。第2に、神奈川県警本部の杜撰な捜査、いい加減な作り話の操作。これが結局オウム真理教をのさばらせ、組織を巨大化させ、内部でサリンと言う致死率の高い化学物質をを作らせ使わせ、「地下鉄サリン事件」へいたることとなる。

 この前に起こっている松本サリン事件においても、長野県警は重大なミスを犯し、全く無関係の人物を犯人として逮捕し、自白させようとしたが、結局は何も分からずに終わってしまった。これも含めれば少なくとも地下鉄サリン事件を防ぐチャンスは、3回もあったのだ。結局はマスメディアとか警察とか、周りがこぞっていい加減であり杜撰であり、いわばある意味、事件そのものが「人災」のような形で許されてしまったということなのだ。

 このことがどのように教訓化されているのかは、はっきり言ってよくわからない。少なくとも TBS テレビは責任をとって関係番組を終了させ、全国放送で謝罪をした。ただしその時の麻原彰晃をインタビューした人物は、今は国会議員になっている。今現在の TBS を時折見るが、あの時の教訓が生かされたような内容を放送できているだろうか。朝から見るに値しないどうでもいいような番組を放送しているのを見ると、腸が煮えくり返ってくる。
 神奈川県警に至っては、このように総括しました、なんてものは何も聞いたことがない。ただ時間が過ぎれば皆の関心は薄れ忘れていくだろう、といった調子だろう。その後も神奈川県警内では様々な警察官による不祥事が報道されている。とてもじゃないが教訓化なんてものは単なる言葉だけの問題なんだろう。そういえば神奈川県警の本部長による謝罪というのは記憶にない。

 地下鉄サリン事件後逮捕された幹部たちの証言により、初めて坂本弁護士一家3人が殺されたということが判明し、埋められた場所が特定され遺体が掘り出された。二人の遺体は骨だけになっており、一人の遺体は蝋化して無残な状況だったと言う。掘り出された現場に報道陣が入り込んで、警察官たちが脱帽しお辞儀をしていた姿が映し出されたが、はっきり言って何を今更、といった思いだ。当時のこの場面は今現在も、ニュースで報道されたものをよく覚えている。



 このように何度もオウム真理教を追い詰める機会があったのに、それを逃してしまっただけではなく、むしろ結果的にオウム真理教を助けてしまっているという、この無様なメディアと警察の失態を教訓化しない限り、語り継ぐ内容の教訓化ができないということになる。改めてそのことが盛り込まれているならばいいと思うし、もしそこまで入っていないのならば、是非とも入れて欲しいものだと切に願うものだ。


  (画像はTVニュースより)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年 京都の梅 金戒光明寺 京都市左京区

2022-03-19 22:35:02 | 撮影
  

 全国に数多くある浄土宗の寺院の総本山の一つだ。もともとは鎌倉仏教のひとつであった浄土宗を創基した法然上人により、この地に建てられた。平安時代終わりから鎌倉時代初期にかけてのことだ。通称「くろ谷さん」と呼ばれる。当初はお寺というよりは法然による念仏を唱える道場の場として使用されたようだが、法然自身がお寺としての創建を決意し開いたのがこの金戒光明寺となる。
 現在では広大な敷地に巨大な山門をはじめとする、阿弥陀堂や方丈など多くの伽藍が建ち並び、また東側の丘陵地には重要文化財の三重塔がある。その周辺は墓地になっておりその一角に SMS で一躍有名になった、アフロヘアーの石仏が鎮座している。あまりにも訪ねてくる人が多いらしくて、今では案内図が貼られている。
 桜及び紅葉の名所としても知られ、シーズンには大勢の人で賑わう。また撮影も十二分以上に楽しめる場となっており、小高い丘陵地にあるので京都の市街地がほぼ一望できるようなところとなる。すぐ北側には吉田神社があり、京都大学のキャンパスが広がる。

       

 梅については名所でもなんでもないが、ごくわずか2カ所に紅梅と白梅が綺麗な花を咲かせる。広い中にほんのわずかだが、それはそれでいい味わいを見せていると思う。少し残念なのは境内が檀家さんやお寺関係者の車で結構目立つことだ。本来は山門の下に広い有料駐車場があるのだが、観光に車で訪れた人も勝手に境内に停めているケースが多いように思える。


     
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年 京都の梅 三室戸寺 京都府宇治市

2022-03-17 23:32:40 | 撮影




『三室戸寺
当寺は8世紀の創建と伝えられている古刹で、西国三十三所観音霊場第十番の札所として知ら れていますが、本堂には、本尊の金銅二臀千手観音立像、釈迦如来立像、毘沙門天立像が安置されています。
枯山水、池泉回遊式の室町時代の作庭手法を模した庭園には、多数のつつじ、 石楠花、 紫陽花等が植えられ、 はなやかな彩りを添えるとともに、訪れる人にさわやかな季節感を与え てくれます。
また、境内には、源氏物語宇治十帖の悲劇のヒ ロインである浮舟の石碑や松尾芭蕉の句碑があ ります。
古代史から近代にいたる近畿地方の貴重な歴史観光資源を紹介していくため、 歴史街道計画では図のようなルートを設定しました。
このルートの中で宇治市は、かな文字に代表される国風文化の成立、貴族社会から武家社会への移行、また、そのころ生まれた雅、 禅の文化などを表わす平安〜室町時代ゾーンにあたります。 平安時代に建立された平等院鳳凰堂や、この地を舞台に描かれた源氏物語 「宇治十帖」 が、当時の王朝文化の華麗さをしのばせる都市です。』
  (説明書きより)

   

『三室戸寺略縁起
当山は西国観音霊場一〇番の札所で、本山修験宗の別格本山です。約一二〇〇年前(宝亀元年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩渕より出現された千手観世音菩薩を御本尊として創建されました。
開創以来、天皇貴族の崇敬を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化 財の仏像が安置されております。現在の本堂は約一 八〇年前(文化二年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背後には室町時代の十八神社社殿、東には鐘楼・三重塔があります。』
  (パンフレットより)

     

 これまでに三室戸寺については何度も当ブログで紹介してきた。通称「花の寺」と言われるほど、四季を通して様々な花が広大な境内に咲き誇り、また紅葉についてもただただ見事としか言いようがないほどの素晴らしいものを見せてくれる。特に紫陽花については約2万株と言う大変な規模で、数年前訪れた時にはあまりにも大勢の人達が集まり、駐車場に入るために車が道路上に大渋滞を作っていた。

 この三室戸寺に今シーズン、新たな名所がオープンした。すでに京都新聞において取り上げられていたので知っていた。今まで境内の三重塔の付近にしかなかった梅が、境内の丘陵地帯に梅園という形で、約250本のしだれ梅が花を咲かせたということだった。おそらく数年前から造成及び植樹が行われ、ようやく公開できるまでに至ったと言うことだろう。
 三室戸寺はもともと入場料800円ということで、シーズンに関係なく支払わなければならない。たとえ花がなくても緑に満ち溢れた風景も、それはそれで素晴らしいものがある。しかしやはり何と言っても、各シーズンを彩る見事な花が広がる風景が素晴らしい。そこにしだれ梅の庭園がオープンしたのだから、これは是非行くべきだということで訪れた。

 

 梅と言っても様々な種類があるが、やはりなんといってもしだれ梅というのは見応えがある。京都では城南宮のしだれ梅が非常に有名だ。今シーズンも人であふれる城南宮の様子が京都新聞で報道されていた。これからは三室戸寺の梅も有名になって行くだろう。
 250本という本数はあまり大したことないと思われるかもしれないが、横に広がるしだれ梅の姿は本数以上に迫力があり、その分美しさが庭園にあふれているといった状態だ。紅梅白梅と、中間の桃色もあり、まさしく色とりどりといったところ。撮影の方も十分にし甲斐があった。やはり新聞で知ったのか、そこそこ人が来ていた。駐車場の車のナンバーを見ると近隣府県が多い。庭園には茶店も出ていて、ゆったりできる。また楽しみがひとつ増えたと言う感じだ。

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする