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かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

奥宮に位置する聖地、生野の調査

2013-01-20 19:09:35 | 邪馬壹国

       生野の絶峯御林

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不思議なモニュメント的な岩の存在

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     亀と私
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     亀 ・・この石はどんな乾燥状態でも目から涙だ滴るようにできている
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        人工的に造られている
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             鶴
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          ライオン
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         調査風景

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          反射鏡

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          反射鏡側面Dscf6223


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 聖地を守る龍の親子のモニュメント

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         龍の子供の顔

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       龍のお母さんの顔
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  お母さんと子供が仲良く並んでいいる   

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          優美な龍

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 聖地を守る川は人工的に造られている

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奥宮である聖地は、四方を水で囲んでいる

中央の四角い部分が聖地である。その聖地は、鶴と亀がキスしている状態を造っている。ここをクリックして上空から3Dでみてください 

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人類的世界遺産の保護をお願いした

 天皇陛下への手紙(説明のDVD)・・ここをクリックしてくだい
 


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Sumer come from Japan

2013-01-20 18:08:19 | 空海 -KUKAI-

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Saburou Uemori
   

邪馬台国 

Whatever is now covered up will be uncovered, and every secret will be made known. (Matthew 10-26)


魏志倭人伝に記載されている情報をもとに境界国をなぞると、邪馬壹国(しゃもいっこく)は丹後半島を含む兵庫県但馬、丹後、丹波地方から摂津、大和へとつながった国土であり、行政府の首都が纒向(奈良)であり、女王卑弥呼が住む聖地は、兵庫県の中央に位置する、播磨風土記で表記される埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがる地域で、居城はである。

邪馬壹国の女王卑弥呼が居た埴岡の里(兵庫県生野、神河町)・栗への朝見ルートは、高句麗、現在の中国遼寧省鞍山市の道教の故郷、千山から神の故郷、蓬莱()を経由して朝鮮半島に沿いながら現在の釜山あたりから対馬、壱岐、を経由して呼子(佐賀県)に宝船を呼び込みます。ここまでは神で来ますが、お一人の神様は、神を呼子に降ろして定期航路を帰ります。降ろされた神は、陸路、吉 岡 そして津まで宝物を運んで行きます。 津からは神が物部氏の船に乗せられて関門海峡を下して宇佐八幡の神様にご挨拶して、それから瀬戸内へ入り、中国山脈のって山の大門 まで20日を要して到着します。ここからさらに10日かかってたどり着く所がの神えびす様の総本社 がある西宮です。ここで検品を済ませ、三つの御竜車物を乗せて、塚を通り、三田、篠山、春日を経て知山に着き、粟鹿を通って南下し、シオン(聖地)と呼ばれていたイヤ(生野)へとやってきて最終地点である(神河町)へとたどり着きますが、ここが女王卑弥呼の居城でした。西宮からここまで陸路1ヶ月を要した。

女王卑弥呼への朝見ルートは地名に福の一文字が残る、福の神のルートである。

そして卑弥呼のお墓は、779mの山頂にあった。

 邪馬壹国の国土図と呼子(佐賀県)からの女王卑弥呼の居城までの道程図

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高句麗にあった千山から、千ヶ峰の麓の卑弥呼の居城への上陸地点までの海路図

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女王卑弥呼の居城が、埴岡の里の栗である証。

 グーグルマップの3Dで、旧約聖書にある生命の樹(カバラ)の法則に則り発見された、八幡山を中心に半径10km内に山を使って造形された壮大な地上絵群との位置関係図

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1・・八幡山(カゴメ紋の中心点)  2・・卑弥呼の墓  3・・男性シンボル              4・・女性シンボル  5・・鳥  6・・鳥  7・・亀  8・・奴婢  9・・大亀

10・・龍(玄武)  11・・

 A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った墓(推定))

 B ・・古城山御林(モーゼを祀った墓(推定))

 C ・・生野に残る古地図の二つの御林と、卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点

 D、E、F ・・ 人工的ポイントの山

12 13 ・・メノラー(神の木) menorah

14 ・・ ひょうたん

・・・

1 八幡山

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2 卑弥呼の墓

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3 男性シンボル

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4 女性シンボル

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 6 鳥(鶴) ・ 9 大亀 

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10 龍(玄武)

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12  メノラー(神の木)   12,13 一対のメノラーmenorah

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13  メノラー(神の木)

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14 ひょうたん bottle gourd

 


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邪馬壹国は、始まりの国であり満たされた壺である

2013-01-20 12:09:00 | 邪馬壹国

邪馬壹国は兵庫、京都、大阪、奈良、にまたがる国だった!       

魏志倭人伝に記載されている情報をもとに境界国をなぞると、邪馬壹国は丹後半島を含む兵庫県但馬、丹後、丹波地方から摂津、大和へとつながった国土であり、行政府の首都が纒向(奈良)であり、女王卑弥呼が住む聖地は、兵庫県の中央に位置する、播磨風土記で表記される埴岡の里、現在の兵庫県神崎郡神河町と朝来市生野町にまたがる地域で、居城は栗である。

邪馬壹国の女王卑弥呼が居た埴岡の里・栗(兵庫県生野、神河町)への朝見ルートは、高句麗、現在の中国遼寧省鞍山市の道教の故郷、千山から神の故郷、蓬莱()を経由して朝鮮半島に沿いながら釜山あたりから対馬、壱岐、を経由して呼子(佐賀県)に宝船を呼び込みます。ここまでは神で来ますが、お一人の神様は、神を呼子に降ろして定期航路を帰って行きます。降ろされた神は、陸路、吉 岡 そして津まで宝物を運んで行きます。 津からは神が物部氏の船に乗せられて関門海峡を下して宇佐八幡の神様にご挨拶して、それから瀬戸内へ入り、中国山脈のって山の大門 まで20日を要して到着します。ここからさらに10日かかってたどり着く所がの神えびす様の総本社 がある西宮です。ここで検品を済ませ、三つの御竜車物を乗せて、塚を通って、三田、篠山を通って春日から知山を通り、粟鹿を通って南下し、シオン(聖地)と呼ばれていたイヤ(生野)へとやってきて(神河町)へとたどり着きます。西宮からここまで陸路1ヶ月を要します。 女王卑弥呼の祈り場は、ユダヤの二人の大王が祀られた、絶対の王様イエス・キリスト(絶峯御林)とモーゼ(古城山御林)を見つめる、ヤハウェの神を祀る八幡山 が祈りの場であり山門でした。

女王卑弥呼への朝見ルートは福の神のルートでした。

そして卑弥呼のお墓は、779mの山頂にありました。

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1・・八幡山かごめの中心点)  2・・卑弥呼の墓  3・・男性シンボル              4・・女性シンボル  5・・鳥  6・・鳥  7・・亀  8・・奴婢  9・・大亀

 

10・・龍(玄武)  11・・

 A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った地下神殿)

 B ・・古城山御林(モーゼを祀った地下神殿)

 C ・・ユダヤの大王二人と卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点

 D、E、F ・・ 人工的ポイントの山

12 13 ・・メノラー(神の木)

14 ・・ ひょうたん

 

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Dscf4126_6伊勢神宮(内宮)から鶴と亀や龍(玄武)などの地上絵が造形された生命の樹(カバラ)の王冠にあたる場所が埴岡の里であり、そこは伊島(徳島県)から生野・埴岡の里まで伸びる黄金比率の十字架とダビデの星が見事に出合います。

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この埴岡の里にある八幡山が現代の神社で言えば本殿であり、鶴と亀が地上絵として造形され、生野銀山の資料館の中に展示された絵図に書き記されている、モーゼを祀る古城山御林と、イエス・キリストを祀る絶峯御林の場所が奥宮にあたります。

そしてそれら本殿、奥宮を、長さ1,8kmほどの巨大なメノラー(神の木)の地上絵で飾っています。手と口を清める為の生命の水は、ひょうたんの口から流れ出ています。

こここそが、日本神道の原点であり、原始ユダヤの本来の聖地であり、シュメール人の故郷です。

これだけの壮大なスケールで高精度な測量技術と山々に人の手を加えて造形できる技術や、計り知れない労力を注ぎこめる魂を持った人々とはどのような人々でしょう。

いえいえこれを創ったのは私達のご先祖様です。 これぞ大和魂なのです!

私達日本人は、海を渡ってこの国土に流れ着いたのではありません。この地球上で絶対にして一つの、「私は有りて有る者」と謙虚な言い方をなされる神との交信ができるスメラミコトこそが天皇なのです。 スメラミコトとはこの地球上の人々の為に世界平和を祈り、その儀式を世界の人々の代表として司るのが天皇なのです。この天皇に仕えるのが大和魂を持った日本人なのです。

遠い遠い昔、そのことを伝え広げるために先人達は、海を渡り、山を越え砂漠を越えてまで、世界中に伝道に出かけたのです。 そしてまた、この日本の地に帰って来たのです。

ですから、世界の指導者は皆、日本にやってきました。 モーゼもイエス・キリストもこの日本に帰ってきて、この日本の礎を築きました。

絵空事ではありません。

日本書紀を編纂した藤原の不比等君や空海様達は、そのことをよ~~く御存じでした。 でも、十字架にかかって死んだはずのイエス・キリストが、母なる御霊の日本に帰ってきて、出雲の国を起こし、理想のモデル国家として、邪馬壹国を創ったと、どうして書けましょう。 そう言いたかったけれど、この国を守る為に神武天皇としてうまく紀元前の神話の世界に残してくれました。

大黒様は大国主の命であり、イエス・キリストであり、イコール、神武天皇です。

この視点に立って歴史を視れば、何も矛盾なく腑に落ちます。

神武天皇を神話の世界に残してくれたように、出雲地方の大社造りの建築物や、神社の神紋や奇怪な神事などにもその暗号を残してくれていました。

でも、イエス・キリストが106歳でこの世を去ると、我が国は80年ほど覇権争いで大乱の時代が続きました。そこで、兵庫県但馬の上古野地方に暮していた「あずき」ちゃんが、鳥取県馬の山と三重県の松阪地方、丹後半島と徳島などに勢力を持つ豪族たちによって、9歳で女王として共立されます。卑弥呼の役割は、この国の礎を創った、モーセやイエス・キリストの墓守と、世界のスメラミコトとしての役割でした。でも、安定の時代は永遠に続かないもので、豪族達もこの世を去り代替わりしていくうちに、共立された意図も薄れて行き、不満を募らせる人達が現われます。

紀元前722年に崩壊した北イスラエルの10部族の人達がこの日本に帰化してきて、永永と続く天皇の元でウガヤ王朝を樹立し神武王朝へと続きますが、遅れて帰ってきた南イスラエルのユダの王家の血を引く人達が王権を奪い取る企てを図ります。

北と南に分裂したとき、王様に仕え、祭祀を司るレビ族は、両方に仕えましたが、このレビ族こそが、この我が国の国土設計をし、他の部族達を指揮しこの国の礎を造った物部氏でした。

でも、神武天皇(イエス・キリスト)の血を引く女王卑弥呼にゆさぶりを掛けた物部氏も企て事にはまってしまいました。 レビ族のまつろわぬ運命でした。

女王卑弥呼は、自分から永遠の眠りに着くお墓として、絶対の王様イエス・キリストとモーセのお墓と、祈りの場である絶対の神ヤハウェを祀る八幡山の頂点との延長線上に並ぶように、宇宙の法則であるピタゴラスの定理の三角形の頂点にその位置を決めました。 その場所は標高779mの山頂にあり、葺き石で葺きあげられ、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳 の初期の形の古墳が形成されています。 卑弥呼のお墓を探査レーダーで調べると・・非鉄金属の反応も捕らえました。

71歳の世界に帰った女王卑弥呼の墓は、人類的世界遺産である地上絵群の中心部に位置し、朝日が輝き、夕日に照らされています。このことを早急に立証し、卑弥呼が何を成したかを世界中の人々に知らしめ、日本民族がいかに優秀で、平和を愛する御霊を持っているかを立証しなくてはなりません。

南の王家の血を引く馬の山生まれの第10代祟神天皇と第11代垂仁天皇は、疫病や天変地異に「祟り」をみます。そこで祟りを鎮める為に、お社を造りますが、大きな祟りにはより大きなお社として伊勢神宮(内宮)を造って女王卑弥呼を祀りました。そして又、竹野地方から神武天皇の血を引く13歳の姫君を「卑弥呼の宗女」という形で、王権を継承したのが神功皇后でした。でもこれも最初から祟りを鎮めるための企てですから、神功皇后の御霊を鎮めるために伊勢神宮に外宮として祀りました。かぐや姫の物語は、但馬の竹野地方から生まれ、王権を持ったお姫様の物語ですが、このように神話や物語として今の私達に真実をそっと教えています。

何一つ心にやましい事が無ければ、「祟り」という言葉も浮かびません。

でも、過去の過ちや争いをいつまでも根にもって引きづってはなりません。その時々、立場立場でこの国をより良き方へと導きたいと強く思った人間が成した行動でした。

10代先祖を遡れば、1024人の御先祖様が居られ、その又先へと辿れば、皆な同じご先祖様達にたどり着きます。自分の魂が輪廻しているとすれば、過去、意図しないところで人をあやめたり、あやめられたり、企てたり企てられたりしていることでしょう。

元は一つです。

このような観点に立ち、互いが過去の全てを受け入れ、世界人類が手を取り合うことです。

この世は、もう新たな第7ステージへと入っています。

そして・・最後に・・

我が国が祀る天照大神とは、アブラハムの父である、父祖テラを大神として神代から祀っています。

もちろんそれ以前から我が国には大神様が祀られてきています。

シュメール人の故郷も日本です。

もうそろそろ、この日本から人類的神宝である聖櫃アークや聖杯が現われる時が来ることでしょう。その時、その出現した地こそが元々の聖地ですから、その場所で人類平和の為に祀らなくてはなりません。

その合意ができない間は、出現はしないでしょう。

世界平和の為に、一刻も早く女王卑弥呼の墓の立証から段階を踏んで、その神宝の出現を待ちわびる私です。

・・・

  私からのお願い!

 

この事実を知った一人の方が10人の人達に、そしてその人が10人の人達へとスピードを持って早急に伝えていただくことで、世界平和の実現をより近づけることができます。宗教の垣根を越えられます。

私たち世界人類のご先祖様達が、想像もできないほどの偉業を成し、その遺産がこの日本に遺されていました。

もう一度書きます。

日本が祀る天照大神とは、アブラハムの父祖御テラを大神として祀っています。

卑弥呼は単なる日本の女王ではありません。世界のスメラミコトだったのです。

一刻も早く卑弥呼の墓の立証をすることで、その先の立証が成され、世界が一つになれます。 

 日本の天皇は、世界人類のスメラミコトなのです。

争いのない平和な地球を希求する人達の行動を見守ります。

     ありがとうございました。  

Saburou Uemori 

 

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