対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

濁った弁証法

2007-05-27 | ノート

 マルクスはヘーゲル弁証法は逆立ちしていると述べた。そして、その合理的核心をつかむためには、転倒する必要がある、と。

弁証法はヘーゲルにあっては頭で立っている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくりかえさなければならないのである。(『資本論』大内兵衛・細川嘉六監訳 大月書店 1968年)

 マルクス主義はこの課題を解こうと試みてきたと思う。しかし、この課題は解かれていないのではないか、というのがわたしの考えである。

 ヘーゲルとマルクス主義の弁証法。逆立と正立の二つの弁証法に共通しているのは「矛盾」と「否定の否定」(「論理的なものの三側面」)が中心におかれているということである。

 わたしはこの二つの弁証法を「濁った弁証法」と名づけようと思う。そして、マルクスの「逆立と転倒」に対して、「混濁と透析」という図式を提出しよう。

 弁証法はヘーゲルとマルクス主義にあっては濁っている。誤った外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それを透析しなければならない。

 「濁った弁証法」と特徴づけるのは、次のようなゲーテの嫁の印象にもとづいている。( オティーリエ・フォン・ゲーテによる回想(『ヘーゲル同時代人の証言から』)(1827年)

 ゲーテは或る日、昼食に客を一人招いてあることを、嫁に告げた。いつもの例で彼はこの客の名前を言わず、また客が現われたときも紹介しなかった。……食事の間じゅうゲーテは沈黙がちだったが、おそらく、多弁で論理的に明快で、またひどくこみ入った文体を繰りひろげるこの客人を自由にしゃべらせておくためのようであった。ますます活発に論証を行うこの男が口にする全く新しい専門的な述語や、考えの上で飛躍のある表現方法や、奇妙に哲学的な成句は、とうとうゲーテを完全に沈黙させてしまったが、この客はそれに気づかなかった。……食事が終わり、客が帰って行ったあと、ゲーテは嫁に尋ねた。「さてあの男をどう思ったかね。」「変っています。あの方は才気煥発なのか精神錯乱なのか、私にはわかりません。頭のにごった思想家という印象をうけました。」ゲーテは皮肉に微笑してこう言った。「はてさてわたしたちは今ではもっとも著名な現代の哲学者と、つまりゲオルク・フリードリヒ・ウィルヘルム・ヘーゲルと食事をしたのだ。」 ( 金谷佳一「ヘーゲル観さまざま」 『ヘーゲル読本』加藤尚武編 法政大学出版局 1987年)

  にごった頭のなかの濁った弁証法。