kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

雰囲気の変化

2013-01-31 | 陸上競技
先ほどの続き。

この後、雰囲気が変わりました。明るくなったというか切羽詰った感じがなくなったというか。こういう練習をしたいといつも言い続けているのですがこれがなかなか伝わりません。選手の一生懸命を引き出すとどうしても雰囲気が重くなってしまいます。ここ最近はそれが嫌なのであれこれ工夫をするようにしています。雰囲気づくりも指導者の大きな仕事だと感じています。ここができるかどうかで大きく変わってくるのではないかと。今騒がれている体罰問題。ピリピリした雰囲気を作るために行われているのかもしれません。「気合を入れる」という話になるからなのかもしれません。ちょっと判断できないですが今の私には必要ないことだと思っています。本当に穏やかになりました(笑)。もちろん、「ダメなものはダメ」ということは教えます。当然です。

フレキを行ってからマークへ。マークを数本行ってからバトン走。ここまでかなりスムーズにいきました。月曜日の練習よりも30分早く流れていきました。時間が有効に使えます。バトン走、男子はかなり良い感じになっています。トップスピードの向上がそのままこういう練習に生きてきている感じでしょうか。女子もまずまず。ここにきて走れています。疲れとしてはかなりあるのではないかと思いますが動きの質は上がっていると感じました。スタート練習をすると3年生の女子が抜群に良い。こちらも「やっと」という感じです。60mまで行いましたが他の者を寄せ付けませんでした。非常に良いことなのですが下級生にとっては良いことではありません(笑)。勝負するためにはこれくらいのスピードで走らないといけないのです。1年生エースはスタートでもたつきます。この時点で勝負ありですね。上のレベルで戦うのであればここでもたついているわけにはいかないのですが・・・。逆に他の2人が良く走れていました。60mで1m差で付いていきます。時には並んでいるようなときもありました。かなり走れているという実感があります。

3年生はここまで。卒業考査の期間中ですからこれ以上は練習をさせられません。SDの感じが良かったのやりたいと言いそうでしたが、「早く帰るように」と急かして帰宅させました。感覚が良いのであればそれで十分です。今は休みながら勉強していくことが最優先。その分動きの質を高めていけばいいと思います。

下級生だけとなりあとは走練習。先週と同様に行いました。短短は120m、短長は120mと60mの組み合わせ。短長は先週以上に専門的な感じにしました。レストを短くしてしっかりと走る。スピードが維持できるようにすることと最後まで動かすことが大事だと思っています。この練習の意図を理解して取り組めればかなり変わってくると思います。ちょうどいい負荷だったようです。これ以上やると間違いなくスピードレベルが下がってしまいます。その頃合いが大事だと思っています。数年前は選手の9割以上が短長だったのに・・・。時代が変わっていますね~。

短短はスピード重視。120mを走りました。追い込まないといけないという感じがありましたが1本1本の質を高めることで負荷は高まります。これで十分ですね。この冬期一番のスピードで走れていました。最近の中では暖かい一日だったのでそれも影響しているのかもしれません。男子は1人ですが確実に強くなっています。話をする中で「10秒台と7mだとやっぱり7mが嬉しい」と言っていました。本心でしょうね。どちらも最低レベルの目標でしかありません。ここで満足しないようにもっと水準を上げておく必要があります。どれだけ良い走りをしても冷たくあしらっています(笑)。まだまだ先は長いのですから。女子も良い走りができていましたね。ほぼ目標のレベルに来ていると思います。ここまでくるともう少し欲を出したいですね。12秒台が出ればいいというレベルではなく個人でも高いレベルで勝負できるようになってもらいたい。それだけの実力はあると思います。エース、もうひと頑張りしないとエースではなくなってしまいます(笑)。もちろん一番強いのは間違いありません。「圧倒的な力」を示すようにならないとエースとしての役割果たせません。

最後にもう一度確認をしました。「自分のための練習」を大事にしてもらいたいですね。後半はこの冬一番の練習でした。これが継続できればと思います。
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良い雰囲気とは・・・

2013-01-31 | 陸上競技
水曜日、しっかりと走り込みを行う予定にしていました。冬期練習も終盤になりここでどれだけ練習が積めるかが重要になってきます。動きの感じもこの2か月くらいでかなり良くなってきました。このまま終わるのではなくもうワンランク上の練習をと言い続けています。これができるようになると本当に狙うところで勝負ができるようになるかもしれません。

午後はサーキットから開始。そのあとの練習のことまで考えて1セットとしました。本来であれば2セットやるほうが良いに決まっています。が、トータルで考えるとやはり優先事項は走りです。3時間の間でできることを最大限にやりたいと思えば練習に優先順位をつければいけなくなります。もっと時間があればいいのですが(笑)。

屋外に出てドリルをやる前に全体を集めました。この日は非常に大事な練習になると考えていました。月曜日にかなり良い感じで走ることができていたのでこの流れで練習がしたい。今の段階でいい方向に向かています。自分のためにどのような練習をしなければいけないかという話をしておきたいと。今の練習、何を目指しているのか?学校の部活動では「やるだけ」の部活動も多くあります。目標意識が明確でない。今のうちの練習はどうなのか?「参加する」ことでOKなのか?試合に出場することが目標なのか?支部大会で6番以内?県大会で6番以内?中国の決勝に残りたい?全国の舞台に立ちたい?それぞれ意識は違うかもしれません。私は「高いレベル」を求めています。それだけのことはやっています。目指すレベルがあるならそのレベルにあった練習ができなければいけないと思っています。大事な練習だからこそ「目的意識を明確に」して取り組んでもらいたいと伝えました。

その後、微妙・・・。一生懸命にドリルをやるのですが雰囲気が重すぎます。「強くならなければいけない」「やらなければいけない」という雰囲気があります。練習の先頭に立っている者の表情が暗いというのも理由の一つだと思いますね。「一生懸命にやる」というとどうしてもその練習の雰囲気がピリピリして真剣にという感じがあります。一時前の私もそうでした。「強くならなければいけない」「勝負しなければいけない」「良い動きをしなければいけない」ということを求めすぎて「緊張感の高い練習」が「良い練習」だと思い込んでいた部分があります。間違いなく視野が狭くなっていました。実際にこのような練習の雰囲気でやると「必死さ」が前面に出ます。指導する側も選手も「一生懸命にやっている」という雰囲気に酔います。本来の目的はそこではないのに「練習を一生懸命にやること」「力を使い切るまで走ること」を求め始めます。以前、師匠に「余裕を」と言われていました。自分では「冷静になっているから大丈夫」と思っていました。今考えると本当に余裕がなかったなと思います。「ウエイトで重たいものを挙げれば良い」という感覚に近い状態でしょうね。

フレキを使った練習の前にそのことを全体に伝えました。このようなピリピリした練習では精神的にもちません。気負いすぎて怪我をしてしまう危険性もあります。今更ですが「一生懸命になる」というのは「追いつめられる」のとは全く違います。「これをやらなければ強くなれない」「強くなるためにはこれをやらなければいけない」「戦わなければいけない」というのは「義務感」です。いつの間にか「やらされる練習」へと変化してきます。自分で自分を追いつめるような練習になってしまうのです。これで強くなるはずがありません。「良い練習をしよう」というのは「強くなるための練習をしよう」という意味です。「相手に勝ってやろう」とか「負けたくない」という気持ちだけが先行するような練習は少し方向性が違ってきます。お前が言うなという話ですね(笑)。

選手の中で数人は「上手く走れない」と思って練習をやっていたと思います。もっと速く走りたいのに走れない。なんとかして何とかしてと思えば思うほど実際に動けなくなる。悪循環です。それが続けば心が弱くなります。何のためにやっているのかを見失うのです。このような状況で勝負できるようになるか?なりません。もっともっと何をしようとしているのかを考えないといけない。暗い表情で切羽詰って練習をするようでは良い練習ができるはずがありません。選手も私も勘違いしやすい部分です。そういう話を少しだけしてもう一度「良い練習をしよう」と伝えました。

目的意識が強くなればなるほど視野が狭くなるのだと思います。「強くなりたい」が「強くならなければいけない」に変わってしまう。同じことを言っているのかもしれませんが前者は本人の強い「希望」「願望」であり、後者は「強制」「義務」です。やらされる練習に変化してしまう。指導者にやらされるのではなく自分自身に「やらされる」のです。「やらなければいけない」という自分の精神的な部分を追いつめるような雰囲気になる。ここまで来るというのはなかなかありません。「多少はサボりたい」というのが通常の選手の気持ちですからね。「サボったらダメになる」「もっとやらないといけない」という部分が良い方向に進めばいいのですがたいていは悪い方向にいきます。面白いものです。面白くはないのですがそうなる。

この後、劇的に雰囲気は変わりました。これに関してはまた書きます。多分(笑)。
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本当に大切なものは

2013-01-30 | 陸上競技
ここ数週間、教育に関するニュースが世間を賑わせています。これに関しては多くの教育関係者が様々な想いを持っていると思います。簡単に言い表すことができない部分があります。

大阪の高校での体罰問題に端を発した教育問題。推薦入試直前に「募集取止め」を発表。他の学科の入学枠を増やして対応。普通科に入学した者も同じように体育系の勉強ができるという感じで情報が流れていました。表面的には「対応をした」という形になりますが実質は「看板を替えた」だけではないかという指摘もされています。また、自分たちの学校を守るということで生徒自らがマスコミの前で話をするというのも放送されていました。「有志が集まって意見を述べる」という形でしたが裏では大人が指示をして集めていたというのが事実のようです。「言わされている」部分があるのかもしれません。

今回の事件により該当高校の他の部活動の問題点も挙げられていました。生徒の喫煙・飲酒などの問題行動がweb上に上げられていて「運動ばかりしていたから物事の良し悪しが分からない」「こういう行為があるから体罰が必要だったのだ」とのコメントが多く載せられていて見ていて悲しい気持ちになりました。暴力により洗脳を受けているという辛らつなコメントまでありました。ここから派生して全国的に体罰問題が出てきています。日常的に体罰が行われていたというのは本当に悲しいことです。「暴力」では何も伝わりません。思い通りにならないから、伝わらないから手を上げてその場を収めるというのでは問題の解決にはなりません。

また、公務員の退職金を大幅に減らすという方針が打ち出されました。その施行は2月以降ということなので1月に駆け込みで退職するものが出てきた。「使命感がない」というマスコミ報道もありますし、文部科学省も「遺憾だ」という声明を出しています。本当にそうなのでしょうか?4月施行にすると何億円というお金が余分にかかるので早期実施にした。結局その割を食うのは定年間近の公務員だということです。「税金から給料をもらっているくせに」と言われます。だから自分の生活を切り捨ててでも「公」のために尽くすのが当然だと。本当にそうなのでしょうか?

2ヶ月働くことで150万円以上の損失があるという話でした。それなのに「無責任だ」という言葉で非難するのは本当に正しいことなのでしょうか?この判断は私にはできません。自分自身がその立場に立ったときに何を思うでしょうか。民間企業でこのような状況だったらみんなロスを覚悟で最後まで働くのでしょうか?

人は「弱い立場の者」を作って徹底的に叩く傾向があります。別に公務員が弱いというつもりはありませんが、ここまで一方的にマスコミによって叩かれるのはどうなのかと思います。残業手当も休日出勤も全く評価されません。民間企業でもこのようなことがあるのでしょうか。時間外労働は軽く100時間を超えます。そういう問題点は一切取り上げられずに「表面的な問題」を使って一方的に言われる。どうなのでしょうか。あるいみ「いじめ」に近い部分があると感じています。

先ほどの体罰問題による募集停止なども同じだと思っています。本質的な問題を改善するのではなく場当たり的な対応をして世論を流す。この繰り返しにより問題の解決を先送りにする。で、また同じような問題が発生する。どれだけ対処療法的な対応をしても根本の解決にはつながっていない。大切な部分から目をそらしているだけではないでしょうか。

やり切れません。我々は遊んでいるのでしょうか?誰のための教育活動なのでしょうか?こういう部分を議論せずに表面的な問題点を叩く。ちょっとしんどいですね。

以前から思っていて少しだけblogにも書いていました。が、本当に書きたいことを書くと問題になるのでしょうね。当たり障りのないことしかかけません。なんだか・・・ですね。
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高校生活の「最後」を迎えるために

2013-01-29 | 陸上競技
今日で担任をしているクラスの生徒の授業が全て終わりました。明日から卒業考査が始まります。これに関してはなんとも表現できない感情があります。

3年生の担任をするのは3回目となります。この年で3回目というのは多い方かもしれません。これまでの職歴のなかで9回目の担任。生徒と一番近くで関わる事が今の仕事の大切な部分だと思っています。これは信念に近いのかなと。

ここ数日間、クラスの生徒が「最後」という言葉を口にする頻度が高くなりました。当然なのですが毎日の中に「高校生活の最後」が溢れています。最後の総合実践、最後の調理実習、最後の体育...。今まで全てが当たり前として存在していた事がこれから先、もう経験できなくなる。これは本当に寂しいことです。あまりにも当たり前過ぎた毎日が特別なものに変わっていく。これを受け入れていくというのは簡単な事ではありません。日常が非日常に変わるのです。 もう決して戻ってこない日々。それをこの一週間毎日のように感じていました。時間がもっとゆっくりと過ぎていけば良いのにと何度も思った。でもそれはまったく意味のない事。

だから生徒と一緒に過ごせる時間を大切にしようと思ってこの数週間は過ごして来ました。共有できる時間を少しでも多くできればと思って。他の者は担任がどう思うのかは分かりません。感情移入し過ぎるのがわたしの悪いところなのかもしれないなといつも思うのですが、目の前の生徒と一緒に過ごせなかったら何のための担任なのかという想いがあります。事務連絡をしたりするだけの担任なら誰でも良いはずです。クラスの生徒にとって私が担任という事にどのような意味があるのかは分かりません。プラスだったのかマイナスだったのかを判断するのは私ではない。もっと時間が過ぎ去った時にこの子達が感じる部分だと思います。

あと1ヶ月後、卒業式を迎えます。その時何を思うでしょうか?私自身想像ができません。今の生活が当たり前になり過ぎていたのでクラスの生徒に会わない、会えなくなるという「現実」をきちんと受け入れられるかどうか。今まで卒業生を送り出して来た時とは何かが違います。これまでの子達も私にとっては本当に大切な存在でした。年を重ねたからでしょうか。今担任をしている生徒達は今までとは何かが違うのです。上手く表現できないというのが本当にもどかしいのですが。

出来るだけ笑顔で過ごしたいと思っています。卒業式を迎えるのが寂しいと思う気持ちは変わりません。そこだけを考えたら面白くないなと感じています。共有できる時間を少しでも楽しいものにしたい。嘆いても悔やんでも時間の流れは止められないのですから。卒業するのは嫌だなと思って数日間を過ごすよりも、何かできる時間を大切にしたい。その方が自分自身にとっても生徒にとってもプラスだと思うから。

クラスの生徒がどのように考えているかは分かりません。今は知る必要もないと思っています。私にできる事を最大限にやる。それだけです。万人に好かれているとは思っていません。こういう性格ですから、面倒くさいと思われている部分もあるでしょう。生徒に慕われる事を大切にしてきたわけではありません。大切な何かを伝える事を最優先してきたつもりです。それしか私にはできない。そう思って過ごしてきました。多少甘くなってしまっている部分があるなという反省はしていますが(笑)。

上手く言葉にできません。情けない話です(笑)。思う事をつらつらと書いてしまったのでまとまりがないかもしれません。適当に読み流してください。

このblog自体、私の私的な考えが中心です。感情的な内容を書くのはどうなのかと言われるかもしれませんが。今思う事を残しておきたいと思って書いています。

笑顔で過ごす。最大のテーマです。前を向いて生活をして行こうと思います。最後くらいは格好つけたいですからね(笑)。
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卒業生の旅立ち

2013-01-29 | 陸上競技
日曜日、夜に陸上部の卒業生が集まりました。2月から新しい土地で新しい事を始める卒業生がいるので送別会です。日程的にかなり急だったので全体で集まる事はできませんでしたが私を含めて8人集まり、新しい旅立ちを祝おうというものです。

贈る言葉というのはありません。本人が決めた事です。安易にその道に進むのではなくしっかりと考えて選んだ道であれば正しいとか間違いとかはないと思っています。私があれこれ言う必要はない。どうしましょうか?という相談を受けても何も言えなかったと思います。地元を離れてまったく生活をした事がない土地での新しい生活を始める事になります。かなり勇気のいる事です。その決断を私は応援したいと思っています。

何かできる事はないかと思いました。手紙と言うほどのことはできないのであるものに簡単なメッセージを書いて送りました。長い手紙を書くのも良いかなーとは思ったのですが、この子の心の中にある「信念」を後押しできればと思い短めに。

「別れ」というものではありません。戻ってくれば会う事はできます。が、全く知らない土地で全く新しい事を始めるというのは大きなエネルギーを必要とします。その旅立ちを送り出す。我々にできる事は応援する事だけだと思います。

陸上がこの子達の中にどれだけの位置づけとしてあるのかは分かりません。しかしこの子達の「原点」であって欲しいなと強く願います。何かあったらいつでも戻ってこれる場所であって欲しい。うちの陸上部で身に付けた何かがこれから先の人生に少しでも役立てばと思っています。しんどくなったらその「原点」に戻ってくればいい。前向きになるためのエネルギーを与えてあげる事ができる場所でありたいと思います。

新たな旅立ちを心から誇らしく思います。自分の人生を自分の力で切り開いて行こうという想いと覚悟を応援したい。私にできるのはそれだけです。少しずつ大人になっていってるなーと改めて感じました。いつまでも私の知っている選手たちではないのです。当たり前なんですけどね。

これから大変な事があると思います。それを超えていけるだけの力は身についているはずです。しっかりと前をみて進んで行ってもらいたいなと思います。
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課題について考える

2013-01-29 | 陸上競技
月曜日、朝目が覚めて外を見てみると雪がうっすら積もっていました。道路は問題ないのですが車の上には5センチくらいは積もっていたでしょうか。学校に着くとグランド一面雪で覆われていました。この状況で外で練習をすることができません。学校への通学の心配もしていましたがこちらは問題なく。電車は通常運転。安心です。

残念ながらこの日も会議と他の業務がありました。とにかく会議が多すぎる・・・。これが駄目だというつもりはありませんが1つが長時間かかりますから精神的にもしんどい。ここ最近は週に2回か3回くらい会議があります。5日の勤務日があるうちの半分が放課後に会議。一般企業はどうなのでしょうか?これだけ会議会議で物事が進むかどうか良く分かりません。話し合わなければいけない部分もあるのでしょうが実際に何をするのかが大事だと思います。机上でそれだけ議論を交わしても実際の行動が伴わない限りは何の意味もなくなります。

ということで練習に顔を出したときには動きの部分が全て終わっていました。17時30分くらいだったでしょうか。予定では基本的な走りもこの段階で終わっているはずだったのですが・・・。若干遅れていたようですね。最初から私がいて指示を出していくともう少し効率的に進んでいたかもしれません。逆に指示を出しすぎて遅くなっていたかもしれませんが(笑)。

ここまでの練習の中で先日書いていたフレキの練習を入れていました。土曜日の練習後選手に確認をして少し変えてみようと思ったので朝練の段階で少しやってみました。結局この段階では判断できなかったので午後の練習の中でその動きを行った後に走るという流れにしました。部分的に見て良い動きだったとしてもそれが実際の走りにつながらなければ意味がありません。走り全体の中でどういう位置づけになるかが大事です。マーク走とバトン走を行いました。土曜日と違い股関節から動いている感じがあります。

ここは私見。正しいかどうか分かりません。ミニハードルを使った練習などは「意識付け」としては非常に効果があると思います。しかし、ハードルの高さによって微妙な部分が出てきます。ミニハードルが高いと脚の動きがこちらが狙ったものとは異なります。高いので脚を直線的に運べなくなるのです。もも上げをすれば良いわけではないですからね。低いほうが意図した動きはできると思っています。そこでマイクロハードルというのが販売されるようになったのではないかと考えます。そういう意見が多かったからでしょう。しかし、低ければ良いのか?低いということは速く動かせるようになります。ほんの少し脚を上げればマイクロハードルを越えることができる。ここが問題ではないかと思っています。股関節から動かさなくても足先だけの動きでごまかせるのです。見た感じはこちらのほうが速く動くので良いのですが、実際に走ってみると動かない。股関節から動かす意識がなくなってしまうのです。

フレキを使っての最初の段階は緊張感もあるので小さな動きにならないように意識していると思います。だから導入したときは非常に走りが良かった。が、これを重ねていく中で意識が「より速く動かす」という感じで変わってしまう。だから一切進まなくなる。寝例とは違うのです。毎日毎日見ていて本人たちの感覚を確認する、実際にスプリント動作の中で進んでいるかどうかを見極める。この繰り返しの中で動きを取り入れるかどうかを考えていかないといけないのです。

跳躍選手は感覚的に「前で入れ替える」「股関節から動かす」という動きをしていたようです。これが見事かみ合ってフォロースイングが速くなり進み始めました。今まで以上に進む。しかし、動きを作って作ってここまで来た選手は「速さ」にだけ動きがいってしまいやろうとしている動きとは異なってしまう。これも本人たちに確認を取りました。「速く動かす」ことのみが頭の中にあったようです。ここが見極められなかったのが昨シーズンの一番の反省点です。見ることの大切さを改めて感じました。

そのままの流れでタイヤを。今回は短い距離にのみ絞りました。タイヤを少し重くして短い距離を走る。この中で練習の流れを作りました。今やりたいのは重心の移動。感覚を身につけないといけない時期です。単純に走るだけよりはこちらのほうが意識しやすいはずです。タイヤ引きをやってからショート。これをひたすら繰り返しました。とはいっても時間的に限られていたので多くはできませんでしたが・・・。うちの「多くない」は通常の学校の「多い」に値するとは思いますが(笑)。

女子の上位3人いい走りができていました。1年生エースの動きが安定してきています。かなり力が付いているのではないかと感じています。60mを走ると他の2人が付いていきます。60m時点での差は1m程度です。ここからの40mで大きく差がつく可能性はありますが現時点では本当に力が付いているなと思います。エースが遅いから他のものが付いていけるというのとは違います。1年生エースは男子選手にある程度ついていきます。12秒前半で走るであろう男子とは互角以上。その状況で他の女子が付いていけるというのは底辺のレベルアップがきちんとできつつあるのかなと思います。まだ安心は一切できません。リレーを組むのであれば4人目5人目の選手がどれくらいまで来るかです。

練習終了後に選手たちが「リレーで戦いたい」というのをかなり言っていました。こういう話が自分たちでできるようになってくるともうワンランク上の練習ができるようになります。目的意識の共有につながります。本来であればもっと早い段階でここに到達しなければいけないのですが・・・。具体的に「勝ちたい」という話が出てくるようになれば「どうすれば勝てるか」を考えるようになります。この日の練習が継続できたら面白いと思います。

まだまだだとは思います。手応えはあります。これからです。
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「努力」は必ず報われるとは限らない

2013-01-27 | 陸上競技
思う事があるので少し書きます。

陸上競技というのは本当にシビアなスポーツだと思っています。理由は「努力をした者が勝てるわけではない」からです。これは世の中のすべての事で言えるのではないかと思います。我々指導者は「練習をすれば強くなる」と口にします。選手もその言葉を信じて練習をする。当然といえば当然の事です。しかし、結局どこのレベルを目指して努力をしているのかが不透明になってしまい漠然と練習をするようになってしまう。

はっきり言って「才能」という大きな力の前には「努力」はちっぽけなものだと思っています。競技をという側面だけをみれば高校生男子が100mを14秒台で走っていて、次の年に10秒台で走る事は不可能に近いのです。たいして練習をしなくても速い者は速い。理想論ではなく現実が目の前にあります。そこから目を背けて「努力をすれば何でもできる」と教えるのは違っているのかなと考えています。夢や理想を訴えかけるだけで如何ともし難い力の差は埋められない。面白くない話をしているかもしれませんね。

うちのキャプテン、高校入学時は100m15秒くらいでした。この選手に自分の力でインターハイに行け!と言うのは夢でも理想でもない。本人にも想像できない事だと思います。力がそれほどないと書くと保護者や関係者から非難されるかもしれませんがこれが現実です。まずはチーム内で4番以内に入ってリレーを走るように話してきました。努力をして達成できる可能性と不可能なことがあると思っています。一生懸命に努力さえすればどこまででも強くなると教えるのは本人のためにはならないんじゃないかと。

昨年秋のシーズンが終わって、また本人と話をしました。かなり走れるようになってきていました。が、13秒中盤位のスピードにはなっているでしょうか。それでも個人でインターハイに行くのは不可能です。「チームを作って行くことができればリレーで戦えるようになるかもしれない」と話しました。これも可能性であってどこまで行けるかは分かりません。最初から12秒台の選手が何人も集まってくるような学校があればどれだけやっても勝てないかもしれません。が、個人で上で戦うことよりはリレーの方が間違いなく可能性があります。一人では無理だと話をしました。現実を突き付けるというのは良い気はしないものです。でも不可能なことが「努力すればできる」と教えるのは違っている。今できる最大限の努力をすることで何かしらの可能性が見えてくるのです。

少し話が変わりますが、世の中には強い選手がいます。努力をしなくても速く走れるのです。この事は何度も書いている事ですね。そういう選手に対して普通の選手が努力をしたから勝てるのか?勝てる確率は低いと思います。普通の高校生がボルトに勝つといっても不可能です。こういう意味で努力をすれば必ず報われるとは言えないと思っています。

強い選手は何もしなくても強い。これは本当に良いことなのか?それほど努力をしなくても速く走れてしまう。小さい頃から周りより速いことで指導者や保護者も特別扱いになる。全てがそのパターンだと言い切るつもりはありません。練習を必死にしなくても走れる者は走れるのです。それなりに練習をして試合に出れば勝てる。勝てるから楽しいのです。勝利至上主義とは言いませんがこういう部分があるのは間違いないと思います。だから勝てなくなったり記録が出なくなったら面白くなくなる。

ここで「だったらめちゃくちゃ練習をして強くなってやる」と覚悟を決められるのはごく一部の選手です。今までそれほど努力をしていないのに才能があるから結果が出ていた。その事が分からない限りは練習を覚悟を持って取り組むという事はできません。才能がある選手が真剣に自分と向き合って努力できるようになったら普通の選手は手も足も出ない状態になるのです。でもここに到達できる選手というのは本当に少ないと思います。ほとんどの選手はここに行く前に諦めてしまうからです。必死にならなくても勝てるというのが本当の成長にはつながらないんだと感じています。

努力は万能ではない。でも、普通の選手が才能あふれる選手に勝つためには努力をする以外には方法はないのです。可能性は低い。それでもやらない限りは勝てる可能性は出てきません。そこに向けて私達が何をするのか?夢や理想だけを伝え続けるのは違うのではないかと思っています。現実にきちんと目を向けて本当にできる事は何かを伝えて行く事しかないのです。

努力は必ず報われるとは限らない。でも、努力しない者に自分の先に何があるのかを知る事さえできないのです。結局一番になれるのは世界で一人だけ。他の者は敗者。そこから目を背けてはいけない。支部大会で一位になれる者も一人、県大会の一位も一人、中国大会の一位も一人、日本一も一人。勝てなければ意味がないというのであれな日本でやっている事に意味があるのはたった一人だという事になってしまいます。これは絶対に違うと思っています。努力すること、目標に向かって進んでいく中で形に残らない何かを手にする事ができるのです。才能溢れる選手はこの部分の下積みが不足する危険性があります。きちんとした指導者についていれば違うかもしれませんが「強い事が良い事」という指導では選手は伸びません。チームで動くことや努力することの大切さ、練習をする意味をきちんと教えていかなければいけません。これが我々の本当の仕事だと思っています。

前述のキャプテン、現時点ではチーム内で二番手にになりつつあります。まだまだ力的には足りません。甘さも多々あります。それでも15秒でしか走れなかった者がキャプテンとなりチームを引っ張っていけるようになってきている。才能溢れる選手ではなかったからこそここまで来たと思っています。怪我をして涙を流し、思うように走れずに涙を流す。一つ上の先輩の後ろ姿を追い続けていた。努力が報われるというのはどの水準なのでしょうか。一番になれなくても、他の者には勝てなくてもきっと心の中に何かが残るはずです。そこが一番大事だと考えています。

努力は万能ではない。必ず報われるとは限らない。でも、目指す場所を決めてやっていくしかありません。それが唯一強くなるための手段です。何もしなくても速く走れる選手よりは競技を楽しめていると思います。最大限の努力をして自分自身の力を出し切る。ここが大切です。そこができるような指導をしていきたいと考えています。

分かりにくい文章になっているかもしれません。思う事を書いてみました。表現的に不適切な部分があるかもしれません。伝えたい本当の事が伝わると良いなと思っています。必ず結果がついてくるとさ限らないけど、全力でやる以外に道は開けないのですから。
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良いような悪いような・・・

2013-01-27 | 陸上競技
土曜日、この日は朝めちゃくちゃ寒かった・・・。前日の夜は雪がぱらついていたのでひょっとしたら練習ができないのではないかと不安がありましたが雪は積もっておらずこのあたりは全く問題なく。グランドの表面が完全に凍り付いていました。気温自体はかなり低いのですが風が吹かなければ何とか過ごせるなという感じがありました。やはり寒さは苦手です。

練習はサーキットから。前日に引き続きとにかく身体を温めたいという気持ちがありました。しっかりとやっておかないと屋外での寒さに対応できません。身体が温まらなければ走ることもできませんから。サーキットへの取り組み方でその選手の今の気持ちがわかります。正直、これは気持ちが入っていないなという選手もいます。もう少し負荷がかけられるだろうと。もちろん全体的に投げかけをしていますがこれがどのように伝わっているのか?競技力があっても「疲れているから仕方ない」という感じで行っているようでは強くはなりません。自分のためにやるトレーニングがきちんとできないようではこれから先競技を続けていくことは厳しいと思いますね。それなりの競技にしかなりませんから。

その後屋外へ。ここもいつも通りドリルをやってから走練習へ。ドリルの部分はある程度できるようになってきました。フレキと他の動きの組合せもある程度流れができてきました。が、ここにまたも問題が。少し話が前後するのですが走練習で後半の動きが悪くなる者が出ました。これまで結構走れていたのになぜかなと考えていく上でこの「フレキ」が悪い影響を与えている気がしました。フレキを使った練習は全国どこでも流行っています。8年くらい前に大学に陸上の勉強に行ったときはミニハードルで同じような動きを行っていました。昨年もかなりやりました。この動きの大きな弊害に1年間苦しめられました。この日の動きの一部もこの動きになってしまったのです。うーん。問題です。

逆に跳躍選手は抜群に動きが良くなってきました。見違えるほど進みます。これが「差」です。練習終了後、メールで本人達に確認をしてみたのですが跳躍選手はこちらが求めている動きの意識で練習を行っていました。他の選手は部分的なものだけを意識してしまい練習の流れが途切れてしまうという感じになっています。ここで中間以降の動きの「差」が生まれてしまうのだと思います。

フレキをやったあとのマークまでは誤魔化しがきくのですがその後の動きが問題。股関節から動かす部分が必要になります。良い動きと悪い動きが交互に出てしまうというか走りが安定しなくなりました。スタートもやったのですがここもかみ合う者とかみ合わない者では全く違いました。私自身しっかりと見極めていかなければいけません。それなりに走れるようになってきています。余計なことをしない方が良いのかなとも思います。この部分をどうやって練習に取り入れていくのかが大きな課題です。ワンランク上を狙うためにもやった方が良いと思っているのですがこちらが意図する動きではなくなってしまう部分が気がかりです。うーん、どうしようかな。

メインはタイヤ引き。タイヤを使ってのシザースを行ってからスプリント。これを2セット。終了後はタイヤ引きで長い距離をかなり走りました。本数も多めに。2セットに分けて実施。後半の動きに課題を置いて最後までスピードを維持させるように指示。ここで動きが崩れてしまうと全く意味がありません。タイヤ引きが終わったあとには負荷をなくしてスプリント。2本程度にしましたが120mを走らせました。レストはwalk。

終了後はシャフト補強のみ。終わりでも良かったのですが不足分を補っておきたいという気持ちがありました。本来であれば二部練習にする予定なのですが検定の勉強をさせないといけません。勉強時間の確保を優先しました。とはいえ全くやらないというのは良くない。疲れているからといってれここで集中が切れるような者は絶対に強くなりません。全体で5時間程度の練習となりました。

もう少し書きたいことがあるのでこれは別に。
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寒さの中で

2013-01-26 | 陸上競技
金曜日、練習は通常通り。朝練の時間帯は雪がめちゃくちゃ降っていたので練習は廊下で行うことに。こちらは選手に任せました。私は簿記検定の課外。部活の選手対象です。基本的にはある程度できるようになっているのですが絶対に落ちてもらったら困るので強制課外(笑)。

この日は簿記が3時間あったので放課後課外は実施せず。正直、これくらいやってできないという生徒は間違いなく家庭学習ができていません。その生徒に強制的にやらせるのは導入部分だけで十分だと思っています。自分自身が「やらなければいけない」という感覚にならなければどれだけ教えても身に付きません。基本的な部分はかなり教えています。あとはドリルです。繰り返しやって身につけていくしかない。これは陸上も他のスポーツも同様だと思っています。身につけることができるかどうかは本人の努力だと思っています。「至れり尽くせり」で習得した力は本物にはなりません。自分自身で「必要」と感じない限りは変わらないのですから。

午後の練習はサーキットから。かなり寒いですがやることは変わりません。サーキットから初めて汗をかくくらいやりました。サーキットは武道場で行います。室内ですから風が来ない分体温が上がります。この段階でしっかりと温めておいてから屋外で練習です。ここ1週間程度はじっくりと動きを見ることができていません。この日は全員そろっていはいませんでしたが動きの部分に時間をかけました。寒いこともあってか感じが微妙。全体的に動きの変化はあるのですが私が求める水準まではちょっと届きません。高いレベルを求めているわけではないとは思いますが・・・。

水曜日と同じようにフレキと他の種目を組み合わせて行いました。シザース系の動きは地面に力を加えることが不十分の選手もいます。また、足先だけで力を加えるため膝の進展で身体を運んでしまいます。やりたいことと少し違います。ここの部分は個別に指示を出しましたがなかなか難しい部分です。本人の意識の部分も大きく影響していると思います。できない動きをできないで終わるのではなく何とかして走りにつなげようという感じが欲しいのですが。

後半はスタート練習。先週と同じです。重りの調整に手間取りました。ここで無駄な時間を使いたくないのですが重すぎても軽すぎても練習になりません。タイヤの中に重りを入れて調整するのですがこれまでは適当に石などを入れていました。が、やはりこれでは微調整ができません。きちんと自分に合った重さで行っていきたいと思いますね。

スタートが大きな課題として残っています。100mで勝負することを考えるとこの部分は避けて通れません。かなり良くはなっているとはおもうのですがここで安心はできません。目指す水準には遠い。そして見ていると「待ちの姿勢」の選手が多い。自分からなんとかしていこうというのではなく「教えてもらったらやる」という感じがあります。自分から何かを学ぼうというか動きを変えようという部分が不足しているので。これは教えてどうにかなる部分ではないと思っています。自分から動く。この意識が明らかに不足しているから「受け身」になるのです。うーん、どうすればできるようになるでしょうか。

寒いから・・・というのは言い訳にしかなりません。今はそのような言い訳をしている場合ではない。自分で動きを帰るためには1本1本を大切にしていくことが必要なのです。甘いことを言っていたら先はありません。「技術」を支えるのは「心」です。精神論を語るつもりはありません。「考え方」が結果を大きく変えるというのは事実だからです。ここを言い続けてどう変わるのか?私には分かりません。本人たちが意識的に取り組んでもらいたいと思います。

うーん、文章が微妙ですね。若干集中力が切れているのかもしれません。また書きます・・・。すみません。
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調理実習と最後の体育

2013-01-26 | 陸上競技
金曜日、この日は1週間前にクラスの生徒から招待された調理実習の日でした。自分たちの好きなものを作ってみんなで食べるというもの。私もおまけで誘ってもらいました(笑)。前日に数人休みがいたので夜の時点で連絡をしておきました。みんなでできる最後の調理実習です。一人でも欠けると面白くないですからね。一人かなり怪しいものがいましたが前日の時点ではなんとか無難に来れるだろうという感じでした。

朝教室に行くと一人遅刻があったものの全員集合していました。いやー良かった。私は授業が詰まっていたのですがその時間だけ空けてもらって調理実習に参加。参加といっても私は出来上がったころに生徒に呼ばれて参加しただけなのですが(笑)。全員で作った料理です。それぞれ特徴がありました。午後から体育で走るということになっていたのでみんなビビって食べれないと言っていました。が、結局はお腹いっぱいになるまで食べていました(笑)。抑えられない食欲ですね・・・。私はグループごとに写真を撮りながら話をしていきました。こういう時間というのは本当に貴重です。子供たちと時間を共有することができなければ今の仕事の意味はないと思っています。



                  

4時間目を大幅に超えて昼休みに全てが終了。楽しい時間を過ごせました。続いて体育も最後。これもこの子たちにとっては色々な意味で「思い出」になっていると思います。ということで最後の体育で走る姿を写真に収めようとグランドへ。ロードレースの練習を行っていない者はそちらへ行ったらしく全員ではありませんでしたが参加している生徒の写真だけは撮影。少しゆっくり走っても良いと言われていたので全体的に気持ち余裕をもって走っていました。終わった後にもう1周走る者もいました。本当に3年間良く走りました。

撮影した写真を生徒にメールで送ることに。が、なんだかよくわかりませんが上手く遅れません。何人かには届いているのですが全く届かない者も。どうしようかと相談していると「LINE使えば一発で大丈夫」という言葉に同様・・・。基本的にLINEは怖いので絶対にやらないと心に誓っていました。多分問題はないのでしょうが「知らないものは怖い」という思い込みがあります。生徒からは「Facebookやっているんだから絶対に大丈夫」と言われたものの恐怖で戸惑っていました(笑)。教卓の周りに座っている生徒たちの強い説得により硬い意志は速攻で折れる(笑)。携帯に入れることになりました。

全く良くわからない状態で生徒に言われるまま登録を進める。更にわからないままに「グループ」に加入。どうもクラスの生徒が9割5分くらいが加入しているようです。クラスの連絡事項などはここを通じて回されているとのこと。このグループに入って写真をアップするとみんなに届くらしいということですぐにUP。いやー便利な世の中になりました。LINEのことに関してはもう少し調べてみないといけません。あやふやなまま使い続けるのは怖いですからね。特に生徒の「グループ」に入っているというのはかなり気を使います。おっさんがこの子たちと一緒に入っていて良いのかを考えさせられます。生徒は「全然問題ない」と言うのですがやはりちょっと気になります。

こうやってクラスの生徒と関わるのも少しずつ時間が無くなっていきます。全てのことが「高校最後」になっていってくことの寂しさ。うーん、言葉にはできないですが・・・。少なくなっていく時間を惜しむのではなく共有できる時間を大切にしていきたいと感じています。これまでとは少し感覚が違うかなという部分があります。この子たちのために何かをしてあげようというのではなく「一緒に何かをしたい」という感じです。後から思い出に浸るのではなく目の前の「今」を共有する。それが私がこの子たちと出来ることなのではないいかと思っています。

少しずつ時間が過ぎていきます。あっという間に1か月が過ぎ生徒は巣立っていくことになるでしょう。それまでに何を共有できるか?時間を有効に使いたいですね。
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