かぶれの世界(新)

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帰京前の約束を果たす

2021-11-29 20:33:55 | 日記・エッセイ・コラム
郵便受けから取り出した郵便物に私宛のものを見つけてホッとした。転居届を忘れて帰京前日に慌ててe転居HPを開いたが、マイナンバーカードを読み取る方式に改定され対応できなかった。日曜日にオープンしている郵便局に駆け込み手続きをしたが、その後私宛の郵便物が一向に届かなかった。

先週末に実家の近くの郵便局に電話で問い合わせたところ、配達担当まで問い合わせてくれ手続きは適切に処理されていると調べてくれた。そして今日私宛の郵便が届いた。一度東京から実家に転送され、更に再転送された痕跡が残っていた。郵便局のアナログ的対応力の丁寧さに感謝した。

先週末には掛かり付け医に紹介され対応できなかった市の健康診断サービスの眼底検査を受けた。今年から眼科医で対応する様変更されていた。結果は高血圧が原因と思われる出血と白内障の疑いがあり、来月にも再検査を受ける様担当医から勧められた。ある程度予想していたので驚きはなかった。

そして、昨日投稿したように長男と二人の孫と一緒に登山する帰京前からの計画を実行した。季節を考慮して雲取山から小仏城山に変更したが、とにかくこれで宿題は全て果たした。もしかしたら計画変更は、孫の為ではなく衰えた私の体力に最適化した登山だったかも知れない。

城山での健康エピソードがある。一昨日は空気が澄んでおり城山から都心から更に東京湾を越えて千葉まで見通せた。一緒にいた息子に「凄い景色だ、何とかタワーまで見えるよ!ホラ!」と訳の分からない声掛けを繰り返すと、隣から「スカイツリー」と声がかかった。

「そう、それそれ」と言って横を見ると隣に私と同じ年恰好の見知らぬ老ハイカーがいた。一応礼を言ったが、私は単語が出てこないのは日常茶飯事の出来事で、もはや恥ずかしいとも思わなかった。高尾山頂の渋谷交差点と共に、記憶に残る出来事が約束した宿題の終わりに起こった。■
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高尾山頂で人混みに迷う

2021-11-28 21:45:39 | スポーツ
昨日の高尾山頂はまるで渋谷の交差点のような凄い人出だった。先週もそうだったらしい。長男のプランに従って息子と孫二人で相模湖から急坂を辿り小仏城山に登り、山頂で昼食し一丁平経由で高尾山に登った。京王線の高尾駅で合流し中央線に乗り換え相模湖駅で下車した。

中央線の車内は8-9割が登山客という異様な風景だったが、相模湖駅に下車したのは数人で駅の周りの商店街も閑散としていた。相模湖から登る山なんて登山とは言えないという印象は私にもあった。その先の塩山辺りから南アルプスにとりつく中央線乗客が多いのが普通ではと想像した。

だが、相模湖ダム下流の弁天橋から登り始めた登山ルートは急坂で、後期高齢者直前の私には意外にも手ごわかった。数十年前に下山したことがあるが覚えていない。小2の孫はドンドン先に行き必死で付いて行くだけだった。駅に下りた時から風が冷たかったが気が付くと汗だらけだった。

急坂ですれ違った登山グループやお土産屋のオバサン達と交わした会話は楽しく気分転換になった。彼等の多くは中高年のハイカーが多く、子供連れは見かけなかった。途中から富士の裾野が美しく見えたが肝心の頂上は雲に隠れていた。2時間足らずで城山頂上に着いた。

頂上の小屋の周りに沢山あるベンチは登山者で埋まっており、長男が見つけたテーブルで昼食をとった。食事を始めると直ぐ寒風で体が震えた。気が付くと空は濃い灰色の雲に覆われ、あられがぽつりぽつり降り始めた。長くはいられない、直ぐに高尾山に向かって歩き始めた。

相模湖からの急坂の山道に比べ、すれ違うハイカーの数は急増した。高尾山に近づくにつれその数は益々増えて、頂上はハイカーで一杯でテレビで見る渋谷の交差点状態だった。初めての経験だった。ハイカーらしくない格好のケーブルカーで来たと思われる若者達も多かった。 

私は記念に写真を撮ると言って家族と離れ頂上をウロウロしているうちに家族を見失った。電話をかけたが繋がらなかった。山の頂上の人の群れの中で電話をかけて家族を捜すなんて信じられない、と思いながら捜したが見つからず、あきらめて稲荷山コースから下山を始めた。

6号研究路との分岐点辺りで息子から電話があったがもう引き返す元気もなく、駅で合流することにしてそのまま歩き続けた。その後も多くのハイカーに出会い、ケーブルカーの駅から京王線の駅へ続く道はハイカーから観光客でぎっしり。正直言ってこんな経験は一度でこりごりだった。

それから小1時間4号研究路を通ってるはずの家族は現れず、寒風の中駅前のベンチで待つ羽目になった。寒い思いで待った挙句、彼等は温泉に入って行くと言って分かれた。息子はそれでも顔を合わせてサヨナラするのが大事なのだという。私なら割り切って分かれるが、今回は彼のプランだ。

いずれにしても、楽しい家族の山登りだった。孫達が元気に山を登って行く姿を見るだけで嬉しかった。今日の為に買った超安価な中国製トレッキングシューズも、昔の厚手の靴下で足幅を調整し無事に役目を果たした。来春の雲取山登山は、私の体力が問われる登山になりそうだ。■
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スポーツシューズ新調の「たたり」?

2021-11-25 21:13:37 | スポーツ
朝いつもの様にベッドの中で血圧と体温を測定、想定外の値で驚いた。血圧が139に上昇し、体温は平常値より低い5.5度だった。帰京後、血圧・体温共に平常値の範囲に収まっていたのだが。「ハードな運動をした翌日の今朝は血圧が下がる」という私の素人仮説とは逆だった。

ネット通販で注文したランニングシューズと登山靴が昨日届き、早速試し履きをして履き心地をチェックした。どちらとも今迄使ってきた靴がくたびれて来たので買い替えたものだ。特に、登山靴は土曜日に子供や孫達と一緒に雲取山登山を敢行する為に買ったものだ。

ランニングシューズで多摩川沿いの遊歩道を5キロ走り、その後すぐに登山靴に履き替えて近くのスーパーに買い物に行った。ランニング中は、田舎にいる時は週一で15キロ走っていたのでそれ程苦にならない、と思っていた。蛇足ながら、多摩川の河川敷に沢山のテントが張られていた。

二つ合わせてたったの6,700円というバカ安の中国製の靴だったが、どちらとも値段に見合うそれなりの履き心地だった。でも悪くはなかった。ランニングシューズ(ミズノ)は見かけは安っぽいが、走ってて足を痛めそうとかいう感じはなかった。走りながら悪くないと思った。

一方、登山靴(ブランド名はSPORTS)は靴紐を注意して結ばないと履き心地に違和感があった。靴紐の結び方によっては足にフィットしてない感触があった。どうも靴幅が思ったより広く、私の足に合ってなかった。靴底に踵をピッタリくっつけ強めに紐を縛り取り敢えず歩いた。

だが、今朝の血圧体温値が想定外だったのに加え、選択物を干しに階段を上り2階に上がった時に左膝に軽い違和感があった。田舎で15キロ走や長い山裾歩きをして疲労を感じた時に経験した「膝が抜ける」感覚、ちょっと嫌な感覚だった。

帰京後の久し振りの運動のせいか、或いは完全なフィット感のない安っぽい靴のせいか、原因は分からない。土曜日には長男と孫達と雲取山に行く予定で東京タワーの600段の階段に挑戦した。その後長男と話して、この時期は日が短かいので「雲取山日帰り」から「高尾山・城山・相模湖」にルート変更した。多分、3000円程度の靴を履く私に最適のルートだと思う。■
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築100年と3年の差

2021-11-24 18:35:32 | 日記・エッセイ・コラム
天気予報では今日の最低気温は真冬並みの摂氏2度でどうなるか警戒したが、朝起きると寝室の室温は昨日と同じ19.3度だった。田舎の実家にいた時の最低室温(13日)は11.8度だった。昨日は1日を通して19-20度と室温に変動がなかった。エアコンは起動させてなかった。

実家は築100年以上の農家の家、東京の自宅は築3年の一般的な戸建て住居だ。この室温の差には3年も経ったのに驚かされる。実家は20年以上前に母がアルミ雨戸とサッシに切り替え、15年前に私が養蚕用だった2階を書斎・寝室・客間に改築した。合計すると改築費用の方が自宅の新築より高額になった。家内に相談なく退職金の1/3も使ってしまい申し訳ないことをした。

多分、実家もゼロから建て替えれば自宅と同じサイズの効率の良い家になったろう。当時は母が健在で、大正年間に建てた築100年以上の我家を壊すなんて全く考えなかった。70坪10部屋以上もある、宮大工も関わったという農家だ。棟梁によると改築には1軒家が建つ費用がかかったという。単に住居としては無駄な費用で、後の母の介護などを考えると機能的にも不便だった。

それにしても、東京の自宅内の室温が安定して20度前後を保てるのは何故だろうか。契約時の説明を思い出すと、近年の住宅建材は屋根裏や壁の断熱効果が格段に改善され、全体に窓は小さめで二重ガラスになっており、床下を含め気密性が保たれているのが室温を保つ主な原因らしい。

一方、実家のような昔の和式住宅は夏を涼しく暮らせるように作るのが基本だという。しかも実家のある大洲盆地は雲海に代表されるように湿度が非常に高い。実家の床は地面から1m高く家の裏側が見え、風が通るがそれでも家の中の特定部位にカビが生える。約40年前に土砂崩れで半壊した時に補修に使った木材だ。補修してない部分は何ら変化なし、昔の大工の知恵か。■
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東京近郊の生活2021(1)

2021-11-22 16:39:14 | 日記・エッセイ・コラム
早いもので帰京後1週間が経過した。昨日は大崎の長男宅に家族が集合して「マックパーティ」を行い、その後東京タワーに移動して600段の外階段を上り下りして楽しんだ。上ったのは長男と3人の孫達にエレベーターで展望台に上がった娘夫婦。予想通り東京タワーは家族客で一杯だった。

トントン上って行く孫達小6・小1・年長組や長男に私は全く追いつけず、最初の100段かそこらで彼等の後ろ姿が見えなくなった。来週計画していた雲取山登山に備えて孫の脚力をチェックする目的だったが、チェックされるべきは高齢者の私だったようだ。

展望台でブラブラしてると金髪女性の一人姿を見つけ、躊躇なく声をかけた。私の病気だ。彼女はカリフォルニアからで、子供2人が大きくなったので若い頃に教わった日本語の勉強に来た、20年ぶりの来日だという。40前後なのにスマートで笑うと顔のしわが気になったが美人だった。

先週九州の福岡に旅行したと聞き、実家のある四国も良い所だよと写真を見せて勧めたが興味がなさそうだった。話に熱中していると横から娘が突っついて来てそろそろ帰ろうという。娘は私の病気をよく知っている。下り階段は日本人アラサー2人組と話が弾んだが、今度は孫が邪魔して来た。

マックパーティに東京タワー階段挑戦は帰京前から予定していた計画で、これでもってほぼ予定をクリアした。帰京翌日は調布に行き証券会社で遺産相続について助言を受け、翌々日は市の健康診断を掛り付け医で実施、1昨日は家内と息子に約束してた人気のイタリアン店で食事をした。

その間に市内を散策して家内に聞いた街々の変化の様子を眺めた。注目したのはニトリに買収された島忠の店内の変化や、伊勢丹撤退後にテナントビルに変身したミッテンだ。だが、恒例のケヤキ並木の飾りつけや、それに続く大國魂神社の参道が例年通りだったので安心した。

私の自宅での役割は選択物干しと食洗器での皿洗いに買い物だが、田舎の一人暮らしで慣れたものだ。一昨日まで東京の天候は先ず先ず安定し乾燥してたので、選択物干しは苦にならなかった。まだ難しい買い物は頼まれてない…。

健康診断の結果が判るのは後1週間かかるが、帰京後の血圧や体温は田舎暮らし時より安定している。多分、3年前に建て替えた自宅の造りが、新素材・窓が小さく・二重ガラスで起床時の室温が20度弱で過ごし易い為ではないかと推測する。1週間後の健診データを見てみたい。■
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