kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ただ想う4

2024-03-04 | 陸上競技
想うことを。時間が過ぎていくとまた違う感覚が生まれてきます。

3月1日。卒業式当日。やはりクラスの生徒に対する想いはありました。何度か書いていますがこれが「好き」という感情なのかどうかは分かりません。教員が生徒に対して「好き」という言葉を使うと独り歩きしてしまう可能性もあります。それならそれでもいいかなという気持ちにさえなりますが。単純な「さみしさ」とは違う気がします。

生徒には少し早めに来るように指示をしていました。卒業アルバムにコメントを書いたりする時間も必要でしょうし。前日に「てるてる坊主」を全員に作ってもらいました。理由は3月1日に晴れて欲しかったからです。何か思い出作りをしたいというのもありました。これまで2回チャレンジして2回失敗した「風船飛ばし」をしたいなと思っていました。これも急に思いついたので数日前に急いでネットで注文していました。それなりの負担がありますがそれよりも「楽しいかどうか」は私にとって大きい。それは生徒にとっても大きいと思っています。風船を飛ばすためには何が何でも晴れてもらわないといけない。小さなカードをつけて飛ばそうという話になったので早めに集まって書くことに。

今回この「風船飛ばし」のために数人の先生にお願いして準備をしてもらうことにしていました。ヘリウムガスを入れる必要があるのですが早い時間帯に入れるとガスが抜けて飛ばなくなります。ギリギリの段階で準備しておかないといけない。とはいえ、私はHRで話をしたりあれこれするので時間がない。親しい先生方に準備をお願いしました。うちのクラスの生徒のためにお願いしますと頼みまくる。こういう部分では本当に恵まれていると思います。「人徳ですよ」といってもらえましたが、私にそのようなモノがある気がしません。それでもこうやって助けてもらえる。このことは生徒にも話をしました。「風船飛ばし」をするために先生方が力を貸してくれる。「何かをやる」というのは1人ではできないのです。多くの人の力を借りながらやっていく。当たり前ではない。

そんな話をしてから生徒が作ってくれた動画を見る。時間をかけて作ってくれました。前日のピザを食べている様子も含めて。色々なことを任せていましたが嫌がらずにやってくれていました。本当にありがたないなと。この動画も私が頼みました。「卒業式の前に動画を見せてもらいたい」と頼んで。動画を見て涙している生徒も複数名。私からは「良い式にしたい」という話を少し。私が担任になった時、クラスの生徒が「色々な先生からダメなクラスだといわれる」と愚痴っていました。酷いことを言われています。何度か言われていたみたいで「自分達はだめだから」みたいな雰囲気がありました。それは本当に面白くないなと思ってやってきました。今はどう思われているか分かりませんが。それでも「最後の式をきちんとやり遂げてできるところを示したい」ということを伝えました。思っているだけではなく「伝える」ことは必要なことだと思っています。

式自体は厳粛に行われました。クラスの生徒何人かは式の途中からずっと泣いていました。それでいいと思います。「さみしい」から泣いているのかどうかは分かりませんが。他のクラスの担任の先生が「このクラスの生徒が複数涙しているのが式の途中に分かってこちらも涙が出た」と言ってくれていました。何かしらの「想い」があるからこそ涙が出てくるのだと思います。

教室に戻って最後のHRを。この日のために動画を作っていました。このことは前の記事に書いています。実は作る途中で何度も涙が止まりませんでした。今回BGMをどうするかなと思って色々聞いていたのですが、聞いている途中に卒業式のことをイメージして涙が止まらなくなりました。いい年をしたおっさんが何をしているのかと。想うことはあります。

今回動画を作るにあたって想うことがいくつかありました。1つ目は「成長の証」を示すこと。保護者が同席されて最後のHRを過ごします。小さなころの写真と今の写真を比較して「大きく成長した」ことを感じてもらいたいなと。高校生活最後の日に子どもと同じ空間で「成長を感じる」というのは大きなことだと思います。一生に一回だけ。ぜひ見てもらいたいと。

2つ目はこちらの「想い」を込めての部分。前半部分は「コロナ禍」の高校生活について。マスクを着用すること、ソーシャルディスタンスを求められ「普通の高校生活」が何かも分からない。私的には本当に面白くないなと思っていました。高校生だからできることがある。それを経験できないまま終わったら「残らない」と思っていたからです。面白くないので「できる範囲で最大限楽しむ」ことをやってあげたいなと。他の人がどうこうではなく「私自身がやりたい」と思ったからやっていた部分があります。最初のころから「学校は面白くない」と言っている生徒も複数名いました。あからさまに担任が変わったので「前の担任と比較する」発言も聞こえるように言われていました。それが「ストレス発散」だったのかもしれません。ぶつける場所のない「いらだち」を他者に向けることで発散していたのかもしれない。それはクラスとして面白くない。だから別の形でクラスの「ガス抜き」ができればいいなと。単純に「授業を受けるだけの集団」では面白くない。だから「やりたい」といってきたことに関しては「やろう」というスタンスで。

更にこちらから「イベント」を作っていく。修学旅行もそうですが。この子たちが「コロナ禍」で我慢を強いられるのであればその代わりに「楽しいこと」があればいい。この集団でしかできないことをやる。誰か敵を作るのではなくみんなで時間を共有できればいいなと。その中で「見えてくるモノ」があると思っていました。その「想い」を込めた2つ目の動画。

3つ目はこれからについて。これまでのイベントなどの動画や写真をつかって動画を作りました。全ての動画や写真を「セピア色」に加工して動画を作りました。もちろん、大切な思い出ばかりだと思います。できればずっと忘れてほしくない「想い出」です。しかし、過去に頼ってばかりいたら前には進めません。途中から「フルカラー」の動画や写真に変更。求められるのは「今からどうするか」です。ちょうどその「想い」に一致する曲があったのでそのまま使わせてもらいました。私がいないときにこの子たちがどのような姿になっているのか。自分自身で「答え」を見つけて欲しいなと。これまでやってきたことが試されるのはこれからだと思うので。

私は動画をずっと見てました。今考えると動画を見ている生徒の姿を見ておけばよかったなと。動画が終わってから生徒側を見てみると多くの生徒が涙を流していました。同時に半数くらいの保護者の方が涙を流されていました。あー、良かったなと。別に感動させるために動画を作ってきたわけではありません。卒業式の日に高校生活を振り返って涙が流せるというのはある程度充実した生活が送れたから。冷めた感情やどうでもいいと思っていたら涙は出ません。それでいいと思っています。

私からこの動画を作った「想い」を伝えました。上に書いてきたとおりのことです。それ以上でもそれ以下でもない。伝えたいことはしっかりと伝えた。これでよかったかなと。

最初の段階で「最後は笑って終わりたい」と伝えていました。「感動の押し売り」をする気はありません。涙涙で最期を迎えたら面白くない。笑って終わりたい。ここは譲れないなと。

動画を作った意味があるかどうか。生徒と保護者がどのように感じたかは分かりません。それでも多くの参加者が涙を流してくれていたのは「意味がある行動」だったと思っています。

長くなりました。記事を変えます。もう少しだけ書かせてください。

コメント
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