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考える農夫

2018-10-30 14:36:31 | 社会・経済
彼が10年かけて美味しいお米を作ろうと工夫して来た話を聞くまで、私にとって彼はタダの隣の農夫だった。西日本豪雨の後あちこち歩きまわって人々の声を聴いていた頃に、仕事を終わりトラクターで帰宅中の彼に偶然出会い被害状況を聞いた時から違う人になった。

彼は新興商店街に住む裕福な地主だが、本職は父親の後を継いで農業を経営している。私の実家の隣が彼の実家で母親が一人暮らし、その一部を農作物と農機具の格納庫に使っていた。当時は豪雨で彼の自宅が浸水し避難所暮らしだったが、洪水が退くと直ぐに農業を再開していた。浸水で野菜などが全滅しても、稲は一度倒れても立ち直る水に強い作物だった。素人の私も実感した。

私がまだ東京にいる時に被災状況をインタビューされる彼の姿をNHKニュース番組で何度か見て、彼が饒舌に説得力のある喋り方をするとの印象があった。話は米作りに移り、如何に美味しいお米を作るか、農協はそんな農家を支援するより組織の利益を優先し農家の為になってないと力説した。

農協を頼らず自ら顧客を開拓してお米を売る、賛同する若い仲間を増やしてこの地にあった独自の作り方で美味しいお米を作ろうとしていた。例えば農協は収量が最大になる時期まで待って稲刈りを勧めるが、それでは味が落ちる。彼はもっと早くお米が最も美味しくなるよう農協指示の2週間前に取り入れる、結果として収量は3割減るという。

つまり農協は味より収量(売上高)優先なので独自にやることにしたという。だが、殆ど総ての農家は農協の言いなりで田植えから取入れ出荷だけでなく、農機具や肥料迄言われた通りにやるという。その理由の一つが、今の農夫は先祖からやり方を教わった気配もない、何も知らないという。

若い頃は会社勤めに出て週末だけ農業を手伝った人達が、10-20年後の現在の農夫だと。しかも、父親が何十年やって来た経験を息子に伝承してない、結果として今は殆ど農業に素人の様な人ばかりになっている。彼の場合も、彼が農作業を始めた時父親は意図して遠ざかって他の作業をしたという。彼は偶然知り合った老農夫に触発され、考えながら新しいやり方を見つけたという。

息子が教わるより前に父と喧嘩になり、教えを無視すると分かっていたから息子を避けたという。振り返ると私も公務員だった父の話など全く聞かなかった覚えがある。彼は農家の次男で大阪に出てサラリーマンをやり、兄の死後故郷に戻り地場産業に勤め営業責任者になったが、その後家業を継いだ。

最初の5年間は行きあたりばったりの農業経営をやってたが、その後10年は何故そうするのか、どうすれば良くなるか、一つ一つ考えながらやるようになったという。彼はもう68才、今では何十年も農業を続けて来た人達から教えを請われるようになったという。

その理由は二つある、1)農夫が先祖からのノウハウを伝承してない、2)自ら考えて農業をやってないからと彼はいう。先進的な農業については良く紹介されるが、残りの農家の実状はかなり酷い、今後の農業の行方は容易ではない、農協が農家の為に仕事をしてない、と力説した。もっとも、同じ農業でも作物により専門が分かれており、野菜作りの人は稲作を知らないらしく簡単ではない。

彼はロダン風にいうと「考える農夫」という言葉がピッタリだと思った。彼が言う通りだとすれば農業に新しい血を入れて、常に何がベストか目標をもって考えながら他の分野の経験を生かして挑戦する人が今の農業に求められていると思った。会社勤め人が農業に転職するのは悪くないかも。

蛇足ながら私は父と喧嘩した訳ではないが、父とまともに話したことが無く教えを乞うた記憶もない。父が早死にしてその機会もなくなり何十年か後になって初めて後悔している。そう言いながら、私の場合、子育ては家内に任せっ放しで、高校大学に進む時期には海外単身赴任して大人の会話をすることもなかった。時代が変わってもやってることは同じだったかもしれない。■

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