火曜日にレッスン会場としてお世話になっている生徒のお家のおばあさまは、和裁の先生をされています。今日レッスンしに伺ったら、そのおばあさまがお呼びになるので何だろうと思ったら、この十二単を見せて下さったのです。お話によれば、秋篠宮紀子妃殿下のお輿入れの様子をテレビで見たのをきっかけにしてお弟子さん達と思い立って制作を始め、完成までに2年もの月日を費やした力作ということでした。
実際に成人が着る1/2スケールだということでしたが、そのディテールたるや思わずうなってしまう程の手の込み様です。いわゆる『重ねの色目』を活かすために下の白単衣から少しずつサイズをずらして、襟元からも袖口からも色目が覗くように工夫されています。また、腰から後ろに長くまとう裳(も)や、その両端に流す引腰(ひきごし)のひとつひとつにも、五色の糸をよってから決まった色の順に並べて縫い付けたりというこだわり様です。長袴は、いわゆるお雛様が履いている緋(ひ)色の袴ではなく、深い紫色です。
この作品は見た目だけでなく、着付け方も本物と同じ行程なんだそうです。かつて私は十二単の着付けの実演を見たことがあるのですが、これが大変なんです。まず下着と呼ばれる白単衣(アンダーウェアの下着とは違います)と長袴を着用し、その上から色単衣を本当に一枚ずつ着ていきます。で、一枚着る毎にそれを仮紐で結び留めて、その上から次の一枚を着て別の仮紐を結びます。そして、一枚下にある先に着たものを留めている紐を引き抜き、更に上から一枚羽織って仮紐で留めては下になった紐を引き抜き…と、これを実際に12枚から、皇后クラスの正装だと20枚ほども重ねるのです!
そして一番上の単衣物を着て、更にその上の腰から下にスカート的な役割の裳を着けてその帯で全体を結び留め、またその上に唐衣(からぎぬ)という上半身だけの上着(この写真で言うと緑色の引きずっている着物の上に羽織っているオレンジ色の模様付きのもの)を羽織り、引腰共々全部を引きずって歩く…とまぁ、『着る』という言葉では片付かないような大変な思いをして、二人掛かりでおよそ30~40分くらいかけて着付けられているのであります。
これだけの装束を、毎日ではないにしろ折ある毎に着用していたわけですから、優雅な時代ですね。まあ平安時代当時に貴族が乗っていた車を牛が曳いていたことを考えれば、無理からぬこととも言えましょうか…。しかも、ただ着りゃあいいっていうものではなく、袖口や襟元の色の重ね方にも季節毎に桜重ねとか紅葉重ねとかいろいろと決まりがあって、それそれの風情を理解して着こなすことが一つの教養とされていたのですから、その精神的豊かさには感服します。
これだけ大変な思いをして着付けた十二単ですが、実は脱ぐのは驚くほど簡単です。というのも、先程の記載の通り全体を結び留めているのはたった一本の帯ですから、それと袴の結び帯を解いてしまえば、下着だけでスポンと抜け出せてしまうのです。因みに脱いだ後、一枚一枚は薄い単衣物でも、それが何十枚も重なっているため、人が抜け出た後も着物自体は誰かが着ているかの如く自立します。その様子から、中身が無くなって空っぽになった状態のことを『裳抜けの殻(もぬけのから)』というようになったのだとか…。
もう一つ因みに、本当はこの後にお内裏様も作るべく、男性の正装である衣冠束帯の制作にも着手しよう…としたそうなのですが、この十二単を完成させた段階で疲れ果ててしまったため、敢なくギブアップしてしまったということでした。そりゃ大変ですもの仕方ないですね。でも、束帯と十二単が揃った姿も見てみたかったなぁ…。
実際に成人が着る1/2スケールだということでしたが、そのディテールたるや思わずうなってしまう程の手の込み様です。いわゆる『重ねの色目』を活かすために下の白単衣から少しずつサイズをずらして、襟元からも袖口からも色目が覗くように工夫されています。また、腰から後ろに長くまとう裳(も)や、その両端に流す引腰(ひきごし)のひとつひとつにも、五色の糸をよってから決まった色の順に並べて縫い付けたりというこだわり様です。長袴は、いわゆるお雛様が履いている緋(ひ)色の袴ではなく、深い紫色です。
この作品は見た目だけでなく、着付け方も本物と同じ行程なんだそうです。かつて私は十二単の着付けの実演を見たことがあるのですが、これが大変なんです。まず下着と呼ばれる白単衣(アンダーウェアの下着とは違います)と長袴を着用し、その上から色単衣を本当に一枚ずつ着ていきます。で、一枚着る毎にそれを仮紐で結び留めて、その上から次の一枚を着て別の仮紐を結びます。そして、一枚下にある先に着たものを留めている紐を引き抜き、更に上から一枚羽織って仮紐で留めては下になった紐を引き抜き…と、これを実際に12枚から、皇后クラスの正装だと20枚ほども重ねるのです!
そして一番上の単衣物を着て、更にその上の腰から下にスカート的な役割の裳を着けてその帯で全体を結び留め、またその上に唐衣(からぎぬ)という上半身だけの上着(この写真で言うと緑色の引きずっている着物の上に羽織っているオレンジ色の模様付きのもの)を羽織り、引腰共々全部を引きずって歩く…とまぁ、『着る』という言葉では片付かないような大変な思いをして、二人掛かりでおよそ30~40分くらいかけて着付けられているのであります。
これだけの装束を、毎日ではないにしろ折ある毎に着用していたわけですから、優雅な時代ですね。まあ平安時代当時に貴族が乗っていた車を牛が曳いていたことを考えれば、無理からぬこととも言えましょうか…。しかも、ただ着りゃあいいっていうものではなく、袖口や襟元の色の重ね方にも季節毎に桜重ねとか紅葉重ねとかいろいろと決まりがあって、それそれの風情を理解して着こなすことが一つの教養とされていたのですから、その精神的豊かさには感服します。
これだけ大変な思いをして着付けた十二単ですが、実は脱ぐのは驚くほど簡単です。というのも、先程の記載の通り全体を結び留めているのはたった一本の帯ですから、それと袴の結び帯を解いてしまえば、下着だけでスポンと抜け出せてしまうのです。因みに脱いだ後、一枚一枚は薄い単衣物でも、それが何十枚も重なっているため、人が抜け出た後も着物自体は誰かが着ているかの如く自立します。その様子から、中身が無くなって空っぽになった状態のことを『裳抜けの殻(もぬけのから)』というようになったのだとか…。
もう一つ因みに、本当はこの後にお内裏様も作るべく、男性の正装である衣冠束帯の制作にも着手しよう…としたそうなのですが、この十二単を完成させた段階で疲れ果ててしまったため、敢なくギブアップしてしまったということでした。そりゃ大変ですもの仕方ないですね。でも、束帯と十二単が揃った姿も見てみたかったなぁ…。