石田神社と流れ橋
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『石田神社 (京都府八幡市上津屋里垣内77)
上津屋里垣内にある当社は、里・浜・東(木津川対岸城陽市)の三集落の氏神で牛頭天王社と称し、明治になって石田神社と改称した。
祭神は素蓋烏神で牛頭天王と同体で、当地が度々木津川の水害に見舞われたためか、疫病に対する守護神として信仰された。
当社に伝わる「天王神社記」によると、起源は大宝一一年(七〇二)隣村内里の山中に現れた素戔鳥神を上津屋」の地に祀ったことに始まるという。治承四年(一一八〇)源三位頼政の兵乱で社殿は焼失、復興のために文治四年(一一八八)源頼朝により神事料を寄進された。そ
の後元弘の乱で笠置山参陣の際に楠正成が当社に立ち寄り願文を奉納したと記されている。
鳥居東の神興蔵横に立つ十三重の石塔は、その形状から南北朝時代のものという。
近年社殿から発見された棟札によると、永禄元年(一五五八)社殿造営の後定期的に檜皮の葺替え修理が行われていた。現在の本殿は嘉永四年(一八五一)の造営になり、神社に残る古文書や浜上津屋の伊佐家文書からも社殿普請や遷宮等の様子子がうかがえる。
他には庄屋伊佐政徽が明和二年(一七六五)奉納した算額(和算問題を図入りで示す)があり、京都府で八坂神社に次ぐ古さをもつ。
氏子中の努力で古文書や棟札等の貴重な資料を豊富に伝える神社である。
一九九五年三月
八幡市教育委員会』 (駒札より)
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『石田神社
「山城綴喜郡誌」によれば、大宝二年(七〇二)当地に鏡座し、文治四年(一一バ八)源頼朝により神事料として土地の寄進をうけたとある。以前は牛頭天王社と称され、明治になり石田神社と改称された。現在、祭神は建速須佐之男令である。境内は堀状の水路が周囲をかこ
み、木々が茂る鎮守の森の様子をよくとどめている。
本殿は、嘉永四年(一八五一)の造営で比較的大きな一間社の流造である。木津川の水害を意識してであろうか、一段高い石垣の上に建っている。現在の拝殿は平成七年に建てられたものであるが、享保二十年(一七三五)再建時に葺いた刻名入リの鬼瓦が拝殿に納められている。また、明和二年(一七六五)に書かれた算額がある。
同村庄屋の一人である伊佐政徽によるもので五問の和算問題が示されている。京都では八坂神社のものに次いで、全国で九番目の古さといわれている。
江戸中期の八幡地域で文化教養に関心が強かったことを示すよい証拠といえる。また、島居と向い合って社の東側に高サ三メートルはどの十三重石塔がある。南北朝のもので重要美術品級である。
平成二十年 秋
八幡市郷土史会』 (駒札より)
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木津川の流れ橋へ行く。
もう何度も来ている。10年ほど前から気候変動が激しくなり、毎年大雨が降り木津川の流れが激しくなって、毎年のように流れ橋は流れた。その都度、修復するものの毎年のことで、府の予算も厳しいものがあって、ついに簡単には流れないように、橋脚の部分を一部コンクリートで補強するという形になってしまった。また橋の渡りも簡単に外れないような仕組みになったらしい。そういった意味では趣がかなり弱くなってしまった。
周知の如く、流れ橋と両岸の茶畑は映画やドラマの時代劇撮影で頻繁に使われていた。その場面に遭遇したことはないが、今後どんな風になっていくんだろう。流れ橋だけではなく木津川両岸の堤防には、サイクリングロードが整備されていて、ここも以前よりきれいに整備されてしまった。悪いことではないんだろうが、綺麗すぎて何か変な違和感を感じる。相変わらずサイクリングの人は多い。しかしこの日は、流れ橋を渡っている人は一人も見なかった。以前だったら観光客らしき人たちが結構な数来ていて、皆さん喋りながら渡っている風景を見たものだ。
この橋の正式な名前は、 「府道八幡城陽線上津屋橋」ということで、府道となる。しかし渡れるのは歩行者と自転車、バイク。もちろん自転車とバイクは降りて押していかなければならない。
歴史的には新しく、戦後にかけられたものだ。両岸を結ぶ橋はすぐ北側に国道1号線があるので、行き来するにはそちらを使えば良いのだが、少し距離があるので、川の両岸の村が話し合って、定額予算で作ろうとしてできた結果がこの橋だ。通称「流れ橋」というのは今後も続くんだろうか。
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この流れ橋に行くには、向かい側の久御山町から行くのは少々不便で、1号線を渡って八幡市側から行くのが便利だ。流れ橋を観光の拠点とするために、「四季彩館」と言う食事や宿泊ができる施設が設けられている。その横に石田神社がある。
八幡市には石田神社という同名神社がいくつかあって、区別するために住所をつけて呼ばないとどこかわからない。この石田神社については、上記のように二つの駒札があって由緒そのものはそこに書かれている通り。改めて付け加えることはない。
社伝に書かれた記録では、奈良時代前の飛鳥時代の創建?ということになる。大変長い歴史を持つすごい神社だ。
正面の鳥居をくぐるとまっすぐ拝殿。そして本殿が控えるが、右側に石造十三重塔が立っている。南北朝時代と言うからこれもなかなか古いものだ。重要文化財とは言わずとも、京都府か、あるいは八幡市の指定文化財にぐらいになってもよさそうなものだ。本殿などの建物は江戸時代の再建で、さほど年月は経っていない。しかし長い歴史を誇る由緒ある神社だけに、相応に立派な本殿で、参拝に来る人たちを迎えてくれる。境内の木々を見てると秋には真っ赤な紅葉で染まるような雰囲気だ。是非ともその時期に来てみたいとも思う。
上記駒札の説明の中に「伊佐」という名前が出てくるが、その伊佐家の住宅がこのすぐ近くにある。江戸時代中期に建てられた貴重な建物で、住居そのものが国の重要文化財に指定されている。中に入って見るには予約が必要なのでまだ行ったことはない。いずれ機会があれば 行ってみたいと思っている。
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