かぶれの世界(新)

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認知症の兆候か!?

2013-01-28 23:46:37 | 健康・病気

 スーパーのレジに並び私の番になった時、ポケットを探ったら財布がなかった。「申し訳ない、財布を忘れた。商品は棚に戻すべきか。」と聞くと、レジの端にあるサービスカウンターに行けと手慣れた口調で言われた。そこで商品の入った籠を渡し、預かり証をもらった。<o:p></o:p>

 預かり証のナンバーは「2」だった。私と同じチョンボをした人がもう一人いたようだ。昨日の12時過ぎだった。開店後2時間余りたっているので、1時間ごとに財布無しで買い物をする人がいることになる。みっともなくて気まり悪いはずなのに、鈍感になったのか何とも感じなかった。<o:p></o:p>

 買い物に行く途中とか、買い物の途中に気が付くことはあっても、全く気付かないでレジまで行ったことはない。こんなことは初めてのことだ。しかし、もしかしたらこれは認知症の初期の症状かもしれないと秘かに不安になった。ついでに恥ずかしいという感情も認知症にかかったのだろうか。<o:p></o:p>

 認知症が現れる時期は個人差があるだろうが、ある程度遺伝するのではないかと素人考えで推測した。父や祖父は私の年齢まで生き延びなかったのでわからないが、母は80歳過ぎまで、祖母は80代半ばで死ぬまでボケなかった。認知症が現れるにはちょっと早過ぎると思うのだが。<o:p></o:p>

 私の知る限り母は4年前頃に脳梗塞で入院した時、担当医から認知症の症状があると言われた。その頃は母と会話しても特別違和感がなかった。だが、昨年暮れに要介護レベル2から4になったと通知を受けた。食事から排泄まで生活面で全介護が必要で認知症もあるとのこと。<o:p></o:p>

 私は介護レベル見直しの直前まで田舎にいて、その時の母との会話が昔に戻ったように感じた記憶があるので、この通知には少し驚いた。来月半ばには田舎に行って母の様子を直接見てみたい。そんな状態で、私の認知症が始まったとしたらどうしようか、想像すると恐怖に近いものを感じた。だが、一方で認知症が進行していくのを本人はどう感じるのか、興味も湧いてきた。■

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アルジェリア人質事件の実名公表

2013-01-26 23:59:02 | ニュース

  日本人犠牲者の実名は遺族の心情を考慮して「日揮」の要請で公表されていなかったが、遺体が帰国したのを機会に政府責任で公表されたようだ。治安の悪い地域での進出企業や政府の安全対策の在り方を検証して今後の対応を見直すためにも、犠牲者だけでなく生存者も含めて公にすべきという声が報道各社から申し出があったという。<o:p></o:p>

  だがこの議論には、実名公表して遺族や関係者の映像や記事を流すことと、海外進出企業のオペレーションの安全対策を検証見直しすることと混同しているように感じる。公表したら対策を検証できるというのは思い上がりだ。大きな事件があると被害者や遺族に集中豪雨のように群がり取材するマスコミの様子を見聞きすると、会社側の配慮は当然と感じる。<o:p></o:p>

  肝心のマスコミが取材の在り方について検証し見直しているのか疑わしい。なぜ実名公表しなかったか反省する声が聞こえない。仲間内のことになると急に批判精神を失い、改善していこうという姿勢が失われる。ゴシップを追いかける三流メディアを含め報道に自浄能力がない。そういう状況を考えると、犠牲者が働いていた「日揮」の判断はやむを得ないものだったと私は考える。<o:p></o:p>

  今回のテレビ報道は犠牲者と遺族を追い掛け回すより、結果として事件の背景等より専門的に掘り下げた、ある意味よりあるべき姿に近づいた落ち着いたものだったと思う。明らかに犠牲者名を公表しなかった効果が出たと私は感じる。今後マスコミが追求すべきは、結果として安全対策が具体的にどう見直されたかではなかろうか。■

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アベノミクス:日銀の独立性の建前と本音

2013-01-23 13:18:00 | 国際・政治

 政府・日銀は2%の物価上昇率目標を導入し、無期限の金融緩和の共同声明を発表した。アベノミクスといわれる金融政策・財政政策・成長戦略を基本とする経済政策が具体的に動き始めた。日銀は22日の金融政策決定会合で共同声明を決めたというが、目標設定に反対意見もあり実現性を巡り専門家の意見は分かれていると報じられた。<o:p></o:p>

 私も構造的に縮小する日本市場の需要が増えない限り、これ以上いくら金融緩和してもデフレから脱却できないと感じている。リーマンショックと大震災の対応策でお金は市場にジャブジャブしているというのが実感だ。これ以上の金融緩和はバブル誘発等百害あって一利なしだ。<o:p></o:p>

 グリースパン前連銀総裁はITバブルが弾けた後金融緩和を続け、サブプライム異変を見過ごしてリーマンショックを招いた犯人の一人として糾弾された。政府が積極財政をとり見境なくバラマキ政策を乱発した時、中央銀行による金融政策の独立性がバブルを防ぐことは歴史が証明している。欧州や韓国では円安誘導狙いで日銀の独立性が弱まったという論調が数多く見られる。<o:p></o:p>

 一方で、今回もっと大規模な金融政策を期待した市場関係者の中には、実行は14年度からで国債の償還を考えると現実には緩和策の増加分が10兆円程度にしかならないという失望の声も聞かれる。日銀は安倍内閣の言いなりにはなっていないことの現れだ。実際、発表後の為替はやや円高に、株価は失望売りが出て乱高下した。<o:p></o:p>

 目線を上げてこの3か月間の市場を俯瞰すると、昨年11月の野田前首相の解散発言以来、安倍氏が首相就任し大胆な金融緩和が実行されるとの期待から円安と株高が急伸した。それ以来私の老後に備えた金融資産も20%近く増加し、リーマンショックと欧州危機のダブルパンチによる損を取り戻し黒字転換の恩恵を得た。文句言う筋合いではないと言われそうだ。<o:p></o:p>

 建前では反対しているのに、市場は前向きに評価し私もそのメリットを得た。現実に自分のポケットがこれ程膨らめば、本音として反対しづらい。しかも先週のハワイ旅行はこの資産効果が背中を押した。こうなると、建前ベースの批判の矛先が緩んでしまう自分を自覚せざるを得ない。<o:p></o:p>

 市場の高評価は主に外人投資家のリスクマネー流入によるもので、新政権の経済運営の期待先行による投機的な要因が大きい。今のところ実体経済がその期待に応える兆候はまだ私には見えない。安倍内閣の目指す経済政策に対するメディアの論調も、果して実体経済が追いつくかいささか突き放した様子見姿勢を感じる。<o:p></o:p>

 だが、ポケットが少し膨らんだ私としては、建前と本音を一致させないと気持ちが悪くてしょうがない。そんな時、日銀の役割は経済状況によって変わると指摘する昨日の日経のコラム記事を見つけた。インフレ懸念がある場合には政府活動を抑制し、デフレ脱却の為には政府と連携して取り組むべきという風見鶏的内容だった。私も暫く宗旨替えしてアベノミクスを見守りたい。■ 

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ハワイ旅行エピローグ

2013-01-21 22:56:30 | 旅行記

 旅行中は毎回腹一杯食べたのだが、昨日自宅に戻って就寝前に体重計に乗ると、意外にも旅行前と変わらないかった。たった35日の旅で、いつもの間食をせず、旅先の食事は炭水化物が少なく、ホテルの朝食が健康的なオートミールだったからか。<o:p></o:p>

 血圧も変化はなかった。午後いつものジムに行き、体力測定・バイクとトレッドミルの有酸素運動・ウェイトトレーニングをやった。旅の疲れで体力が落ちることもなかった。だが、体のどこかで疲れを感じる。書き始めたのは夕食後の9時過ぎ、時差ボケのせいかもう眠い。<o:p></o:p>

 旅行中、14年前のハワイが大きく変わったと感じた。私自身もホテルに着いた時から変化を感じた。以前より英語が下手になったように感じた。英語が聞き取れない。単語が出てこず話せないのだ。話し相手のボディランゲージを感じ取り、まだ健在の度胸と数少ない決まり文句で何とか意志を伝え部屋を確保した。だがたった3日では昔の感覚を取り戻せず、帰国することになった。<o:p></o:p>

 ノースショアのひなびたレストランで「ハイチヤ」が必要かと聞かれ、何のことか分らず何度も聞き直した。だが、英語の素養のない長男の嫁はすぐに分かったようだ。孫の為の「ハイチェア」(子供用椅子)のことだった。耳も悪くなったのじゃないのと娘にからかわれた。度胸だけでは不十分だった。<o:p></o:p>

 旅の最終日、息子が借りたレンタカーの返却前にガソリンを入れようとしたが、クレジットカードが受け付けられなかった。事務所に行くと係員がマニュアルで処理してくれた。日本から持って行ったカードは米国のZIPコード(郵便番号)がないのが原因という。何度もレンタカーを借りたことがあるが、こんなこと知らなかった。<o:p></o:p>

 それやこれやでフライトのチェックイン時間の締め切り時間を過ぎていたが、昔と違ってホテルを出る前にWebチェックインという便利な手続きができたので心配せずに済んだ。空港で長い列に並ぶ必要もなく時間を節約できたからだ。Webチェックインは旅行中携帯したiPadで簡単に処理した。娘によると、今では別に珍しいことではないらしい。<o:p></o:p>

 ホテルにチェックインすると鍵の替りに磁気カードをくれる。磁気カードがないとエレベーターにも乗れないのでセキュリティ管理にもなる。このカード入れた袋にホテルのWiFiアクセスのIDとパスコードが印刷されており、これでネット・アクセスできる。旅行中は日本や世界のニュース・マーケット動向を調べ、メールをチェックし市内のレストランを探した。もうiPadを手放せない。<o:p></o:p>

 今思い出して何が一番楽しかったか、それは家族と海外旅行できたことだ。何といっても孫の存在だ。彼の笑顔を見ると困難な局面に遭遇しても元気が出てくる。35年前の私は仕事に熱中し、子育てを放棄したも同然だった。その償いという訳でもないが、子供や孫に出来るだけ色々な経験をさせてから私の最後の役割を終わりにしたいと思う。■

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ハワイ旅行記 本編

2013-01-20 16:56:10 | 旅行記
ホノルル空港で出国手続きを終え、搭乗前に家族が最後の買い物をしてる間ベンチで待ちながらこの記事を書いている。旅慣れぬ長男夫婦が巻き起こす予期せぬ出来事に遭遇、少しハラハラしてだけどとても楽しかった旅行がもうすぐ終わる。

? デルタ航空のエコノミー席は90年代のノースウェストに比べ格段に良かった。座席は座り易くオンディマンド・ビデオなどのアメニティが改善されていた。ビジネスに乗り慣れている娘は厳しいことをいうが私には食事もそれ程不味くはなかった。朝6時過ぎに14年振のハワイに着いた。外はまだ暗くホノルルの夜景は美しかった。

?入国審査の方法はパスポートが電子化され、指紋採取などセキュリティが強化され様変わりしたが通関を含め建物に記憶があった。エージェントが手配したバスでホテルに向かい、朝の通勤ラッシュに巻き込まれたが8時頃にはホテルについた。ホノルルは高層ビルが林立し随分変わっていた。

?ホテルに荷物を預けバスでショッピングセンターに行き、私は昼食まで付き合って一人歩いてホテルに戻りチェックインした。部屋は新しく広々として気持ちがいい。昼過ぎになると日差しが強くなり、家内が持たせてくれた日焼けどめを塗ってワイキキビーチを散歩した。

?娘と長男夫婦は初日から買い物に忙しく予定を過ぎても戻って来なかった。長男の嫁によると、息子と娘は中々買い物が決まらなかったという。私の血を引いている。時間通りに物事が進まないのはこれ以降ずっと続く、その最初の洗礼だった。予め決めた時間通りにならない、幼い子供がいる長男夫婦のスタイルだった。

?それも三日間でだいぶん慣れた。団体行動する時には嫌がられるが、家族で行き当たりばったりの気ままな旅をするなら寧ろいいのかもしれない。何もかもキッチリやる必要なんかない。しかし彼らは海外旅行に慣れてないから止むを得ないが、時間通りでないと困る時もある。二人に経験させようと困っても助言だけに留め無闇に手を出さないようにした。いつか彼らだけで家族旅行する時に目一杯楽しんで欲しい。

?ホテルの部屋は希望した続き部屋でなく、キングベッドでバスタブが無かった。しかし、色々と希望を述べながら他の選択をやり取りし、最終的に角部屋で別室がありそこにベッドを追加してもらうことになった。娘と同じベッドは趣味じゃない。決して交渉している積もりはないが、困った表情と冗談を交えて話し最後はいい部屋になった。もしかしたら天才かも?じつは会社務め時代に自然に身についただけ。

?物事がチャンチャン進まないのは最初苦痛だったが、滅多にない家族旅行を楽しめた。若夫婦や娘が日本の雑誌で仕入れてきたスポットやお店は、私には新鮮な経験の連続だったし、孫がずっといて和ませてくれた。レンタカーでノースショアに行き、サーファーのお店に行ったり夕陽の美しいサンセットビーチに行き海岸で孫を遊ばせたりした。孫が大波にさらわれそうになったが、翌日また海辺で遊ぶ姿を見てほっとした。

?日本の旅行雑誌で取り上げられたお店での食事や買い物にもつきあったが、全部に付き合うのはいささか疲れ時々パスした。そういう所はどこに行っても日本語が聞こえてくる。現地の人しかいかないお店と日本の雑誌で紹介され、日本人客で一杯というのは出来の悪いジョークだ。

?昨日、ビデオカメラを買い物中に忘れノースショアに再度車を飛ばして行った長男夫婦のいない間に、娘と買い物に行き結婚十周年のお祝いを買ってやった。その帰りに二人でマッサージを受けた。娘はロミロミというハワイアンスタイル、私はコンビネーションでリラックスした時間を過ごした。

?そのお店は日本語が通じた。それもそのはず、お客の95%は日本人、韓国人5%、中国人1%だそうだ。現地の人達はもっと安いローカルのマッサージに行くのだそうだ。私のセラピストはハワイの女性だったが、聞くとマッサージ学校に行きライセンスをとったそうだ。たどたどしい英語でも施術中の会話を楽しんだ米国駐在時代を思い出した。

?話はホームレスに移った。初日にワイキキビーチを散歩中に中年女に小銭をくれとせがまれた。嫌な臭いがして急いで彼女から離れた。気をつけて歩くと海岸通にもそれらしき人達が沢山いた。セラピストに聞くと殆どは本土からで、排除してはいないがハワイ政府が航空券を買ってやって定期的に本土に送り返しているのだそうだ。

?本土から移り住む人もかなりいるという。そういえば泊まったホテル内のコーヒーショップの青年はシアトルから移住したと聞き懐かしくなった。戻りたいかと聞かれ即答しないと、年中雨が降ってるからねと先回りして言ってくれた。多分彼がそういう理由で移住したのだろう。

?あちこちで娘と私は年の離れたカップルと思われた。彼らは気を使って最初私の妻と呼んだが、本当は愛人と思ったと何人かに同じ事を言われた。その手のカップルが多いからなのだろう。私としては悪い気持ちではないが、それを聞いて娘はにこりともしなかった。

?帰りにワイキキ海岸から見た夕日は美しかった。海岸通には夕日を見ようとする観光客で一杯だった。これから夕闇の通りはさらに人が増えて毎日がお祭り状態だった。観光客に溢れる夏の軽井沢を思い起こした。20年前に家族できた時はこんな感じじゃなかった気がする。

?今続きを機内で書いている。WiFiのサービスがないのでアップロードは成田についてからだ。少し太った。ハワイの食事は美味しいが量が多めでファーストフード以外は値段が高い。あと数時間後で東京の真冬の寒さに戻ると思うとちょっと憂鬱になった。■

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