かぶれの世界(新)

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我が家のサッカー熱は冷めた!

2022-11-29 10:42:17 | スポーツ
我が家のサッカー熱狂は日曜日の深夜のW杯コスタリカ戦で敗れて消えた。熱狂は対ドイツ戦の勝利で生まれ、たった3日で消えた。というか平常に戻った。ドイツ戦後に息子は深夜3時頃まで起きていたと言い、私も深夜1時頃まで起きていた。コスタリカ戦後は終ると二人は直ぐに寝た。

翌日は家族間で手のひら返しの監督や選手の批判をした。コスタリカ戦の特に前半は昔の日本チームを見るみたいだった。判断が遅くパスの精度も悪い、横パスとバックパスばかりとか、何で相馬を使ったのかとか。こんな話は楽しくないので自然とサッカーの話題は止めた。

息子は自宅でテレワークの予定を変更し会社に出勤し、家内も早々に仕事に出掛けた。私は敗因を解説する番組ばかりのテレビを切って、一人音楽を聴きながら新聞やネット検索して市況のチェックをした。今迄の東京郊外の自宅での生活に戻ったというべきだ。

今朝のマスコミ報道も多少正気に戻って来た印象があった。予選から世界のドイツ・スペインというサッカー強豪国と戦えるだけでも幸せだとか、日本人観客のゴミ拾いが#ATARIMAEと呼ばれ世界で評判になっているとか、個人批判より聞いてほっこりするニュースも流れた。

それでも火が消えたわけではない。我が家は元々サッカー好きだ。息子は小学生からサッカー部に所属、世界のサッカー試合が見える契約をし、家内はそれに従う形でサッカー通になった。私も一時期サッカー部に所属し、結婚した頃は家内と旧国立競技場に行き都市対抗サッカーを観戦した。

ドイツ戦で火が付いた我が家の熱狂はコスタリカ戦で水をかけられたが完全に消えたわけではない。対スペイン戦がどうなるか分からないが、奇跡が起こらなくとも楽しんで欲しいと思う。今日も息子は2日続けて会社に、家内は友達と観劇に出掛け、私はパソコンに向かっている。■
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飛騨高山・白川郷・香嵐渓パック旅行記(5)エピローグ

2022-11-28 18:39:36 | 旅行記
私にとって最大の事故は、旅行が終わった翌日にやって来た。腿の前側の筋肉(大腿四頭筋)が凄く痛いのだ。旅行の2日目も若干の違和感があったが、自宅に戻った翌日から二日目あたりから痛みは酷くなった。理由は白川郷の展望台を全力で登ったからだと直ぐにわかった。

一緒に登った息子は「これくらいで筋肉痛になるなら、雲取山登山は無理だね!」とシラっと言われた時に内心ショックを受けた。田舎にいる時に週に二度三度と山裾歩きをして来て十分鍛えてきた積りだった。加えて週2回はバドミントン練習に参加して来た。

最初に思いついた原因は、個人差はあるがある年齢に達すると年々体力の明らかな劣化を実感するようになると聞いたからだ。家内の兄は80を過ぎてからそうなったと聞いた。今年私は後期高齢者になった。その可能性を考えた時とても嫌な感じを受けた。

もう一つの可能性は、普段の散歩や山歩きは主に腿の後ろ側の筋肉(大腿二頭筋、所謂ハムストリング)を使い鍛えられていたが、腿の前側はそうでもなかった。その兆候は「段差のない床や道でも最近躓くことが増えた」ことではなかったかと推測する。

そうだとすれば、腿を上げて歩き走る、或いは坂道や階段を登る、といったやや強めの訓練を普段からやれば大腿四頭筋が鍛えられる。典型的な老化現象である「平坦な場所で躓く」を防ぎ大腿四頭筋を鍛え、孫と百名山クラスの山登りをチャレンジできるのではないかと願う。

最大の事故はパック旅行がくれた重要なメッセージだったと思う。今日の買い物は大股で歩いてみたが、前方の若者は普通の歩き方で私より早かった。先は遠い。今回のパック旅行で訪れた紅葉も悪くなかったが、大腿四頭筋が元気づけられ一番喜んでいるかもしれない。■
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飛騨高山・白川郷・香嵐渓パック旅行記(4)

2022-11-27 11:26:24 | 旅行記
香嵐渓から諏訪湖に向かう三州街道(153号線)は、道路工事が多かった往路の野菊街道(158号線)とは違い普通に整備されていた。峡谷に沿った道を走った印象はなかった。ガスが出てきたせいか夕闇が早く迫ってきて、4時頃には山腹の集落の様子が見えなくなった。

それまでは沿線の放棄された様子の家や田畑を見て、隣席の中年女性と観光旅行には場違いな話が弾んだ。郷里の田舎では女性が出て行き男だけ残った集落とか、50年前に東京に出た私が相続した田畑や山林の厳しい管理状況を紹介し、彼女も実兄の同様な苦労を見たと言い話は続いた。

気を付けて彼女の単独旅行の訳を聞かなかったが、後から家内に話すとそんなの当たり前だと言い放った。何故か窓からの景色が霧で見えなくなった瞬間から話が途切れた。親しく会話が出来たのは、私がいない時に彼女に「話し相手になってくれて有難う」と言ってからと家内は言う!?

事件は一度ならず起こった。諏訪湖SAに下りた時スマホがポケットにないと気付き、慌ててバスに戻り座席を調べたが見当たらなかった。直ぐにSA内まで歩いた道を辿ったが、店内で家内に出会い落し物の店内放送があったと告げられた。直ぐに係の窓口に行きスマホは無事戻って来た。

文字通り真っ青になったが、幸運にも誰かが拾って直ぐサービス窓口に届けてくれ、バスの停車時間内に間に合った。たった10分かそこらの出来事だった。他にも小原四季桜公園で手袋を片っぽ無くしたが、茅野駅に着いた時後方の席の客が見つけてくれた。だが、三度目が翌日起きた。

一言付け加えると、香嵐渓で昼食に食べた出店のソバは正直言って全く美味しくなかった。高山で食べた高山ラーメンも美味しくなかった。美味しくないというより不味いのだ。私の味のセンサーが老化したのかも知れない。私的にはコンビニとかスーパーで軽食を買い込み旅に出るほうがましだ。例外は、ホテルで買って部屋飲みした地酒はメチャ美味しかった。■
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飛騨高山・白川郷・香嵐渓パック旅行記(3)

2022-11-26 21:26:33 | 旅行記
二日目の朝食はついつい食べ過ぎになるホテルのバイキングだった。幸いにもそれ程美味しくなく食が進まず適量で収まった。天気予報通り残念ながら外は雨だった。広い窓から見えるアルプスの山々がホテルの売りだが、雲で近くの景色も含めて台無しだった。

予定通りに8時半にバスは出発、東海北陸自動車道を長良川に沿って南下した。ひるがの高原、郡上八幡、美濃加茂、瑞浪を経由して一般道を山に向かって登り、最初の停車地の小原四季桜公園に立ち寄った。年に二度桜が咲くので、秋の紅葉と桜が混じりあう珍しい風景を見られた。

添乗員によると1700年代に土地の医者が年に2度開花する珍しい品種を手に入れ移植したという。通常より小さな花で豆桜と呼ぶという。雨中の紅葉と桜の組み合わせは全体にぼんやりした印象を与えた。公園を出て山道を走るとバスの窓から四季桜がポツンポツンと見られた。

次の立ち寄り先は豊田市足助(あすけ)町にある紅葉が美しい巴川沿いの香嵐渓で、雨にも拘らず渓谷沿いの散策道は観光客で溢れた渋滞の道を歩くのに苦労した。今年の紅葉はやや褐色っぽいと聞いていたが、外れの巴橋から見た公衆トイレ裏の川沿いの紅葉が唯一真っ赤で綺麗だった。

小原四季桜も香嵐渓の紅葉も有名だと説明を受けたが、正直言うと私は存在すら知らず名前も聞いたことがなかった。なので雨の中傘をさして列をなす沢山の観光客を見て驚いた。多分、我々と同じ様に以前から計画して予約していた観光旅行なのだろう。だが、雨中の紅葉も悪くないと家族は声を揃えて言った。バス以外に車出来た客も多いと彼等は強調した。

これで全ての予定は終わり、バスは三州街道(153号線)を一路北上し、諏訪湖を経由して茅野から特急あずさ54号に乗り、立川で途中下車し自宅に戻った。駅で買った地ワインを家内と飲みながら、旅を振り返った。だが、旅の途中で起こった事件を何度もチクリと指摘された。■
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飛騨高山・白川郷・香嵐渓パック旅行記(2)

2022-11-25 18:53:04 | 旅行記
8時前に特急あずさ3号に乗車した。50年前より洒落た外観と内装で、乗り心地も良くなったと思う。塩山辺りから地面から這い出て横に流れるような雲に覆われたが、茅野駅に着く頃には雲は消えていた。そこでパック旅行客40名余りが地元の観光バスに乗りツアーが始まった。

バスは北上し松本から野麦街道(158号線)を西に走った。暫くすると山に向かい奈川の深い谷間沿いの道を走った。実家のある四国のなだらかな山々とは違い、深い谷沿いの道はあちこちにトンネルと工事中の看板に警備員が立っていた。これが上高地の顔の一部なのかと思った。

1時間半程度で平湯温泉に停車し休憩後、バスは峠を越えて岐阜県に入ると突如風景が変わった。山を下る道はゆるやかで整備され、沿線に点々と集落を見かけるようになった。田舎にいる時見た風景と似てると思った。ただ、峠の近くでは小さくとも田畑があるはず、全くないのが気になった。

谷沿いに平地が拡がり集落が大きくなって、間もなく飛騨高山の市街地に着くと添乗員から案内が流れた。紹介された市内の目抜き通りは広い洒落た通りでなく、古い造りの街並みの狭い道だった。何台ものバスから吐き出された観光客が溢れた印象で、沢山の若い洒落た観光客が目立った。

外国からの観光客や撮影中のスタッフらしき人達もいて華やかな印象があった。実家の近くにも四国内子町や大洲市が古い町並みを再現し観光地化を進めている。高山市はその最先端を走っていると思う。だが、そこに先端ファッションの若者が溢れる風景は私には何とも違和感があった。

昼食後に東海北陸自動車道を北上し白川郷に行き、合掌造りで有名な白川郷を散策した。家内と息子は二度目で、今回は商業化されて魅力が減ったという。内覧させて貰った3階建ての家も今一だったという。最後に展望台に歩いて登ったが、そこで事件が起きたが、旅行が終ってから分かった。

歩きで片道20分と聞き余裕があると思ったが、家内は昔より足が弱った、気が進まないという。それでも私は位前に見た写真を思い出し、登りたいと主張し息子と全力で登り始めた。振り返ると彼女もゆっくり付いて来た。我々は10分で登り息子と展望台からの写真を撮り景色を楽しんだ。

彼女は途中で立ち止まり登ってくる様子がなかった。息子と一緒に展望台を下り家内と合流し、であい橋を渡って駐車場に戻った。添乗員によると我々観光客は何処のツアーよりも時刻通りバスに戻るので、バスは駐車場に遅く入り早く出て行くそうだ。年寄り客は時間を守るということらしい。

高山市内に戻りホテルにチェックインした頃は6時過ぎで真っ暗、場所が何処なのか分からなかった。7時からホテルのレストランで夕食をとり、評判のいい6階の温泉風呂に入った。私は周りに山々が見える(はずの)野天風呂を楽しんだ。その後、地酒の部屋飲みを楽しんで初日を終えた。■
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