かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感12夏(8)

2012-10-30 10:05:18 | 日記・エッセイ・コラム

空港に向かう前に急ぎ書き込んでいる。昨日母を見舞うと、私が帰京するのを覚えていて、今度は半年後かと聞いた。入退院を繰り返すようになってからこんな質問は初めてだ。少しでも安心させる積りで、「大丈夫だよ、3ヵ月後の2月には戻ってくるよ」と返事した。車椅子で動く母の体が傾いているのが気になるが、担当看護婦によると特別に異常は見当たらないという。

友人と松山で食事をして別れを告げ、急ぎ実家に向かった。昨日が、実家が所有する不動産の国土調査立会いの最後の日だった。昨年までは山林、今年は田畑が対象だった。予定の1時間遅れで現地に着くと、係員が待っていた。他に立ち会っていたのは同級生の二人で、一人は酒飲みの誘い、もう一人は近くの山のハイキングと、毎回同じ会話を繰り返して再開を誓った。

そのあと実家に戻り準備してあった本や衣類等を宅急便で送った。いつもの事ながら往復するだけで読まない本だ。東京と田舎を何回も往復した本がある。いつも本を沢山持ち帰るのを見て家内は揶揄するが、荷造りする時は読む気マンマンなのだ。手付かずで東京に戻る本がどれほど魅力のある本かはまだ分からない、今はいわば「ジャケ買い」状態だ。

手持ちのバッグにも2、3冊本を入れた。今読みかけの「会計破綻」(エンロンの粉飾決算を描いたNF)と、100円ショップで買った数独だ。最近はパソコン環境の移動はUSBメモリーなので場所をとらない。それと娘から借りたiPadだ、これは移動中のネットアクセスがとても便利だ。だが、それでもバッグの中は結構紙情報が多い。転送されてくる手紙など書類は持ち帰らざるを得ない。

先週くらいから全てが帰京モードに入っていたのだが、土曜日に自治会の臨時集会があった。地区集会所が傷み改築もしくは新築しなければいけなくなり、市の補助はあっても住民の負担もそれなりにあるということだ。集会は住民に負担を選択し覚悟させる目的といってよかった。

集会所の健全な半分を残し修繕する案と、すべて取り壊し市の財産として新築する場合の総費用が夫々336万円と1144万円かかるという。地区の負担は一戸当たり6万円と13.5万円という事で、一も二もなく改築案で纏まった。私が会社勤め時代のテキパキした議事進行に比べると、議長の采配やプレゼンが酷く曖昧だった。私は若干イラついたが落ち着くところに落ち着いた。

集会所は年数回の使用なので、負担金ほどの値打ちもないように私は思った。しかし、誰からもそんな質問はなかった。この集落には32戸あり、そのうち独居老人の2戸は負担から外すという。一番若いはずのアパートの住民は計算から除外されている。これも高齢化社会の極端な表れだ。私は住民では無いが、実家があるということで当然のように一員として振舞う。少し変かも。■

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石鎚山ハイキング

2012-10-26 18:24:45 | 旅行記

昨日、石鎚山に登った。2001年夏に家内と登って以来11年ぶりの石鎚山だ。紅葉シーズンを伝えるニュースを見て、帰省中の義弟を誘った。彼は仕事をやめてから山歩きをしたいと何度か言っていたのを思い出して電話すると二つ返事でOKしてくれた。

朝8時過ぎに車で迎えに来てくれ、途中道を間違え聞いたこともない山道を1時間道草した。こんな時も彼は理解不能なほど前向きだ。久万高原町から石鎚スカイラインを上り土小屋に着くと平日なのに駐車場はほぼ満杯だった。県警のマイクロバスが2台駐車していた。やっと駐車スペースを見つけ、お土産屋で水を買って歩き始めた時は11時を過ぎていた。

車でスカイラインを登っていく途中から急峻な石鎚山頂が見え、周りの山々は美しく色づいていた。高い山は薄緑の熊笹が遠目には芝生のように広がり、その下方に針葉樹の濃い緑が点在して広がり、更に赤や黄色の森が晴れ間に映えていた。二人は「今日来て正解だった」と何度も頷いた。

義弟はしょっちゅうゴルフをして10km以上歩くから、それなりに足には自信があるといっていたが私は山歩きとは違うと彼の脚力を疑っていた。擦違うハイカーの殆どは登山靴だが、私はソールの硬いトレールラン・シューズ、彼は底の厚いスニーカーだった。歩き始めて直ぐに、スニーカーをペタペタさせるような歩き方が気になり、ゆっくり大またで踏みしめるように歩けと彼に勧めた。

ハイカーは女性が6割程度、しかも中高年女性が多かった。意外だったのは駐車場の車のナンバーは高知、大分、福岡、広島、岡山、姫路など県外からの方が多かった。高知からだと車で2時間余りで石鎚山は日帰りコースらしい。途中、擦違うたびに声をかけるとやはり圧倒的に県外から来た人達だ。70歳過ぎの女性が元気に歩いていく。

ここにもスタイリッシュなハイカー、いわゆる山ガールを何組か見かけた。だが、印象的だったのはニッカボッカ・スタイルの中高年カップルだ。「ワーッ、懐かしのニッカボッカだ!」と声をかけると、「私達、伝統を大事にするの、それに膝が楽だし」とにっこり笑って返事が返ってきた。私には山ガールより洒落ていると感じた。私のニッカボッカは箪笥のどこかに眠っているはずだ。

そうしているうちに空が暗くなり、雨が降り始めたと思ったらあられに変わり、熊笹の葉を騒々しく打ち始めた。思ったより寒くなかったので車にウィンドブレーカーを置いてきた。困ったなと思ったが、空はそれほど暗くならず頂上は見えていた。下山するハイカーの顔色も落ち着いていたので、構わず歩くことにした。予想通り雨は直ぐに上がった。

問題は義弟だ。頂上まで片道4.6kmの道のりだが、案の定半分くらい着たところで遅れ始めた。歩き始めた頃に追い越した女性パーティにも追い越された。西条からのルートと合流点で会った女性ハイカーに後れて来る彼に水を渡してくれとお願いして私は最初の鎖場に進んだ。

目の前に30代女性パーティが鎖に尻込みしているので、「3点確保」の基本さえ守れば大丈夫と元気付けると、私の後について登り始めた。しかし、正直言うと私も記憶より足場を見つけるのに結構苦労し、下を見ると怖かった。怖がっていたはずの彼女達の方が楽しんでいた。内緒です。

第1の鎖場を登りきると、第2、3の鎖は崖崩れで禁止され巻き道を通った。今度はもっと若い健脚な女性二人に追いつき、同じ速度で歩いて話が弾んだ。話しながらと歩くと楽しい、特に若い女性となら。途中、路肩や日陰の吹き溜まりに残雪が見られたが無事頂上に着いた。義弟の足ではまだ時間がかかりそうなので、私は天狗岳まで足を伸ばすことにした。

一旦、鎖で数m下降し痩せた尾根を100mかそこら辿ると天狗岳だ。途中、片側は絶壁で反対側も急峻な坂の傾いた扁平な岩の上は滑りやすそうで、腰が引けてみっともない歩き方になった。大きな岩場には訓練中の県警のクライマー10人余りが絶壁など平気といった感じでいたが、私は少し離れた安全なルートでも怖かった。途中しゃがみこんで下方を覗くと全身が引き締まった。

頂上に次々と現れる人達と写真のシャッターを頼んだり頼まれたりした後、早々に引き返した。心配していた義弟は既に頂上に着いて、売店でカップヌードルを食べて待っていてくれた。私は用意してきた弁当を頂き、改めて知り合った中高年女性パーティ達と記念写真を取り合った。この人達は兵庫からで、昨日は剣岳で今日は石鎚、天狗岳にも行ったのだから凄い。

下山ルートも鎖場を選んだ。下りの鎖は登りと並び、足場が見えないので意外に苦戦して時間がかかった。途中、二三度足場が滑りシャツに滑った後がついた。ヒヤッとした。勿論、鎖に両手が掛かっているから滑落する事はない。義弟や女性パーティは既に鎖の取り付き場あたりのベンチで休んでいた。

それから後はひたすら歩くだけ。この頃には天候が回復し、紅葉や遠くの山々に瀬戸内海沿岸の町としまなみ海道から瀬戸内海の島々まで見渡せた。遠景が薄青く見えた。思ったより濃い青だった。オーストラリアのブルーマウンテンを旅して歩いた時、青く見えるのはユーカリが出すガスのせいだと聞いた。この時期の石鎚から見える青い遠景は何故だろうか。

気がつくと義弟の姿が見えなくなっていた。暫く待つとよれよれになって歩く彼の姿が見えた。下り坂が彼の足を痛めつけているようだ。膝にきている様子だった。適当な木の枝を何とか見つけてナイフで削り杖に仕立てて渡した。後で聞くと膝ではなく股やふくらはぎに痛みを感じたというが、それでも少しは役に立ったという。

すっかり車が無くなった駐車場の脇で座って彼を待った。彼が現れて立ち上がると私も足に疲労を覚えてよろけた。山歩きは長年やってきて足には自信があったが、みっともない姿は見せなかったものの彼と大差ない。同じように年をとって衰えたと内心思った。5時過ぎに出発、帰りは道を間違えることもなく7時前に実家に戻った。■

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つねるのは認知症の症状だった

2012-10-24 11:15:17 | 健康・病気

母の症状が良くなってきたとの私の感触は最近何度か書いた。以前は私を見かけると言葉を交わす間もなく、母は「何しに来た、帰れ」とか「馬鹿」とか悪態をつくことが多かった。話しかけてもそっぽを向いたり、突然私の腕をつねったりすることもあった。

もっと深刻な症状として、飲み込みが上手く出来ない(誤嚥)、毛糸の服の毛ダマリや活け花を口に入れる(異食)、他人の食事に手を出す、と施設の介護担当から報告を受けていた。後から調べるとこれらは典型的な認知症の症状だった。私は認知症の症状といえば記憶があやふやになり物忘れが酷くなるだけだと思っていた。

かなり症状が進んでも母が認知症と認めたくない気持ちが私にはあった。というのも母が長年糖尿病に苦しんだ末に、食欲を抑えきれなくなった母を非難し思いやりのある態度を取らなかったという後悔がある。時々隠れて堰が切れたように甘いものを口にして血糖値が跳ね上がった時、病気だと知らないで自分を制御できない母に嘲りに近い言葉で厳しくいさめた。

それが母の心に傷として残って、私を嫌い「帰れ」というのだろうと思っていた。決して認知症だけのせいではないと。いつもならネットで調べて認知症に関る情報を仕込んで対処したはずだが、多分私のバランスを欠いた気持ちがそうさせなかったのだと想像する。

2日前に始まった日経の連載記事の中に「認知症特有の症状でつねられたり、つばを吐きかけたりする」というくだりを読んで、私のひっかかりが少しばかり解消した。日本には305万人の認知症患者がおり、その1/10が高齢者だというから母が例外と思う必要はなかった。私も10人に1人になる可能性はある。

翌日施設に行き担当看護婦に最近つねられなくなったというと、彼女もそうだという。母は看護婦もつねっていた。つねられたのは私だけではなかったのを知って少しホッとした。彼女は続けて以前は話しかけてもそっぽを向かれたが、最近はそれもなくなったという。認知症の改善というより施設や人に慣れてきたからだろうと分析した。いずれにしても私が感じているように、彼女も症状はかなり良くなっていると感じているようだった。

母は穏やかな表情に戻り、会話も続くようになった。庭や畑の手入れでは彼女の記憶がとても役に立つ。一方で、話をしている間に机の上の小さなゴミを口に入れる異食は続いている。ネットで調べると心当たりのある症状が出ている。しかし、母が私を憎んでいるのではという疑いは少し晴れて気持ちが軽くなった。■

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都会のオーラ

2012-10-23 22:06:48 | 日記・エッセイ・コラム

2ヶ月ぶりに義弟が顔を出した。大阪で新しいプリメイン・アンプを2セット仕込んできて、書斎にセットしてくれた。今度は手ごろな国産の中級品と英国製の高級品で、8月に持ってきてくれたものよりグレードが高くなったような気がする。良いものを見つけてくれたと思った。

接続・音質・操作法を確認し、新しく持ってきてくれたCDの薀蓄を聞いた。その中でエドゥアルド・ファルーのフォルクローレ・ギターを先ず聞いた。エルコンドラパッソの最初の小節で即、琴線が鳴った。底の浅い私ならそうなるだろうと狙った通りの反応だというだという。言うことが憎らしい。

黙っていられない。40数年前渋谷の東急会館辺りにあったリトルプレイハウスで最初に聞いたのが荘村清のコンサート、やっぱ生は違ったと切り替えした(そういえば彼と結婚した妹と一緒だった)。白状すると、実は前列に座ったせいか指を滑らす音が気になって仕方がなかったのだが。

時計を見ると11時前。9時過ぎに家に来てから二人は色んな音楽を聴き、その間ノンストップで喋りっぱなしだった。午後から国土調査の立会いの予定が入っていたので早めに食事に出掛けた。狭い町だから出掛ける前に行き先を決めないと町を通り抜けてしまう。回転すし提案に即答で乗った。

国道沿いの店に入り案内してくれた店員が赤出汁を勧めてくれた。私はスシと一緒に頭から赤出汁を飲む習慣はないが、義弟の勧めでやってみることにした。悪くは無いが、お茶のほうがスシの味が変わらなくて美味しく頂ける気がする。同じチェーン店でも田舎の方が東京より美味しく感じる。港から店に出るまでの時間のせいだろう。今日は平凡だがハマチやアジが美味しかった。

お腹いっぱいになって合図すると、先ほど案内してくれた店員がお皿を数えにきた。気がつかなかったが彼女は小柄で可愛いではないか。しかも、お皿の数を少なく間違えた。楽しく会話する機会を与えてくれた、と思った。例によって軽口を叩いてからかいながら間違いを指摘した。

これで警戒を解いた彼女は大胆にも私に軽口を返し始めた。お客さんは都会の方ですか、顔をみりゃ分かるだろう、どう見たって田舎の爺さんだぜ、でも言葉が田舎とは違うし、言葉は違っても田舎者だよ・・・てな具合。ツンツルテンの作業着で見かけも冴えないはずなのだが。私は会話を繋ぐ為の減らず口連発。そこで彼女は今日一番の台詞を吐いた。お客さんには「都会のオーラが出てる!」

それを聞いて私は大笑いして礼を言って店を出た。無駄話に付き合えないと先に車に戻っていた義弟に早速報告した。聞いてくれ、僕には都会のオーラが出てるらしいぞ。嬉しそうな顔で言うと、義弟は予想通り大笑いして今度はそれをネタに私をからかい始めた。

お陰でその後行った山の上の喫茶店でコーヒーを飲んでる間も話題に困る事はなかった。今日は国調の立会いがあるので雑談はお開き。もう一度一人で回転すしを食べに行こう。■

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週刊朝日は朝日新聞の「飛ばし」

2012-10-20 16:55:29 | ニュース

週刊朝日の連載記事「ハシシタ 奴の本性」が、橋下大阪市長の抗議を受けて謝罪し連載中止をすると報じられた。私は佐野眞一氏の著作を何冊か読んだが、そこからは予想も出来ない内容のようだ。橋下氏は政策を批判されるならともかく、部落出身を理由に人格を否定がするがごとき報道を許せないと声を上げた。

私は記事を読んで無いが報じられた概要が本当なら抗議は当然だと思う。この記事に関らず週刊誌の中吊り広告の見出しを見るだけで内容の酷さを推測でき、電車の中で汚物を見るようで気分が悪くなる。電車や新聞に週刊誌の広告を載せる見識を疑いたくなることが何度もある。良くこんな内容が許されると思う記事を何度か見たが、橋下氏のように抗議の声を上げたのは珍しい。

今回の事件で私が注目したのは、橋下氏が週刊誌の親会社の朝日新聞に抗議し取材拒否をしたことだ。朝日新聞社は子会社であっても編集権は独立しているというのは無責任な言い逃れだ。この言訳は直接言うと非難されるのを避ける為、別会社を使って言わせているように聞える。

この手法はビジネスの世界で繰り返し行われてきた典型的で卑劣な手段だ。会社経営で損を隠して見掛けを良くし、株価を上げ融資を受ける手法だ。バブルが弾けた時、金融機関やゾンビ企業は不良資産を別会社に移して(飛ばして)決算書から損失を隠した。日本経済を麻痺させ最終的に税金で穴埋めをし、失われた10年の原因となった。日本だけじゃない。

焦げ付いた住宅ローンは証券化され特別目的会社(SPC)に移して簿外にした(飛ばした)が、次第に資金繰りに苦しみ耐え切れなくなった金融機関の巨額な不良資産が表に出て、リーマンショックが勃発した。この世界金融危機に例えていうと、朝日新聞は連載記事という不良資産を飛ばしたが経営責任を追及されたというわけだ。

新聞・テレビ等のメディアは、子会社が不祥事を起こすと親会社の責任を厳しく追及するのが常だ。私が思い出すのは、東芝機械事件だ。東芝の子会社が当時ココムで禁止されていた工作機械をソ連に売った事件で、50%出資の親会社東芝の会長社長が辞任した。東芝に関係する売り上げはたった10%だった。皮肉にもこの時のきっかけは朝日新聞のスクープからであった。

今回問題となった記事は部落差別など基本的人権に関る重要な問題を孕む。いわばジャーナリズムの基本に関る重大で深刻な問題である。だとすれば、このような問題を起こした経営者の責任は重く、社長の責任が問われてもおかしくない。週刊朝日は100%子会社というから、経営責任は免れない。

メディアは外に対しては責任を厳しく問うが、元来身内には甘い体質がある。いわゆる自浄能力がない。それで何かあれば政治責任を問うのだから、考えてみればチャンチャラおかしい。ジャーナリストとして身を立てたいなら、こういう時こそ体質改善に立ち上がるべきだ。朝日新聞の記者は編集権が別というなら、子会社を監督すべき朝日新聞の経営責任を徹底して追及すべきだ。■

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