kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

若干の・・・

2022-11-30 | 陸上競技

色々なことがあります。もうどうでもいいなと思うことも含めて。

 

色々なことを経験する。その中で「おかしいよね」と思うことが存在する。それに対して「おかしい」というのか「もういいや」と思うのか。それによっていろいろなことが変わってくると思います。元々の性格的に「おかしい」ことに関してはあれこれ言います。考え方が違ってくるので「意見が合わない」ということは当然あります。ある程度は「大人の対応」をするべきだと思って我慢していますが、では「どこまで我慢すればいいのか」という話になります。

 

「自分のことだけ」でいいのであればもうそれでもいいかなと。「教員」という仕事は色々場面で「非難の対象」となります。何かすれば叩かれる。「価値観」は様々。

 

blogに「愚痴」のようなことを書いたら「愚痴を書くな」と批判的なコメントが書き込まれたことがあります。今年に入ってからです。それって「悪」なんですかね?blog自体は「個人の範疇」でやっています。ネット上の公開されるというのも念頭に置きながら「常識の範囲内」で示していると思っています。もちろんそれに対して「気に入らない」と感じる人もいるのだと思います。それはそれで仕方ない。別に「書くな」とコメントをするくらいなら「読まなければいい」と思います。

 

このblogを「読む」ためにはblogの検索をしたりして「アクセス」しなければいけません。毎日無理やり読まされるというものでもない。私がblogに書く内容を色々な人にメールして「読め」と強制しているわけではないからです。ここに関しても違和感を感じます。「kanekoが嫌い」でもいいと思うのですが、わざわざ「嫌いな人」のところに行って「やっぱり嫌いだ」と確認する必要性はないのではないかなと。「嫌い」だと思えば「距離を置く」ことができるからです。

 

とにかく今は「変化」が大きい。私がblogを始めたころにはほとんどそんな環境はありませんでした。20年くらいまえでしょうか。今はインスタなどが主流になっています。それはそれでいいと思います。私は「スタンス」を変えずに自分のことをやっていきたいなと思っています。それが正解かどうかは分かりません。が、「生き方」を誰かに強制される話ではない。

 

本当に色々なことに対して「もういいや」と思うことが増えてきました。それが「歳を取る」ということなのかもしれません。「角が取れる」という言い方をしますが、若いころとは違ってくるのかもしれません。とはいえ、「おかしいな」と思うことに対して「おかしいな」と表現できなくなるのはやっぱり「間違っている」と思います。

 

世の中には様々な仕事があります。別に「教員」という仕事にこだわらなくてもいいのではないか。他の仕事ができるのかどうかという話もありますが。

 

どうでもいい話ですが、教員になる前に1年間「アルバイト」で生活していた時期があります。「正規社員」ではなく「期間限定」のような感じです。大学院の2年生の時に教員採用試験を受けなかったので次の年に受けることになりました。その1年間は「生活をする」という意味で働きました。自動販売に飲物を入れたり、荷物の仕分けをしたり。「地域雑誌」の試験も受けて合格をしたのですが、「期間が限られる」という話をすると不採用になりました。長期間続けてもらいたいということだったので。

 

そこで「地域雑誌」を作る仕事に就いていたら人生は大きく変わっていたのかなと思います。その時にはすでに「採用試験」に合格していたのでそちらを優先しました。色々な「分岐点」があってその時その時に「選択」をしている。博士課程に進んで「研究」をするという「選択肢」もありました。その中で選んで「今」がある。

 

「子供たちのために」という感覚がずっとありました。最優先は「子供たちにプラスになるかどうか」でした。今もその気持ちは変わりません。しかし、これから10年後にも同じ気持ちで入れるのかどうか。ここは分かりません。親しい指導者とはよく「50歳になったら」という話もします。このまま最後まで「教員」として働くのか、それとも全く別の仕事をするのか。

 

「狭い世界」でやっていると間違いなく「淀み」が生まれます。競技指導などを通じて色々な人と話ができる環境にあるのでそれは救われているのかなと思います。逆にそういう環境の中で生活してきたので「淀み」に対して「違和感」を感じる部分があります。それが「間違っている」のかもしれませんが。「前例主義」「事なかれ主義」で「目の前のことだけやる」というのが「正しい生き方」だとすれば私には苦痛でしかない気がします。「誰のためにやるのか」という感覚が異なれば「息が詰まる」からです。

 

少しだけですが遠方の方とやり取りをしました。「場所」は違っても同じような思いを持っていて毎日「葛藤」のなかで生活をしている。自分だけではない。そう思えることは勇気をもらえる気がします。基本的なスタンスである「生徒のために」というのを本当の意味で実現できるかどうか。

 

またも意味の分からない内容になっていますね(笑)。文才の問題だと思います。読みたくないなと思う人がいるのであれば「今後は読まないで」と投げかけたい。競技のことも書きますし、考えていることも書きます。毎日が「ハッピー」ではない。年齢を重ねても「何をするのか」を自問自答しながらやっています。「読む」も「読まない」も「選択」です。「やる」も「やらない」も「選択」です。多くの選択肢の中から「嫌なもの」を選ぶというのは面白くないと思います。そこだけは100%だと。

 

まとまりません。思ったこと、感じたことを記録しておきます。

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信条2

2022-11-29 | 陸上競技

思うことを。

 

前の記事にも書きましたが「部活動」と「競技」はすでに大きな「隔たり」があると思っています。これまでは「学校システム」の中に組み込まれながら「部活動」が競技をする場面でした。それ以外に「競技」をやるという仕組みがなかったからです。今では「クラブチーム」などが乱立しているので様々な形で「スポーツ」ができるようになっています。近い将来、「クラブチーム」に移行する部分が多くなるでしょうし、自然淘汰される「クラブチーム」も多く出てくると思います。今は軌道に乗っているといってもそれが5年後にも続くのかというと難しい部分が出てきます。

 

「勝利至上主義」は「悪」だと言われる部分があります。「勝てばそれでいい」という極論だけを批判する部分が多くあります。勝つためには手段を択ばない。そこに対して「人間的な成長」があるかないかを議論するため、「勝利至上主義」は「やらされている」ので「悪」だと言われる。一理あるのかもしれませんが「本質的な議論」ではないと思っています。

 

「部活動」が「それほどやりたくない」選手に合わせるのか「必死にやりたい」選手に合わせるのかは本当に難しい部分です。「平均」でやればなんとなく収まりますが、「やりたくない」選手に関しては「多すぎる」という評価になりますし、「やりたい」選手にとっては「足りない」となる。多くのパターンが存在するので「万人に受け入れられることはない」という結論になるのです。以前から私自身が「万人受けしない」というのは分かっています。そのことについてもblogにも書いてきたと思います。「やりたい」と思う選手にとっては「力」になっていると思いますが、「やりたくない」と思っている選手にとっては「負担」でしかない。それに対して「批判」が出るというのは当然だと思います。

 

「やりたくない」のであれば「やらなければいい」というのはあります。しかし、今のように「価値観の多様化」が進んでくると「少しやりたい」という選手が出てきて当然だと思います。「あの学校は競技に特化している」と分かって入ってきたとしても「そこまで求めていない」という選手は存在すると思っています。全員が「必死に強くなる」という同じ熱量でやるのはこの時代では困難です。「ある程度」はやりたい。が、「必死になる」ほどはやりたくない。「強くはなりたい」ががむしゃらにやるほどの「強い気持ち」は持ち合わせていない。当然起きうることです。

 

中学校の「部活動」が地域移行を中心に進んでいく。これがどれだけできるのか。この流れを止めることはできないと思っています。「業務軽減」ということで最も「切る」のが簡単な「部活動」にその矛先が向かっているからです。元々「本来業務」ではないという考え方が増えてきているので「やりたくないのにやらされる」という不満はこちらのほうでも生じてくるのだと思います。折衷案として「土日の部活動を地域移行する」という流れになっている。そこに対しての「受け皿」があるかどうかは分かりませんが。

 

私自身は「強くなりたい」と本気で思う選手と時間が過ごせたらと思っています。それが今の「部活動」なのか「クラブチーム」なのはか分かりません。何人かに話をしていますが「高体連」に対してそれほどこだわりもありません。今は委員をやっていますが、別にいつ辞めてもいい。委員になるという肩書が欲しいわけでもありませんし。元々、「運営」と「強化」は別の流れだと思っています。別に「運営」がやりたくて「指導」をしているわけではありません。競技運営に関しても「選手にプラスになれば」という形でやっています。ただそれだけです。

 

今すぐ「部活動」を辞めて「クラブチーム」に移行するのか。ここは難しい部分もあります。「絶対的に強化をする」というスタンスで私学で指導させてもらえるのであればやりやすいのかもしれません。公立高校ではそこまでの部分はできない。今の学校であればそれが多少なりとできるのかなと思ってはいますが。そのためには「結果」を出させてあげないといけない。

 

これも何人かと話をしました。「高校の競技」の楽しさは何かという部分。チームメイトと一緒に時間を過ごすというのが「楽しい」と思う選手もいるはずです。それは否定しません。上述のように「部活動」の幅は広がってきています。私的には「速く走れる」「結果を出す」ことで「楽しい」と思ってもらえるのではないかなと思っています。「勝つために」やるから負けたら悔しい。悔しいから「次にどうするか」を考えて取り組む。「出場するだけ」でいいのであればそれほどの「指導」は必要としないと思います。勝っても負けても「みんなでやってよかったね」という感じになるだけだから。

 

「勝利至上主義」ではないと思っていますが、指導の中心は「少しでも速く走れるようになる」ことだと思っています。そこが「至上命題」であって、それを達成するために「考える能力」や「周囲に気を配る能力」、「コミュニケーション能力」「自分の考えを言葉にできる能力」が必要になってくる。前の記事にある「必要条件」の話です。「絶対条件」に置かれている「強くなる」「結果を出す」という部分を補足するために「必要条件」が付随している。「必要条件」が「絶対条件」とされるのであれば「結果は出せなくてもいいから考える能力が身に着けばよい」となります。

 

自分の考え方が「正しい」か明らかに「間違い」なのか不安になった部分もあります。そのため数人に「真面目な話」をしました。話をしたから「正解が導ける」わけでもありません。結局、自分自身が答えを見つけていくしかないのですから。

 

もちろん「結果を出す」ことを求めていない選手に「それでは結果が出ない」と意見を押し付けるのは一種の「エゴ」だと思います。主体が「自分自身」なのか「選手」なのかによって違ってきます。「結果を出したい」と望んでいてもその方法が分からなかったり、頑張り切れない選手は出てきます。そこに対して「やらせる」というスタンスは絶対に必要だと思っています。「絶対条件」を満たすためには「結果を出すためにしんどくてもやる」「継続できない選手にやらせる」というのはある意味「必須」だと思っています。間違っているといわれるかもしれませんが。

 

自分自身の中で「信条」は持ち続けたいと思っています。「選手」を主体において「結果を出す」ために「必要なことはすべてやる」というスタンス。これが崩れるような状況であれば「指導を辞める」ことも必要だと思っています。それこそ「必要とされない」ことになりますから。本当に「必要」とされるのであれば「指導」を通じて競技力向上と人間的な成長を促していきたい。

 

うーん。文才がないので何が書きたいのか分からないですね(笑)。最近本を読めていないから文章力が圧倒的に落ちているのかもしれません。考えます。

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信条

2022-11-28 | 陸上競技

譲れないものがあります。ここに関しては誰に何を言われてもという感じではあります。

 

競技の指導をする。そこの根底は「本気で望むかどうか」です。「目標」を掲げ、それに向かって努力する。その過程で「指導が必要」であれば力を貸すという感じです。本人が本気で望まないのに「指導」をするのはお互いに不幸になると思っています。

 

「強くなりたい」といってもその方法が分からない。自分はやっているつもりでもそれは「必要な努力」ではない。その場合に関してはこちら側が積極的にアプローチして「修正」する必要があると思っています。選手自身は「自分はこんなにやっている」と思っているので、「足りないよ」というのをきちんと示してやるのが必要だと思っています。

 

逆に「それなりにやればいい」と思っている選手に対して「もっとやるほうがいい」というアプローチをすると「そこまで本気ではないのに」というのが反発として生じます。一律に「枠」にはめてやろうとすると100%上手くいきません。「それなりでいい」と思っている選手に「本気になる」ことを求めて伝わらないからです。間違いなく軋轢が生まれます。

 

場面や環境によって求められることは違ってくると思います。「進学校」で「部活動に必死になれ」という求め方をしてもそこに「意味」は生まれません。もちろん、「部活動」をやっていく中で「気が付くこと」はたくさんあるので「意味」はあります。が、「進学校」では「部活動で結果を出す」ことは求められていません。色々と話を聞くと県で優勝したり、中国大会に進んだとしてもほとんど反応がない学校もあるようです。結局、教員も生徒も「部活で結果を出す」ことを「最優先事項」だと考えていないからです。

 

そこに対して「それはおかしい」と異議を唱えるつもりは全くありません。間違いなく「正しい」からです。「何を求めているか」によって提供するものは異なってきます。「進学校」は勉強をして進路を決めるために選んだはずです。ここで「勉強は二の次」でとにかく陸上競技に専念しようというのは間違いです。だからといって「部活動をやる」ことを否定するものでもありません。限られた時間の中で最大限のことをやるというのは「進学校」でも同じだからです。

 

前任校に赴任した時、「競技力を上げる」というのをテーマに掲げてやりました。が、それに対して大きな反発がありました。残念ながら「競技力を上げる」ことを求められていなかったのです。全員が求めていないことをこちらが求めるというのは間違っていると思います。ある一定の水準でやることはできますが、「平均」を求めてやることで組織は安定します。「もっとやりたい」という選手もいれば「そんなにやりたくない」という選手もいる。どちらが正解なのかではなく、どちらも正解なのだと思います。だから「全くの別組織」でやるほうが全員が幸せになるのではないかと感じるようになりました。「そんなにやりたくない」と思っているグループは「指導をしてくれない」と批判はします。ここが最大だと思います。そしてそこに「現実の課題」がある。だから「クラブチーム」を作って「本当に強くなりたい」と思う選手のニーズに応えるほうがいいのではないか。そう感じるようになった理由はそこにある。「価値観」が異なる選手が集まってできる「集団」では間違いなく「軋轢」が生じるのです。

 

よくgt先生と議論をしていました。「挨拶ができるから良いチームなのか」という話。今ならもっと詰めた話ができます。答えは「NO」です。挨拶ができるために部活動をやっているわけではない。「挨拶ができる」ために競技をやっているわけではない。ここは「十分条件」なのだと思います。競技をやる中で「出来るようになったら良い」という部分。「陸上競技をやるなら挨拶ができなければいけない」というのはプラスアルファの条件でしかない。挨拶ができるから競技ができるわけではないから。もちろん、挨拶ができたりする「基本的なこと」は重要です。指導の中で「重き」を置きます。が、「基本的な生活習慣」の指導が「メイン」になっている指導では「競技力を上げる」「結果を出す」というのが「二の次」になってしまう。

 

「競技をする」という上での「絶対条件」(これが何が何でも必要)というのは何か。「部活動をする」と「競技をする」というのは現在の社会情勢の中で全く違うものだと自分の中で位置付けています。「部活動」に関しては「体を動かしたい」というレベルでも参加できると思います。放課後の余暇を過ごす一つの手段として「部活動」に所属する。少し前なら全員に「競技をする」というレベルを求めていましたが、それはもうミスマッチ以外の何物でもない。「結果を出したい」と望む選手と「みんなで余暇を過ごしたい」と望む選手が「同一の集団」でやっていくのは難しい。求められることが違うので。ここに今の「部活動の困難さ」があるのだと思います。「熱量」の違いは間違いなく存在する。

 

競技をやる上での「絶対条件」は「絶対に強くなることを目指す」「結果にこだわる」ということになるのかなと思っています。強くなるためになんでもやる、キツイことでも避けて通らないというのがあるから「競技」になるのだと思います。これは「部活動」の「絶対条件」ではない。「部活動」における「絶対条件」は今は「学校に所属しているかどうか」くらいだと思います。「やりたい」と言えばそれが「本気」か「それなり」かに関係なく「受け入れる」というのが当たり前になっていますから。

 

市民マラソンなどを考えてみると分かりやすいのかなと。ファンランのように「楽しみながら走る」という参加者もいます。もちろん「少しでも良い記録で走れたら良い」というのは誰にでもあります。しかし、普段の生活を「競技中心」にして起きている時間の大半を「競技力向上」に使えるかというと違うと思います。優勝を目指して参加している選手は間違いなく「絶対に強くなる」「絶対に結果を出す」と思って出場しています。同じ参加者であってもその「条件」は違ってきます。

 

話が難しくなっているかもしれませんが、今の私は立場的にも存在的にも「競技をする」ことをしたいと考えています。競技を通じて「陸上競技本来の楽しみ方」を知ってもらいたい、「人間的な成長をして欲しい」というのはずっとあります。しかし、「挨拶ができればそれでいい」というスタンスではありません。「競技」をやるのであれば「結果」にこだわって欲しいと思っています。今の学校であれば「結果を出す」「競技で勝ち上がる」というのが「絶対条件」だと思っています。多くの選手が「競技で結果を出したい」と望んで学校選択をしています。その「絶対条件」を満たすことができるのかどうかは大きい。選手が一番求めているのは「結果を出す」ことではないかと考えています。

 

「必要条件」として「考え方」や「行動」が出てくるのだと思っています。「結果」を出すためには「自分自身で考える」ことも「判断する」ことも必要になってきます。しかし、「考える」ことができたから「結果」が出せるのかというのは「全くの別問題」だと思っています。「やらされる練習」という言葉があるとそこに対しては間違いなく「否定的」だと思います。しかし、「結果」を出すためにはある程度の水準に達するまでは「指導者主体」でやらないと無理だと思っています。この辺りはkd先生ともよく話をします。「これくらいで十分だろう」と選手が思っていても「もっとやらないと足りない」というのが間違いなく出てきます。


上手くまとまりませんし、長くなっているので一旦この辺りで切ります。また読み直しながら書きたいことを書いていきたいと思います。存在する意味がどこにあるのか。何を求められるのか。

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雨降り

2022-11-25 | 陸上競技

水曜日。雨でした。予定では少し降るかなという感じでしかなったのですが、朝の段階でかなりの雨でした。屋外で練習するのは難しいだろうなという感じ。そのためピロティでの練習。

 

アップサーキットをやってからドリル系などをやる。比較的広く使えるということで一歩ハードルをひたすらやろうという感じになって20台くらいを並べての練習としました。専門的にやっていない選手もいますから「ハードリング」を求めるわけではありません。そこには意味がない。きちんと地面に力を伝えて「踏み切る」ことが重要です。上手く跳ぶというよりはそこかなと。

 

逆足も含めて6本。帰りは15mくらいのショートスプリント。有酸素系に近い感じですね。これを見ていると「跳べない」理由が明確に見えてきます。専門にしていない選手に関しては「抜き足」が前まで来ません。さらには抜き足が接地するときに「開いて前」に着きます。この結果ブレーキがかかってしまい「スピードが鈍る」のです。ある程度ハードルが跳べる選手でも同様の動きになるというのもありますが。この部分は重要だと改めて感じました。抜き足がきちんと前まで持ってこれるかどうか。ここをしっかりとみていきたいですね。

 

休憩を兼ねて(?)補強を実施。いつもは屋外で実施するメニューです。手狭なとことでやるので大変ですが。この時に動きの指摘をしたのですが「自分は〇〇を意識しているのでそこは考えていません」との返答。そうであればこれから先もアドバイスをする必要はないと思います。別に「指導しなければいけない」わけではありません。その練習の課題を明確にして「やるべきこと」をやるだけ。「速く動く」というのが重要なのに「自分のペースでやる」というのであればそれが必要なのでしょう。批判を受けようが「誰かに強制されて指導する」のであれば、今後どの場面でも誰に対しても「指導する必要はない」と思っています。こちらが「何とかしたい」と思わないのであれば、他者から強制されて「指導する」なんてありえないことだと思っています。

 

その後、屋外で60mスプリント40mウォーク。500mトラックで4本やって140m歩いて次へ。これを連続で3周。短い距離なのでやり切れたという感じがありました。練習中になかなか声が出ません。1年生の女子に対して指摘をしましたが、「誰かに引っ張ってもらうからできる」というのでは絶対に強くなりません、やるのは「自分自身」です。他の人が声を出すから出すというのではない。他の人が走るから自分も走るというのでもない。「自分のため」にやる練習でなければいけません。ここは重要。言われてからやっと声が出始めました。それに引っ張られて男子も声が出るようになる。やはり、ある一定水準になるまでは「指導する側」が引っ張っていかないといけないと思います。それが当たり前にできるようになってから「本当の勝負」になるのかなと。


午後からはテスト作成に加えてクラスの生徒から色々言われているので「動画作成」をしました。私が担当している授業ではないですが。この子達のためにできることはやっておきたいと思っています。必要であれば。来年も担任をというのをひたすら言われます。それは私の意見というよりは全体の流れの中で決まっていくことです。「担任をしてほしい」と言われるのは教師冥利に尽きると思います。「担任を変えろ」とか「授業担当を変えろ」とか好き勝手なことをいう時代になっていますから、「望まれる」というのは自分としては今があるのかなも思っています。そうであれび「動画作成」くらいはしても良いのかなと。


この日は舎監。日本代表のサッカーもありました。生徒の味方になるつもりもありません。が、四角四面でやるのは性格的に合わないんだろうなと思っています。生きていく中でもっと幅のある人間になれたらと思っています。無駄なことは一切したくないですが。

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流れの中で

2022-11-25 | 陸上競技

火曜日。この日も日中の記憶が(笑)。とにかくあれこれやっているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。

 

この日の練習は男女別メニューで。まだ流れができません。練習準備なども時間がかかります。練習開始が16時30分くらいになる。こうなると前任校でやっていた時よりも30分短くなります。予定していた練習が足りなくなる。そうなると何かを削らないといけない状況が生まれる。もっと何ができるかを考えたいですね。

 

上半身下半身をやる。まだまだ「やるだけで精一杯」という感じになります。種目は前と比べると少なくなっていますが25分近くかかる選手もいます。きちんとできるようになると20分弱でできるメニューです。どこかの効率が悪いのです。この部分も踏まえて「見直し」が必要です。本当は一つ一つ「正確にやる」というのが重要です。細かい部分まで指示を出して「意識させる」ことえ効果は上がります。しかし、今の段階は「ひとまずやってみる」というだけです。これ以上のことを求めてもできません。ある程度の慣れないと「やるだけで精一杯」の状況からは抜け出せない。正確に理解してやることが理想だとしてもそこを待っていたら「いつになるかわからない」ということになります。進みながらできるようにしていくという感じが重要なのではないかなと思っています。

 

DM∞をやりました。この練習をやると「体幹の強さ」や「身体の使い方」がわかります。DMに勢いがない。身体を使って投げることができないので力強く投げることができません。正直、8か月やってきてこの筋力では「走れない」というのも分かります。ある程度のことはやっています。が、それが筋力アップにつながっていない。この部分をどうするか。逆にこの部分がきちんとできるようになるだけで「力は上がる」と思いますね。

 

ドリル系をやってスプリント練習もやる。種目を絞ってやっていますがこの日は先週と比べるとかなり遅れていました。先週は私が途中で抜けなければいけない状況でした。それでも17時45分の時点で「加速段階T走」が終わっていました。タイヤを使ってのバウンディングと最初の5歩の練習です。かなり時間が押していたのでバトン並走を2セットから1セットに削りました。20-30-40-50を2本ずつ。バトンを渡してから10mは走り続ける。何度もやっていますが「バトンを渡して終わり」という選手が何人か。ここは本当に手ごわいと思います。何度も言い続けていても実際に走ると「渡して終わり」になってしまう。それほど難しいことをやっているわけではないのですが。本数的にもバトン的にももう少しやりたかったなというところです。

 

そこから補強サーキットを。下半身中心のメニューです。ここ最近は全体でやるときにもサーキットが入っています。休むことなく動き続けるというのをやっています。ここは本当に大事だと思っています。動きと身体づくりをリンクさせながらやっていくことで効果は上がると思います。前も書いたかもしれませんが、こうなると女子がウエイトの代わりにやっていた種目も見直しが必要だと思います。重なる部分が多くなるのであれば別の形でやるほうが効果的。バランスよく色々なことができるといいなと思っています。

 

まだまだ「流れ」ができません。ここができるようになると全く違ってくるのかなと。3か月後に「間違いなく強くなった」と思えるだけのことをやっておけなければいけないと思っています。この日も話をしましたが「インターハイに行けるのは中国で6人」です。1種目6人しか行けない。今の練習の内容や取り組みでその「6人」に入れるのか。それほど甘いことではない。これまで問題なく6番以内に入る記録を出しているのであれば「可能性」は見えてきますが、今のところ「はるか遠い場所」でしかありません。その場所にたどり着こうと思えば「これまで通り」では無理です。何かを劇的に変えない限り、「来年も同じこと」です。その感覚があるのかどうか。言われたことをやっていたら「届く」と思っているのであれば残念ながら100%無理だと思います。

 

どうせやるなら「勝ち上がる」ためにやりたいと思っています。その感覚があるかどうかは分かりません。「強くなりたい」という気持ちはあるでしょう。しかし、それをどのようにして「実行に移すのか」というのが分からない。これは技術的なことと同じだと思います。「意識して身に付ける」という話ができないのであれば「進みながらやる」しかないのです。現実に目を向けながら「何が必要か」を判断できるようになる。本当に必要なことができるようになる。「流れ」の中で身に付けていく。動きの基礎を考えながらやるので葉はなく「強制的にやる」ことで身につく部分もあると思います。理屈がわかると面白いのは確かです。しかし、「結果」が出せなければ満足はできないと思います。ここに対してどうするか。

 

動き始めてすぐに「変化」は生まれません。本物にできるかどうかです。繰り返し言い続けることができたらと思います。先は長い。それだけは確かです。

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スピード練習

2022-11-24 | 陸上競技

月曜日のことを。色々書きたいことが出てきたので珍しく連続投稿していました。時には(笑)。

 

更新が遅くなると何をしたのか分からなくなるというのもあって。難しい部分です。月曜日に何をしたのかはすでに記憶が危うい。日中の記憶がなくなりつつあります。記憶によれば年始の合宿のことを少し考えていたような。ある人物に連絡をしていたのですが忘れられていました(笑)。忘れたころに「年始はいるので合宿に参加したい」という連絡をもらいました。tabe合宿を復活させたいというのがあります。自分たちが色々なことを学んだ合宿です。さらには選手が大きな成長を見せる場面でした。転勤とコロナで合宿自体ができなくなってきていました。できるかどうか分かりませんが再開したい。「ゲスト」というわけではありませんが、合宿に参加してもらって「原点に返る」という感じで一緒にできたらと思います。「陸上教室」的なこともできればいいかなと。

 

この日の練習は週明けなので「スピード重視」の練習をしたいと話していました。バトンなどを使った練習です。受け渡しも含めてです。私的には冬季練習であっても週に2回くらいはバトン練習をしたいと思っています。この日は「バトン往復走」をやってから60mの追いかけバトン。60m地点でバトンを渡してそこから20mは競争という感じです。この手の練習は「絶対に手を抜けない」というのがあって効果的な練習だと思っています。バトンを渡した後に減速する選手もいるので最後まで走り抜けるというのがポイント。

 

専門練習を入れる予定でしたが思った以上に時間がかかってしまって全く時間は取れませんでした。前週の練習で「タイヤ引き」が良かったと女子が日誌に記入していたとのこと。短い距離のタイヤ引きを実施しました。私は個別に練習をすることに。以前から「一歩目で腰が進まない」という選手がいます。これは難しい。「腰の移動」「重心の移動」という投げかけがされていますが改善できません。kd先生が久しぶりに練習を見たときに苦笑いしていました。一歩目で全く進まない。これにより身体が起きてしまって全く加速できません。ここに対して「別のやり方」で修正をかけようという話に。

 

「腰を進める」といってもその感覚がわからない選手に対して「一歩目で腰を進める」といってもできません。こうなったら「別の意識」をすることで「結果的に腰が進む」というほうが早いなと思っています。この日は「膝の引き出し」で「腰が進む」ようにする。練習の時に「タイヤ押し+マーク走」がありました。この時に腰が進まないので接地の音が「ズッ」というブレーキがかかる感じの音がしていました。つま先から入っている。地面に力を伝えたいけどその方向が真逆。進むはずがありません。

 

マーク走を。女子だけの練習の時には「腰押し」をします。「腰が進まない」のだから「無理矢理進める」ほうが早い。この日は「腰押し」ではなく「無理矢理膝を引き出す」ことで「無理矢理重心移動を作る」ようにしました。普段は一歩目のマークを2.5足から3足でやっています。実際に走りの1歩目と同じ感じで。ここを4足にしてみる。それだけで届かなくなります。足だけでも届かない。思い切って遠くに身体を運ばないと届かない。頭の位置も遠くに運ぶようにする。「腰」を進めたいけど「腰」から意識を外して「膝」や「頭」を遠くに持っていくことで結果的に「腰」が進むことになる。「苦手」な選手には別の形でやるほうが早いのではないかなと思っています。

 

ある程度やっていると4足で届くようになりました。そこですぐに3足で走る。重心の移動が生まれましたが、「大きくいく」という意識の中でやっていたので「1歩目で止まる」ような感じになります。当然です。そこしか意識をしていないのだから(笑)。今度は4足でも「2歩目・3歩目」まで意識をしてリズムを保たせる。で、また3足に戻る。これを何度もやっていきます。かなり改善できました。「腰の移動」に関してはこの日は話をしていません。それでも十分に動きは変わると思っています。

 

何ができるか。どうすれば伝わるか。理論的な話だけでは「目指す動き」はできない。「頭で理解する」ことと「実際にできること」は違います。どちらかが先というのはよくないのではないか。どちらもやりながら「気が付いていたらできるようになっていた」というのが重要なのかなと思っています。ここも感覚的な話になるのですが。

 

少し「役に立つ」ことができたかなと思います。その場その場で「改善する」というのは重要だと思います。できることをやる。そこが大事です。

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エビ水槽の話

2022-11-23 | 陸上競技
今一番(?)興味関心があることを。

今年度になってレッドビーシュリンプを飼い始めました。これまでも何度も何度もチャレンジして挫折。水槽に気を使って日々過ごしてきましたが、何度か全滅。あれだけ勉強して観察もしてきたのになぜ上手くいかないのか。ここに関しては本当に勉強が尽きません。どれだけの時間をかけてもまだ答えが見えない。難しい。

国体から戻ってきてまた数匹になっていて。そこからヤフオクでエビを探して。かなりお手頃な値段だったので20匹購入。水槽は30センチ水槽なので多過ぎると思いますが、観察をするためには必要な話なのかなと。

しばらく時間が過ぎました。そしてまたエビたちがポツポツ⭐︎になり始める。これは本当に心が折れます。全滅しそうになったので別の水槽に移す。そのタイミングでもう20匹くらい購入しました。資金はほぼないのですが、やはり投資しないとリターンはありません。エビを育てるためには時間と労力が必要です。ネットなどを見ると「簡単」と言われる人もいますが、実際は難しいのです。

水槽を替えてからまずは「止水域」をなくすことにしました。流木を大きいものから小さなものへ。「止水域」とは水流が止まってしまってそこに不純物が蓄積する場所です。それほど大きくない水槽に流木があるとそこで濾過が上手くいかないのでエビが⭐︎になるのではないか。そう考えて。

水槽の中では色々なことが起きています。エビは餌を食べると糞などをします。ここにアンモニアが含まれている。これは毒素が強い。そのアンモニアを分解するために水中には「バクテリア」が発生してきます。この「バクテリア」はアンモニアを分解して「亜硝酸塩」にします。これにより毒素が低くなる。とはいえまだエビにとってはかなりダメージを受けるものなのでまたしばらくすると「亜硝酸塩」を「硝酸塩」に分解する「バクテリア」が発生してきます。こうなると毒素がかなり低くなるのでエビたちの生活が保てるようになります。

これまでもこの部分は何度も勉強してやってきました。それでもダメ。水槽を動かし続けて時間をかけてやってきてもポツポツ⭐︎になる。

そこに対してやはり「濾過不足」なのではないかという結論に。水槽の中にもう一つ濾過装置を入れることにしました。これにより濾過が進みスポンジに亜硝酸塩などが吸い込まれて行くのでダメージが少なくなるのではないか。

それをやりながらまだ勉強を進めていく。元々あった濾過装置が水槽の中にあるタイプでした。音が静かなのでこれが良いと思っていましたが、ここも思い切って替えてみることに。これまで上手くいかなかった部分は全てやり直す。もちろんここにはリスクがあります。「バクテリア」は濾過装置のフィルターなどに生息しています。ここを外すことでアンモニアを亜硝酸塩に分解する「バクテリア」が足りなくなるのではないか。ここも心配の種。先を見つけてスポイトで下の方に溜まる不純物を吸い込むようにしました。本当に少しずつですがやらないよりはやった方が良いかなと。




こんな感じです。手前と奥の黒いものがスポンジフィルターです。

これだけではダメかなという気がしたので何日かおきに少しずつ水替えをしてみようと。専用の道具を使って水槽の下の方から不純物を吸い取ります。あまり多くの水を換えるとエビにダメージがあるので少しずつ。

そうなると手前のスポンジが横になっていると吸い込みにくいので立てました。こんな感じ。




これにより水槽が少し安定した気がします。まだまだわかりませんが。

少し前に抱卵していたエビがいたのですが、水槽の改善の前後に孵化していました。6匹は確認しています。前回も抱卵して孵化してはいますが数日後には見かけなくなりました。上手く育たなかった。本当に難しい。今回はこんな感じです。










大きさの違いが分かってもらえると思います。水槽内で見つけるのが本当に難しい。それでも何とか育てたい。

水質チェックをする道具も購入しました。亜硝酸が高く出るときは水替えをする様に心がけています。餌をやるとどうしても亜硝酸の値が高くなる傾向があります。餌の量はかなり減らしていますが、それでも値が上がる。






餌をあげると集まってきます。これを見るのは最高に幸せなのですが、これにより水槽内の環境が悪化するのであればやはり避けないといけません。

エビ水槽をどう維持するか。今の大きな課題です。とにかく上手く育てたい。数日前から気になって夢に出るようになりました。エビをどう育てるか。

まだまだ勉強が足りません。何とかしなければ。
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まさに

2022-11-23 | 陸上競技

色々と思うことがあります。ここに関しては人それぞれの考え方があると思います。

 

私自身は「なんとかしたい」というのがいつも原点にあります。この状況を打破するためには何かをしないといけない。何かをするのにはエネルギーが必要です。生徒自身が成長するきっかけになるのであれば「手助けする」ことができます。しかし、本人にその意思がなければできません。そこに対してはいろいろ意見はあるでしょう。

 

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「教師にも営業時間がある」 現役教員の保護者への投稿が話題、本人が明かす発信の意図

 

現状はこんな感じなんですよね。「生徒のために」という部分があってそれを大々的に言われると「ちょっと無理」とか「本当に必要ですか?」というのは言いにくくなります。コロナ禍で様々な学校行事や業務ができないときがありました。それでも学校は回っていた。それなのに少し落ち着くてくると「前例主義」にしたがってまた元に戻す。良いとは思うのですが「精選」をするべきだと思っています。そうでなければ「業務過多」になる。

 

コロナ禍によって「リモート」や「オンライン」などのことが「必須」のようになってきました。別に何かの仕事が減ったわけではないのに「新しいこと」だけを上積みされる。こうなると「どこまでやればいいのか」という話になります。

 

きっと教員は「サービス業」です。言われたことをひたすら従ってやる。生徒や保護者からの要望には応える。それが「当たり前」なので「できない」というと「〇〇先生はやってくれたのに」というような言い方をされる。朝の7時過ぎから「今日は休む」という電話にも対応しないといけない。休日に「〇〇先生はいるか」という電話を受けないといけない。

 

何度か書いていますが「働き方改革」なんて実際は進んでいないと思います。「部活動」を地域移行すると提案していてもそれに対する具体的な案は示されていない。「部活動」を「地域」に投げただけで「ボランティア」としてやるのが「教員」なのか「他の人」なのかの違いでしかありません。根本的な問題に関しては何も触れられないまま。


クラブチームを作りたいと思ってやってきました。作るかもしれませんし、作らないかもしれません。やりたくてもできないという人達に手を差し伸べることができるかどうか。これは完全な「趣味」になるので教育的な活動とは違うかもしれません。趣味でやっているのだから「お金」をもらうというのも違うでしょうし。


誰かから「やれ」と言われてやる「ボランティア」と自分の感覚の中でやる「ボランティア」では全然違ってきます。私自身は陸上競技でお金を稼ごうというのは全くありません。しかし、これが仕事になるという人もいるのだと思います。それはそれで最高に楽しいかもしれません。やりたいことを中心に活動できる。リスクはあるけどそれも「楽しさ」から比べれば小さなものなのかもしれません。


どこに正解があるのかわからない。そんなことが増えています。このままの状態が続けば学校教育自体も破綻するかもしれないですね。どうなるのか。


私に何ができるのかよくわかりません。それなりに考えてやっていきます。

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何もしない日

2022-11-23 | 陸上競技

日曜日。本当に何も予定がない日でした。夏休みからまともに休んでいないので。10月に1回休みっぽいものがありましたが、夕方から舎監だったのでそれなりにやることがありました。この日は本当にフリー。

 

とはいっても目が覚めるので音楽を聴きながら散歩することに。陸上競技場の辺りまでいってそこからフラフラ歩く。気が付くと2時間近く歩いていました。約12キロ歩くという(笑)。特に何も考えずに歩くというのは気が楽です。特別に何かをしないといけないというのがないので。

 

そこから少し寝る(笑)。目が覚めてから生徒が「授業で分からない内容がある」というので動画を作成。動画を作っている最中に「もっとこうしたほうが分かりやすいな」と感じる部分があったのでそれを実施。案外時間がかかりました。休みの日に授業準備をする必要があるのかどうかは微妙ですが、時間がある時にやっておかないとできません。私が担当している授業ではないので別に作る必要はないと言えばそうなのですが、「分からない内容がある」と言われたらそれくらいはやっておきたい。

 

後はblogを更新したりしていたでしょうか。時間的に余裕があるので考え事をしながらぼちぼち過ごす。ネットで「エビ水槽のろ過」について調べたりも(笑)。そうなると気になって仕方ないという感じがありました。前日にペットショップで新しいエビの餌と水質チェックのための試薬を購入していました。亜硝酸塩の濃度が気になって仕方ない状態でした(笑)。

 

何もない日。貴重な日でした。あっという間に時間が過ぎてしましたが。寝て過ごす時間が多かったのもよかったなと。ぼちぼち。

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しっかりと走る

2022-11-22 | 陸上競技

土曜日のことを。

 

この日は男女合同で。サーキットをやってから基本的なことを実施。タイヤ押し、マーク走も。すぐすぐに結果は出ないと思いますが、色々なことをやり続けていくことで変化が生まれると思います。ある程度やってからタイヤ引きの120mを。4人1組で実施。タイヤの重さに差があるので負荷が変わってきます。このことをkbt先生に伝えるとすぐに別のタイヤをつけてくれました。同時にスタートするのでタイヤの重さは大きな影響があります。

 

やはり「競争」することは大きな意味があると思います。単純に走るだけというよりは誰かと競り合うほうが力が出せます。「本数が増えるから仕方ない」という感じのままでは走れないと思います。これまでの経験上、男子はある程度の水準になれば高いスピードを出せるようになるので追い込めます。女子はそれなりの本数をこなさないとできません。これは感覚的なものなのですべてに当てはまるとは思いませんが。

 

女子に関していえば自分たちで何も言いませんが「かなりの筋肉痛」だったようです。当然だと思います。これまでやってきた部分と比べると負荷的には高くなっています。走る負荷というよりも「身体作りの負荷」です。筋肉質になる必要はないと思います。が、手足を動かすために必要な筋力は必要です。手足が長い選手は普通の選手よりも努力を要します。どうしても「しんどい」状況になると楽をしてしまいます。ここは気づくべきです。そこを乗り越えられる選手のみがある程度の水準で競技ができると思っています。アプローチの仕方かなと。

 

タイヤ引きが2セット終わってから120m×3本になっていました。短長は100mの折り返し付きで。この時点で大半は終了していました。予定ではこの後に「専門練習」となっていましたが、これまでの練習量から考えると一気に増えた感じがあるので持たない部分があります。徐々に気づかれないように増やしていかないといけません(笑)。

 

専門練習をする予定が無理だったので補強をして終わり。「量」的にはかなりだったと思います。

 

午前中で練習が終わったので帰りに食事を。なかなか食べにいけないのでラーメンを(笑)。

 

 

かなり食べて帰宅して昼寝。最近の疲労度からするとしんどかったですね。

 

とにかく寝ました(笑)。特別記録しておくこともない感じはしますが、練習してラーメン食べて寝るという流れの中で活動しました(笑)。

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