かぶれの世界(新)

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東京近郊の風景2021(4)

2021-03-29 22:16:11 | 日記・エッセイ・コラム
相変わらず散歩を続けている。コロナ自粛下で人通りの少ない道を選んで歩いている。気が付くと最寄りの分倍河原駅近くの旧鎌倉街道交差点にあったバイク専門店が無くなっていた。40年余り前に仕事が一段落してバイクにはまった。一時、毎年中古車を買い替え休日にあちこち走リ回った。

このバイク専門店でスズキの「カタナ」の中古車を買った。その頃はバイクブームで、レプリカモデルが人気だった。大きなカウリングを取り付けた4ストロークの改造車を一目見て気に入り、富士五湖や軽井沢から東北・北陸とか、足を延ばして四国の実家まで走った。

40歳半ばにバイクに乗らなくなり廃車手続し自宅の塀に置いたまま米国に赴任した。事務所では自宅に駐車したバイクの前で家族と一緒に撮った写真を机の上に置いて仕事した。帰国すると家内が業者に依頼して処分しててくれた。そんな思い出が湧き出した専門店が無くなって寂しい。

昨日、自宅の近くの桜通りを散歩した。府中街道と小金井街道を横刺しする約1キロの道で、両側の歩道の桜が満開だった。歩道には桜祭りの提灯がぶら下がっていたが、例年の桜祭と比べると人通りが少なかった。言い換えると、コロナなのに普段の日曜日と変わらず人通りが多かった。

遊歩道を散歩すると、買い物など生活の為に出歩く人達は寧ろ多い気がする。市がホームページで毎日報じるコロナ感染者数は昨日まで直近10日間の平均5人以上、減少している気配がない。だが、実家のある四国愛媛県の感染者数もここに来て急増している。昨年帰郷時に東京から帰って村八分的扱いされた私が、多少緩和されるかもと妙に落ち着いた気分になった。

最近、近所のどこにもバイクは見かけない。見かけるのは少し大きめの乗用車だ、ボックスカーというらしい。軽自動車もあまり見かけない。お年寄りが目立つ団地やマンションと違って、近所には子供や幼児の姿が目立つ。一家に二三人の子供いるので少し大きめの車が必要なのだろう。

散歩すると目立つのは、駅の近くの商店街が中高層ビルとマンションに建て替わったことだ。そして、それを取り囲む一軒家が鉄筋コンクリート造りのマンションになった。ビルが中高層化してドンドン我が家に迫ってきている。一軒家は木造モルタルから洒落た洋風りに変わった。■
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IT音痴大国

2021-03-27 21:17:23 | ニュース
昨日、健康保険証の代わりにマイナンバーカードを利用できるシステムを延期すると報じられた。厚労省が目指した3月から10月に延期するという。こんなにも簡単に半年も先送りするんだ、だが、大したニュースではないと判断したのかマスコミの扱いは小さかった。

私は別な意味で驚かなかった。実施するのが厚生省・健康保険組合・医療機関となればIT音痴の塊みたいなもので、最初からキチンとした仕事が出来るなんて全く期待してなかった。私に言わせれば、マスコミの小さい扱いも重要さが分かっていない、アナザIT音痴だと思った。

延期の原因は、社員や会社が間違って健康保険組合に番号を伝えた可能性を厚労省は指摘しているという。加えて医療機関の体制準備の遅れを日本経済新聞は指摘している。「厚労省と医療機関よ、また、やってくれたね」というのが私の率直な印象だ。別にコロナ対応だけじゃないよね、と。

仮に予定通り導入が進んだとしても、未だにマイナンバーカードを所有する国民は3割前後のはずだ。我が家でも同居の家内と息子はカードを持ってないから同じようなもんだ。息子はITに関して専門家並みの知識を有するから、手続きが難しいというよりメリットを感じなかった模様だ。

そんな彼らに数日前「マイナンバーカード交付申請書」が送られてきた(多分、総務省下の外郭団体から)。スマホで申し込みができ個人番号カードと電子証明書を無料で入手出来るらしい。私はマイナンバーカード導入時に手数料を払って入手したが、以来何のメリットもなく不公平だと思った。

90年代に米国滞在中に社会保険番号(カードはなく紙切れ)を与えられ、その番号が個人識別番号になって免許証や確定申告などに記入を求められた。その経験から住基ネットもマイナンバーも即登録したのだが、これまで便利だと思ったことは一度もない。自治体にもやる気を感じなかった。

遡ると80年代頃に個人番号を付与する計画があり、当時の武蔵野通研でIT関連のシステムに関わったことがある。だが、国民総背番号制だと言って野党やマスコミが大反対し頓挫した。財務省の担当は移動させられたという噂を聞いた。その頃から国民の側にも積極的にカードを申請したくない後遺症か、或いは国民性があると感じてた。

そういう意味では日本はあらゆる領域でIT音痴だったのではないかと思う。今や先進国だろうと開発途上国だろうと、ITは利用可能な道具になった。コロナ対応に関わらず官民組織の生産効率はディジタル化に左右されることが明らかになった。もし国民性の問題ならエライことになるよ。■
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映画の見方が変わった

2021-03-26 22:13:06 | 日記・エッセイ・コラム
多分、コロナのせいだと思う。

この3日間で午前中に2本映画を見た。NHKBSの映画放送「海街ダイアリー」と「東京家族」だった。実はこれまで何十年も邦画を見た記憶がない。映画館に行ったのも20年くらい前の洋画で、殆どはテレビでハリウッド映画、たまにヨーロッパ映画、といった程度だった。

昨年の田舎暮らしからコロナ自粛で家にこもる時間が長くなり、刑事物のテレビドラマを見ることが多くなった。ハリウッド映画のアクション物に見飽きて、テレビドラマの犯罪物を見るようになった。1年間こんなものばかり見てると次に何が起きるか予測でき飽きて来た。

上記の二つの映画は話題になり題名は知っていたが、その時は邦画は見たいとも思わなかった。朝ニュースを見た後、チャンネルを切り替えると「海街ダイアリー」が始まったばかりだった。そのまま「音」で画面を見ながら新聞を読んでいるうちに映画に引き込まれていった。

30分後にはテレビの前のソファに座って映画に集中し、最後まで見た。今朝も全く同じだった。今朝は早々に新聞を食卓に置いたまま、テレビの前に座って「東京家族」を最後まで見た。2本とも2時間以上の映画で、朝は何もしないで生産性のない半日になった。

共通するのは劇的なストーリー展開というより、家族とその周りの人々との間の日常の出来事が淡々と描かれていく。食事中に見た朝ドラみたいに突然大声で怒鳴ったりしない。ハリウッドにもこういう「非」劇的映画はあったと思うが、日本では余り公開されないのではないかと思う。

これは私の趣向を語るだけで、偉そうに日本映画とかハリウッド映画を語る積りはない。正直言うとこの二つの映画では登場人物が亡くなる場面に惹かれた。お涙頂戴というより、ごく普通に淡々と描かれる。それが何故か自分が死んだ時を想像させてくれ最後まで見た。

「東京家族」では両親は四国に住み、子供達が多摩地区に住む。まるで私と同じ環境だ。平均寿命から言えば私は10年以内に死に、近くの焼き場で焼かれ故郷のお寺の隣のお墓に埋葬されるはずだ。映画を見て、死後お墓に入る具体的なシーンがイメージできた。

同時に私の死後も子供達が淡々と生活を過していくイメージも沸き穏やかな気持ちになった。多分、優れた監督と俳優だからできたことだろう。年を取って涙もろくなった私だが、映画の後半になると予定通り涙が出て来た。これがコロナ後の私の映画の新しい見方かもと思った。■
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米中会談を評価する(本音の補足)

2021-03-24 20:19:46 | ニュース
米中会談について個人的な評価を投稿した翌日、欧州連合(EU)はウィグル族の人権侵害を理由に中国当局者への制裁を発表した。ブリンケン国務長官の訪欧を前に、EUは米中の口喧嘩を見て米国に味方するというメッセージを送ったと思った。

中国の人権侵害と民主主義問題が、トランプ前大統領時代に劣化した欧米関係を修復するきっかけになった。中国は直ちにロシアのラブロフ外相を呼びつけ(そんな力関係)、人権問題に名を借りた内政干渉と共同で非難した。更にトルコやイランを仲間に引き込み欧米の対中制裁に対抗する作戦だ。

なんだか子供の喧嘩と似たようなものだ。言い換えると、トランプ前大統領は中国やロシア・イラン・トルコとガキ大将的に馬が合った、中ロ等の強権主義もトランプ氏と親和性があった。一方、バイデン氏はEUや日豪等の金持ち仲良しグループを再編成し理屈で対抗しようとしている。

私から見るとそのバイデン大統領の滑り出しは絶好調だ。大統領令を連発して前大統領の政策を直ちにキャンセルし、一方でトランプ政策の良いものは取入れオバマ時代の経験豊かなスタッフを採用して適切な政策を推進した。中国制裁とワクチン接種とコロナ感染収束がその良い例だ。

バイデン氏は思ったより遥かにやり手だった。今迄のところ、彼は運が良かったかも知れない。だが、彼の長い政治経験が運を結果に結びつけた。彼自身が老齢で限界があると自覚し、結果を出す為に夫々の分野で若くて優秀なスタッフが必要だと認識し、その為に誰が優秀かも知っている。

ただ、バイデン氏の健康が何時まで維持できるだろうか。今日の昼のニュースバラエティ番組で、大統領が軽い足取りで飛行機のタラップを登ろうとして、三度も踏み外し転倒したシーンを見た。80歳近い年齢ではしょうがないが、任期一杯健康を維持できるか心配だ。

もう一つ心配なのは、日本政府は欧米の中国制裁に足並みを合わせるか否かだ。報道では政府は中国の人権問題を非難するが、それでもって制裁を発動するかは極めて慎重だという。以前私は「バラバラに対応すべき」と記事を投稿したが、その日がこんなに早く来るとは思わなかった。

私は日本政府は中国を非難はするが制裁はしない、「口先介入」になると予測する。4月初めに訪米する菅首相はどう判断するのだろうか。悩んでいるのかな?■
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米中会談を評価する

2021-03-22 14:06:45 | ニュース
世界の注目を浴びた米中会談は冒頭の1時間に渡って、記者を前に互いに非難を応酬するという異様な展開で始まった。一見すると喧嘩まがいの子供っぽい言い争いは記憶がない。両国にはそうする事情があったようだが、会談を伝える各国の報道にも当初若干の戸惑いがあったように感じた。

バイデン大統領がこれほど強硬な姿勢で中国に迫るとは私も予想しなかった。大統領就任時は先ず国内対応を優先し支持基盤を強化すると見られていた。トランプ前大統領弾劾を軽くスルーして、1.9兆ドル(200兆円)という巨額の景気支援策を成立させ、シナリオ通りに外交に乗り出した。

だが、走りだすと日米豪印首脳会談(QUAD)、日米・米韓2+2を経て中国包囲網を作り米中会談に臨んだ。私自身はこのスピード感に驚き、中国も驚き焦ってアンカレッジ会談を申し出たと推測した。その意味で会談はいささか乱暴だが、互いの主張を早めに確認でき目的は達したと思う。

バイデン新政権は大方の予想より中国に対して厳しい態度に出た、その原因は中国は豊かになれば徐々に民主的になるというオバマ時代の期待が甘かったという反省が基本にあるという。オバマ時代のスタッフがバイデン大統領でも幹部になり、同じ間違いは繰り返さないという反省があった。

一方、中国はオバマ時代に比べ経済・軍事とも格段に力をつけた。次の5か年計画で米国に匹敵する国力をつけると言われ、強権的な手法で自国の主張を押し出し始めた。日米欧の目には少数民族を弾圧非難を内政干渉扱いし、初期のコロナ隠蔽を非難する国に経済圧力をかけ、世界ルールに基づく秩序を無視し対立を深めたと映った。

今回の会談の成果は互いに自国の主張をぶつけて対立点を明確にしたことだ。昨日の日本経済新聞の1面トップ記事「ぶつかる国家観、経済から対立軸移る」は、トランプ時代の経済対立から政治体制や国家理念にも立ち入る新次元に突入したと報じたが、私は長期的に正しい捉え方だと思う。

中国式の民主主義等あり得ない

ここからは民主主義を重要視する私の見方だ。「中国には中国式の民主主義がある、コロナ封じ込めに成功した共産党一党支配の民主主義は米国式民主主義より優れた仕組みだ」という主張に私はずっこけた。そんな民主主義はない。人権や言論の自由のない民主主義などあり得ない。

中国には中国のやり方があり、それが経済成長をもたらしコロナ抑制に機能したのは分かる。だからと言って民主主義とは言えないと小学生でも分かる。ウィグル族を収容所に入れたと非難されると内政干渉だと反発した。言い換えると「国内なら何をしても非難するな」ということだ。

私は第2次世界大戦のきっかけになったナチのユダヤ人虐殺を思い出す。英国はじめ欧州ではナチとの融和を求める声が強く様子見の間に、ドイツ国内問題が最終的には世界大戦に繋がった。米国の相対的力が衰え、オバマ・トランプ時代に世界に広がった強権主義に同じ怖さを感じる。

私は中国の非民主主義的行為に対して態度を明確にすべきだと考える。中国の長い歴史の間に欧米列強にいいように搾取された記憶は続くのは否定できない。一方、毛沢東時代の文化革命で二千万人ともいわれる中国民を死なせた歴史がある。習政権はその歴史の延長線上にあるのだのも事実だ。

今回互いに問題を指摘し何処がレッドラインがどこにあるか明らかにした。その次のステップとして今後の交渉をどう進めていくか、現実的な対応をせざるを得ないと私も思う。この数日、テレビのニュース番組を見て我が国のメディアがどう報じるか見ていた。

会談直後はどう報じて良いか分からず、単に事実を伝えようという姿勢が見えた。だが、TBSのサンデーモーニングで、会談のコメントが米国が尖閣列島は日本の領土と認めておらず後々不都合な事態の可能性を指摘したのは酷かった。まさか、それが米中会談のまとめのコメントだとは。

しかし、今日の各局の報道を見る限り米中会談の意義、両国の主張とその狙い等についてまともな解説がされたと思う。冒頭で非難を応酬した異様な展開は国内へのアピールの意味があり、2日間で冷静で和やかな議論が交わされたらしく安心した。モチロン次の交渉予定が決まっておらず予断は許せない。最後に、私は新次元の米中関係で改めて「民主主義ファースト」を主張したい。■
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