美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(七十三)

2017年01月25日 | 偽書物の話

   「黒い本からの思い設けぬ語りかけの声に応じて、先生は耳目の印象から曖昧な部分を取り除き、隠れた未知の構成を掴もうとされる。一度生起した現象を常時に生起する物理法則下の事実として踏み固めるべく、人知れぬ模索をしておられる。ご自分が受け身となって巻き込まれた得失はさておき、巻き込んだ渦の全容を冷静に対象化することで、事実の信憑性を極力高めようと努めておいでです。自身に生じる心的な感応現象をどこまで客観的に観察し定着できるか、容易いことでは勿論ないのですが。
   しかるに私を含め臆病な人間は、常軌をもって測り難い事態と運悪く鉢合わせしたとなるや、猛烈に心内での収拾を開始します。書物とは声を発することで初めて書物になるものであると強引に新しい前提を措定し、次いでは、これは書物の声を聞く能力を付与された人物であるが故に起こった必然の現象であると、きれいな決着振りを躍起になって装う。一つ事に対して言い回しを変えた言葉をたくさん用意すると、言葉と言葉を適宜に摘んで等号で結び付け、一気呵成に堂々巡りの方程式を立ててしまう。非理不穏の物事は堂々巡りする言葉の円環に納めてしまうのが安心への一番の早道であり、本道なのです。難解な論理を解きほぐして色鮮やかな経糸緯糸に分けたところで、心の安堵は得られません。弱い論理をいくらひた押しに押しても安寧を得られることはないし、鍛えられていない論理にしがみついても、精々迂遠な手慰み、時間の浪費で終わるのが関の山です。
   一見して理解不能なこと、ややこしいことは、敢えて素人が追求を始めたりするとまさかの深みへ嵌まるにとどまらなくなる。そちらへ向けて食指を動かした軽はずみが影響して、尚更ややこしいこと、不吉なことに育ちかねない。と、こうした機微を弁えていると自負するせいでしょうか、臆病者と他人から不名誉な札を貼られて平然としていられるのは。

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