ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユダヤ23~中世欧州での職業特化

2017-03-11 08:55:42 | ユダヤ的価値観
●中世ヨーロッパでのユダヤ人の職業特化
 
 ユダヤ人は、類まれな経済的能力を発揮する。その背後には、古代西アジア諸文明の経済文化がある。メソポタミア文明の古代バビロニア王国では、ハンムラビ王が、紀元前18~17世紀に「ハンムラビ法典」を制定した。法典は、大商人から元手を借りて商業を行なう代理人が利益をあげなかった時は、借りた銀の2倍を返すと定めていた。貧民は神殿で食料、種などを借りられ、貸付利子は大麦が33%、銀が20%だった。また為替で特定額の貸付を行うことが、ハンムラビ王の時代には知られていた。ヒッタイト人、フェニキア人、エジプト人の間でも、利子は合法的であり、しばしば国家によって利子率が決定された。
 イスラーム文明で8世紀後半に樹立されたアッバース朝では、経済規模の拡大に通貨の供給が追いつかなかった。金銀貨の両替に当たる銀行が一種の小切手を振り出し、その使用が一般化した。バグダードには多くの銀行が設立され、そこで振り出された小切手は、アフリカ北西端のモロッコでも現金化できたという。
 こうした古代バビロニア王国からアッバース朝にいたる2千年以上の経済的伝統をよく体得したのが、ユダヤ人だった。ユダヤ人は、西アジアで興亡した諸文明の経済文化を継承した。モーセ五書の一つ、『申命記』23章21節に「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。」と定めている。外国人からは利子を取っても、取り立てをしてもよいという教えである。
 故国を失って離散したユダヤ人は、移住した地で生活していくための職能を身につけた。その職能のひとつが商業だった。外国語を習得し、異文明間の交流において通訳と交易を行うことができるユダヤ人は、各地の為政者に重用された。
 西ヨーロッパから中央ヨーロッパに広がる当時のヨーロッパ文明において、ユダヤ人は商人としての技量を買われて、支配者たちに招かれた。土地所有者と農民からなる封建社会の枠組みからは、最初から外されていた。土地所有から切り離された結果、ユダヤ人は都市の住民となった。法的地位は王、封建領主あるいは司教たちに全面的に依拠していた。
 キリスト教に改宗しないユダヤ人は異教徒として差別され、市民権を与えられなかった。ユダヤ人が携わることのできた職業は極めて限られていた。金貸し業、税の集金、小規模な質屋、古物の売買などである。しかし、一部のユダヤ人は職業選択の制限を逆に生かし、金融と投資に関する専門技術を発達させた。ユダヤ人は、迫害・追放のたびに簡単に奪われる不動産・家畜などではなく、容易に持ち運べて隠せるものに財産を変えておく必要があった。それには金銀や宝石が向いていた。そこから彼らは金銀宝石を扱う商業のプロにもなっていった。12世紀から西欧のユダヤ人には銀行業や商業で成功する者や宮廷に出入りする者も出た。社会的地位は低かったものの、経済的な実力によって階層を上昇し得る道を切り開いていった。
 また、度重なる追放と強制的な移住で、ユダヤ人はヨーロッパの分散居住するようになったが、その結果、ユダヤ人は各地をつなぐ情報・金融・流通の国際的なネットワークを形成した。それが彼らの集団の他にない強みとなった。

●イスラーム帝国でのユダヤ人
 
 さて、当時ヨーロッパ文明より遥かに先進的だったイスラーム文明の帝国は、西アジア・北アフリカで急速に版図を拡大していた。この拡大に伴い、ムスリム商人の手でユーラシア諸地域がネットワークでつなげられ、巨大な交易圏が形成された。その中でユダヤ人は縦横に活躍した。
 9世紀のイスラーム教徒の地理学者イブン・フルダーズベは、『諸道路と諸国の書』にユダヤ人の活躍を書いている。「時としてユダヤ商人は、フランク族の住まう地方から船出して、西方の海を横切ってアンティオキアに至り、そこからバグダードを経てオマーン、インド、シナへと赴く」と。
 イスラーム教国は711年にスペインを征服し、統治下に置いていた。イベリア半島では、その前にローマ帝国の末期である5世紀初めに、ゲルマン民族が侵入し、西ゴート族がスペインを支配するようになり、カソリックに改宗していた。
 イスラームの支配下のスペインで、ユダヤ人はアラブ人に協力して、イスラーム文化の黄金時代を築いた。ユダヤ人はアラブ人に重用され、政府の要人、財政相談役、学者、医者、商人等として大いに貢献した。彼らはアラビア語を話したが、宗教はユダヤ教を保った。居住地は一定の地域に限定されていたものの活動の自由があった。ユダヤ人共同体は、10世紀までバビロニアが中心だったが、10世紀以後は、イスラーム教徒が支配する北アフリカとスペインで繁栄した。
 こうしてユダヤ人社会には、11世紀までに、スペインを中心とするイスラーム教圏のセファルディムと、ヨーロッパ・キリスト教圏のアシュケナジムの二つの大きな文化的集団が確立した。
 セファルディムが居住するイスラーム文明において、ユダヤ人は「啓典の民」として比較的恵まれた地位を与えられ、人頭税の支払いを条件に信仰の自由を得た。また移動の自由、居住の自由等も与えられた。これはアシュケナジムを迫害し続けたヨーロッパ文明とは、著しい違いである。とりわけ約600年間にわたり中東を支配したオスマン帝国は、ユダヤ人を厚遇し、宰相にさえ登用した。イスラーム教徒とユダヤ教徒の共生関係が崩れるのは、1948年のイスラエル建国後のことである。これもまた西方キリスト教諸国の思惑が生み出した状況である。

 次回に続く。