ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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宗教15~マンダラと「聖なる中心」

2018-04-07 12:23:32 | 心と宗教
●マンダラと「聖なる中心」

 ユングは精神的な危機にある患者の治療の過程で、しばしば患者の心に、円または4の倍数を要素とする幾何学模様が現れることを発見した。ユングも自らの危機において、同じイメージが自分の心に現れることを体験した。ユングは、そうしたイメージが西洋の神秘主義者の幻視に多く描かれ、チベット密教ではマンダラと呼ばれ、瞑想的修行や儀礼の場などで使われていることを知り、これを自己元型によるイメージと解釈した。
 ユングは、マンダラは人が心の分裂や不統合を経験している時に、それを統合しようとする心の内部の働きの表れとして生じる場合が多い、と報告している。彼が治療に当たった患者の心にマンダラが現れると、心に平静や安らぎがもたらされた。マンダラを描くことで、患者は自分の心を客観視し、心の統合に取り組むことができるようになるのだった。
 ユングは、マンダラの出現は「明らかに、自然の側からの自己治癒の企てであり、それは意識的な反省からではなく、本能的な働きから生じたものである」と述べている。いわば、心の統合を回復しようとする精神的な自然治癒力の働きである。
 マンダラを最も重視してきたのは、インドからチベットに伝わった密教である。解脱や悟りを目指す宗教である仏教では、厳しい修行の過程で修行者がマンダラのイメージを抱くことがしばしばあったのだろう。そのイメージは、幾何学的な構図を持つ荘厳な曼荼羅図に描かれている。密教の系統である真言宗では、胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅が有名である。
 仏教では、マンダラの manda は「真髄」「本質」を表し、laは「成就」を表すとし、マンダラは「真髄の成就」を意味すると解釈されている。曼荼羅図は、悟りの境地を平面に表したものと考えられている。
 マンダラにおいて最も重要なのは中心であると私は考える。円または4の倍数を要素とする図形は、しばしば中心を強調する。中心は、宗教学者のミルチャ・エリアーデが世界の諸宗教や神話の研究において最も重視した象徴である。「聖なる中心」とか、中心のシンボリズムとも呼ばれる。
 「聖なる中心」は生命と宇宙の源であり、「死と再生」が起こる聖なる場所である。そこでは「対立物の一致」が実現する。また、すべてのものの差異が還元される。そして、すべてのものの秩序と調和が確認され、世界と自己に意味が充満される。例えば、日本神道における天之御中主神は、まさにこうした「聖なる中心」を名称とする神格である。
 私は、ユングのマンダラとエリアーデの中心は、同じ対象をとらえたものと考える。ユングが研究したように、個人においては、精神的な危機の克服の過程で、しばしばマンダラが描かれる。またエリアーデが研究したように、集団においては、共同体の祭儀の中で、聖なる中心が確認される。そして、マンダラは中心を示し、中心はマンダラの中心であるとの関係があるというのが、私の理解である。例えば、キリスト教の十字架は、4の倍数の要素を持つマンダラであり、これは縦横の線が交差して中心を示している。中心は、イエスが死に復活する聖なる場所を象徴している。
 ユングのマンダラとエリアーデの中心は同じものを指示すると仮定すれば、人は自己の象徴を通じて、心の全体性を回復するとき、自分の心の中心と宇宙の「聖なる中心」が合致することによって、宇宙の全体性を自覚し、同時に宇宙における自己の真相に覚醒し得るということができるだろう。これを伝統的な宗教では、梵我一如、悟り、自性開顕、神人合一等と呼んできたと考えられる。

 次回に続く。