遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『黒南風の海 「文禄・慶長の役」異聞』  伊東 潤  PHP文芸文庫

2021-10-07 23:14:43 | レビュー
 「黒南風」に「くろはえ」とルビが振られている。「南西の沖合から黒雲が湧き出し、南風が吹き始め」ることを「黒南風が吹く」と称するそうだ。この風が朝鮮半島南東端にある釜山に日本の軍船を運んで行く。この小説は、豊臣秀吉の誇大妄想が生み出し無益な侵略戦争となった「文禄・慶長の役」の経緯を加藤清正軍を中軸にして赤裸々に描き出す。
 「天正20年(1592)4月、豊臣秀吉は、志半ばで斃れた織田信長の見果てぬ夢を継ぐべく、麾下16万の兵を動員して大陸に乗りだした。その狙いは、朝鮮半島のみならずアジア全域の制覇にある。」(p20)1592年12月8日に年号が天正から文禄に改められた。
 この戦争の渦中で迷い悩んだ上で己の意志を固め、その意志を貫く行動に踏み出した男の出会いと別れのドラマが、わずかの史実をもとに創作され連綿と織りなされ紡がれていく。彼等はそれぞれ同朋からその行動を裏切りと見做される立場になる。だがそれを敢えて甘受して悔いない2人の生き様は鮮烈である。

 日本史の年表を開けば、「文禄1年(1592) 文禄の役(93和議)」「慶長2年(1597) 1慶長の役(再度朝鮮へ出兵)」「慶長3年(1598) 8秀吉没 12日本軍の朝鮮からの撤兵ほぼ終わる」と、僅か3行の記述。この3行が豊臣秀吉政権下の日本と李氏朝鮮にとって何を意味したのか。どれだけ虚しい流血が流されたのか。どのような影響がもたらされたのか。
 本書は史実を踏まえフィクションとして描き出された歴史小説である。2011年7月に単行本が刊行され、2013年11月に文庫化された。

 断片の史実として残る2人とは誰か。
 一人は沙也可(さやか)と呼ばれた日本人。国王の宣祖から金という姓と正三位の高位を得て両班となり、1643年、金忠善として73歳の生涯を閉じた。「常在戦場」を貫いたという。著者は沙也可から、佐屋嘉兵衛忠善という鉄砲の腕に秀でた人物を創出する。
 もう一人は金宦。加藤清正から200石を賜り、勘定方の仕事に就いた。日本人の妻を娶り後半生を生きた。清正が死した時、殉死した2人のうちのひとりとして生涯を閉じる。日本名を名乗ることを拒否したという。清正が葬られた熊本・本妙寺浄池廟の左奥に葬られ墓石がたつ。李氏朝鮮では勘定方の官吏を金宦と呼んだという。著者は両班の良甫鑑という人物を創出する。
 佐屋嘉兵衛忠善と金宦(良甫鑑)が出会い、国と民衆を思うそれぞれの意志と行動が織りなして行くドラマが1つの読ませどころとなって行く。

 このストーリーは3章構成になっている。
<第1章 焦熱の邑城>
 天正20年4月、佐屋嘉兵衛は加藤清正軍に加わり黒南風に乗って釜山に向かう。和田勝兵衛を寄親とし、筒衆頭(鉄砲隊長)であり、鉄砲の腕は抜群に優秀である。小西行長が第一軍、加藤清正は第二軍として朝鮮に渡る。清正が釜山に着くと、当初の指示を受けた戦略は既に破られ、第一軍は単独行動を開始していた。そんな齟齬を来した状況から、戦が進展して行く。清正は小西行長の第一軍が緒戦で一方的な勝利を収め、徹底的な殺戮を行うという戦法を実行した釜山の状況を知る。先行して北上する第一軍に対し、清正は慶尚道の道都・慶州を経由して漢城一番乗りを目指す。清正の戦いぶりが描かれる。清正は”久留の計”に沿い無益な殺戮をしないという方針で戦を進めていく。朝鮮国での凄惨な殺戮現場の状況に直面する嘉兵衛は徐々にこの他国における戦の意義に対して疑問を抱く立場になっていく。
 日本軍は漢城、開城を落とす。その先は平壌である。清正の第二軍は江原道から咸鏡道へ向かう。咸鏡北道を治めるためである。会寧の攻略中に、朝鮮二王子の居場所が判明し降伏勧告を進める過程で、嘉兵衛と金宦の運命的な出会いが生まれる。
 二王子とともに捕らわれの身となった金宦は、清正の下で、朝鮮の民衆を救い守るという意志を行動に転換していく。清正はその金宦の姿勢に信頼を抱くようになる。だが、清正の下で交渉役に立つ金宦は、母国の同朋からは附逆(裏切り者)と侮蔑される身になる。
 7月末、咸鏡道からオランカイを経ての北京一番乗りは不可ということを清正が覚るまでが描かれる。

<第2章 酷寒の雪原>
 天正20年9月から翌年和議後の7月下旬の撤退までが描かれる。
 咸鏡北道を統治する清正は、北半分を間接統治に切り替え、南端の安辺を拠点とする。南半分は分割して在番地が決められる。勝兵衛の在番地は最北端の吉州となる。そのため嘉兵衛は吉州を防備する立場になるが、翌年1月、この酷寒の地から撤退する際、殿軍となった嘉兵衛は攻めてきた敵と交戦し、敵将鄭文孚により生け捕りとなる。これが嘉兵衛の人生の転機となっていく。
 戦を止めさせ、民衆を救いたいという嘉兵衛と金宦のそれぞれの思いは、それぞれ投げ込まれた境遇の中で、行動となって発揮されていく。置かれた立場は違え、思いは同じである。6月、普州城での攻城戦では、朝鮮政府の使者の印である朱印を竿先に掲げて金宦は入城し、降伏開城を唱え自らを使者として清正軍に送れと主張したために、磔台に立たされる羽目になる。一方、城への攻撃停止を求めて清正の許に来た嘉兵衛は、降倭となったのならば磔だと言われる立場になる。奇しくも2人が磔の窮地に陥る。
 和議に至る複雑な経緯が書き込まれていて興味深い。
 7月27日に、秀吉からの命令書が朝鮮在陣諸将に届く。「あくまで秀吉は、”久留の計”にこだわり、慶尚南道一帯に二十余の番城構築を命じてきた。これらの城には,43,000の日本軍が籠もることになる。」(p260)

<第3章 苦渋の山河>
 慶尚南道で両軍が対峙し、秀吉の命令で倭城が築かれる一方で、大半は日本へ撤退する。清正もまた4年ぶりに金宦を伴い撤退する。しかし、そこには清正を貶めようとする策謀が巡らされていた。清正は失脚直前まで追い込まれる。文禄4年(1595)7月に畿内周辺の大地震で伏見城も倒壊する。このときの清正のとった行動のエピソードが描き込まれていく。
 日明講和交渉の破綻が、慶長の役に進展して行く。慶長2年(1597)再び清正は朝鮮半島に上陸することになる。金宦も同行する。このとき、小西行長は朝鮮政府に清正の上陸地点情報をリークしていたと著者は書き込んでいる。
 文禄の役の経験に学んだ上での慶長の役の経緯が綴られていく。清正の思いがどのように変化しているか、嘉兵衛と金宦が戦の回避を目指してどのように行動するかに焦点をあてながら、無益な戦の状況が描かれていく。著者は、清正に「金宦、わしには、この戦の意義が分からなくなった」と迷いのある言葉を吐かせるに至る。
 半島に冬将軍が到来する前に、清正が独断で漢城にいる明軍のトップ・明国経理楊鎬と停戦交渉を進める。使者にたつのは金宦である。それを嘉兵衛がサポートする。二人の思いはただ1つ。その後、蔚山城に籠もる清正軍に明軍が攻めてくることに。この戦がストーリーのクライマックスになっていく。

 著者は最後に、以下のとおり記す。
「慶長3年(1598)11月、加藤清正、黒田長政、鍋島直茂勢が、12月には、小西行長、島津義弘、立花宗茂勢が博多に到着し、前後7年に及ぶ不毛な戦いは終わりを告げた」(p409)と。
 
 この小説、読ませどころ並びに考える材料はいくつも含まれている。思いつくものを列挙してみよう。
*裏切り者との汚名をものともせずに、戦を止めさせたいという信念・意志のもとに、行動する嘉兵衛と金宦の生き様を描き出す。
 二人に共有されるフレーズが「人北去雁南飛(人は南に帰り、雁は北に戻る)」である。
*加藤清正はこの戦(外征)において、戦の捉え方を変容させていく。その経緯を描いている。
 そこには、環境の異なるこの異国での部下の死、さらにこの戦において小西行長(軍)が繰り返した残虐な殺戮行為への反感がある。
*嘉兵衛は2人の男、日本人の定吉と朝鮮人の余大男(ヨデナム)を助けた。この2人が嘉兵衛をサポートする。その働きが脇役として効果的であるところがおもしろい。
 定吉は漂流してつかまり奴隷にされていた。ある時嘉兵衛が奴隷の余大男を助けたことが縁となる。この余大男には実在のモデルがいるようだ。撤退する清正に同行し、日本で仏門に入り、後に本妙寺の第三代住職となる。日遙上人と名乗った人という。
*不毛で無益な戦で苦しめられた人々の状況がどういうものだったか。具体的に描写されていく。
 朝鮮国の民衆と戦に従軍した人々との両面においてとらえることができる。
*李朝朝鮮は儒教国だった。一方、その社会構造がどいうい姿であったか。その点が点描的に書き込まれている。
*明国と李朝朝鮮(朝鮮国)との政治的外交的関係のあり方。
*明国、朝鮮国における戦に対する結果の評価と処遇のしかた。
つまり、このストーリーは多角的な視点で読み進めていくことができる。

 ご一読、ありがとうございます。
 
本書に関連して、関心事項を検索してみた。一覧にしておきたい。
文禄・慶長の役  :ウィキペディア
文禄・慶長の役  :「コトバンク」
【戦国こぼれ話】文禄・慶長の役で、日本軍が行った現地での人の連れ去りや鼻削ぎを検証する :「YAHOO! JAPAN ニュース」
文禄の役 日本軍進路      :「戦国未満」
秀吉による朝鮮八道色分け地図 :「戦国未満」
慶長の役 日本軍進路  :「戦国未満」:「戦国未満」
倭城とは 分布図と一覧 :「戦国未満」
秀吉が築いた城-倭城-  :「服部英雄のホームページ」
西生浦倭城  :「SJC広場」
倭城   :「城の科学」
肥後 本妙寺 ホームページ
本妙寺浄池廟  :「九州 観光と温泉」
加藤清正の墓(本妙寺浄池廟)  :「城郭放浪記」
本妙寺 朝鮮人金宦墓   :「青邱古蹟集真」

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こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『巨鯨の海』  光文社文庫
『茶聖』   幻冬舎
『天下人の茶』  文藝春秋
『国を蹴った男』  講談社 

『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
   伊東 潤 の短編作品「人を致して」が収録されています。