切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《日本安倍晋三独裁国家の成立》(臨時号) (後半)2020.1.25

2020-01-25 17:31:00 | 社会




・五 1億総活躍社会

 1億総活躍社会などとひとくくりで以前から喋ってるが、こんな無責任な言い方をすること自体、総理としての信用が得られない事は明白だ。
 要するに日本国民全体が様々な分野で活躍し、意欲的な生活が送れるようになり輝いた国になるんだ、と言う幻想に取り付かれている。そこには社会の現実を全く見ようとしない独善的な思い上がりがあるとしか言いようがない。
 まず「全世代型社会保障」について。
この中で総理は「高齢者のうち8割の方が65歳を超えても働きたいと願っておられます」と言い出す。これは一体何を根拠に行っているのか。しかも願っていると言うのはどういう意味なのか。仕事と生活に一定の満足感を得ながらやる気満々で、60歳あるいは65歳定年を迎えてもまだまだ元気だ、やる気があるんだ、だからまだまだ働くんだ、と言うふうに捉えていっているのか。きっとそうなんだろう。
 しかし社会の現実としては本当に65歳を超えても働きたいと思うのは、言い方を変えれば、働かざるを得ない生活実態に追い詰められている状況があるからではないのか。どんなアンケートかは知らないが物事には一面的な見方では成り立たないことが大半であり、多方面からの分析が必要だ。それを都合のいい部分だけを捉えて、「願っておられる」とは一体何なのだ。ふざけるなと言いたい。
 人生100年時代だから70歳までの就業機会を確保するんだなんてごまかしもいいところ。人生100年といっても、高齢化の中で体が動かせない、寝たきりである、認知症になってしまった、などなど様々な高齢化特有の症状に悩まされるケースが極めて多い。つまり平均寿命が80歳を超えていて、100歳の人も増加中と言うことだけを捉えて70歳まで働いてもいいではないか。いや70歳まで働け。その後数年は退職後の人生を楽しみ、その後は様々な病を抱えて苦しむ人生を送ることになる。それでいいんだと言う結果が待っているのだ。
 安倍総理のこんな言い方に騙されてはいけない。いわゆる健康寿命と言うのは現段階では72歳が平均だと言われている。そういうことを考えさせもしないで、100歳生きるので70歳まで働き、後の30年をまるで悠々自適の楽しい生活が待っているかのような言い方自体が、国民に対する「詐欺であり騙し」なのだ。 
 わざわざこんなことを言うのは、年金の問題の危機が背景にあるからだろう。以前安倍総理は「100年安全の社会保障年金制度」等等大見得を切った。しかしその背後にある犠牲にしなければならないものには全く触れようともしなかった。今ここにきて日本の年金制度は破綻寸前にまで来ていると言われている。現役世代は本当に年金と言うものが受給されるのかどうかもわからないような状態だ。少子高齢化と言うことも相まって、現役世代が高齢者の年金を負担すると言う方法はずっと以前からなされてきたし、かつて欧米先進諸国が少子高齢化の方向へ向かっているときに、日本も必ずそうなると警告を発していた学者たちもいたし指摘もされていたにもかかわらず、厄介な問題は先送りにして追い詰められて初めて大変だ、と言うことになる。その結果が老人になっても働け、と言うものだ。
 そして高齢者への負担は特に医療分野で大きいが、これも「年齢ではなく能力に応じた負担へと見直し」と言い出す。確かに同じ高齢者でも裕福な者もいれば低所得の人々も。はっきり言って後者の方が圧倒的に多い。
 高齢の独居生活老人の平均年金額は、月額5〜6万円位だ。家賃払えば残るのはその半分。1日あたりの食費は1000円使えば後何も買えない。支払えない光熱費もある。となれば1日の食費はせいぜい500円だろう。おまけに消費税と言う金持ちに圧倒的有利な制度を取り込み、3%から今や10%にまでなっている。低所得層には負担比率が極めて大きくなり、生活の劣化へと一気に突き進む。こんな実態をどうするのかと言う具体策も何も見えてこない。
 そういうことを無視して最後に、「全世代型社会保障制度」を目指すなんて、どうしてこんなことが言えるのか。厚顔無恥も甚だしい。
 続いて「子育て支援」を入れた。子供たちの未来に対して大胆に投資していくと言う。そして教育無償化の問題について、「真に必要な子供たちの」と言うような但し書きが付いている。公立私立問わずに無償化の方向に行くと言っているが、おそらく差別選別が行われるのは間違いないだろう。現段階で朝鮮学校については、学校とは直接関係のない北朝鮮の国の政治のあり方に対して、まるで報復するかのように朝鮮学校を無償化の対象から除外し続けているし、国だけではなく自治体の方でも、同様の扱いで差別選別を既に行っている。
 確か日本に居住している朝鮮の人たちも納税の義務は果たしているはずなのに。なぜ差別選別されるのか。そんな不都合な事は無視して、この演説の中には一切出てこない。
 この後待機児童問題や1人親世帯への支援を拡大等と一言二言述べて、最後に出生率1.8の実現を、と述べて終わった。
 この項目は実に簡単に済ませたと言う印象しか残らない。課題を網羅的に挙げただけで、具体性も何もない。ただ口にしただけのことだ。逆に言えばこれは実現は難しい、無理だと言うことがわかっているので簡単に済ませたんだろう。はっきり言って、ここに該当する当事者たちは誰も、こんなこと言われても信用なんかできないだろう。また出生率1.8なんて、この実現には極めて多方面の対策と理解と前進例を作って、社会に浸透させていくと言うほとんど不可能に近いような内容が必要となり、極めて困難な内容としか思えない。
 この項目の最後は「1億総活躍社会。」ここも正しく総花的な言い方で、少子高齢化社会を克服することができると、一方的に演説している。そのために必要なこととして、女性の活躍、そのための各対策、そして老若男女、障害者、難病者なども含め多様な個性を生かすことができる社会。その中で能力が発揮できる社会を作って少子高齢化を克服する。それが1億総活躍社会なのだときた。いとも簡単に言えたもんだと思う。先程の子育て支援の時と同様、多種多様な人たちが住んでいるこの国の中の生活実態と言うものをわかった上で言ってるのか。置かれた状況の困難さを知った上で言ってるのか。疑問しか覚えない。
 障害者の件についてはこれまた具体的な人名を出して、その尽力によってパラリンピックが実現し、今年東京にもパラリンピックが帰ってくると述べた。
 障害者に対する世間の目と言うものがいかに厳しく冷たいものか、はっきり言って大半の人たちは近寄るのさえ怖いと言う感覚だ。障害者施設が設けられている場所と言うのは、かなり多くが住宅街の端っこ。あるいは中心市街地から少し離れた所といったケースが極めて多い。新たに建設しようとなると間違いなく反対運動。保育園等と同じだ。やかましいから邪魔だと反対運動。このように社会の邪魔者扱いされている根源には、いわゆる上級国民と言われる国会議員やエリート官僚たちの、障害者への侮蔑の精神が蔓延しているからに他ならない。上辺は障害者にも頑張ってもらおうなどと言いながら、心の中でははっきり言って邪魔な存在。税金の無駄遣い、と言う感覚だろう。だからこそネトウヨたちの絶好の攻撃材料になっているし、相模原のような大量殺人事件が発生することにつながってもいる。簡単に網羅的に述べられるような問題では無いのだ。全く無責任な言い方としか言いようがないと思う。

・六 外交・安全保障

「積極的平和主義」意味不明。とにかくまたもやオリンピックを例に出して演説。平和主義とそこに積極的をつけることによって何が違うのか。平和主義なんていうのは誰にとっても当たり前のことだ。
 もちろん外交上の観点から相互に平和な関係を保つのは大事なことであり、どうすればそうなっていくのかが問われる。現実は細々した問題が山積しており、一応同盟関係にあるとされるアメリカ・韓国、そして仮想敵国にしているであろう中国、さらに加えてロシアなどなど。ここではまるで箇条書きにしているような単純な演説で終えた。その演説の中で「わが国の国民の生命と財産を守るため毅然として行動していく」と言う。アメリカの子分の立場で、何でもハイハイ言うことを聞いているのが、毅然な態度なのか。
 その実態を認識しているのかどうか、この結果は隣の韓国に向けられ、偽善どころか高圧的な態度で臨んでいる。平和主義の前に、互恵平等の精神が求められるのではないか。これらの国々をひっくるめて何か階級社会を見てるかのように思えてならない。北朝鮮とのトップとの会談を自分が実現する、などとここでも大見得を切ってみせる。拉致問題が一向に前進しない焦りとストレスが見て取れると言うことで、簡単に流して終わった。
 日本のようなエネルギー資源の乏しさ、さらに食料資源も自給率が大幅に低下している国と言うのは簡単に牛耳られるものだ。そのことを踏まえて外交と国内の取り組みを同期させることが極めて重要ではないのか。観点がバラバラな状態で演説をしているので、ずっと読んできて何か整合性が取れないような演説構成となっているようだ。
 これらに直結するのが「安全保障政策」と言うことで、短く済ませてしまった。日米安全保障条約がかつてなく強固な関係になっていることを強調し、日本は安全なところにいるとの幻想にいつまでもしがみついている。国土防衛のためには自衛隊の戦力強化、と言いたいようだが、それを直接言葉にしてしまうと追求を受けるので、あえてそんな言葉を使わずに曖昧な表現に留めている。そしてあろうことか「沖縄の基地負担軽減」に結果を出す、と言うのだから、全く信じられない。米軍基地の大半を沖縄に押し付ける。自衛隊基地もあって、有事の際には真っ先に狙われるであろう沖縄を犠牲にすることによって、日本本土を守ろうと言うこの捨て石作戦の発想。県知事が何をお願いしようが県民投票の結果がどうであろうが、すべて無視。東京から指示だけ出してやりたいようにやる。強行突破の姿勢は平和の名のもとに、そして安全保障の名のもとに100万県民を犠牲にしたって構わない、と言う発想で進められていると言う現実を認めようとはしない。
 この項目の最後は「国際社会の課題解決。」安倍総理の言葉によると、世界各国の要人たちと約800回を超える会談をしてきたと言う。その中で様々な国際紛争や緊張に対して話し合いで解決する努力を説いてきたと胸を張ってみせた。また日本のエネルギーに関わる諸国との安定的な関係を持続するとともに、ブルーオーシャンビジョンを世界に広げていく、とここでも大見得を切る。例のプラスチックゴミの問題への取り組みを指しているのだ。
 こんなの聞いてて当たり前の話だし、言われずとも率先してやるべき問題だ。また地球温暖化問題については温室効果ガスの削減をどんどん実現していると言っているが、これは日本の各企業が努力した結果であって、別に国がやったわけではない。いかにも日本政府の指導でこれが成果を上げたような言い方をしている。
 しかしその一方で、原子力発電所は今後も存続させていく、石炭を使う火力発電所の建設も進めていく、と言うのが政府の基本的な方針なのだが、そういった点には一切触れず、見栄えの良いところだけを紹介して、最後に世界の平和と安定をこの日本がリーダーシップをとって実現していくかのような趣旨の発言で締めくくった。
 何か笑い話をというか、ブラックユーモアを聞かされる思いだ。なぜならば演説した本人が国民を愚弄し、ごまかし続けてきた御立派な実績をお持ちだからそう思わざるを得ないんだ。

・七 おわりに

 なんとなんとまたまたオリンピックを例に出して演説スタート。日本の大改革に向けて、国民全体が今こそ実行の時です、と一定まるで「いつやるのか、今でしょ」のパクリみたいな言い方。おまけに笑えるのが「先送りでは次の世代への責任を果たすことはできません」って。様々な重要な課題を先送りにしてきた張本人は一体誰なのか。歴代の政権であり中でも顕著なのは安倍総理では無いのか。難しそうな問題は先送りし、何か不祥事があれば、うそ、ごまかし、逃亡、資料改ざんなど、やりたい放題の、国民を馬鹿にした政権であり、その結果が日本劣化社会の有り様となったのではないのか。にもかかわらず「国の形を語るもの、それは憲法です」と言う。一瞬、おっと思わせておいて、実は憲法を変えていく趣旨の発言をこの後続ける。その結果はなんと、日本と言う国は「世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を作り上げる。」とすればもはやこれは、かつての八紘一宇の思想、大東亜共栄圏の構築と言うことに他ならない。これを全国民でやろうと訴えて終わったのだ。

◆ 結局安倍総理の施政方針とは一体何が言いたいのか・・・感想

 言っていることを表面的に捉えれば、大半は至極当たり前だし、中には大切でぜひそうしてもらいたいといったものも含まれてはいる。でも正しく「言うはやすし行うは難し」とならざるを得ないだろう。
 日本に限らずどの国でもそうだろうが、様々な考え方の個々人が、あるいは団体があって、それぞれが揃っておんなじ方向向いているわけではない。それをひとまとめにして、国の形としてこうあらばならない、と言う事は、北朝鮮や中国などを別にすれば、とりあえず「民主主義」を標榜している国であるならば実質上無理があるし、それ以上にそのような個々の思いや活動といったものを、国が吸い上げ必要な支援策を提示しながら国づくりに活かしていくべきものだと考えるべきだ。
 しかし安倍総理の本質的な思いと言うのは、以前から彼が何度も口にしている「美しい国日本」の具現化だ。様々な発言や内容から、これは天皇の国家元首化であり、その下に行政機関等や軍隊を置き、国民を臣民として一律支配をすると言ういわゆる「国体」の体制実現と言うふうに感じられてしまう。
 今更そんなことを無理に決まってる、と言うのは簡単だが、彼は本気でそう思ってるんではないだろうか。だとしたら極めて危険な発想だし、現実問題として中央政府に限らず日本各地の地方自治体から徐々に少しずつゆっくりと、これらに関わる動きが進められてきている。いつしかこれが社会の本流になり、気がついたときには今の日本国民の多くがそうであるように、自分たちの生活の内容に一定の満足感を覚え、政治には無関心で政権に任せておけばいいだろう、国際問題なんて遠い所の話で我々には関係ない、といった島国独特の唯我独尊的な身勝手な国民が再生産されていくことになってしまうんだろう。だから選挙での投票率も低いし、どんなに不祥事や嘘やごまかしがあっても内閣支持率はほとんど落ちないし、政治に関わるような問題などと言うのはめんどくさい話だ、で終わってしまう。そこに付け込むのが右派の練中で、しかもSNSを使えば匿名で好き勝手なことが発言できる。しかもこの影響力が大きいと言う事実がある。何やらかんやらお先真っ暗な日本、と言う感じもしてしまうが、この反動はどこかで必ず出てくるだろうとは思う。
 俺みたいな癌爺が何かの力になれるかどうかと言われれば、せいぜいこんなブログで発言することぐらいしかできない。でもこういったものが多くまとまれば少しでも変革への道は開ける可能性はある、と若干楽観的に思っているところだ。

 安倍総理のこの演説は、多分総理による口述筆記を官僚が御忖度しながら当たり障りないように纏め上げたものであろうと考えられる。1から官僚が作文すればこんな稚拙な文章にはならないだろう。一国の総理大臣の演説内容としてはどう考えても稚拙にしか聞こえない。つまり内容に深さが全く見えないし、それどころか施政方針と言うからには当然、前年の施政方針の内容に対する一定の総括を反映したものでなければならないが、その総括内容と言うものが発表された形跡はないし、あるいはこの演説の中に総括的内容を踏まえて課題を提起していると言う形にもなっていない。稚拙さと言う本質はそこにあるのだ。
 オリンピックを何度も何度も引っ張り出して国民の一体化を訴え、そこからナショナリズムを鼓舞しこれではまるであのヒトラーの演説のようにしか聞こえなくなってしまう。安倍総理本人がこの演説を通して精神的に高揚し、まるで自分が国のヒーローになったかのような陶酔感を覚えて、悦に入っているそんな姿が、これまでの彼の嘘とごまかしの実態を国民にさらしてきただけに、これは「喜劇」を見せられているのではないか、なんて思ってしまった。




    (以上)

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