対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

廣松弁証法4

2015-04-22 | 弁証法
このような展開が可能になるのは、廣松渉がアインシュタイン自身の「原理」に対する見解を排して、カッシーラーの函数概念でアインシュタインの「原理」を解釈したことによっている。
アインシュタインの「原理」は、本人の建前はどうであれ、カッシーラー流にみれば、「個々の観測から抽き出された経験的命題ではなく」「物理学的概念形成のための一つの規則 (Vorschrift 指針)にすぎない。
この「展開」の論理構制をみるためには、「端初」=原理なるものの性格を顧みておかねばならない。―― アインシュタインは「原理」は論理必然的な手続で措定されるものではないこと、それは帰納的手続によって取出されるものですらないことを自覚していた。「研究者は、経験事実の厖大な複合体に即して、確然と定式化されうる一定の普遍的徴標を観取することによって、普遍的原理を、謂うなれば自然から偸聴(ablauschen)〈廣松は、「偸聴」に「ぬすみぎき」とルビをふっている。―― 引用者注〉しなければならない」と彼は言う。そして、このようにして「観取」(erschauen)される「原理」は、「経験的事態を一般化して定式化したもの」にほかならない、とも言う。
問題は、この「一般化して定式化」されたものであるが、それが普通の意味での経験的諸事実の現相的記述とは次元を異にする事は更めて言うまでもない。この原理定立の場面での構制をアインシュタイン本人は明識しなかったかぎりで、一方では帰納法的な抽出ではないとネガティヴに述べ、他方では「観取」「偸聴」という比喩的な言い方に止めているが、われわれ第三者の見地からみれば、それは 「概念形成」(Begriffsbildung)の機制に関して、ヘルマン・ロッツエやエルンスト・カッシーラーが夙に説いている方式での 「補完的」(ersetzend)「函数概念化的」な一般化的定式にほかならない筈である。
アインシュタインの「原理」をカッシーラーの函数概念によって解釈しローレンツ変換に「原理」を見る。そして、「原理の探究」と「その原理から流出する諸帰結」を第1部「運動学」と第2部「電気力学」に対応させる。これによって廣松は「動く物体の電気力学」に弁証法の体系構成法を読み取っているのである。

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