切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2020年、三が日は終わった 昨日のリベンジは? 大豊神社~熊野若王子神社 京都市左京区

2020-01-04 22:46:58 | 撮影


 今日もお天気はまあまあ良く、ウォーキング時には広く青空があった。ところが昼頃に曇ってきた。それでも行ってみようということで昨日のリベンジへ。
 もちろん行き先は左京区の「大豊神社。」
 昨日の岡崎神社から約1km くらいしか離れていない。あの大渋滞には参ったので、今日は山科経由で蹴上の方から入っていく。子年に関わる神社ということでおそらく多いだろうと思っていたが、案の定幹線道路から参道へ続く道の段階で、車はすべて進入禁止。近くにコインパーク探してそこに入れる。徒歩で大豊神社へ向かう。哲学の道のところまで来ると大豊神社への参道となる。ところが、そこで見たものはとんでもない光景だった。
 神社の境内まではまだ数百メートルはあるが、この時点で大行列ができており、その行列は哲学の道沿いにもはるかに伸びていた。仕方なく最後尾へ並ぶ。その後も次々に参拝者がやってきて後方に列が長引いていく。すぐ後ろに並んだ人が警備員に聞いてきて、参拝までは最低でも2時間はかかると言われて戻ってきた。びっくり仰天。どうしてと思い始めた。しかし並んで参拝しないと、本殿の前にある「駒ネズミ」を拝見することができない。

 昨年の1月のことを思い出していた。正月を少し過ぎた頃に東京に住む妹夫婦がやってきた。墓参りを済ませてどこに行きたいか聞くと、護王神社と言う。恥ずかしながら京都に(と言っても宇治市だが)住んでいるにもかかわらず、その神社を知らなかった。妹が言うには護王神社というのは、昨年の干支である「イノシシ」を祀るかなり珍しい神社とのこと。へぇーと思いながら3人で向かった。車は御所に駐めて向かい側にある護王神社に行くと、参拝のための大行列ができていた。河原町通りに沿って行列が伸びて、横へ入る道にも伸びていた。これはだいぶ時間がかかるなとは思っていたが、行列が長い割には比較的早く進み、1時間足らずで参拝終了。実物の猪が檻の中に展示されていて、大勢の人たちがイノシシと一緒に写真を撮っていた。
 そのことから今回の行列も案外早いのかもしれない、と思いながら待っていた。ところが思いの外行列は進まない。ふと時計を見ると並んでから約1時間。なんと進んだ距離がわずか50mほど。入口が見渡せるところまで来ているので前方を見るが、はるかにまだ先だ。そして行列の横を並ばずにどんどん神社へ入っていく人たちがいる。その人たちは参拝はせずに、とりあえず神社境内に入って離れた距離から参拝をするという形をとっている人達だ。
 この調子でいけば日が暮れてしまいそうなので、ついに正式な参拝は諦めて行列を離れ境内へ向かう。もともと大豊神社の本殿は比較的狭い階段を上がったところにあり、宇治上神社のように本殿の幅が広くて、一度に大勢が参拝できるような形にはなっていない。従って宇治上神社では参拝のための行列はほとんどできない。しかしここ大豊神社はそのような事情もあって、極めて効率が悪い。正式参拝を諦めた他の人たちと同様に、かなり離れたところから一応参拝はする。そしてロープが張られたギリギリのところまで本殿に近寄って、ようやく人々の隙間から「駒ネズミ」を拝見することができた。もちろん写真にも収めた。これが精一杯。
 一応、昨日の自分自身の勘違いから岡崎神社へ行ってしまったことに対するリベンジの意味で、再びほぼ同じ場所を訪れたのだが、結局とんでもない大行列にリベンジを果たせず、敗北という結果になった。返り討ちにあってしまった。まぁしょうがない。普段は静かで落ち着いた神社なのだが、正月には売店も出てうどんやみたらし団子などが食べられている。そしてお守りも販売されていた。せめてものということでねずみのお守りを購入。



『大豊神社
この社は少彦名命・応神天皇・菅原道真を祀っている。社伝によると、仁和三年(八八七)、宇多天皇の病気平癒のため尚侍藤淑子が勅命を奉じた勅願社であり、朝野の信仰が篤かった。建武の内乱・応仁の兵火などに遭って焼失したが、本殿・末社・拝殿・絵馬堂が再建され、鹿ケ谷、法然院、南禅寺一帯の土産神として信仰を集めている。
 特に、未社の大国社の狛鼠、日吉社の 狛猿、愛宕社の狛鳶は、それぞれの神のお使いとして有名である。また、神花として椿、枝垂れ紅梅、紫陽花ゃ山野草が四季折々、参拝者の心を和ませている。 更に、椿の名所としても知られている。
 京都市』 (駒札より)
     

 こうして大豊神社の参拝は終わり、コインパークへ戻るが、すぐその近くに熊野若王子神社があり、ここが哲学の道の出発点となっている。ここにはまだは来たことがないと思って参拝に訪れる。でも鳥居前の形状を見たときに、何年か前に来たことが映像として蘇った。2回目となる。結構人も来ているが、行列ができるほどではない。のんびりと参拝を終え、境内をゆっくり回って撮影したりいつものように厄除けのお守りを購入して帰ることにした。



『熊野若王子神社
当社は永歴元年(一一六〇) 後白河法皇が 熊野権現を勧進して建立した若王子の鎮守社で 社名は天照大神の別称若一王子に因んでこのように名付けられた。
以後 室町幕府及び武家の信仰を集めると共に 花見の名所としても知られ 寛正六年(一四六五)三月には 足利義政により花見の宴が催された その後 応仁の乱により社殿は荒廃したが 豊臣秀吉により再興され 社殿及び境内が整備された
現在の社殿は昭和五十四年(一九七九)一社相殿に改築されたもので 以前は 本宮・新宮・那智・若宮の四棟からなっていた。』
  (駒札より)
    

 帰りも昨日の大渋滞に嫌気がさしていたので、山科経由で帰った。もちろん時間的にもそちらの方が早かった。
 一応自分にとっての初詣は昨日の三日目で終わりとしており、今日からは参拝はするものの、いつものようにブログにアップするために様々な写真を撮り、駒札を撮影しお守りが販売されていれば購入し、同時に由緒書をいただくということがこれからの目的となる。

 それにしても改めて思うのは、桜シーズンとか紅葉シーズンと言った観光客だらけの京都では、正月というのも外国人の数こそやや少なめだが、日本人の参拝客がとんでもなく多いことだ。車なんか見ても他府県ナンバーがあちこちに停車している。今日のコインパークもほとんどが他府県ナンバーだった。お正月の参拝くらい地元でもいいとは思うのだが、今年は仕事始めが6日となったために、皆さん休みが長い分京都でも行ってみようとなるんだろう。
 割と人気のある神社やお寺はとにかく人間だらけ。幹線道路は大渋滞。「観光公害」などと突然京都市長が言い始めたが、明らかに選挙狙いの言葉だ。なぜなら現京都市長は以前は、観光都市京都をめざし、観光客に優しい街づくり云々、とぬかしていた。突然手のひらを返したように反対のことをグタグタ言っている。テレビや地元京都新聞などで観光公害のことが市民たちの声として寄せられているというのが今、クローズアップされているから突然そんなことを言い始めたんだろう。
 そして同時に京都はまさに「ホテルバブル」といった状況で、あちこちの幹線道路沿いに次々と小規模・中規模ホテルが建設中、あるいはこれから着工。中にはこんなところにまで建てるのかというものもある。バブルは必ず弾ける。その時ホテルの倒産も出てくるだろう。おそらくオリンピック・パラリンピックの外国人観光客がこちらへも来るだろうという当て込み。さらに続いて「大阪万国博覧会」への思惑というものがあるんだろう。しかし切れ切れ爺には果たしてそんなに事がうまく運ぶとはとても思えない。いつしか必ずホテルバブルは弾け跳んでしまうだろう。ある意味見ものだ。

コメント
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