かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

田舎暮らし雑感2018(11)

2018-10-31 20:58:34 | 日記
イノシシの被害が一段と増えているようだ。近所のオバサンは昼間に5匹のイノシシの子供が目の前を横切って行ったと興奮気味に話してくれた。近くに親イノシシがいたはずだから何事も起こらなくて良かった。堤防沿いの散歩道にイノシシの足跡が何か所もあるとママさん同盟から教えて貰った。

明日から限定地域で有害動物の駆除(鉄砲の使用)を開始するので、山に入る時は目立つ服を着て注意するよう2日続けて市役所は有線放送を流した。絶対必要でない限り山に入るな、さもないと撃たれても責任取れないぞという警告だ。

堤防沿いの散歩道は私の大事な情報源だ。ママさん同盟に会わない時でも、川面に浮かぶ鴨の数が急増し飛び立つ日が迫っていることを教えてくれる。今日の夕方は一層数が増えざっと300匹いた。川の水量が減ると泳ぎ回る鯉が橋の下に沢山いる。夏の間に生まれた子供の鯉も多い。

更に足を延ばすと西日本豪雨時に肱川氾濫の原因になった越流箇所付近の川底を深くする工事が進んでいる。このところトラック台数が増えひっきりなしに埃をあげて行き来している。日によって土建会社や工事時間が異なる原因が最近やっと分かった。

先日工事の出入口を管理する係員を捉まえて、今日はやけに早く終わったねと聞いた。工事を請け負っている会社は3-4社あり、別々に土砂を廃棄する場所があるという。その日の土砂受け入れ場所が満杯になると作業終了、作業は定刻に終わるのではないという。成程と思った。

燐家の「考える農夫」から芋炊きをやってみろと里芋を頂いた。料理方法が分からないというと、彼はその場で奥さんに電話して聞いてくれた。皮をむいてさっと一茹でし、ぬめりを取ってから、本格的に茹で、鶏肉やコンニャクを加え、みりんや醤油で好みの味にすればいいとのこと。

テレビで見る芋炊きは巨大な鍋に色んなものを放り込んで食べてるので料理法など気にしなくてもいいのかも。冷蔵庫の中の鶏肉とかまぼこにウィンナーを加えて、普段は使わないみりんや食用酒等で味を調え、芋が柔らかくなるまで煮た。調味料が多過ぎて味が濃くなったがまずまずの味だった。

当地の粘い地質で育った里芋は、甘味が強く市では人気でよく売れるという。意外に簡単に料理できたので来月半ばに東京に戻る前にもう一度やってみようと思う。西日本豪雨を挟んで今年の田舎暮らしももうすぐ終わる。■
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考える農夫

2018-10-30 14:36:31 | 社会・経済
彼が10年かけて美味しいお米を作ろうと工夫して来た話を聞くまで、私にとって彼はタダの隣の農夫だった。西日本豪雨の後あちこち歩きまわって人々の声を聴いていた頃に、仕事を終わりトラクターで帰宅中の彼に偶然出会い被害状況を聞いた時から違う人になった。

彼は新興商店街に住む裕福な地主だが、本職は父親の後を継いで農業を経営している。私の実家の隣が彼の実家で母親が一人暮らし、その一部を農作物と農機具の格納庫に使っていた。当時は豪雨で彼の自宅が浸水し避難所暮らしだったが、洪水が退くと直ぐに農業を再開していた。浸水で野菜などが全滅しても、稲は一度倒れても立ち直る水に強い作物だった。素人の私も実感した。

私がまだ東京にいる時に被災状況をインタビューされる彼の姿をNHKニュース番組で何度か見て、彼が饒舌に説得力のある喋り方をするとの印象があった。話は米作りに移り、如何に美味しいお米を作るか、農協はそんな農家を支援するより組織の利益を優先し農家の為になってないと力説した。

農協を頼らず自ら顧客を開拓してお米を売る、賛同する若い仲間を増やしてこの地にあった独自の作り方で美味しいお米を作ろうとしていた。例えば農協は収量が最大になる時期まで待って稲刈りを勧めるが、それでは味が落ちる。彼はもっと早くお米が最も美味しくなるよう農協指示の2週間前に取り入れる、結果として収量は3割減るという。

つまり農協は味より収量(売上高)優先なので独自にやることにしたという。だが、殆ど総ての農家は農協の言いなりで田植えから取入れ出荷だけでなく、農機具や肥料迄言われた通りにやるという。その理由の一つが、今の農夫は先祖からやり方を教わった気配もない、何も知らないという。

若い頃は会社勤めに出て週末だけ農業を手伝った人達が、10-20年後の現在の農夫だと。しかも、父親が何十年やって来た経験を息子に伝承してない、結果として今は殆ど農業に素人の様な人ばかりになっている。彼の場合も、彼が農作業を始めた時父親は意図して遠ざかって他の作業をしたという。彼は偶然知り合った老農夫に触発され、考えながら新しいやり方を見つけたという。

息子が教わるより前に父と喧嘩になり、教えを無視すると分かっていたから息子を避けたという。振り返ると私も公務員だった父の話など全く聞かなかった覚えがある。彼は農家の次男で大阪に出てサラリーマンをやり、兄の死後故郷に戻り地場産業に勤め営業責任者になったが、その後家業を継いだ。

最初の5年間は行きあたりばったりの農業経営をやってたが、その後10年は何故そうするのか、どうすれば良くなるか、一つ一つ考えながらやるようになったという。彼はもう68才、今では何十年も農業を続けて来た人達から教えを請われるようになったという。

その理由は二つある、1)農夫が先祖からのノウハウを伝承してない、2)自ら考えて農業をやってないからと彼はいう。先進的な農業については良く紹介されるが、残りの農家の実状はかなり酷い、今後の農業の行方は容易ではない、農協が農家の為に仕事をしてない、と力説した。もっとも、同じ農業でも作物により専門が分かれており、野菜作りの人は稲作を知らないらしく簡単ではない。

彼はロダン風にいうと「考える農夫」という言葉がピッタリだと思った。彼が言う通りだとすれば農業に新しい血を入れて、常に何がベストか目標をもって考えながら他の分野の経験を生かして挑戦する人が今の農業に求められていると思った。会社勤め人が農業に転職するのは悪くないかも。

蛇足ながら私は父と喧嘩した訳ではないが、父とまともに話したことが無く教えを乞うた記憶もない。父が早死にしてその機会もなくなり何十年か後になって初めて後悔している。そう言いながら、私の場合、子育ては家内に任せっ放しで、高校大学に進む時期には海外単身赴任して大人の会話をすることもなかった。時代が変わってもやってることは同じだったかもしれない。■
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意識低い系な街

2018-10-29 21:36:10 | 社会・経済
何時ものように月曜日の午後に1週間分の食料を買いに3軒のスーパーをハシゴした。どのお店のお客も殆どはオバサンで、プラスティックのレジ袋を抱えて駐車場の車に戻って行く姿を見た。誰もプラゴミの海洋汚染なんて全然頭にないみたいだった。

何でも知りたがり屋の私は躊躇なくレジ係りの女性に、「エコバッグ持参のお客が全然いないね」と聞いてみた。彼女は「それでも最近は少し増えてきましたよ」との返事。そう言いながらレジに並ぶ私の前にも後にもそんなお客は一人もいなかった。

お店を出て食料を車に積みカートを所定の位置に戻しに行くと、出口から重そうなカゴを抱えて運ぶお婆ちゃんが目に入った。腰を90度くらい曲げて歩いている。周りの誰も助けようとする気配はなかった。私は走って行き車まで持って行ってあげた。

彼女は軽いから大丈夫と言ったが、強引に私が引き取って持つと意外に重かった。彼女は駐車した車が思い出せずうろうろしたが、最後にナンバーを思い出してやっと見つけた。運転席には若い女性が座っており、私に無表情で礼を言った。

私は挨拶して自分の車に戻ろうとすると、お婆ちゃんが呼び止めて私に500円玉を渡そうとした。断る私に無理矢理お金を渡そうとしそうな勢いなので、「それじゃーねー」と言ってかけ出し急いでその場を離れた。困惑したというのが正直な気持ちだった。

こういう風景もあまり見た記憶がない。彼女としては何とか感謝の意を表しかったのだろう。ここはそういう皆で助け合う意識の余り感じられない街と改めて実感した。テレビで報じられるような大袈裟な助け合いじゃなく、チョット困った他人を気軽に助け普通に有難うという街が私は好きだ。■
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「めぐり逢い」を見て涙するジーサン

2018-10-26 20:55:04 | 映画
いつものようにバドミントン練習に参加後、昼食を済ませ書斎に行きテレビを見ると、見覚えのあるカップルの映画をやっていた。私が子供の頃大ヒットした映画「めぐり逢い」だ。逆算すると60年くらい前に封切られ、私が初めて見たのは成人してテレビの再放送だったと思う。

典型的な美男美女が主演するラブロマンスだが、今見てもデボラ・カーの美しさは特別だった。昔から好きだった西部劇とか戦争物、最近のアクション映画とは違い、ストーリーはシンプルでゆっくり進んでいく。だが、この手のラブロマンス映画もバックに流れる音楽とマッチして好きだった。

この映画は戦前に作られた映画のリメイクで見たことがある(「邂逅」という)。これも悪くはなかった。だが何といってもこのリメーク版が人気があったと思う。余りの人気でその後もリメイク版が作られた。トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の「めぐり逢えたら」とウォーレン・ビーティとアネット・ベニング主演の「めぐり逢い」で、実は米国滞在中に2つともビデオを買った。

久し振りにこの映画を見て特に最後のクライマックスの場面で、恥ずかしながら私は大泣きに泣いてメガネが曇ってしまった。以前は何回も繰り返し見たが泣いたりしなかった。近年ちょっとしたテレビドラマでも涙を流すことが多くなった。

娘は目ざとく見つけて憎たらしくも家族の前で私をからかう。更には、この場面できっと泣くよとかいって私が泣くのを予測したりする。だが、それでもどうしようもなく泣いてしまう。恥ずかしながら今日みたいに西日本豪雨で肱川氾濫したみたいに大泣きしたのは初めてだ。

原因は、よく言われるようにジーサンになって涙腺がゆるくなった為か、それとも感受性が豊かになったのか、或いは体のあちこちが劣化したように単純に馬鹿になったのか。それにしても、ダムが欠壊したような大泣きは我ながら驚き恥ずかしかった。■
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

境界線を越えた獣

2018-10-25 15:34:23 | 社会・経済
各地で野生のイノシシや鹿から熊まで獣が里に出没というニュースを最近よく見かける。都市化と高齢化で人が山に入らなくなり、今年は特にドングリなどの食料不足で里に降りてきているのだという。実家のある愛媛県大洲市にもイノシシの被害があちこちから聞こえてくる。

1年前に道路沿いの山林と田畑を売却した買主の奥さんによると、道路沿いの緩斜面に植えたカボチャがイノシシにやられて全滅したという。これがイノシシが通った「けものみち」だと山に続く急坂の小道を彼女は指さした。両側には実際に人が住んでいる家があるというのに遠慮がない。

その後、色々な人からイノシシを見たと聞いた。稲刈り時期にも拘らず放置されている田んぼを近年ちょくちょく見かけるようになった。減反政策の一環で飼料米に変更する農家が増えて来た為だという。現実は手入れされず放置された状態だった。今週初めその田んぼにイノシシが来たらしく、子供が大暴れしたみたいに稲が倒れて酷く荒れていた。

山裾だけではない。幹線道路沿いの新興商店街の裏庭をイノシシがエサを求めて通り過ぎて行ったと、そこに住む幼友達からまさかここまで来たのかと驚いた話を聞いた。散歩の途中よく出会うママさんカップルによると、夜間「ブヒ、ブヒ」というイノシシの鳴き声を聞くという。つまり、民家の外まで来ているということだ。

イノシシに山も人里も区別が無くなった。それだけエサに困っているということだ。最近の報道によると、どうも全国的な現象らしい。若い頃に奥多摩や丹沢を山歩きした時、たまに鹿や猿を見かけた。ここ四国では鹿も熊も見た記憶はない。近年では一度だけ裏山でハクビシン、堤防でカワウソを見たことがあるが、これ等は誰かが持ち込んで飼っていたものではないかと推測する。

米国ワシントン州に住んだ時は色々な動物がいた。公園や庭、田舎道にはリスがうろちょろしていた。ハイキングで山に入り夜間キャンプ場で、鹿の光る目が何匹も目の前を横切って行くのを見かけてギョッとした。山奥でジャイアント・エルクが馬みたいに大きな地響きを立てて走り出し驚いたのはいまだに忘れられない。

家族5人でオリンピック国立公園に2泊3日のバックパッキングに行った時、熊が近づかない様に食料が入ったリュックを「ベアワイヤー」に吊るした。カナダ国境にまたがって生息する「グリズリー」という熊はとても危険で、何人も襲われて死者が出たので注意するよう聞いた。

それでも対策はベアワイヤー程度だった。その頃自然の生態系のバランスを取り戻す為と狼が自然に放たれた。そんなところを山歩きするはどうかと思ったが、ハイカー仲間の間では誰も気にかける様子が無かった。比べると昔の日本の場合は元々「人里と獣の棲み分け」が自然にされていた。

現代になりその境界線が「人里の高齢化」と「山の幸不足」で曖昧になり、混乱が起こっているのではないだろうか。テレビニュースでは対策として農地の周りを柵で囲み、周りを清掃して綺麗にするとイノシシの被害が激減したという。だが、商店街にまでイノシシや熊が出てくる事態はそれだけでは解決しないように私には感じる。■
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする