かぶれの世界(新)

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他人は老け具合を心配し、レイアウト変更す

2022-09-30 20:19:48 | 日記・エッセイ・コラム
バイデン大統領が演説中に先月事故死した議員の名前を呼んで探す仕草をしたと話題になっている。任期二年を残して79歳の大統領が少しでもボケようものなら、次の大統領選は大丈夫かと世界中に報じられ話題になる。マスコミはバイデン氏の健康不安は世界の一大事とみて、一挙手一投足を凝視している。今迄なら無視していた私も、自分の老いと重ね合わせて気になる。

実際のところ4年後に私がバイデン氏と同い年になった時、彼と同じくらい健康を保てるか自信がない。「やり過ぎ高齢者」などと言ってスポーツに励む私だが、先月居眠りで自動車事故を起こしてしまった。実は自ら老化したと認めざるを得ないことが頻繁に起こってしまう。

言葉が出てこないとか、じゃんけんした直後に勝ったか負けた忘れる。クロスワードパズルで全く言葉が出なくなる時や、数独が解けない時もある。たまに食事中に喉を詰めて咳をし食べ物を飛ばしてしまう、最近も咀嚼中にお茶を口にした瞬間に他人に向かって咳をしてしまった。母が介護施設に入居後に何度も聞いた「誤嚥」という言葉が、ついに私の問題になった。

実家の風呂に入る時、両側に押し入れとタンスがある狭い通路の片側の小机の角に足をぶつけ、何度も痛い思いをするようになった。小机は母が死んで誰も使わなくなった代物だ。以前は気にならなかったのに最近になってぶつけることが多く、今頃になり隣の部屋に移した。

もっと困るのが食事をする時にテーブル代わりに使う電気コタツの座卓だ。子供の頃は掘りごたつだったが、何時の頃からか電気コタツを座卓代わりにし、テレビを見ながら食卓として使うようになった。最近になってこの座卓から足を抜いて立ち上がるのが大変なのだ。

お尻を浮かして身体を回転させ、斜め半身にして膝を立てて座卓に手をかけ立ち上がる。これが結構大変で一仕事なのだ。毎日3度3度大変な思いをして食事する。東京の自宅には畳部屋はないし、田舎の実家でも板の間で座卓を使うのはこれだけだ。

これを書いているうちに、簡易テーブルや椅子を買ってくるとか、物置にしている台所の食卓を使う案が浮かんだ。頭が固くなってこんな発想すら出来なくなった。少し対策を考えてみよう。・・・と考えて散歩に出かけた。

――――――

それから3時間後に戻って思いつき台所・居間・サンルームのレイアウトを変更した。居間の座卓を壁側に移し、その上にテレビ置台とテレビを置いた。地震があるとぶっ飛ぶかもしれない。その前にあった敷物を取り除いて、台所の物置にしていたテーブルを置いた。

その物置テーブルの跡にサンルームの小机を物置用に移した。家具はどれも重かったが何とか動かすことが出来た。レイアウト変更が終ると、驚いたことに台所も居間もゆったりして広くなり、椅子に座っての食事が楽になった。何で直ぐに思いつかなかったのだろうか。老化のせいかも。■
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田舎暮らし雑感2022(11)

2022-09-28 20:31:41 | 日記・エッセイ・コラム
年に一度の神社清掃に参加した。朝6時前に起きて血圧測定・朝食・洗濯などルーチンワークを済ませ7時10分前に神社に向かった。参道の上り口が年々急な坂に感じようになり、台風14号の影響で荒れた参道は最初足元が覚束なかった。若い時に登った白馬岳から唐松岳に向かう時の「天狗の大下り」より急だと言ったが、誰も反応しなかった。

地区長に神社掃除を頼まれた時二つ返事で了解したが、年々集落の参加者が老いて少なくなっていると聞いていた。今年は参加者はたったの8人で私が最高齢者という事態になった。いつも祝詞を上げていた長老がついに今年は不参加、だが誰も私に期待してないと分かりホッとした。

他の人達もこの時しか神社に来ることも無いようで、神社の周りの木が伸び放題で社屋周りが薄暗かった。問題は竹が伸びて木々を圧するようになっていた。男性陣が持参した電気鋸や縄を駆使して木枝を払い、竹を数本伐採した。私は見てるだけ。今年は誰も太鼓を打たず、祝詞もなし、お神酒物先ず、早々に終わった。世代が変わったという感じだ。

9時頃に実家に戻り、まだ時間があるので庭の手入れの続きを小1時間やった。例年のように11月の中旬に帰京予定で、その前に庭師に手入れをお願いすることにしている。今年の庭の雑草の伸びは異常で、全く手入れしてないと見られるのが嫌で庭の雑草を刈り取った。ちょっと恥ずかしい。

8月に廃車して以来スーパーでの食料の仕入れのペースが週一から、二日に一度になった。パソコンの家計簿によると食費が20-25パーセント増えた。食品の値上げは2-3パーセントと報じられているので、食料の買い物の頻度が増えて余分なものを買うようになった為と思う。電気代も上昇していた。今年は暑い夏とエネルギー価格の上昇で、東京の自宅と似た比率で増えている。

このところ二日に一度くらいのペースでサイクリングしている。山道とか峠越えだと2時間くらいで疲れてしまうので、山裾歩きより時間効率が良く思いつけばいつでも行く。今日は平野地区から出石寺に向かったが、途中疲れて引き返した。三日に一度くらいにペースを落とすべきかもしれない。

いずれにしても私が一旦嵌まると医者の助言は無視してやり過ぎる。問題は雨の日だ。毎週通院している歯科医の看護婦さんが、雨の日は予約変更して良いよと言ってくれた。それを聞いて、ついに看護婦さんと仲良くなり廃車して自転車で通う私に配慮してくれたと勝手に嬉しくなった。■
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国葬の賛否を歪めるマスコミ報道

2022-09-27 14:48:28 | 社会・経済
安倍晋三元首相の国葬が日本武道館で始まった。首相経験者の国葬は戦後二例目だという。国葬については賛否両論あるというが、私は特にマスコミ報道について論じたい。

2週間前に安倍元首相の国葬を反対する一部マスコミ報道は、世界的に高く評価される彼の外交上の貢献を取り上げず、統一教会に関わる情報を連日指摘しかつ国葬の法的根拠がないと反対する片手落ちの報道だと投稿した。このような報道だけを見る視聴者は考えが偏向してしまうと。

世論調査によると国民の間に元首相が暗殺された直後から国葬反対の声が急速に高まっているという。私にはマスコミ報道の影響を受けて反対論が増えたように感じる。特に若者より高齢者の反対が多いのは、高齢者のテレビ視聴が多く影響を受けているように私は感じる。

このようなマスコミ報道の傾向は元首相の国葬に限らないように私は感じる。私が懸念するのはこのような報道を見て国がねじ曲がってしまうことだ。その実例を紹介したい。

ロシアのウクライナ侵攻によりエネルギー情勢が一変して物価が急上昇し、物価抑制を狙って米国を始めとして各国が金利を上げドル高になった。一方、日本のみ景気回復を優先してゼロ金利を保ち円安が進行した。エネルギーの9割を輸入に頼る日本は歴史的な資源価格高騰にあえいでいる。

日本のマスコミは物価上昇が大問題と報じるが、問題は世界各国と比較して日本の物価上昇を論じないことだ。欧米各国で大騒ぎし金利を上げているのは物価上昇が8-10パーセントになっているからだ。一方、日本は最近まで物価上昇が2パーセント、先月2.8パーセントになった。

確かに大変だが世界と比べて日本の物価上昇だけがこのレベルに収まっているのは何故か。理由は簡単だ。輸入価格上昇を日本企業が吸収して物価を抑えているからだ。値段が上がったら日本の消費者は買わないので、企業は売り上げが減るので輸入価格を物価に転嫁できないのだ。

日本のマスコミは世界各国に比べ驚くほど物価が安定している等とは決して報じない。マスコミにとって禁句なのだ。確かに現状でも物価が上がると本当に困る人達はいる、貧困層にとって食費や光熱費の上昇は致命的だ。だが、日本と異なり貧富の格差の大きい欧米では10パーセントの物価上昇は政権がひっくり返る程に極めて深刻なのだ。

日本のマスコミは何故このような事実を包括的に報じないのだろうか。彼等は自社の主張に都合の良い事実のみを拾い出して報じる、或いはそういう意見の持ち主の発言のみを取り上げて報じるのだろうか。その結果、国民の意見がねじ曲がった方向に向かう恐れがある。危険でさえある。

昨日、イタリー国民は総選挙で極右の独裁者ムッソリーニを賛辞した政治家を選び、欧州の対ロ制裁の結束が乱れると不安視されている。日本もこんな馬鹿げた事態になる恐れがあると私は懸念する。戦前の日独伊の独裁政権は国民の選択だった。国民にこんな恐怖の選択をさせてはいけない。■
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涙もろい高齢者

2022-09-25 21:20:39 | 日記・エッセイ・コラム
足首を痛めて以来久し振りに12キロを走った。肱川沿いに走り実家から6キロにある休憩小屋を折り返したところで、遊歩道を自転車を押してヨロヨロと横切る老人に出会った。彼はやっとのことで歩き、遊歩道に乗っかったところで自転車に乗り私を追い越していった。

しかし、その先の五郎橋に向かってホンの少しの坂で自転車を降りて再び押歩き始めた。私は「気を付けてね」と声をかけた。荷台に大きいプラスチックビンを見て、「それワインかい」と聞いた。赤ワインだった。酒が好きなのかと聞くと、即答で大好きだととのこと。

改めて走り始め再び「気を付けてね」と声をかけると、彼は「大正生まれの97歳だ、最近まで車を運転していた」という。それを聞いて驚き、「僕は後期高齢者になったばかりで、最近事故を起こし車に乗る気にならない」と答えた。彼はおっかぶせる様に、「大型特殊免許を持ってる」とのこと。

私はびっくりして、「何だ、プロなんだ!」と言った。75歳で事故を起こした後期高齢者としては、ちょっと悔しかった。だが、俺は走れるぞとばかりに「気を付けてね」ともう一度言って走り始めた。正直、復路は疲れ気味で暫く走りその後速歩に切替え、実家に戻った。12キロ105分かかった。

私は絶対にこんなジーサンにはなれそうもない。帰宅すると、昨日放送された寅さんシリーズ50作目のビデオを見て涙した。寅さんは既に死んだ後で、孫が転職して作家になり関係する人達と回顧する映画だった。それを見て私は涙が止まらず、何故か97歳のジーサンを思い出した。■
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懲りない「やり過ぎ高齢者」

2022-09-24 14:38:51 | スポーツ
サイクリングで関節炎を発症した時、医者や友人にやり過ぎだと言われた。だが、内心は全く納得してなかった。高齢者生活の在り方を変えようとは思ったが、基本は車の運転を止め車のない生活をしようと思っただけだ。私の生来の「やり過ぎ根性」は多分一生治らない。

一昨日から2日続けて山歩きのコースを延長して、今まで歩いた山腹にある集落を見て人々の生活を見たかった。ここは、奥多摩でもアルプスでもない。自然の美しさよりも田舎の山に住む人達の生活に興味があった。歩いていると、山奥に昔からの田畑や開墾された農園が突然出て来る。

一昨日は何度も歩いた岡野ファームから恋木の山歩きコースを走り、そこから下山せず走り続け地図で調べた立山に下りようとしたが、その先の山道は台風14号で荒れたままでギブアップした。それでは物足りずやり過ぎと先生に言われた禁じ手の2日連続の山道サイクリングをした。

昨日はJR五郎駅から肱川沿いに県道24号線を通り、春賀で橋を渡り多田から山を越えて県道240号線を下り五郎橋から実家に戻る山歩きコースを、240号線(櫛生大洲線)を逆に上り、途中山間部で下方に広がる果樹や野菜農園の中を走る農道を下り、集落上須戒に出て24号線を南に下り八多喜から春賀・五郎を経由して戻った。初めて経験する山腹コースは新鮮だった。

何か所か厳しい急坂があり医者に禁止されたダンシングしないと登れなかった。1ヵ所自転車を降りて押歩きしたが、約2時間かけて実家に戻った時にやや疲労感があった。前回関節炎になった時はその日は何ともなかった。寧ろ今回の方が疲労感があった。念の為昨夜マッサージをした。

関節炎をやった足首に痛みはなく、ふくらはぎは寧ろいつもより柔らかく、大腿四頭筋(太腿の前側)の膝の付け根辺りに軽い痛みがあった。今朝起きてみると前回の関節炎のような足の痛みはなくホッとした。理由は自転車の重量が30キロから13キロに軽くなったのと、エアロバイクを含め自転車に乗る機会が増えて筋肉が鍛えられた、これが素人判断だ。

走行中に不安だったのは平坦道よりも急坂の一般道を下っていく時のスピードが半端なく、曲がり角で前方からの自動車や後方から自動車に追い越されていく時が怖かった。ずっとブレーキをかけ続けて握力が無くなる寸前だった。だが、今後も間違いなく「やり過ぎ」が続きそうな気配だ。一言追加すると、山歩きや山走りする仲間は一度も出会ったことはない。■
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