美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

類稀な小説家の夢想(モーパッサン)

2024年04月17日 | 瓶詰の古本

 情愛が持つてゐる総ての感じは、それが暴横なものになる時に、魅力を失つてしまふ。何人かに会つたり、何人かと話したりする事が、自分に愉快であるからといつて、それから引いてその男のする事や、その男の好く事やを、自分が知らなければならないといふことが当然許容されるであらうか?
 大小の都会や、交際社会の有ゆる集団やの中に起る喧騒、意地悪な、嫉妬深い、悪口をいつたり、讒訴したりする好奇心や、他人の情愛や、関係や、お喋りや誹謗やを断えず注意してゐること、これ等は皆な、度合ひこそ異へ、我々は宛も互々に属し合つてでも居るやうに、我々は当然他人の行為を制御すべきものであるといふ主張から生じて来るのではないか。そして我々は事実、他人の上に、他人の生活の上に、或る権利を持つてゐるものと思ひきめてゐる。我々は他人の生活を、自分等の型に篏たいと思つてゐる。他人の思想についてもさうである、我々はそれが自分等と同じ種類のものたるべきを要求する。また他人の意見についてもさうである、我々はそれが我々のものと異つてゐるのを宥したくない。また彼等の名声についてもさうである、我々はそれを我々の主義に準じて要求する。彼等の習慣についてもさうである、我々はそれが我々の価値観念と一致しない場合に、憤りを発する。

(「水の上」 モウパッサン作 吉江喬松譯)

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