ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ104~レーガン、ブッシュ父、クリントンの時代

2017-09-21 08:55:56 | ユダヤ的価値観
レーガン政権とブッシュ父政権による冷戦の終焉
 
 アメリカのユダヤ人は、1933年のルーズベルト政権の成立以降、黒人等の少数民族や労働組合と連携してリベラル連合を形成し、民主党を支え続けた。しかし、1960年代後半から、黒人は人種差別を解決するために、「結果の平等」を要求するようになり、白人多数とともに「機会の平等」を主張するユダヤ人とは、対立するようになった。さらに、1970年代に入ると、ユダヤ人を除くリベラル連合は、アジア・アフリカ等の民族解放闘争に共感してパレスチナ難民を支持して、激しいイスラエル批判を開始した。それによって、リベラル連合に大きな亀裂が入った。そして、ユダヤ人の多数がリベラル連合から離脱し、共和党を支持するキリスト教保守派と結合するようになっていった。
 米国の大統領選では、現役大統領は再選する可能性が高い。だが、カーターは現職でありながら、1980年(昭和55年)の選挙で共和党のロナルド・レーガンに負けた。カーターの敗北の原因には、在イラン米大使館人質事件での救出作戦の失敗等が挙げられるが、ユダヤ人のカーター離れも影響したと考えられる。ユダヤ人の多くは、カーターがキャンプ・デイヴィッド合意を仲介し、イスラエルに多大な譲歩を求めて、仇敵との和平を結ばせたことに反発した。彼らはカーターを見限り、共和党のレーガンの支持に転じた。カーターは、ユダヤ票の約40%しか獲得できなかった。民主党大統領候補としては、過去最低の支持率だった。歴代民主党大統領候補の平均値は75%ゆえ、目立って低かった。
 カーターに替わったレーガンは保守強硬派であり、ソ連に軍拡競争を仕掛け、ソ連を経済的な苦境に追い込んだ。
 レーガンは、元ハリウッドの俳優で、若い時から映画業界でユダヤ人の友人を持っていた。ユダヤ人の知識人の中には、ソ連を「悪の帝国」と非難し、対ソ強硬路線を説く者がいた。新保守主義(ネオ・コンサーバティズム)の信奉者、いわゆるネオコンである。ネオコンの源流は、反スターリン主義的なユダヤ系の左翼知識人である。彼らの一部が第2次世界大戦後、民主党に入党し、最左派グループとなった。彼らは、レーガン大統領がソ連に対抗して軍拡を進め、共産主義を力で克服しようとしたことに共感し、共和党に移った。そして、レーガンの外交政策に大きな影響を与えた。
 レーガン政権で、アメリカのイスラエルへの援助は増大し、1981年にはアメリカとイスラエルは正式に軍事協定を結んだ。ここに、アメリカ=イスラエル連合の同盟関係が確立した。
 レーガン政権は、新自由主義・市場原理主義を取り入れた政策を、8年間にわたって行った。 レーガン政権はソ連への対抗のために、軍拡路線を取った。それによって、ソ連を軍拡競争に引き込み、経済力の違いによって、ソ連を崩壊に導いた。だが、軍事費の増大や多国籍企業の活動等により、アメリカは財政赤字と貿易赤字の双子の赤字を抱えるようになった。また、新自由主義・市場原理主義の政策への導入は、やがて自由主義的資本主義の行き過ぎを招くことになった。
 1989年(平成元年)からレーガンに続いて同じ共和党のジョージ・ブッシュことブッシュ父が、米国大統領を1期務めた。ブッシュ父は、ソ連のゴルバチョフと会談し、冷戦を終結に導いた。ソ連が崩壊すると、アメリカは、唯一の超大国の地位を獲得した。アメリカは、湾岸戦争でイラクを破り、圧倒的な力を誇示した。
 ブッシュ父は「史上最もイスラエルに冷たい大統領」と呼ばれた。彼は1991年(平成3年)、イスラエル支持のユダヤ人を「強力な政治的勢力」と呼んだ。この発言は、ニクソン政権からレーガン政権にかけて共和党支持に移っていたユダヤ票を、民主党へ逆流させるきっかけとなった。1992年の再選にあたり、ブッシュ父には湾岸戦争と冷戦に勝利した大統領という自信があったのだろう。そのため、ユダヤ・ロビーとの正面衝突を辞さなかったと見られる。だが、選挙結果は、惨敗だった。前回の選挙に比べ、ユダヤ票は24ポイント低下し、ユダヤ系の資金は民主党のビル・クリントンのもとに集まった。かつてはカーター、今度はブッシュ父と政党は違うが、ユダヤ人の支持を失えば、現職大統領といえども、選挙に敗れるという認識が定着した。それだけ、ユダヤ・ロビーが大きな力を持つようになったということである。ブッシュ父の敗戦の教訓は、ブッシュ子に受け継がれることになる。

●ビル・クリントン政権とグローバリゼイション
 
 1993年(平成5年)1月、民主党のビル・クリントンが第42代大統領になった。
 ビル・クリントンは、8年間の在任中、それ以前のどの大統領よりも多くのユダヤ人を要職に就けた。それ以前に最もユダヤ人が多かったのは、フランクリン・D・ルーズベルト政権だったが、クリントン政権におけるユダヤ人の多さは、FDR政権とは比較にならない。
 主要閣僚には5人いる。財務長官のロバート・ルービンとその後任のローレンス・サマ-ズ、労働長官ロバート・ライシュ、商務長官ミッキー・カンター、農務長官ダン・グリックマンである。このほか、国務長官のモーディレン・オルブライトは、自分の素性を知らされずにカトリック教徒として育てられたユダヤ人だった。また国防長官のウイリアム・コーエンは父がロシア系ユダヤ移民で、少年時代にユダヤ教育を受けた。
 それ以外の政権幹部では、ドイッチCIA長官、アイゼンスタット国務次官、ホルブルック国連大使、バーシェフスキー通商代表、バーガー国家安全保障担当大統領補佐官、インディク中東担当国務次官補、ロス中東特使、ミラー中東特使らもユダヤ人だった。またクリントンが在任中に任命した連邦最高裁判事は、定員9人のうち2名がユダヤ人だった。これはFDR以来のことだった。ユダヤ人は全米人口の2%弱ゆえ、その比率から見て、2分の9は顕著に多い。
 クリントン政権は、世界戦略として、軍事力の行使よりも、経済と情報の力で世界をリードする方針を取った。
 クリントン政権は、レーガン政権時代に膨らんだ「双子の赤字」を解消し、財政黒字に転じるほどの経済的成果を挙げた。この時の主要経済担当スタッフのうち、財務長官のルービン、同次官で後長官のサマーズに加えて、FRB議長のグリーンスパンの三人ともがユダヤ人だった。彼らは、巨大国際金融資本の意思を受けて、アメリカ財政の建て直しを推進したと思われる。  
 クリントンは、グローバリゼイションを標榜した。グローバリゼイションは、国境を越えた交通・貿易・通信が発達し、人・もの・カネ・情報の移動・流通が全地球的な規模で行われるようになる現象である。グローバリゼイションを推進するアメリカは、ITの情報力と基軸通貨ドルの経済力で他国を圧倒した。
 クリントン政権は、インターネットなどの軍事技術を民間転用することで、IT(情報技術)革命をいち速く進めた。マイクロソフトやインテルといったIT関連企業がアメリカ経済をけん引した。それによってアメリカは、情報通信技術で各国に大きく抜きん出た。
 クリントン政権は、また金融のイノヴェーションを進めて世界経済を支配する仕組みを作った。1980年代まで宇宙開発に従事していた科学者が金融業界に転じ、宇宙工学を応用して金融工学を発展させた。金融工学は、新古典派経済学に基づき、将来の不安定性をリスクという概念でとらえ、確率論的な計算によって、リスクの分散や管理ができるとし、これを商品化した。デリバティブと呼ばれる金融派生商品が続々と作られ、情報金融システムを通じて、世界中で販売されるようになる。アメリカは、ドルが基軸通貨であることを利用し、新たな金融商品を売ることで、ドルがアメリカに還流し、アメリカが繁栄する仕組みを作り上げた。

 次回に続く。