美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

桜の飛鳥山(安藤祐専 藤田福太郎)

2024年04月03日 | 瓶詰の古本

飛鳥あすか 北豊島郡瀧ノ川村にあつて、上野から王子まで十五分、賃七銭。市内電車ならば大塚終点まで行き、それより王子電車に乗り替へれば山の麓まで達する。此間五銭。
 江戸趣味の一つである春の花見は江戸の町から次第に駆逐されて今は漸く此飛鳥山でのみ多少昔の花見の面影を見る事が出来る。老若男女花の下で演ずる嬌態艶姿は真に花見の思あらしめるものだ。
〔地名の由来〕飛鳥山と云ふ名は元享年間(約六〇〇年前北条高時の時代)豊島左衛門なる者が山上に飛鳥の祠を建てたに始まると云ふ事である。
〔桜の起源〕花の名所となつたのは元文の頃(約一八〇年前)八代将軍吉宗が桜を移植せしめて、士民の遊園地としたに始まるもので、明治の十四年公園地になつた。
 因に吉宗将軍は元禄時代に弛廃しかけた幕府の権威を新井白石の後をついで大に引きしまつた所謂中興の英主と称せらるゝ名君である、其士気の廃頽を復活せしむる方法として遊猟、水泳など、戸外運動を奨励し奢侈を戒める為めに節倹の令を出すなど種々の改良政治の実施を試みたが、又一面には向島、小金井、飛鳥山などに桜花を植へて士民の遊園地をも作つたので、所謂善く働き善く遊ぶ主義の人であつた。今日に至るも多くの人々は其恩沢に浴して花見をする事の出来るものと云ふべきである。

(「帝都郊外の史蹟」 安藤祐専 藤田福太郎共編)

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 興味本位(深み無用)の話題... | トップ | 花の都の住民たちが夢遊病者... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

瓶詰の古本」カテゴリの最新記事