ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権331~「諸国民衆の法」における人権

2016-07-18 08:54:42 | 人権
●「諸国民衆の法」における人権

 次に、「諸国民衆の法」における人権の概念について述べたい。「諸国民衆の法」の構成原理の中には、(1)各国民衆は自由かつ独立であり、その自由と独立は、他国の民衆からも尊重されなければならない、(6)各国民衆は諸々の人権を尊重しなければならない、という項目におけるように、人権の尊重が含まれている。
 政治的自由主義を標榜するロールズは、人権は「人間本性に関する、いかなる特定の宗教的・哲学的な包括的教説に依拠するものでもない」とする。たとえば、「諸国民衆の法」は、「人間は道徳的人格である」とか、「人間は神の前では同じ価値を持つ」といったことを主張しないという。また「人間には一定の道徳的能力や知的能力が備わっており、それゆえに人権を享受する資格が与えられる」などと主張するものでもないという。その理由は、「もしもこうした仕方で議論を進めるならば、その場合には、良識ある階層社会の民衆の多くが自由な、ないし民主的であるとして拒絶するような、あるいは、ある意味で西洋文明の政治的伝統に固有なものであり、他の諸文化にとっては不利になる考え方だとして拒絶するような宗教的・哲学的教説が、すでに前提に含まれていることになってしまうだろう」。だから、人格・価値・能力・資格について主張しないのだという。ただし、「それでも依然として、諸国民衆の法は、こうした諸々の教説を否定するわけではないのだが」と補足しており、主張はしないが、否定もしないという姿勢を取っている。
 では、人権とは何を根拠とするものなのか。何に基づいて人は人権を持つとするのか。ロールズは、その根拠を示さない。そのため、特定の宗教的・哲学的・道徳的な包括的教説に依拠することなく提示でき、「自由な社会」と「良識ある社会」の間で合意し得るような人間の権利という程度のことしか、第三者にはわからない。
 では、どういう権利が、ロールズのいう人権なのか。具体的には、次のようにロールズは言う。
 「諸国民衆の法における人権とは、奴隷状態や隷属からの自由、良心の自由(しかし、これは必ずしも、良心の平等な自由ではないのだが)、大量殺戮やジェノサイドからの民族集団の安全保障といった、特別な種類の差し迫った権利を表している」と。
 この規定は、非常に限定的で、人権を、自由権のうちのごく一部と特殊な状況にける集団の生存に関する権利に限っている。自由権のその他の権利や参政権及び社会権は、「諸国民衆の法」における人権に含めていない。
 これを最低限の人権と呼ぶこととしよう。これと、世界人権宣言が定める諸権利を比べると、どうなるか。ロールズの世界人権宣言への言及は少ないが、『諸国民衆の法』では、註(第Ⅱ部23)で触れている。そこでは、先の規定よりは広く、同宣言における人権を、「固有の人権に該当すると見ることができる」もの(第3~18条)、そのグループの諸権利から「明確な含意から導かれる諸々の人権」(ジェノサイドやアパルトヘイトなどに関する特別な条約に示されるような、極端なケースを扱う)ものに分ける。これら二つのグループは「共通善とつながりを持つ諸々の人権」であるとする。その他に「自由な要求の表明として説明するのが適切であると思われるもの」があるとする。
 当該の註において、宣言における人権のうち、ロールズが「固有の人権に該当すると見ることができるもの」としているのは、第3~18条である。世界人権宣言の条文については、第8章で全文を掲載したが、条文のうち第3~21条はすべての人間が共有すべきとする市民的、政治的権利を規定している。ロールズは、そのうち、第19~21条を除外している。それら3つの条項は、意見と表現の自由に対する権利、平和的集会と結社の自由に対する権利、政治に参加し公務に就く権利及び選挙に関する権利を定めている。自由権及び参政権に分類される権利である。第22~27条は経済的、社会的、文化的権利であり、社会権に分類され権利である。第28~30条は、社会的および国際的秩序についての権利、権利が制限される場合、社会に対する義務を規定する。また、権利及び自由の国連の目的及び原則との関係、破壊活動との関係を定めている。ロールズは、これらは第3~18条の条文の諸権利から導かれる権利または自由な要求の表明と見る。
 ここで第3~18条の諸権利と第19条以下の諸権利を区別する理由について、ロールズは具体的に語っていない。どうして自由権の一部である意見と表現の自由に対する権利、平和的集会と結社の自由に対する権利、また参政権である政治に参加し公務に就く権利及び選挙に関する権利を「固有の人権」に該当するものと見ることができないのか、理由は述べられていない。
 大まかに言えば、ここでのロールズは、人権を自由権の大半と特殊な状況における集団の生存に関する権利に限定し、自由権の一部と参政権及び社会権は、人権に含めていない。先に引用した「諸国民衆の法における人権」と自由権の範囲は異なるが、基本的な考え方は共通している。
 「諸国民衆の法」における人権と世界人権宣言における人権に関する上記の見解を比較すると、前者は後者より範囲を狭く限っている。ロールズは、非西洋文明の諸国を含む国際社会では、前者程度の範囲の権利しか合意できないと考えているのだろう。だが、世界人権宣言は、国連加盟国の多くが賛同しているものであり、賛同国にはイスラム教諸国もある。宣言の理念を具体化した国際人権規約は、加盟国を直接に拘束する効力を持つ条約だが、現在、自由権規約、社会権規約とも160か国以上が締約している。個別的人権条約である女性差別撤廃条約などは、187か国も締結している。ロールズの考え方は、歴史的事実とも国際社会の現実ともかなり異なり、範囲の狭いものとなっている。

 次回に続く。