かぶれの世界(新)

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新たな世界観

2022-08-28 17:12:41 | 国際・政治
先週24日と25日の日本経済新聞の3つのコラム記事に触発され考えを纏めようと思った。昨日の中外時評「怒り」が振り回す民主主義(菅野幹夫)と、今朝のDeep Insight「友を呼ぶ」米エリート層(小竹洋之)、グローバルオピニオン「ペロシ氏訪台が示した新常態」(Iブレマー)だ。

私的にはかつて世界は民主主義国と強権国に分断されていた。ウクライナ戦争も同じ構図の中で起こったと思っていたが、上の二つの記事がその考えが古いことを教えてくれた。分断された国の「どちらに味方した方が自国に有利か」が判断基準の第3の国家群の存在感が大きくなった。

そこには民主主義でも強権国でもないリアリズムがある。私的には「便利主義」とでもいう方がよりポイントをついていると思う。インド、トルコ等の大国だけでなくアジアアフリカ諸国の多くがこのカテゴリーに属し、世界人口の最大の比率を占めている。我々から見ると厄介な存在存になった。

以前だったら主義主張のない軽蔑的存在だったが、今は無視できない存在になった。彼等にとっての道具立ては第二次世界大戦後に生まれた国連を代表とする一国一票の極めて民主主義的なシステムだ。それが、民主主義的なシステムを機能させなくしたという皮肉な状況になっている。

そのより根本的な原因は民主主義国のグローバリゼーションの究極化が、国内を越えて世界の貧富の拡大させそれを世代間で継続させたことにより貧富を拡大させた。貧富の分断により最初は徐々に、そしてITが急速に民主主義を富める者や国だけの為のものにし不公平なシステム化した。

もっと象徴的に目に見えるのは米国の経済・軍事両面での相対的な影響力の低下がまず挙げられる。オバマ元大統領の世界の警察官を止める発言と、その後に続いたトランプ前大統領の民主主義をコケにするような政治判断が民主主義に対する信頼を失わせ怒りを招いた。

この分断は富める者や国を少数派にしたことを、ITを代表とする巨大企業がオバマやトランプ等が全国・全世界に分かり易い形で広げた。ウクライナ戦争がこれら取り残されていた第三の便利主義国を覚醒させた。彼等にとって民主主義は絶対守るべきものではない。

偉そうにいうけど、我が国の新聞テレビ等マスコミ論調は大局を外れているものが多いと感じる。尊敬するIブレマー氏も混乱していつもの歯切れがないと感じる。そう言いながら私も上記記事を見なければ考えが纏められなかった。今後暫くはこの考えをベースに判断していく積りだ。■
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我一族にもコロナが

2022-08-27 22:56:08 | 健康・病気
娘と孫も遂にコロナにかかったと昨日Lineが来た。感染してないのは田舎の私だけになった。娘と孫は昨日高熱の症状が出て、今日もまだ熱が下がらないと聞き少し心配になった。田舎住まいの私以外は家内と次男が東京郊外、長男家族が品川、娘家族が世田谷に住んでいる。

最初に家内が感染したが発熱が治まり、長男家族は法事で田舎に来る前、娘家族は法事の後東京に戻ってから感染した。想像するに家内は感染源は不明、息子と娘は孫が学校等で感染して来てたもののようだ。家内と長男家族は解熱剤を服用して症状は治まった様だが、娘家族がどうなのか心配だ。

私を含めん第7波は全国に感染が広まり、ここ大洲市も感染者が急増し先週水曜日に聞いたところでは感染者数が77人発生(市の人口は4万人余)と高止まりしてると聞いた。田舎での一人暮らしの私は買い物とバドミントン練習以外は人との接触は殆どない。

自動車事故を起こしてから移動には極力自転車を使う。趣味の散歩や山裾歩き、ジョギング等で密な接触はない。こちらの人達は例外なくマスクをしているが、散歩や山裾歩きで私はマスクしない。買い物等でよくマスクを忘れてしまうが見逃される。医院では看護婦に100%注意されるが。

市の危機感はかなり高いと感じる。毎日夕月6時に有線放送で注意報を伝え、週1回は市長が直接伝える。言ってる内容に目新しさはないが放送の頻度に危機感を感じる。東京など主に東日本側に感染者数のピークを過ぎた印象を受ける、ここでもそうなって欲しい。私は1週間後に4回目のワクチン接種を受ける予定だ。■
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問われているのは米国民

2022-08-26 17:30:24 | 国際・政治
17日に私が尊敬する政治家としてリズ・チェイニー米下院議員について投稿した。世界中どこでも民主主義制度下の政治家は、自らが選挙で選ばれる為には可能な限り妥協する。だが、彼女は共和党内で圧倒的な支持を受けるトランプ前大統領に真っ向から対抗し、初めから不利と予測された予備選に立ち見事に惨敗した。彼女は中間選挙にも立てず間違いなく議員でなくなる。

今朝の日本経済新聞のコラム「真相深層」によれば、トランプ支持の候補の勝率は9割を超え共和党は「トランプ党」の様相を強めているという。NYTやWPなどの米マスコミも同様の見方をしている。議員にならねば何もできない、票の為には何でもするみたいな風潮がある。そんな中でチェイニー氏の信念に従う姿に、「これぞアメリカ、民主主義のあるべき姿」と私は思った。

報道によると彼女は次の大統領選に出ることを考えているらしい。地方の議員にさえなれないのに何でかと思ったが、無党派の票を狙っていると報じられている。例えば米国民の支持政党を共和党支持3:民主党支持3:無党派(独立派)4だとすればチャンスがある。今迄も大統領選では無党派の票がどちらに流れるかで決まるケースが多いと言われている。

私の予測は、次々と明らかにされる1/6暴動の調査や最高裁の中絶権利否定等で、最近の無党派から共和党に流れる票が減っている状況から見て、彼女の大統領選出馬が結果に影響する可能性があると感じる。彼女が勝つか負けるかだけではなく、共和党に流れる無党派層の票を減らすことが民主党候補に有利に働き大統領選の結果を左右する可能性があるということだ。

次の中間選挙とその延長線上の大統領選の結果は、米国民の在り方が問われていると感じる。米国が世界の民主主義リーダーであり続けるか、どんな方向に持って行こうとするのか、だ。ウクライナ侵攻に対してどんなポジションをとるか、悩む米国の姿を見た。日本の政治やマスコミ報道は基本他人事で影響力もない、それが日本の国民の姿でもある。では、米国はどこに向かうのだろうか。■
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身近な自動車事故

2022-08-25 16:24:59 | 日記・エッセイ・コラム
地区内の回覧が回って来た。何時もなら読み飛ばして即燐家のポストに入れるのだが、今日は警察からの通知に目が留まった。地区内で7月に起こった交通事故の一覧があった。我が集落が属する地区内で6件の交通事故があり、そのうち1件が人身事故で残り5件が物損事故だった。

残りは2件が追突で、2件がフェンスやガードレールに衝突、1件が猪にぶつけたという。私みたいにガードレールにぶつけた人が2人もいた、同じような事故を起こす人がいるもんだ、もしかしたら高齢者と思った。驚いたのは猪で、しかも現場は山間部ではなく古町という昔からの住宅街だ。

私と同じような事故を起こした人が二人もいた。事故を起こしたドライバーの年齢は分からなかった。四国管内で死亡事故を起こしたドライバーの7割が高齢者だったと、数年前にラジオのニュースで聞いた記憶がある。だが、高齢者は運転するなという声は聞こえてこなかったと思う。

その時は聞き流したが、今回は回覧板を見ただけで少し胸が痛んだ。しかも、私が事故を起こした同じ8月1日に、隣の地区(東大洲)で横断歩道を歩く老人をはねる死亡事故があったと追記されていた。人身事故や車に損害を与える事故をしなくてよかったとつくづく思った。

今朝ネットで市場動向を調べていると、自動車保険から契約の損害保険金が銀行口座に振り込まれていた。そんな契約があったなんてすっかり忘れていた。大した金額ではなかった。だが、仮に保険金がもっと沢山あったとしても嬉しくない。■
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田舎暮らし雑感2022(10)

2022-08-24 21:44:49 | 日記・エッセイ・コラム
今月初めに自動車事故を起こして以来、生活スタイルが変わった。自動車生活から自転車生活になった。退職して母の様子を見にしょっちゅう実家に戻るようになった頃は車なしの生活だったが、その時は母が食事や掃除洗濯までやってくれた。ただ一緒に住んでるだけだった。

私が何もしないで家にいるのを見て母が自転車を買ってくれ、何年か後に車も買ってやろうかと申し出られて、初めて何て恥ずかしいことをしてたと反省した。直ぐに田舎暮らし用の車を買った。実際、母が入院して初めて車なしの田舎生活を続けることはできないことを痛感した。

90年代に米国の郊外に暮らした時に、車は生きて行く為に必須だと痛感した。どんなに貧しい家庭でも車がなければ仕事に行けず食料を買いに行くことも出来ない。となると今にも壊れそうな車を安く買うしかなかった。途中で壊れて道路脇に乗り捨てられた車も見かけた。彼等にとってウクライナ戦争でのガソリン代の高騰は本当に死活問題なのだ、多分今でも。

実家のある四国の大洲盆地での生活も、母が入院してから非常に似てると思った。国道沿いの新興商店街はどのお店も駐車場がなければお客が来ない。昭和時代は城下町で繁華街にはバスで行くもの、近ければ自転車で行くものだった。どちらか問う言うと東京郊外の生活だ。田舎では駐車場のない昔の繁華街はシャッター街になりつつある。

何れにしろ、私は車なしの田舎暮らしに戻った。自転車では1週間分の食料を纏めて運べず何回に分けて買い物をする。牛乳パック3本、ジュース1本、炭酸水1本だけで自転車のハンドル裁きが不安定になり国道沿いの道は怖い。猛暑日に冷凍品を買って家まで戻ると若干だが溶けている。

結局、小分けにして週5回程度は食料を仕入れることになる。現在、週一のペースで歯医者に30分近くかけて通い、汗だらけになって受付に行き直ぐに診察を受けのは気が引ける。日々の生活だけではない、最早車で遠出する選択もない。今治―尾道間のしまなみ海道サイクリング、愛南町で新鮮な魚を食べる、石鎚山登山、等々折角四国にいるのに魅力的な観光の選択は無くなった。

今は自動車事故の直後なので車を運転するのは怖い。来年から田舎暮らしをする自信はない。だが、不動産貸借の契約が嫌でもやってくるし、家に1年住まないと傷み方が酷くなるというし、山林だけでなく狭い庭でさえ手入れをしないと周りの家にまで迷惑をかけてしまう。

実際、山間部だけでなく平地の水田や畑でさえ放棄され、たった2年で背丈の2-3倍もある雑草や雑木が伸びて集落全体が迷惑しイメージを悪くしている。廃屋でなくても半分世捨て人みたいな人の暮らす家がその次に控えている。私はそういう悪い例と後ろ指さされるのは嫌なのだが。■
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