対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

ヘーゲルの展開論と自己表出

2011-02-06 | 場との対話

 栗原隆氏の『ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法』(NHK出版 2004年)は「論理的なものの三側面」を基礎にしている。それは悟性・否定的理性・肯定的理性の三段階を踏襲している。わたしたちはこのような理性の直列構造を否定し、否定的理性と肯定的理性の並列構造を想定し、「ひらがな弁証法」を構想している。

 栗原氏の見解を取り上げ、わたしたちの立場を対置しておこう。栗原氏の本のなかに興味ある展開がいくつかあるのである。

  1 懐疑論(懐疑論の核心 ―― Zwei)
  2 展開論
  3 矛盾論
  4 規定的否定論

 2 展開論

 ヘーゲルの「論理的なもの」は通時的な構造だけに限定されている。それは悟性・否定的理性・肯定的理性の三段階に表われている。わたしたちは、「論理的なもの」(=認識)に自己表出と指示表出という構造を想定して、共時的な構造と通時的な構造を提起してきた。

 「論理的なもの」の自己表出と指示表出とは、次のようなものである。

 認識には大きく分けて認識外の何らかのものと関係をもっている要素と、このような認識同士を結び付け統一する働きをもつ別の要素がある。わたしたちは、前者を対象に対する指示を表出すると考えて、指示表出と呼び、後者を人間主体の対象に対する関係を表出すると考えて自己表出と呼ぶことにしている。

カントは、悟性はカテゴリーと判断を通して現象界に関わり、理性はこの悟性の機能を統一するだけで現象界と直接かかわらないと考えた。この悟性と理性の違いに関連させれば、認識の指示表出は悟性、自己表出は理性を基礎にしているといえる。

 武谷三段階論でいえば、現象論や実体論のうち構造に関する知識が指示表出にあたり、実体論のなかの法則性に関連する知識や本質論は自己表出にあたる。例えば、周期律の法則を考える場合、具体的な原子の構造や性質の周期性が指示表出にあたり、個々の元素の構造や性質を関連させ、法則として統一させるもの(周期表やパウリの排他原理)が自己表出にあたると想定している。また、ケプラーの法則でいえば、観測データや太陽系の構造が指示表出、楕円軌道・面積速度一定・公転周期の関係が自己表出にあたると考えられる。

 わたしたちは1吉本隆明氏の文学論・2九鬼周三氏の偶然論・3アインシュタインの認識論を参考にして、認識の自己表出と指示表にいくつかの契機を読み取ってきた。

 1 認識の自己表出と指示表出は、認識の形式と内容に対応するものである。自己表出が形式、指示表出が内容と対応する。

 2 認識の自己表出と指示表出は、様相性と関連している。認識の指示表出は偶然性、自己表出は必然性に対応する。

 3 認識の自己表出と指示表出は、アインシュタインの良い理論の判定基準と関連している。認識の指示表出は「外からの検証」(理論は経験事実と矛盾してはならないことを指す)、自己表出は「内からの完成」(観測資料との関係ではなく、理論そのものの諸前提にかかわっている)に対応する。

 いま、ヘーゲルの「展開」と自己表出が結びつく。栗原隆氏は次のように述べている。

 知識の「展開」というのは、知識が増えるという量的な〈集積〉ではない。〈集積〉が量の増加であるのに対して、「展開」は、一貫している脈絡にあって、完成度が高くなってゆくところに拓かれる。行く先を見通した上で、〈これまで〉と〈これから〉を連関づけることができるから「展開」なのである。「展開(Entwicklung)」という捉え方は、〈変化〉や〈移ろい〉にあってはなぞだった理由や見通しが明らかになるところに成り立つ。〈変化〉に見えるその根底に、必然的な理由を探ることによって、断絶されたように見えた「これまで」と〈これから〉を繋いで、全体の道筋をつける力、それが弁証法である。「展開」に似た言葉に「進歩」がある。ただ〈進歩〉は、技術であれ、国力であれ、外から加えられてゆく量的な蓄積によって測られる。それに対して「展開」は、本来的に備えていた力が内から花開くところに見定められる。

 4 認識の自己表出と指示表出はヘーゲルの「展開」と関連している。認識の指示表出は〈集積〉や〈進歩〉、自己表出は「展開(Entwicklung)」に対応する。