切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

日赤病院へ診察を受けに行ってきた。・・・でも

2019-08-24 23:28:09 | 日記



 8月23日、癌の手術をした京都第一日赤病院へ定期の受診。
 この日は朝からすごい雨で、車のワイパーも高速に動いていた。防水靴を持ってないので、撥水靴で行ったがずぶ濡れになった。
 診察の前に血液検査があるので、予約時間よりもかなり早めに行く。昼前の11時40分ごろに病院へ到着。受付ロビーへ行くと、いつもよりも明らかに患者の数が多い。嫌な予感がする。受付済まして採血室へ行く。ここはすぐに済んだ。予約の時間まで約1時間。診察が終わってから昼食にしようと思っていた。(結局この日は昼食は摂れなかった。)受診カードを診察室のボックスに入れる。その前がこのコーナーの待合室になっているが、明らかにいつもより多い。
 このコーナーにいる人々は、半分位が自分と同じ癌の治療中の患者のはずだ。椅子に座って待っていると、後ろに座ったおばさん方が話していた。「私、もう好きなものがなかなか食べられない。とにかく胃が小さくなって食べようとしても食べられない・・・」と言うふうなことを言っていた。私こと癌爺いさんと同じ状況だ。やはり大小にかかわらず、胃を切り取ると確実に食事には様々な制限がかかる。そのために食べる、と言う楽しみがほとんどなくなってしまう。抗がん剤飲んでいると、場合によっては副作用で、味覚がなくなるケースもあると言う。癌爺いさんは幸い味覚は大丈夫だった。
 以前、主治医の先生に聞いたことがあるが、手術の後、定期的に受診に来る人の中には、私よりもはるかに厳しい状態の人が非常に大勢いると言う。そういう人たちは受診ごとに長い時間がかかるとの事。私の場合は、受診そのものは毎回どちらかと言えば、好調なので10分もあれば済む。その意味ではありがたいと言っていいのかもしれない。
 さてこの日はとにかく、待ち時間が長引きだし、一向に順番が回ってこない。予約時間などとっくに過ぎている。担当医の部屋に呼ばれる患者は、次々にではなく、1人呼ばれて延々と診察室から出てこない。20分30分は当たり前。やっと出てきてまたしばらく置いて、次の人が呼ばれると言うわけで、私が呼ばれたのは、予約時間の午後1時に対して3時を大きく回っていた。まぁこれでも2時間半ほどで呼ばれたのだから、マシかもしれない。

 京都第一日赤病院と言うのは、高度医療指定の巨大病院だ。基本は他の病院からの紹介でやってくる人たちばかり。逆に言えばそれだけ症状の重い人たちばかりと言うことになる。したがって診察も一人一人が長い傾向になる。

 ちなみに過去に通っていた病院で最長の待ち時間は、宇治の徳洲会病院。腰痛で訪れたときに、なんと5時間待ちだった。診察を終えたのは真夜中の午前0時ごろ。まぁ患者以上に、担当のお医者さんのほうも大変だろうと思う。日赤の私の担当医もかなりな実力を持った医師で、府立医大の講師も務めている。診察は週一回金曜日だけ。後は講師を除いて、全部手術にかかっているとの事。あの状況から見ていて、昼食はとてもじゃないけど摂れていないだろう。医者と言う仕事もある意味ブラックと言えるのかもしれない。また診療科によって仕事の軽重が明らかにある。外科はその意味ではとても大変な部署だろう。
 ようやく名前が呼ばれて診察室へ入る。開口一番お医者さんの方が、長く待たせて申し訳ない、と述べられていた。血液検査の結果は非常に良好で、腫瘍マーカーも出ていないと言うことで、今回でとりあえず「抗がん剤」を一旦停止とするということになった。もちろん今後の検査次第によっては復活の可能性もあるが、このところ順調に来ているので、処方される薬は消化系の薬と胃酸を抑制する薬と言う2種類になった。まぁこれだけでも随分楽になると思う。楽になると言うのはもちろん、体調のことであって、食べること自体は相変わらず苦痛が続く。
 次回の診察は11月。支払いを終えて病院の向かい側にある調剤薬局で薬を受け取る。3ヶ月分で6800円。相変わらず薬と言うのはほんとに高いもんだ。薬局を出た頃には雨と言うこともあって、かなり薄暗くなっていた。帰り少し食材を買うために食品スーパーに寄って、家に着いたのは午後6時ごろだった。
 病院での受診と言うのも言ってみれば、1日仕事といった感じだ。それにしても病院内では先程のおばさん方の会話以外にも、これから入院する手続きをしている人や、あるいは看護師さんから今後の手続きについて説明を受けている人などなど。様々な困難な状況に置かれている人々がいる。私など今のところ順調に行っていると言うことで、ましな方だと思わないといけないんだろう。術後5年の最終判断まであと3年2ヶ月。ここを無事に乗り切れば、一応完治宣言がなされる。後は少ないながらも、栄養のある食事をとり、健康状態を維持することが大切と言うことになる。

 とここまでは良かった。しかしこのブログでも以前にアップしたように、家の近くの病院で泌尿器科受診の結果、前立腺肥大症の診断が下り、しかも腫瘍マーカーが基準値を超えていた。この件を日赤病院で伝えたところ、主治医の先生の姿勢がちょっと変わった。もし癌に移行したら日赤にもその専門の先生がいるし、ダヴィンチでの手術ができると言われていた。この言い方を聞いて、やはりこれはちょっとまずいんではないかと言う思いが頭をよぎる。
 ちなみにダヴィンチと言うのは知っている人も多いと思うが、完全遠隔操作の手術ロボットだ。以前に家の近くの宇治徳洲会病院が移転建て替えで、近代的な巨大病院に生まれ変わった。その時の内覧会でダヴィンチを見た。一般市民に混じって多くの医学生らしき若者が来ていたが、ダヴィンチを見て感嘆の声を上げていたのを覚えている。まぁいずれにしろ、次の泌尿器の受診時に腫瘍マーカーがどちらの方へ動いているかが問題となる。普段は考えないでおくようにしている。


 さて話は変わるが、この京都第一日赤病院と言うのは、あの極めて卑劣な大量殺人事件となった、京都アニメーション株式会社の建物が放火された事件で、自身も大やけどをして意識不明の重体となった犯人が、最初に運ばれた病院だ。おそらく被害者の方々も、かなり多くこの日赤病院に運ばれていると思う。

 しかし何故か、この犯人だけはより高度な治療が可能だと言う、大阪の近畿大学医学部附属病院へ運ばれた。京アニの被害者の人たちはどうだったんだろうか。全員が京都の各病院で治療が進んでるんだろうか。犯人の方がより高度な治療のできる病院へわざわざ運ばれて、どんなことがあっても救命すると言うのは、どうにも釈然としない。仮に助かってコミニケーションが取れるようになって、逮捕と言う事態になっても、裁判では100%、死刑しかないだろう。警察としては動機解明のために、なんとしても助けなければならないと言う論理なんだと思うが、京アニの重体の方々も同じように、どんなことがあっても救命していただきたいものだと思う。ぜひお医者様方には、最大限の努力を期待しています。



 (画像は他HPより)
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1 コメント

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Unknown (みみ)
2020-02-28 04:12:11
知り合い2人前立腺でダビンチやったと言ってました 良好そうでピンピンしてます 京アニが日赤でしたか 私さ個人的に日赤に良いイメージ無かったです 診察受けたことはないですけどね 
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