美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

不正確は慎むべきを説く(新渡戸稲造)

2017年01月29日 | 瓶詰の古本

   我輩曾てストックホルム市で演説したことがある。その時問題が日本建国の時代に触れたのである。スルト演説のあとでスエーデンの皇太子殿下は日本の歴史は新しくなりますかと御尋ねがあつた。我輩は日本建国の時代は従来より新しくなりませう。けれども建国以前の歴史がどれほどまで旧くなるか、考古学がまだ幼稚であつて見込が更につきますまいと御答した所、皇太子の云はるゝには、スエーデンの歴史は近頃になつて四百年ばかり昔の方に延長しました。それは全く考古学の研究の賜であつて、従来僅に童謡或は断片的の昔話に残つてゐた人物が、近頃研究の結果、実際に生きてゐた人たることが明となり、又学者間に全く排斥されてゐた物語も、今は之を歴史的事実と認めなくてはならぬ程度に研究の進んだものもある。そんなことでスエーデンの歴史は慥に四百年位は昔に生命が延びましたと。かう云ふ方法で国の生命の延びることは幾らでも延びたい。確実な事実に基く延長は国の誇ともなるが、単に紙上で或は口の先で百年千年を加ふるは、却て我々の非学術的なること、不正確なることを示すのみである。而して非学術的であり不正確であることが此点だけに止まると云ふ保証があれば兎もかく、かくの如き無用のことに不正確をする国民は、他のことにどれほどの不正確を縦にするか測られぬと云ふ疑を受けるは当然のことである。

(「新渡戸稲造随筆集」 石井滿編)

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