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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「故梅棹忠夫氏の資料500点初公開 3月に大阪の民博で特別展」 を読んで

2011年02月12日 | 思考の断片
▲「msn 産経ニュース」2011.2.12 13:54。(部分)
 〈http://sankei.jp.msn.com/life/news/110212/art11021213590003-n1.htm

 「モゴール族探検紀」(昭和31年)や、カードを並び替えて新たな発想を導くB6判の通称「京大型カード」の着想を書き込んだ「知的生産の技術」(44年)など多数の著作を発表。61年に視力を失う苦難に見舞われたが、「自分の足で歩いて確かめ、自分の頭で考える」姿勢を説き続け、新たな視点での発信や後進の育成に尽力した。

 『モゴール族探検紀』は別として、梅棹氏は、本職であるところの学問的な業績において一般に正面から――公の席でということだが――評価されることが少ないように思える。毀誉褒貶いずれにしてもである。
 『知的生産の技術』は、氏の学術生産活動における副産物にすぎない。『文明の生態史観』は、あれは啓蒙書であって、氏の本腰をいれた専門論文とはいえない。しかも「文明の生態史観」およびそれに関連する氏ののちの言説でさえ、ハンチントンの『文明の衝突』論争の際には、まるで「なかったこと」のような扱いを受けた
 早い話が、氏の専門とする生態学には文化人類学や歴史学と重なる部分が含まれるが、そのうち私が多少とも知る歴史学に関して言えば、たとえば私はこれまで、東洋(中国)史の専門家から『Education and Popular Literacy in Ch'ing China』を梅棹氏とその“生態史観学派”の方々が取り上げて下した評価についての評価を直に聞いたことはないし(むろん活字で読んだこともない)(注)、塞外史の専門家から氏の一連のモンゴル研究について言及するのを聞いたこともない。私は文化人類学には暗いけれども、この分野では歴史学と事情は異なっているのだろうか。ラティモアの同種のそれとならんで、氏の報告は、戦前におけるモンゴル(とくに内モンゴル)の貴重な実態証言だと思うのだが、これは玄人にしてみれば噴飯物の、素人の見立て違いなのだろうか。
 
 注。 毎年の内外の歴史学界の主な動向と研究論文・著作を紹介する年一度のレビュー『史学雑誌 回顧と展望』の1991年度版そして1992年度版の「明・清」項に紹介なし。
  そもそも『Education and Popular Literacy in Ch'ing China』自体が、日本の東洋史学界では問題にならなかったらしい。同じく『史学雑誌 回顧と展望』の1979年度そして念のため翌1980年度版の「明・清」にもまったく言及されない(史学会編『日本歴史学界の回顧と展望』 14 「中国Ⅲ 五代~清 1949-85」山川出版社、1987年11月収録による)。『福沢諭吉の真実』およびその著者平山洋氏と、その平山氏とほぼ立場を同じくする井田進也氏が、日本近代(思想)史学界からほぼ黙殺されている事実を思いおこさせる。